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電車の中での化粧は何故いけないのか。
最近、テレビなどでもさかんに取り上げられていますが、何故いけないのかという肝心なところかが全然わかりません。 「恥が無い」とかいう発言もありましたが、具体的にいうと「人前で化粧」というとどこが恥なんでしょうか? あと、どこからどこまでが人前なんでしょうか。
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とても活発な議論がなされているようなので、 私も参加したいと思います(20代男)。 人前で化粧をするのが何故恥なのかについて、 一般論を混じえずに個人的見解を回答したいと思います。 >どこからどこまでが人前なんでしょうか 逆に人前ではない場所(化粧をするという想定で)を考えてみると、 今思いつくのは「化粧室」・「友人や家族しかいない場所」が思いつきます。 ただ「公園のベンチ」や「ホテルのロビー」などは人前とは言えないと思います。 こうして質問に答えさせて頂いて私も今改めて気がついたのですが、 私にとっての「人前」とは「相手との距離と時間」のようです。 例えば私が公園を歩いていて、公園のベンチで化粧をしている女性を見かけても、 その行為を「恥が無い」とは思わないでしょう。 しかしベンチで隣に座っている女性が化粧を始めたら、ちょっと考えてしまいます。 化粧をするときに手を動かさない人はいません。 もし化粧をしていないとしても、 隣の人があちこち手を動かしていたらやはり気になりまよね。 電車での化粧の場合、車内に10人も人がいないような状況で化粧をしている人がいても、 私はなんとも思いません。 しかし満員電車やそれに準じるような車内で化粧をする人がいれば、それは問題ありと見ます。 何故問題ありだと思うのか。 風景の一部としては異質なものだから、だと思います。 単細胞な例を挙げれば、 「フランス料理店で外から持ち込んだサンドイッチを食べていても目立たないが、 焼き鳥を持ち込んだらすぐ見つかる。」 何故「満員電車で化粧」は「焼き鳥」なのか。 寝ているにしても、吊り革に掴まっているにしても、本を読んでいるにしても、 いずれにしても体をあちこち動かしたりはしません。しかし化粧は前記の通り手を動かす。 「静」の中に「動」があるのですから、本能的に目がそちらにいってしまいます。 見る必要もないものを見なければいけないのですから、 これは苦痛と言ってもいいのではないでしょうか。 しかも、車内という密閉空間と満員という緊密な距離、 お互いの目的地までは一緒にいなければいけないという時間の拘束。 要約すれば「見る必要もないことを、すぐ近くで断続的に見なければいけない。」ということです。 以上の理由からやはり「満員電車で化粧」は「焼き鳥」であると思います。 いろんな場面での「焼き鳥」が、つまり「恥」と呼ばれるものなのだと私は考えています。 以上大変長くなりましたが、可能な限り一般論を避け、「私」を主語にして回答を進めてみました。 もし疑問点や反論のようなものがあれば、遠慮なく補足をください。 私もこの議題に対して興味が大きいです。
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- searchingboy
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No.36も回答もあればやはり大変ですよ.良くぞ回答されましたことに敬意を表させていただきます.さてNo.24の歩き方でのson105さんが鏡で試してくださったことで、回答で人によっては感じ方が違うのかと思いました。が、友達に見てもらった時の反応もそうのようでしたか.自然な歩き方は足は前に向いていて,決して横向きや内股の方向は不自然と思います,長距離ランナ,マラソンランナ--などやはり、斜め前ではなく、自然とますッぐであると思います. No.31のson105さんの補足で「マナーは内面の美しさを表しているというのには、微妙に疑問です。「マナー」を大切にするあまり、肝心な「楽しむこと」や「用件自体」がおざなりになっている人を。料理や飲み物を心から楽しむコトが一番の目的、マナーばっかり気にして「全然食べた気しないね」とか言って帰りにラーメンでも食べて帰るというのは本来の目的を外しているように感じます。」には同感です.自然でその場の雰囲気にあうような「しぐさ,行動」でいいのに.無理に「マナ-」というものにとらわれるから,「全然食べた気しないね」「用件を忘れたり」するのでしようね.中国料理,日本料理,西洋料理のマナ-でも正反対のマナ-がありますが,それを考えるとどちらも正しいとしかいえませんね.しかし共通するのは、料理であれば「共に楽しく味わう」ことでしょう。そう思うと車内でも「あなたの生活まで見たくない、共に良い気持ちの車内でいましょう」という事でしようか.これもそれぞれの勝手といわれれば,車内は子供の遠足でのしゃべりの ようになるでしようか。お茶にしても「茶道」となれば,儀式としてのマナ-があるでしょうし,それも動作が美しく見えるように自然にあうように改善されたマナ-になってきていると思います.普通に飲むお茶は「茶道」ほどのマナ-も要らないでしょうね。 それとスペ-スの件ですが、犬はおのれのテリトリ-の範囲に他の犬が入ってくると,他の犬を排除することと何か似ているように思えました.それが犬のマナ-(掟)かと。人にもあるのでしょうね。内(家)も外もなく,自分のテリトリ-でしなければならないものを他人のテリトリ-ですることだから.マナ-違反になるのでしようか。これも一つの理由かもしれませんね.
