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法の下の平等と、都道府県警の裁量
行政権がどのくらい司法と同じ力を持つのか、何にも知らない素人ですがよろしくお願いします。 道路交通法に、車両は○○しなければならない、のように書いてありますね。例えば、 右側パーキングメーターでも何でもない場所で右側駐車をしている車・バイクは 車両は道路の左側端に沿って駐車しなければならない(例外規定は今省略します) という規定に明らかに違反 しているのですが、 250cc以下のバイクは国土交通省地方局に任せて、 警察は250cc超のバイクしか取り締まらない、 場合によっては、バイクは全く誰も取り締まらなくて四輪車以上しか取り締まらない というのは、これは 警察による法軽視 にはならないのでしょうか? 何か司法行政上の裁量権とか、それらしい決まりがあるのですか? 警察もルールなしで「不作為」をするわけにはいかないから、不作為にも不作為のルールが必ずある、 ということでしょうか。それとも、 国会がどんなにかっちりした法律を作っていても(あるいは時代に合わせた改正を怠っていても)、 その法を運用している警察は、「立法なんて尊重する必要ない」と奢って、現場現場で独自に判断している のでしょうか。 なぜこういうことを言い出すかという最たる例が、車庫法昼間放置夜間放置の形骸化、だと思うからです。何回通報しても警察が全然動かない場合、 警察を職務怠慢で訴えてやろうか と思うことが多々あります。 訴える・改善要望をする方法が実際にあったら教えてください。警察署に電話するのはもうダメです。完全に「自分たちがルール」という感覚で仕事をしている感覚を受けます。 さて、質問の最も核心ですが、例えば駐車違反等の通報で現場に向かって、同じ場所同じ違反内容なのに、対応する人間によって結果が異なるのは「裁量が許されている」範囲なのでしょうか。 例えば毎日同じ場所に留める二輪車でも、昼間通報すると駐車監視員Aが来て杓子定規に(法律通りに)切符を切って行きますが、夜間や土日だと 警察官Bは切符を切るのに、 警察官Cは切符を切らずに「めいわく駐車はやめよう」という警告ビラを輪ゴムで取り付け、 警察官Dは切符も警告ビラも出さないどころか現場確認して無線で何かを連絡するだけで、2~3分で立ち去る というように対応が分かれます。 これは、取り締まられる方からしたら、 AやBに来られたらアンラッキーで、 CやDが来てくれたらラッキーだ、 ということになりませんか? 警察官には、法律をも無効化するほどの裁量権が与えられているのですか? 何回か現場警察官と話したこともありますけど、地域課は駐停車禁止場所も正確に覚えていなかったりして、「法で裁くのではなく人がその場の感覚で裁いているのかな」と感ずることがあります。 さらに、駐車監視員の重点取り締まり地区ではない場合、同じ市内でも 市街中心地 閑静な住宅街 工業地帯 によって「通報を受けた」駐車の取り締まり方が異なって、疑問を感じます。極例を言うと、 工業地帯では、トレーラーの荷台だけ何週間も放置しているような状態が常習化しても、警察官は切符すら切らないのです。市街中心地で道路を駐車場扱いしたら、大問題ですよね? 警察は処理件数が増えるのが嫌で、「優先順位」を付けていて、例え違反を現認しても黙認することが許されているのですか? 工業地帯とは言っても、信号もガードレールもある公道であり、私道ではないはずです。無法地帯化していることがとても不思議です。 別件ですが、四国のある県では、信号待ちの車の列でライトをローからスモールにして、発進のときにはまたローに戻したら、 不灯火で切符を切られた と聞きます。でも東京などでは、信号待ちの度にスモールにする人も多いですよね。同じ行動を取っても、都道府県によって違反とされたり違反にならなかったり、というこんな不平等があって良いのでしょうか? 道交法は全国共通でも、免許は都道府県の公安委員会単位で出しているから、「地元には地元のルールがある」ということなのでしょうか? つまり例えば、ガードレールの内側の歩道に車を入れるようなケースでも、E県ではそれが許されないけど、F県では「警察官が『別に、すぐ動かせばいいんじゃない』と思えば」許される、ということでしょうか? では法律ってなんのための法律なんだろう?と不信になってしまいそうです。法律はあくまでも「ただの理想」なのでしょうか? 法律が全てを網羅できないことはわかっております。例えば法や施行則でT字路や十字路は例示できたとしても、五叉路、七叉路までは面倒見きれませんよね。でも、ガードレールの内側の歩道に車を入れるなんて、「誰がどう見ても違反であり、それを違反として検挙しないのは都道府県警の怠慢」としか思えないのですが・・・。 どなたか詳しい方、ご解説をお願いします。
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- maiko0318
