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素直に生きたいです。
私はどうしてもプレッシャーを感じてしまいます。例えば体育のテスト中に周りの目が気になり、余計に緊張してしまい、失敗してしまいます。きっとそれは私がメンタル的に弱いということもあるのですが・・・ 自慢になってしまうのですが(そんなつもりはありません!)私はよく友達に、 「苦手科目がなく、元々頭がいい」「運動もできる」「何でもできる」「雰囲気的に何でもできそう」 「冷静」と言われます。 最初は、ふざけ半分で言ってくれているのだと思い、「そんなことないよー」と受け流していたのですが、皆の中で以上のような思いこみが日に日に強くなり、いつの間にかあたかも私が本当に何でもこなせる人のようになってしまいました。今となっては、「本当にそんなことないんだってー!」といっても、 「またそんなこと言って~」と返されてしまいます。時には少しイラついて返してくる人も・・・ 結局今となっては、ほぼ無視のような反応しかしたくないです。 この前なんてバスケットボールで失敗しないようにたくさん練習したんですけど結局テスト本番で緊張し、追試になりました。友達から「意外だね」と言われ少し傷つきました。直接的に言ってこない子でもやっぱり顔に出ていて、そっちの方が傷つきます。 クラス代表で面接を受ける時だって緊張して、噛み噛みになり友達に「珍しいね」といわれました。この時も「君なら普通に合格できるから頑張って」と根拠のないことを言われ余計に緊張しました。こっちの気持ちも考えてほしいものです。 小規模なテストなどでも満点でなければ何か言われる。 2年間ほどこんな調子で疲れました。 確かに英語は自分でも得意意識はあるし(90点台後半くらい)、足はクラスでは早い方です。元々できたわけではなくて自分なりに努力しました。私の長所はそこだけです。他に暗記力が良かったり、数学ができたり、ボールを投げるのが速いとか全くないです。ホントに長所はそこだけです。恐らくこれが元凶ですね。 だから私は友達に思われているほど冷静でもないし、運動だってできても中の中(平凡中の平凡)くらいだし、ちょっとの勉強でいい点が取れるほど頭がいいわけではないです。つまり平凡な人です。むしろ皆よりも冷静に見えて(るようです)、実は皆より緊張に弱いです。 幼い頃からコンプレックスだらけで、臆病だった私は友達に褒めてもらえるのは凄くうれしくて、その言葉通りの人間になろうと努力しているところももちろんあります。 褒められることが生き甲斐と言ってもいいくらいです。 しかしそれがよく重荷になったりして、邪魔です。褒められるたびに自信よりはプレッシャーが募っていきます。とにかく自分は失敗するな!と常に思ってしまい、(ほとんど失敗します)怖いです。楽しくないです。でも今の自分についているイメージをもう手放したくないから「できる人」を演じてしまいます。尊敬される人間になりたいです。 友達に相談して、自分がどんな人間なのか知られるのがこわいです。親にも何となく知られたくありません。親も友達もいい人間なんですけど、私の本心をばらしたくないです。恥ずかしいので。というかそもそも理解してくれないですよ。 勇気を出して、友人に相談しても 友達 「いや、実際何でもできるじゃん」 私 「・・・・・、そんなことないから」 友達 「じゃあ私はどうなるの!」 みたいなやり取りの1パターン だから身近な人に相談するのはもうやめました。 だから、皆さんの考えを聞きたいです。分かりにくい長文ですみません。 強くなりたいです。それとも私は甘いですかね、自分に。私は どうすればいいですか。
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- roomba750
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No.2の者です。 「見た目で、良く判断されてしまうようですが、回答者さんはそんな自分にプライドはありますか?」というご質問をいただき、自分のことをよくよく考え直してみると、私は人の言うことを信用していないことに気がつきました。 私の場合、例えば、幾人もの人から「落ち着いている」と言われても、「血の気が多い」と自分で感じている以上は、他人の言葉なんて心に届きません。 本当にそう思って言ってくれる人もいるかもしれませんが、なかにはその場限りの言葉を発する人もいますから、他人の評価を鵜呑みにしてはいけないと常日頃思っています。 反対に、他人から褒められずとも自己判断で「評価に値する」と実感した場合は、浅ましいながらも自分で自分を褒めてやるのです。 このように、私は他人の言葉をそこまで重要視していないため、第一印象から良く判断されることに対しての自負はありません。 でも、そうやって「自分の感覚こそ全て」と思うこと自体、自分にプライドがある証拠かもしれませんね。 