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江川はなぜ大学行ったのですか?
野球マニアの方にぜひお伺いしたいのですが、 高校三年のとき、阪急に指名されてそれを断り、慶応に落ちて法政に行きますが なぜ(のちの元木のように)野球浪人しなかったのですか? 本人もしくは関係者の証言等で 事情が明らかにされている等ありましたら 教えてください。 よろしくお願いします。
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江川は高校当時から大学進学を公言してたからです。だから浪人という選択肢などなかったわけで、その後巨人に入るときにあのような形になりましたが、それは結果論であって、当時そんなことになるとは夢にも思わなかったでしょう。ずいぶんあとになって江川は高校卒業時、もし巨人が指名していたら入っていたかもしれませんね、というような旨も言ってはいました。そうなっていたらどうなっていたでしょうかね。 その大学も東京六大学を希望してわけですが、当時は学生野球でも六大学は花形であこがれの場であったのです。六大学は戦後はプロよりも人気があり、長嶋や杉浦がいたときはピークでした。彼らがプロへ行ったのと同時期にテレビの普及もあって、人気は逆転してしまいましたが、それでも東京六大学はアマチュア選手としての最高峰でした。なので高校から直接プロには行かず、六大学でプレーしてからプロへ行くのはエリートコースと言われて時代で、プロで活躍できなくても六大学卒という肩書があれば、第二の人生でも役に立つということです。 江川は昔テレビでも学生時代から将来設計をしていたと言っていたので、プロを引退してからも指導者の道には行かずにレストラン経営するなど実業家としての活動をしているぐらいなので、浪人など考えもしなかったでしょう。大卒時も巨人を熱望したのも、日本のプロは巨人中心で回っているから、プロで成功しなくても巨人の選手だったというだけで周りの目が違うというようなニュアンスのことも言っていたので、六大学卒にしろ元巨人にしろ、結局自分の将来のための肩書にこだわったということのようです。ただレストラン経営は失敗し、多くの借金をかかえ、テレビの解説やコメンテーターの仕事を増やして借金を返したので、実業家としてはうまくはいってはいないようですけどね。 まぁ、そもそも浪人というのは今でもいい選択とは言えないでしょう。巨人の菅野のように大卒で卒業後も大学側が練習環境を提供するなど東海大学グループの全面バックアップがあればまだいいですが、高校から大学にかけては選手として一番伸びる時期ですから、その時期に実戦経験もほとんどできない状態ではリスクがあまりに大きすぎますね。だから元木のような高卒で巨人に行くためだけでの浪人は異例中の異例で、他の選手はあまり考えられないでしょう。仮に浪人してもルールではドラフトにかけなくてはならないわけですから、当然他球団も指名が予想されますから、浪人しても希望の球団に行ける保証もなく、もう1年浪人となったら、さらにリスクが大きくなるでしょうからね。
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江川が大学に行ったのは野球を辞めた後のことを考えたからと 某野球雑誌で見た覚えがあります。それと江川が巨人にこだわった のは王・長嶋みたいに名誉か欲しかったからで現在のような 全試合がテレビ放送される時代ではなかったからでしょう。
お礼
昔、私は プロ野球選手になれるだけでいいじゃないか。 ワガママなことを。 どんな球団でも、自分ががんばって成績残せばいいじゃないか 初めからダメな場合を考えてどうする! こんな意見の持ち主でしたが 私自身年を重ね、そんな考えがいかに甘ったれであり 現実を直視していない馬鹿げた思考だったかと今では思います。 江川氏は立派だと今の姿を見て本当に思います。 高校生のうちから天才ともてはやされている中で そのような現実的思考が出来などというのは 本当の怪物だと、畏敬の念を抱きます。
- nankaiporks
