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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:海外生活が寂しくて...)

海外生活が寂しくて...

このQ&Aのポイント
  • 現在、日本から飛行機で6時間ほどの国の会社に現地採用で長期滞在しています。最近、日本の家族に会えないことがとても寂しく感じられるようになりました。
  • 現地で恋人ができまして「絶対に離れたくない。結婚したい。」と思うようになりました。彼は発展途上国の方です。日本に連れて一緒に暮らしたいと思います。
  • やはり寂しくて現地で知り合った人と結婚してしまう方って少なくないんですか?同じような経験をした方いませんか?また、知り合いに似たような方がいたりしますか?

質問者が選んだベストアンサー

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noname#198425
noname#198425
回答No.1

仕事で、中国に一年ほど単身赴任していました。 行って1ヶ月くらいは、異国情緒も楽しめましたが、3ヶ月もすると言語、習慣の違いもあり気が狂うのでは?、とさえ思いました。 Skypeで家族と連絡を取ってはいましたが、気か休まるときもなかったですから。 気を紛らわすために、地元の呑み屋に通い、潰れるまで飲んでました。 そこでかなり深い仲になった娘もいましたが、日本に帰ってからは連絡することも無くなりました。 一回、日本に帰って、落ち着いてから考えられることかと思います。 吊り橋効果という言葉もありますし、急いで結論を出すのは早計かと思います。

709gmail
質問者

お礼

よく考えます。 ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.2

その気持ちよく分かります。わたしも、メキシコから日本に亭主に連れられてきた最初の年は、厳しいでした。 当時はスペイン語など話せる人は皆無、しかも、亭主の転勤で高知市までに出るにも一苦労の田舎で、米の発育の研究に夢中になっている亭主。モンペはいてゴム長靴と大きな麦わら帽子に手ぬぐい姿で小さな耕運機でタンボで働いている亭主にお弁当と麦茶のはいったヤカンを届けるのが唯一の仕事。近くに番傘作る人がいたので、その爺さんの指導で、番傘造りから蛇の目傘作りも。素朴な伝統的な和紙の作り方も教えてもらいました。 2年もすると、私もタンボの中に入って、元気にオバさんたちと田植えもするようになりましたが。 最初の半年は見るもの聞くものすべてが違ってあっという間。それから、何となく言葉も分かり、習慣も理解できたと一人がってんした頃からが苦痛。結局なにもわかっていなかった、と。一日が途方ないほど長いでした。寂しくて涙もしょちゅう。田舎で電話もなし、汲み取り式の便所、いろんな虫が家の中に。台風が近づいてくると、それこそ避難してくる虫や動物だらけ。何から何までなんでこんな苦労せなアカンのじゃと涙に涙。 幸いにお姑さんがとてもいい人で、村に出て公衆電話で「お母ちゃん来て、」って涙声でいえば、翌日夕方には来てくれたのが、救い。乗り切ることができました。「つらかったら、いつでもお母ちゃんが往復のヒコー機のお金だしてあげるから、メキシコに行って来ていいよ」、と。わたしスペイン語、お姑さん関西弁でも、ちゃんと通じていました。結局、一時帰国は3年くらい後に実現しましたが。 いつでも、ちょっとだけ帰れるって気持ちが楽になったようです。 そのあと、亭主が、電気も水道もない人食い人種のいるといわれている僻地に3年も。子供ができたので、一緒に行くことも出来ずです。砂漠を20キロの水を担いで3日間歩いていく場所です。連絡も半年に一度くらいで、元気にしてるか、子供はどうや、くらい。 とにかく、今の続いている亭主が限りなく強い女にしてくれました。

709gmail
質問者

お礼

私よりも困難を乗り越えてきた方なんですね。 勇気が出ました。 ありがとうございます。

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