元塾講師です。
「原則として3.5(B)以上」ということは、確かにそれ未満でも一応出願は受け付けるということになります。ただし、合格はないでしょう。あなたが有名人で、あなたが入学すると出願者が急増して大学に金銭的に大きく貢献できれば別ですが(もしくは相当な寄付金を出す)、そうしたメリットがない限り合格はありません。以下は、「なぜ原則という言葉を大学が使ったのか」ということを(推測にはなりますが、指導経験を基に)お答えいたします。
「原則」を使わないと、全高校生の中から相当数の「受験資格なし」という人が誕生します。そうなると、「成績だけで判断するのかよ」という反感を多くの人から買います。また、出願しても合格させなければいいわけですが、出願してもらうことそれ自体に(大学側に)メリットがあります。受験生としては門前払いをされないですし、大学側としては「どうせ合格しない人からも受験料だけはしっかりもらえる」からです。「原則」という言葉は、本来もらえない受験料を大学側がもらえるようにする魔法の言葉です。単純に受験数・受験料の増加が見込めます。
他にも、噂レベルですが、その大学の先生の子供が受験をする際、こうした成績の条件があるとそれだけで不合格確定ですが、「原則」を入れることによって、その人を「例外扱い」とし合格させることもできます。
はやい話、「ほぼ裏口の人を正規合格させるための措置」と見るのが妥当です。逆に書くと、そうした裏口ルートがない人にとっては「原則」のもつ恩恵にはあずかれないということです。
推薦入試の指導経験から得られたものですが、「合否にはかなりの大学の先生たちの趣味嗜好が入る」ことが言えます。男性の先生が面接官では、かわいらしい女性は合格率が高いですし、体育会の男性の方が受けがいいというものがあります。もちろん、これも能力の一部ですが、求める人物像に「声が多いく礼儀正しい」がなくても加点材料のようです。
ご参考までに。