私は他人が褒めらている様子を目にしても何とも思わないのですが、その矛先が私に、つまり、他人への褒め言葉について同意を求められたときは、本当に嫌気がさしてしまいます。 例えば、「○○さんって凄いよね」という問いかけに許された返事は、「同意」しかありませんよね。 誰もそこで「そうは思わないけど……」と返して悪口大会を開こうとはしないはずです。 私自身は何とも思っていない人であるにも関わらず、無理やり褒めなくてはならないというのは私の美意識に反しているようで、本当に苦々しく思うものです。 これもある種のプライドなのでしょうか。 質問者様と私の言葉を比べてみると、真反対にいるようで、表裏一体であるような気がします。 質問者様は他人の評価に応えたいというプライドがあり、私は周りを無視した独りよがりなプライドがある……どちらかが良いのではなく、多分この二つの中間がプライドとして適切なのではないかと思います。 それから、「自分が劣っている」と感じることは二重の意味で悪いことだと思います。 質問者様の場合は、「他人より優れていたい」という心理があるために、褒められている人を目にしたとき危機感を覚えるのでしょうけれど(見当違いだったらごめんなさい)、現実問題としてこの広い世の中、優位に立ち続けるというのは難しい話で、この先劣等感に苦しむかもしれません。 私の場合は、「他人より優れていたい」とは思わないのですが、その分自己評価は低く、加えて他人の評価を信用していないので、もし、自分で一点も誇れるものが無くなってしまったら、その場で「お終い」になってしまうかもしれません。 お互いこのような惨めな思いはしたくないものですが、「自分が劣っている」と感じてしまう以上は仕方のないことですよね。 自分で性根を叩き直したいと思っていても、どうにもできないまま、時は過ぎ去っていくのでしょうか。 もしそうだとしたら、自分の悪いところも受け入れようとすることが必要になってくるかもしれませんね。
- roomba750
- ベストアンサー率0% (0/1)
No.1の回答者様が親身になって答えてらっしゃるので、私の出る幕はないかなと思いましたが、どうしても気になったので、自分の経験談をお話ししたいと思います。 私の話はあくまでも参考程度に留めておいてください。 私も雰囲気だけで「頭がいい」「冷静」「優しい」と思われてしまいがちです。 本性は真逆だな……と情けなく思いつつも、口で説明したってわかるものではないだろうと思い、周りの人には一緒にいながら理解してもらうために、なるべく素の自分でいるようにしています。 そうすることで離れていった人もいるかもしれませんが、そばにいてくれる心優しい人もたくさんいるものです。 それは質問者様に知っておいてほしいことです。 でも、ここでお話ししたいのは私のことではありません。 質問者様と近い存在であると思われる、私の友人の話です。 その友人は容姿端麗で性格も明るく、よく人から褒められているのを目にします。 褒められる度に友人は「そんなことないよ~」と受け流しているのですが、もしかしたら質問者様と同様に嫌気がさしているのかもしれませんね。 私といえば、すでに書いたように自分も褒められて戸惑う経験があったので、特に友人を褒めることはしませんでした。 その友人とは気が合ったので、よく一緒に喋っていたのですが、初めの一年は「この人は素を見せないな」と感じていました。 それでも、一年過ぎ、二年過ぎた頃には自分の暗い部分を少しずつ話すようになり、「警戒されなくなったのかな」と安心したのを覚えています。 周りの人から「多分、あの子はあなたにしか素の部分を見せていないよ」と言われるぐらいの仲になりました。 けれど、友人が気づけないうちに良い意味でも悪い意味でも自分自身を偽り続けているのだろうと思うと、可哀想でなりませんでした。 そして、知り合って三年が過ぎたころ、友人は私と二人っきりのときに、質問者様と同じことを言ったのです。 「私、人から勘違いされて、なんでもできそうって言われるんだけど、本当は違うんだよね。苦手なこともいっぱいあるのに。それが負担で本当に嫌……」 ため息をつきながら話す友人は、それでもどこか誇らしげでした。 自虐するにしても、ここまでやってきたプライドはあるのでしょう。 私は返事として「そっか、なんとなくわかるよ。勝手に期待されてるのも困るよね」と続けるだけで、話を終わりにしてしました。 なぜなら、そういう人のプライドを傷つけない術を知らなかったからです。 もしかしたら、私の言葉ひとつで、せっかく開いてくれた心を閉ざしてしまうのではないかという不安がよぎりました。 正直、三年も一緒にいれば、友人ができる風に誤魔化しているところも、変にプライドがあるところもわかってしまうものです。 周りの人も、口にしないだけで気づいていたかもしれません。 それでも、私は今でもその友人と一緒にいます。 友人のたくさんある良いところも、少ししかない悪いところも、全てをひっくるめて好きだからです。 