お礼
ありがとうございます。また、遅くなってしまいました(汗)。 歩き方を友達にもお願いされたんですか。。おおっ、ありがとうございます~。 自分のテリトリー意識っていうのは、犬のように、あるんでしょうね~。それは、場所だけじゃなくて。 本当に、理由は色々、考えられるようになりました。 おつきあいいただいて、ありがとうございました。
お久しぶりです。 NO.25のspaceboyです。 お礼を頂きましたので久しぶりにここを覗いてみましたら、 私の投稿後もやはり活発な議論がされていたようですね。 色々な意見があって勉強になりました。 ちなみにこれ、回答に印を打ちましたが回答ではありません。 サイトの都合上問題ありですか? まあ、広い心で許してくださいませませ(古い!) お礼の中で「パーソナルスペース(個人空間)」という言葉が出てきました。 パーソナルスペースに関しては心理学の本で取り上げられています。 興味があれば読んでみてはいかがでしょうか? 1000円ぐらいで売っている入門書のような本ならどれでも載っているはず…(未確認) 簡単に書くと、パーソナルスペースは4種類に大別され、 さらにそれぞれが近接相と遠接相の2種類に小別される、ということです(既にご存知ならゴメンなさい)。 私のNO.25での回答が的外れじゃなくて良かった。 1ヶ月も放置されていたので「しまった!全然違うことを書いてしまったか!」と内心ドキドキでした(ジョークですよ)。 ここでいらぬお世話の一言を。 son105さん、質問を少し噛み砕き過ぎたのでは? 私ももし他の回答者さんへの補足を読んでいなければ、 もしかしたら一般論で答えていたかも知れません。 son105さんは「あなた」の意見が聞きたかったのだろうと推測しますが、 回答者さんの中には、「わたしたち」の意見を聞きたいのだろう、 と誤解してしまわれている方もおられるようです。 質問を簡略にしようとした親切心が、 かえって質問の核を隠してしまったようです。 誤解の原因がson105さんの質問の仕方にあったことを承知して頂ければ…、と思います。 そう言う私も、今後質問するときには気を付けなければ…。 以上、いらぬお世話の一言でした。 なお、この文にお礼や補足は要りません。 何故って? それはこの文が回答でもアドバイスでもないから。 ………でもそれじゃあ掲示板と一緒か。 なにか一言でも書き込んで下さい。 「ほんとにいらぬお世話だぞ、バカ!」でもいいです。 サイトの都合上(笑)。
お礼
ありがとうございます。 質問については、つくづく私も思いました。 できるだけ簡素にわかりやすく書いたつもりが、かえって意図がわからないらしいと。返ってきた回答を見て、何度も自分が書いた質問を見直しちゃいました。 「あなた自身のコトを教えて下さい」とでも書けば、少しは誤解されなかったかもしれないですね~。
- hiro1001
- ベストアンサー率21% (74/339)
17日から誰にも相手にされていないみたいですね。 もうそろそろ自分で結論を出してみては如何ですか。 補足をいただいたので来てみましたが、ここまで来るとあなたが何を望んでいるのか邪推さえしたくなってきました。 ゲームはゲームとして別に悪くはないと思いますが、あなたのは、一部矛盾さえ含み始めています。 あなたが化粧というものにファンタジーを感じるので有れば、それはそれで良いでしょう。 私は何も言いません。 人前だろうが、どこだろうがしたいようにし続けたらいいでしょう。 それがあなたにとってどういう結果をもたらすか、それはあなた自身で責任をとればいいことです。 あなたがこの先どうなろうと、誰もあなたに構うことはないでしょう。 ご健闘をお祈りします。
お礼
ありがとうございます。 本当に、ずっとお礼もしなくてすみませんでした。Fighting Girlの予告を見て、そろそろやばいと思ってがんばりました。 私なりの結論?というかひとつの見解はno.25のspaceboyさんへのお礼にあるものです。お時間がありましたら、ご覧になって下さいませ。 hiro1001さんって面倒見がいいって言われませんか? 本当にありがとうございました。
- Q2kirai
- ベストアンサー率16% (22/136)
全くお答えではないのですが... 世の中のすべての人が、すべてのマナーを納得できるまで疑問を持たなくて良かったなぁ、と思います。 すべての人がその種のことにこだわる方だったら、日々ものすごく莫大なエネルギーが浪費されて、生活もできなくなるでしょう。 ここまで読むだけでも相当アタマが熱くなりました。(だったら読むな!?) 社会学者か、生産にかかわらなくていい貴族階級?以外は、 「恥ずかしいことだからいけないんだよ。」「はい。」 でいいような気がします。 それが家庭教育、学校教育、社会教育のうち、どこでなされるべきかは育ち方によって違うでしょうけど。
お礼
ありがとうございます。 究極ですね(笑)。だけど、視点を変えてみると、実際、人生が豊かになりますよ。 「男が泣くなんて、恥ずかしいことだからいけないんだよ」 「女がおてんばしたら、恥ずかしいことだからいけないんだよ」 から抜け出すと、違うものが見えます。違う自分も見えます。理由のないことに縛られると、理不尽な自分ができあがりますから。
