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大学院評価の問題とは?
- 大学院の評価について疑問を抱く人が多いですが、その理由は何でしょうか?
- 特に旧帝大院出身者の評価がされないという声もありますが、その背景はなんなのでしょうか?
- マスコミや情報の影響で誤解が広がっている可能性も考えられます。大学院の適切な認識を広めるためにも、意見を共有しましょう。
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質問者が選んだベストアンサー
旧帝大院卒というだけでは、社会から高評価は得られません。それは当たり前でしょう。 大学院は基礎学問の研究をするところです。そこで大きな業績を上げれば、大学教官への道が開けます。そういった方は、社会からも高い評価を受けます。 一方、大学院を修了してから実社会へ出る方の中にも、やはり社会から高い評価を受ける方はいます。彼らは、基礎学問の研究そのものではなく、その活動を通して仕事の方法論を身に着けた方々です。すなわち、自ら手を動かして(理系なら実験、文系なら調査)情報を集め、論理的に考えて仮説を立て、他者と協力してその仮説を立証しあるいは改良し、有用な結果をもたらすことができます。 学問的業績も方法論の習得も中途半端であれば、旧帝大院卒というプライドを捨て、一から仕事を勉強していく謙虚な姿勢が必要でしょう。私自身の経験から言って、これは確かに難しいのですが、それ以外に方法はありません。
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- akeshigsb
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文系と理系では事情が異なると思います。 文系に関しては、一番多くの受験生が存在するのが大学入試であり、院試は数そのものが少ないです。また企業が評価するのは、勉強で得た知識よりも「知識を効率的に得られる能力」や「物事をしっかり考察できる能力」であり、その評価算定には、受験数の絶対数が多い方がいい試験となります。文系では院にいく人があまりいないために、院に行く人がたとえその能力に関して優秀だとしても「絶対数が小さすぎて算出不可」となるのでしょう。また、大学入試・院試と絞り込みを増やしたからといって、院卒の人の能力がしっかりと高いわけでもないですし、むしろ「その学問に精通している=世間一般に疎い」可能性が高くなり企業としては使いにくい人材です。 理系に関しては、「主要ポストをおじさんが独占しているから」といえます。 大企業や官庁などにはよくあることですが、社長(トップ・事務次官など)になれる人は数年に一人の逸材です。社長が毎年変わるわけにもいかず、複数置くこともできないので数年に一人しかなれません。今のおじさん世代では、新しい研究室や役職を作っていった世代であり、現在の維持・削減の状況に比べれば役職に就きやすかったはずですし、現在のようになかなか空きにくい状況ではなかった時はずです。そうしたことから、同じ学歴でも年代が変われば価値が変わったということです。 ちゃんと評価されない 適切な認識 …現在の日本の家電メーカーの凋落の一番の原因は「技術は尊いものでそこに価値があるはずだ」という思い込みです。その技術を満載した高価なテレビは売れず、安価な中韓製のテレビが世界を席巻しています。その状況で日系メーカーは「世界が間違っている」と唱え赤字を垂れ流しています(いました)。しかし、企業としては、これは自分たちの考えが間違えだと考えるべきであり、ユーザー無視のつけが来ただけです(雇用を守るという目的の下こうした主義が出ている可能性もあります)。 理系の研究室では「理論・実験結果」が「正」ですが、その外(研究室への就職なども実は)は「人が求めるもの」が「正」となります。いくら院の実績があっても(採点官が求める)「協調性」がなければ不採用になります。それを受験生が自覚せず「俺より学歴が低い人間が通る理由が分からない」などとなってしまいます。 以前、東北にプロ野球ができるとき、楽天とライブドアのどちらかが採用されるという競争が起きました。決定方法は当時のオーナーによる是非で決まり、プレゼンの際、ライブドアの堀江さんは「ファン目線」でノーネクタイで臨み、楽天の三木谷さんはひげをそりネクタイを締めていきました。結果は楽天の勝利になりましたが、それは三木谷さんが「採点者のオーナー目線」を意識したのに対して、堀江さんは「採点者でないファン目線」だったといわれています。球団経営に参入するにはまずは、昔からのオーナーに気に入られる必要があったのであり、「ファンが一番大事だろ」という「理論・正論」をいくら振りかざしても算入できません。オーナーたちが間違いであり、オーナーたちの意識を変えることは必要かもしれませんが、堀江さんのようなやり方ではそのおーナーに苦言を呈するような立場にもなれませんでした。 まずは現状をしっかり把握してどうすれば状況を変えられるかを考えないと(変えたいのであればですが)、それこそ「負け犬の遠吠え」になります。まぁ、私はそれをかえるのにパワーを使うなら、自分の利益が最大にになるようにパワーを使いますが…。