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当時は浪人して体力の維持は難しかった。 1年休めば取り戻すにも時間がかかりすぎたような気がします。 社会人に行ってたら、途中で退団もできませんし。 今は科学的トレーニングでなんとかなりますが…。
お礼
確かに野球浪人にはとても大きなリスクがあるようですね。 ご回答ありがとうございました。
- STAX217A
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"江川卓"氏は、大学進学により、”ドラフト会議時の契約金\増額吊り上げを期待していた可能性と、プロ野球志望の情熱が、何より高かった可能性があります。!*保護者の影響で、ビジネス意識が何故か_旺盛でした。* ★★★特に、某○○○球団との密約説等の今もって、不可思議で_ご本人の意思に関係ない”ステージ”社会的事件となるような、”ダーティ・ヒーローと”なるような主役”と、なりました。☆☆☆誠に、悲しい事でした。☆ (1)江川卓氏の”保護者:ご両親”の、社会人的ご判断範疇な”お立場”として、意味不明な事でした。! (2)彼(江川卓氏)が、十代の頃に、”野球の天才・秀才”と、”超”有名人”として、おだてられ過ぎました。 (3)当時は、”高校野球”で、情熱+関心・興味が全国的に”マスコミが”おだてられ過ぎて、”剛速球投手現わる。! (4)作新学院と言う、関東地方\高校野球では、”当時は、名門。”でした。今、落ち目のPL学園?と同じです。 (5)彼”江川卓”氏の、高校最後の”投球が、”雨天”により、ボール握り手が_滑った。あらゆる伝説が、多い為。 (6)ダイ漫画家(水島新司氏)が、絶大に”とも角_熱烈・大応援”していました。 (7)”体育会系の方”は、”大学進学で_入学試験時\学力底上げの入学保証?が、出来た時代でした。” (8)普通の高校生レベルなら、地方予選から注目しないけれども彼の場合は”プロスカウトが”大注目”してました。 (9)現在は、”プロ野球”より、プロサッカー、プロテニス(ニシコリ様)、プロバスケット等など・・・)ですが。 (10)マスコミの寵児(チョウジ)となれば、ビジネスチャンス(人生として将来性)が、あると言う事でしょう。 (11)現代の野球中継[S_B_O & Baseランナーの、アリ・ナシ等の、ビジュアル_スポーツの解り易さ]の時代では、なかったのでした。 ☆特に、”速球スピードが、TV(テレビ)画面表示がなくて_”直球+カーブ”のみで、投手能力が判断出来ました、平和な時代の、”スポーツ・ヒーロー”でした。☆
お礼
当時の情報、ありがとうございました。
- tpg0
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ANo1です。 補足質問の件ですけど、私自身はプロ野球には殆んど興味がないですし江川卓氏の個人的な内情にも詳しくないですが、江川氏の母校である作新学院の理事長でオーナーでもある当時の衆議院議員だった船田中(衆議院議員・船田元の祖父)が江川氏の後見人として読売ジャイアンツへの入団を希望してた江川氏を応援してたようです。 恐らく、作新学院時代のドラフト会議で読売ジャイアンツに入団交渉権があったなら法政大学には進学せずに高卒で読売ジャイアンツに入団してたと思います。 正直、江川氏が在学してた当時の作新学院は勉強の嫌いな落ちこぼれ組が県立高校入試の滑り止めで受験するような偏差値の低めな私立校でしたから、失礼ながら江川卓氏も勉学に関しては決して得意ではなかったはずと作新学院OBである友人などからは聞いています。 ただ、高卒で一年間の野球浪人という形は江川氏本人も希望してなかったでしょうし、東京六大学の野球部で活躍してから読売ジャイアンツ入りでも遅くはないとの周囲や本人の判断で法政大学に入ったのではないでしょうか? ですが、大学卒業時のドラフト会議でも読売ジャイアンツが交渉権の抽選に外れてしまったことで大学卒業後の一年間は野球浪人をすることになりましたけど、翌年のドラフト会議でも読売ジャイアンツが入団交渉権の抽選に外れてしまったので、これ以上は待てないとの判断で阪神タイガースと小林繁氏の交換トレードという前代未聞の裏技的な交渉という形を取らざる得なかったのでしょう。