ここで、質問者様に申し上げたいことが三つあります。 自分を良く見せようとすればするほど、「素で接してくれない」と思われてしまうこと。 実力の伴わない偽りの姿は、いずれボロが出てしまうこと。 メッキの剥がれた姿を見て呆れるほど、人の心は狭くないということ。 プライドを捨てて、少しずつでも自分の素顔を見せられるようになるといいですね。 さて、こんなに長文になってしましましたが、見当違いなことを言って傷つけてしまったたのなら申し訳ないです。 とにかく、若さは可能性です。 これからどうにでも変わっていけると思います。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ありません! 回答者さんのように人のことを下馬評通りに判断しない人がいると知って、少し安心しました。 回答者さんも見た目で、良く判断されてしまうようですが、回答者さんはそんな自分にプライドはありますか? 私もやっぱり、自負してしまっているところがあるので、他の人が褒められているのを見たり聞いたりすると、自分が劣っているという危機感で、素直にその子が凄いことを受け入れられません。 でも回答者さんは身近に凄い人がいるのに、その人に思いやりをもっているので凄いと思います。
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
自分もあなたのような人生を生きてきたので、経験から一言。 >褒めてもらえるのは凄くうれしくて、その言葉通りの人間になろうと努力しているところももちろんあります。 >褒められることが生き甲斐と言ってもいいくらいです。 あなた、素直ですね。(笑) 私も、あなたと同じで、このように考え、期待に応えるべく、必死に 自分を抑圧し、頑張ってきました。 それなりに結果も出してきました。 私は、今や中年ですが、今になって思うのは、 こういう生き方は、一番してはいけない生き方だったなと、後悔で一杯です。 辛かったのは、この流れに乗っちゃうと、素の自分を出すタイミングが 無くなってしまうということです。 まあ、ありがたいと言えば、ありがたいのですが、先に、いいレッテルを 貼られてしまうわけですよね。 自分だって、人間だから、悪い部分や、腹黒い部分や、エロい部分があるのに、 そういうのがだせなくなる・・・・。これって、ほんと苦しいんです。 ズルズルと、みんなが思い描く自分を演じてるうちに、中年になってしまいました。 それならそれで、一生それでいければいいんですけど、そうもいかないんですよね。 この年になると、先が見えてくるんですよ。 こんなまま、自分の人生が、流されて終わっていいのか??っていう 気持ちが芽生えてきたんです。悩み、苦しみました。 降りるなら、早い方が絶対いい。 この先、進学先だって、就職先だって、恋愛相手、結婚相手に至るまで、 自分の思い通りには行かなくなります。 どうしても、勝手につけられた、自分のイメージに、縛られてしまって、 自分の好き勝手にはできなくなります。 それは、誰かが、妨害するのではありません。 自分が、自分の道をゆがめてしまうのです。 でも、褒めてもらえたりするから、なんとなく、これでよかったのかな? なんて、勘違いが起こります。 でも、心のどこかでは、モヤモヤしてるんです。 なんか、違うんじゃないか??って。 あなたをどう評価するか、それは、他人がすることですから それはどうにもなりませんので、ほっておけばよいです。 とにかく一番は、やりたくないことは、やらないこと!! これにつきます。 私たちのような人間は、やれば、多分、それなりにできてしまう おそれがあります。 そうすると、ズルズルと、やりたくもないのに、やるはめになったりして、 時間を無駄に過ごし、進行方向まで狂ってしまいます。 >尊敬される人間になりたいです。 結果として、そうなることはいいことなのですが、 尊敬される人間になろうとはしないことです!!絶対!! こう思っちゃうと、当然、思考や、行動が自分本位ではできなくなります。 他人が思い描く、尊敬できるであろう思考や行動に自分を 合わせていかなければならなくなります。 本来は、あなたがやりたいようにやった結果、尊敬されるというのが ベストなのです。 いきなり、強くなったり、他人が自分の事を理解してくれたり、 そういうことは、絶対にありません。 あなたがやるべきことは、自分の意思表示をきちんとすること! 自分の心に素直になること。 嫌なものは、嫌だ、という強い気持ち。 他人になんて、どう思われたっていいんです。 本当の自分を守れるのは、あなた以外には誰もいません。 あなたが他人の評価や、他人の目に負けてしまったら、 希望もしないところへ、押し流されていってしまいますよ。 私みたいにはなってほしくないのです。 自分を大切にしてくださいね。
お礼