- doc_somday
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なぜか「いや、これから申し上げます」 どうも内容が「発散」して仕舞っています。 もちろん原因は質問者様にあります。 激怒して下さって結構です。 具体的に言えば「語」の「定義」が「全く無い」 あるいは数字になったデータが全く無い。 >ちゃんと評価されない これって何? ちゃんと評価された「例」はどこにあり、逆の例がどこにある。 あなたは答えを「期待していない」 >マスコミや、変な情報 書籍なら、例示して下さい、 変な情報、どこにどんな形で現われ、そしてそれがどんな影響を与えたか、例示出来ますか? 早い話あなたは「何も知らない」し「知りたくも無い」 お酒にでも酔ってかき回したかっただけ。
- asayan2014
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一言で総括すると・・・・・「旧文部省・現文部科学省の政策失敗」並びに「言語の壁」問題。 これは旧帝大に限ったことではなく、私学も同様。 民間の視点で申せば「卒業履歴だけでは何の実効力も持ちません」ということ。 東大卒のなんと使えない人間の多いことか..... ★そもそも「評価」とは何ぞや?可能であれば、質問者なりの定義を明示してください。
- TANUHACHI
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何かこの質問を繰り返し拝読している間に、とある作品を思い出しましたので、よろしければ質問者様も一度お読みになってみて下さい。タイトルは中島敦の『山月記』です。 世に受け容れられずに、自らの才能のみを信じた、ある男がその悲憤の余り狂気に至りやがては虎と化してしまうとの物語です。 そしてもう一つ考えていただきたいこととして、現在の大学院のあり方が「広く世の中に門戸を開いている」理由です。 かつては象牙の塔などと揶揄されていた組織が、なぜ自身から積極的に情報発信していかねばならなくなっているのか。それは大学院との狭い社会組織の中でしか生きることの出来ない特殊な人種をそのままの形で世の中へと送り出してしまったことへの悔悟もあります。 今、東大で何が起きているか、質問者様はご存知でしょうか。医学部当局と教授による一連の不祥事に対し、大学側からは学生に対して何らの説明すらないことに対し余りにも常軌を逸脱しているのではないか?とのかつての怒れる若者達の原点にも近い不信感が渦巻いているとの現実をどうお考えでしょう。 もし医学生達の疑問が普通の感覚であるならば、それに対し沈黙を守るだけの大学の姿勢が何を意味するのか、少しお考えになってみてもよいのではありませんか?
質問文にあいまいな表現が多いです: ちゃんと評価される,変な情報,適切な認識。 大学院教育を受けていれば,もっとましな文章が書けると思います。もし「求職中のポスドクでござい」でこんな論文を書いていれば,そりゃあ職はなかろうなあ 笑。 こっちもいいかげんに答えていいなら,少なくとも「知能が低いとは思われない」というアドバンテージはあります。 「職がない」とのうっぷんを晴らしたい書き込みなら,こうも答えられます。マクロには,ぼくらの昔から就職難でしたが,大学院定員を増加させたための生産過剰で拍車がかかった。こういう国家的な予測の誤りは,いくらもあります。国土庁が「オフィス需要が伸びる」と予測したために生じた,都心部の地上げ。「余暇活動が増える」と予測したために生じたリゾート乱開発。いまさら驚きゃしねえよ。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
先程、一つ書き忘れましたので加筆します。 東大や旧帝大といってもその上に胡座をかいてはいけませんね。後ろ盾がなければ何も出来ないようでは、それこそ学問の府とやらの場所に何をしに行っているの?と訊きたくもなります。 東大だからといって、ナンバーワンであるとの保証はどこにもありません。周囲が勝手に創り出した偶像ですから、それを頼るようでは宗教と同じです。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