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 高校卒業時に巨人に指名権があればどうなっていたのでしょうね。 ご回答者様のご意見もあり得ると思います。 わたしは個人的には彼の選択は結果的には間違っていなかったように思いますが これは価値観によりますので正否ではないですが。 詳しい内情を教えていただきありがとうございました。
- ゆのじ(@u-jk49)
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高校三年生時、大学進学の意志が固かった。巨人から指名されても拒否することにしていたと本人が語っている。やはり、プロ野球に入るにしても、大学卒業の方が、何かと有利。大卒の長嶋と、高卒の王との引退後の差異が、そのことを物語っている。 巨人入りは、正力と江川の父親との秘密会談によって決まった。
お礼
私はすっかり巨人に入ることが第一で、大学進学はその次の希望だと思っていました。 そうではなかったのですね。 すっきりしました。 ありがとうございます。
- tpg0
- ベストアンサー率31% (3785/11963)
こんにちは。 私は、プロ野球マニアではないですけど、江川卓氏の出身校である栃木県宇都宮市にある作新学院出身者の友人や江川氏が高校時代当時の居住地だった栃木県小山市内の企業に勤務してた関係などもあって江川氏の話は色々と聞かされてます。 まず、江川氏は高校時代から読売ジャイアンツへの入団を熱望してたそうですが、高校卒業時のドラフト会議で読売ジャイアンツが交渉権の抽選に外れてしまい阪急ブレーブスが入団交渉権を得たことで阪急への入団を辞退して東京六大学の野球でも活躍出来る法政大学に進学することになったようです。 東京六大学の野球でも活躍した江川氏は大学卒業時のドラフト会議でも読売ジャイアンツが交渉権の抽選に外れてしまい当時のクラウン・ライオンズ(旧・西鉄ライオンズ=現・西武ライオンズ)が交渉権を得ますが、江川氏は在京球団ではないことを理由に入団を拒否して一年間の野球浪人を経験してます。 そして、翌年のドラフト会議でも読売ジャイアンツは交渉権の抽選に外れしまい、阪神タイガースが江川氏との入団交渉権を得ますが、読売ジャイアンツ入団は当時の巨人軍エースピッチャーだった小林繁氏と交換トレードという意表を突く形で読売ジャイアンツへの入団を果たすことになりました。
お礼
ありがとうございます。
補足
私が言葉足らずだったのかも知れません。 すみません。 お伺いしたいのは、そんなに巨人に行きたいのなら、 なぜ一年間の野球浪人を選ばなかったのか?です。 なぜ4年も待たないといけない方を選択したのか。 東京六大学で野球をすることも江川にとっては夢だったのか。 また大卒という経歴も欲しかったのか。 なら何故初めから大学入学を希望しなかったのか。 「巨人に入団を希望したのは、引退後も仕事があるから、そこまで計算していた」という人もいました。まあそれは無いと私は思いますが。。 ちなみになぜこういう質問を しているかと言いますと、人生の岐路に立った時の人の選択の仕方について調べておりまして。。 著名で、しかも「空白の1日」というショッキングな事件に至る江川さんの「入団までの選択の経緯」を知りたかったのです。 もし江川さんにお詳しいのなら何か選択にまつわることでご存知あれば教えて頂けると幸いです。
お礼
大学進学希望を公言。 しかし後年巨人に指名されていれば行ったかもと発言。 当時の六大学野球は花形 昔から将来設計をしていたと言っていた プロで成功しなくても巨人だったというだけで周りの目が違うと発言 ただレストラン経営は失敗 上記の事実を主観を極力排除して客観的に述べて頂き、私の質問にガッチリご回答頂けており とても感謝致します。 また最後に野球浪人についてのご意見も述べておられとてもよくわかりました。 バッチリです。 ありがとうございます。