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>法律が全てを網羅できないことはわかっております。 それでは、 警察が全てを網羅できないことはわかりませんか? 例えば、Aさんが通った時は何もなくて、 Bさんが通った時はスピード違反の検挙をしていて捕まったら。 Aさんも同罪ですが、捕まえようがないですよね。 >工業地帯では、トレーラーの荷台だけ何週間も放置しているような状態が常習化しても、警察官は切符すら切らないのです。 これで事故が起こりましたか? >市街中心地で道路を駐車場扱いしたら、大問題ですよね? これは事故が起こるからですよね。明らかに上とは条件が違います。 道路交通法はどの項目も大事ですが、第一条:「安全と円滑」が謳われています。 この意味、わかりますよね。 同じ行為をしても危険なこと、大渋滞を起こすことはご法度なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >これで事故が起こりましたか? この一言に全てが集約されているように感じるのですが、 つまり、 事故さえ起こらなければ、法律に 「車両は、道路標識等により停車及び駐車が禁止されている道路の部分及び次(省略)に掲げるその他の道路の部分においては、(中略)停車し、又は駐車してはならない。」 と書いてあっても、 事故さえ起こさなければ停車し、又は駐車して良い、 ということですか? もちろん、ストレートに「良いということですか?」と警察に尋ねたら「良いとは誰も言っていない」「法律上はダメだ」と答えるに決まっています、彼らは建前を最も重んじるでしょうからね。でも、 毎日毎日おんなじ場所におんなじ車両が違法状態で停めていて、 毎日のように警察官もその目の前を素通りして行って、 通報を受けてすら「取り締まる」ことをしなかったら、 市民目線で見たら、警察が現状を黙認している、一年も二年も同じ状態が続いていることを「事故も怒らないのだから、別に今のままで良い」と認めている、としか見えないのです。 だからこそ、法律とのギャップを感じて、こうした質問を立てております。 「取り締まる」という言葉は、「締ま」っていかないと現場に向かう意味ないと思うのですが。少しずつ改善しないと、違反がエスカレートすることは充分予想できるでしょう? 「ここは大丈夫、警察が来たって、どうせ切符切られることはないから。」とナメられるのが落ちでしょう。違反が違反を呼ぶことだってあるじゃないですか。少し違う例えですけれど、テレビが路上によく捨てられるところがあって、1台の不法投棄テレビが、他の不法投棄テレビを呼んでいる状態でした。これは不正駐輪なども同じですね。 私の知っている範囲で、大都市の市内にも関わらず、トレーラー荷台が20台以上放置されている地区もありますよ。これは1台目、数台目の段階できちんと対処していなかったから、次から次へと進んだのではないですか? 警察なら「さあ? 私らはそうなのかどうか知りません」ととぼけるでしょうね。しかし、20台も超えてくると、一台一台切符を切って処理するのも「たいへん」な状態だと容易に想像できます。害がなければ「別にそれでもかまわない」のですか? 「他にもっと優先すべきことがある」という言い訳に甘えて、「ここまでひどくなるまで放置していた」反省をないがしろにしていませんか? 別に駐車だけに限った話ではありませんが。駐車駐停車が一番わかりやすいです。今全ての例を挙げることはできませんが、私から見たら、毎日毎日幅4メートルの歩道に車が入ってきて、荷物の積み卸しだけでなく30分以上も停めっぱなしで、警察もそれを「把握」はしているのに、何年も現状維持、というのは許せませんね。「安全と円滑」だとしても、「安全」の比重が大きいのは言うまでもないと思いますよ。 幅4メートルの歩道に車が停めたとしても、2メートル空いていれば歩行者の通行に全く支障ない、 というのが全国の警察の基本的な考え方ですか? それと、お答えをくださった方に別に揚げ足を取り返すつもりはありませんが、 スピード違反の検挙の例えは、少し私のお聞きしている「不平等」と異なる気がいたします。 「Aさんが通った時は何もなくて」というのは、まだ検挙の準備が整っていなくて、という意味ですよね? それは不平等だと私も思いませんよ。Bさんに停止措置をする最中に横をすり抜けていくCさんについても同様です。検挙するとはいっても、現実に事務的な「手が回る」「回らない」の差はありますから。 そうではなくて私がお聞きしているのは、 「測定係がDだったら検挙するのに、Eに交替した途端同じスピードでも取り締まらない」という不公平です。 あるいは、 「10キロオーバーだとF県では取り締まられないのに、G県だと取り締まられる」というのもこれに当たるかも知れません。ただし、私はこの後の例は、「F県でG県でも、『規制速度を超えている』という共通の基準で平等に取り締まられている」と個人的に肯定的に捉えていますけれども。 例えが変わりますが、多車線道路では信号手前30mから黄色の車線が敷かれていることも多いですね。 東京ではバイクが信号待ち車両をすり抜けて停止線まで前に出たら、検挙される可能性が高いです。 大阪ではパトカーや白バイの目の前ですら、バイクが信号待ち車両をすり抜けて停止線まで前に出ても、検挙されないことの方が多いように感じます(検挙されるのを見たことがない)。 もちろん法律では信号手前は追い抜き禁止箇所ですし、黄色の車線なら車線変更も禁止されています。 私から見れば、東京はきちんと法を執行するが、大阪は無法化している、という疑問を抱くのです。 警察も市民から嫌われたくないから、東京の市民、大阪の市民が、「それを良いと思っているか取り締まって欲しいと多数が思っているか」にかなり左右されて、全国統一基準ではなく、「大目に見てあげる」「見て見ぬふりをする」「見逃してあげる」ということが横行している、ということでしょうか? 東京の警察(警視庁)はそれを危険と思うけれども、大阪の府警は同じ状況同じ行為を危険と思わない、という違いですか? やはりそれは法治と言わず人治と見なされるのではないですか?