端的に申しますと、それは日本の社会が「学問そのもの」と「それを考究する意義」を蔑ろにしているとの反映でしょう。 日本の社会が学問に求める「具体的なもの」を一言で記すならば、そこらの書店の店頭で平積みにされている「役に立つ」との修飾語の付記されている本をイメージしていただければお解りでしょう。 学問の原点が「知を問う」ことであるにもかかわらず、この国ではそうした原点を何処かに置き忘れ、恰も功利主義を醸成するための地均し的な要素とでも考えているふしも垣間見えます。 こうした不幸な事態をもたらしている責任は大学側にも、産業界側にもあることだけは確かで、産業界で主流的な発想からすれば、現場で役に立つ人間を育成する場が大学であり、大学側としては学生達を何も営利目的のために時間を掛けて飼育する場などではない、と反論したくもなります。 そして産業界が最も毛嫌いするのは、自らで考える人間であり、会社の命令に粛々と従う人間にこそ市場価値があるなどと歪んだ発想へ暴走もします。 これに対し、高度な専門的知識の醸成を目的とする大学院側とすれば、俺達は働き蜂や兵隊アリを送り出すためなどに仕事をしているのではないわ!と怒りの一つもぶちまけたくなります。 産業界からすれば、新たな商品開発に関しても基礎的な実験データや綿密な市場調査がなければ、そうしたモノを世に送り出すことができないにも関わらず、現実的には開発部隊よりも営業部隊の意見に耳を傾けもし競争に勝ち抜くことだけを目的とする傾向も観られますが、その競争といっても価格やコストよりも商品価値に本質的な部分が置かれていることを、どこかこの国は忘れているような気もします。 とはいえ、大学院側にも責任の一端はあり、自らが情報を世の中に主体的に発信していくことを余り好まない教員も存在することは事実です。これは大学院側が積極的に改めねばならない、しかも今すぐにでも出来る事ですので、それを手をこまねいて眺めている方がおかしいと感じもします。 東大が日本の大学として相応しくないのは、それが元々官僚を短期に育成するための機関から出発したとの経緯もありますから、学問の府として位置付けるのは僕もいささか疑問符を付けるところです。 やはり「大学を評価する観点」としては、研究実績以外の何物でもないはずです。昔の名前で出ていますが売りでは魅力がありませんから。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
「東大」とか「旧帝大院卒」とか一括りにして議論するからです。 採用する側は、各個人の力量を「専門性は当たり前」の前提でさらに「人物」を見ているだけです。 そして、現場では、「肩書きのわりに問題解決能力はないのね」と「実践力」を見ているだけです。修了するのが大変だかどうかは知ったことではありません。仕事ができるかどうかが問題なのですから。 ごく少数の例を、全体の代表のように取り扱うことの愚は、それこそ本当に知を学んだ人間ならわかることでしょう。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>なぜ、大学院などはちゃんと評価されないのか 大学院だけでなく、旧帝大系の大学についても、「そこを卒業して、そのあと、どんな凄い業績を上げて、日本や世界の人々に貢献できたの?」という視点でみたら、結果が出ていないからでしょう。 「生産性と結果を重視する成果主義」の思想からいえば、単に「成果が出てないから世間で評価されてない」ということでしょう。 たとえば、貧しい村出身で、東京帝国大学農科大学には、ビリで入学して、その後、奮起されて、卒業時には、首席となり、銀時計組を贈られた本多静六博士は、その学んだ林学を応用して、日比谷公園、北海道の大沼公園、福島県の鶴ヶ城公園、東京都の明治神宮など、設計・改良に携わった公園が多数あります。 彼の作った関東大震災からの復興原案では、幅70mの巨大道路、鉄筋コンクリート建築による不燃化などが盛り込まれて、政府の年間予算の2倍の40億円という、スケールだったそうです。 でも、その金額の大きさに批判が続いて、4億円となり、その結果、東京の復興は中途半端なものに終わってしまいました。そのため、大東亜戦争末期の空襲で、東京は焼け野原になってしまいました。 また、一介の大学教授ではあったけど、納税番付で一位になるほど、経済面でも成功されています。 先日読んだ、「超訳霊言 ハイデガー「今」を語る 第二のヒトラーは出現するか/大川隆法」の中には、「国際政治学を学んでも、習近平、プーチン大統領、安倍首相たちがヒトラーと同じ独裁者といえるか否か?誰が正しいのか?誰と組めばいいのか?それが判らない国際政治学なんて学んでも意味ない。また、経済学を学んでも、企業経営して赤字を出したり、倒産させるなら、その経済学は意味無い」なんて感じのことが書かれていました。 つまりは、大学や大学院で学んだことが、役立たずのクソだから、ちゃんと評価されていないだけの話だと思います。