早急なご回答ありがとうございます(>_<) 私は自分は何もできないと卑下してしまうのが怖くて、周りに言われているうちに「自分」=「何でもできる人」という認識を持つのが最善策だと思っていました。それは私を支えてくれている一方、自分にプレッシャーをかけていました。 >自分を守れるのは自分だけ この言葉は中一の頃に全く同じものを作文に書いた記憶があります。自分でそう思っていても、確信を持てないままでした。でもあなたの言葉でやっと持てました。 「自分」=「何でもできる人」というのを切り離すのは怖いけど、本当の自分を守れませんね。 もう周りに流されるのはやめます。 嫌なことは嫌だって言うようにします。宿題はしますけど(=_=) 大事なこと軽々しく言ってしまいましたが、大丈夫です。気楽に生きたいので。 あなたに相談に乗ってもらえて幸せです。あなたみたいに人のことをしっかり理解できる大人になれるようにします、これから先何があっても!・・・なんていう希望に満ち溢れたことは個人的に嫌いなので言えませんが。 でも自分のこと誤解しないようにします。自分の望みを聞いてあげることにします。 ずっと悩んでいたことを解決して頂きありがとうございます。これからは自分で解決します あなたが自分の中にどんな気持ちを持っていてもあなたのこと尊敬しています。
お礼
確かに私は、人の期待に答えたいという思いはあります。でもそれは人をがっかりさせないように、という他人への思いではなくて、私が人にどう思われているかが気になるからです。 それと回答者さんの「自己評価の低さ」というのを聞いてピンときました(゜-゜) 私は人に褒められることが生き甲斐でもあるが、プレッシャーの原因となり重荷だと思っています。もう少し前は回答者さんのように、自己評価を信じ、他人からの褒め言葉も全く真に受けていませんでした。それは、自分のことをしっかりみて自分なりの判断(周りに流されない)ができたということなんでしょうね。まぁその分自己評価は低かったですが…… 私はその自己評価が低いということに堪えられません。自己評価を信じるのはよかったのですが、堪えられなかったが故に、社会で自分は「劣っている」という風に思っています。小学生の頃から(>_<)ちなみにですが、友達のように特技がないのでそう思ってしまいました。 その「劣っている」ということが私のコンプレックスです。 努力して、結果を残し、褒められることが増えていくうちに、段々とそのコンプレックスから解放されていくことに気がつきました。自分は「優れている」と感じることにより悩みで疲れなくなりました。 そのうちに自己評価が高くなり、自分は「皆より優れている」ということに生き甲斐をかんじました。 しばらくは良かったのですが、回答者さんのおっしゃる通り、求められることに困難なことばかりが増えていきました。そこに、失敗したらどうしようという不安があり、周りからの「君なら余裕でしょ」という一言。ここで、自分からの不信感と周りからの信頼感の違いを知りプレッシャーを感じます。事をこなす人を見たら自分はあの「人より劣っている」というコンプレックスを持つことへの危機感を実感します。結果がどうであれ、「さすがだね」か「意外、どうしたの?」という言葉をかけられて、誰も本当の私を分かってくれない、というかんじで……… これを繰り返すうちに疲れたんです。自分は「優れて《いなくてはならない》」ということに。 きっと私はコンプレックスを持つのが怖かったんです。だから私は人にどう見られるかに頼っていたんです。 今まで周りの人のせいで嫌な思いをしているとおもってました。これも一理あると思いますが。現在もどこかでそうおもいます。 でもおよその理由は私の願いによる束縛でした。 自分からも束縛され、他人からはそれを強められてしまう。最悪ですな(-"-) きっと私の、この欲に近い願いはこれからさき消えることはないと思います。消えてほしいとは思いません。むしろずっとあって欲しいです。これのおかげで「何でもできる人」と言われるようになったのですから。 プレッシャーにもなりますが。 テストで高い点をとる人は勉強をしているから。多かれ少なかれ努力はしている(同じ結果を残すための勉強量の差なんて個人の遺伝子によるので文句をつけるところで無駄だと思います。ここでは人間性が問われますね) 私が周りからも、自己評価を上げるためには、プレッシャーに堪える努力をしなければならない。自己嫌悪感に堪えず逃げている分。 ここから先劣等感に駆られ、コンプレックスが蘇ってきてしまった時、 自己嫌悪感(自分は劣っているというコンプレックス) プレッシャー(失敗してはいけないという自分からの束縛) のどちらに堪え、どちらから逃げるかにか、自分で判断していかないと、私はこの先どうなるのやら……ですね。 私のことをよく考えて下さり、私ができなかった私の分析までして頂き嬉しかったです。 そして、私が一番決めたかった「自分をどう見るか」を引き出して下さりありがとうございます。 とても長々とした文章ですいません。そのくらいあなたには私なりに考えさせてもらいました。