- nmootan
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No.32のnmootanですが、申し訳ありませんがNo.32の文中に訂正を見つけました。「大事な人と似合う時にはできるだけ相手が快く思うようなきちんとした格好をしていくでしょう。」という文章で、「似合う」を「会う」に変え、「大事な人」を「普段から会うわけではない大事な人」に変えて読んでください。すみません。
お礼
ありがとうございます。 きちんとそのように読みました。 ちなみにこのくだりですが、私は「できるだけ相手が快く思う」ではなく、「久しぶりなんだから、今の自分自身が誤解されないような」格好を心がけます。誤解があると自分も相手も不幸ですから。
- nmootan
- ベストアンサー率0% (0/1)
まず、化粧をする意味は何でしょう。化粧の持つ意味は、だいたいの場合において、マナーです。ただし、だいたいと言ったのは、ほんの例外的に、化粧が顔をより美しく飾り立てる効果を持つために、異性をひきつける手段の1つという意味も持つからです。その他の意味もあるかもしれません。 しかし、普通、外出する時など、社会においては化粧はマナーとしてするのです。外出する目的の大半が異性をひきつけるためという人はそうはいないでしょう。では、なぜ化粧がマナーなのか、マナーとは一体何なのかということで分かりずらいのでしょうと思います。 では、まずマナーとは何かから始めます。これを知ることは人生上大変重要なことです。マナーにあたるであろうと思う行為で化粧以外にどんなことが思い浮かびますか。一般常識とされていることは、電車内で大音量でウォークマンを聴くことや携帯電話の着信や一人で座席を広く取ることや周りを気にせず暴れること、また歩きタバコ、禁煙場所での喫煙などはしてはならないということですね。その他にも、お葬式に黒か無ければそれに準じる暗めのスーツなどを着ていくこともマナーですよ。どの例をとってみてもそれに反すれば相手が快い気持ちを持たないだろうと推測できますよね。相手に対する最大限の気配りこそがマナーです。相手が多数いるなら周りに対する人としての気配りです。気配りとは、思いやりの精神から来るものなのです。相手を思いやることは、相手に愛情を持って接することです。言い換えれば、気配りのできない人は、相手に愛情を持って接することができない人なのです。両親、兄弟姉妹、祖父祖母、友達などみんなに対して持っているあなたの愛情は素晴らしいものでしょう。それを機会があれば、少しでも他の人にも与えてあげましょう。こんなに素晴らしいことはありませんね。でも、恥という字をよく見てください。心より耳が先に立つんです。人は周りの事を気にして自分の心を素直に出せないのです。自分が正しいと信じていることは周りを気にせずしっかり実行してください。何も恥ずかしいことはありません。私にとって、電車で譲るべき人に席を譲ることはマナーです。電車の衝撃でよろけるような老人を放っておけませんね。幼児を抱いているお母さんを見たら、もし倒れて子供に怪我があってはと心配ですね。マナーを知らない人が多いですね。マナーを知っていることの重要性が分かっていただけたでしょうか。 そこで、化粧の場合は、なぜ化粧がマナーなのかということが分かりにくいのだと思います。先の例で出しましたように、葬式での黒い礼服はマナーです。誰に対するマナーでしょう。亡くなられた方への気持ちであることは言うまでも無いことです。最大限、きれいな格好で亡くなった方とそこでお会いするのですね。黒である理由は宗教的何らかの理由からでしょう。大事な人と似合う時にはできるだけ相手が快く思うようなきちんとした格好をしていくでしょう。それと同じことです。先程から述べているように、普通、化粧はマナーです。つまり、大半の人は化粧はマナーとしてやっているのです。化粧をしてできるだけきちんとしたきれいな格好で周りと接するためです。極端な話ですけど、もし裸の人が公共の場にいればそれだけで罪ですよね(笑)。きちんとした人はそれを見て快く思わないのです。だから人は服を着るようになったのです。それなのに、周りと接しているその時から化粧を始めるというのは本末転倒です。何のために化粧をしているのでしょう。これから会う友達や知人だけのためでは気配りに欠けます。それとも他の目的で化粧をしていたとしても周りに対する気配りを忘れてはなりません。 大変長くなりましたが、以上で、納得していただけたでしょうか。周りに対する気配りというのはいくらか労力のいることです。しかし、どんな正しいことをしようとしても労力を必要とするのです。だからこそ、多くの人は、楽なほうへ進もうと正しいことから目を背けようとするのです。楽をしていては正しいことはできません。正しいことの素晴らしさが分かりますか。自分がそれをされた時、実感できるでしょう。正しく生きることは素晴らしいことです。自分が正しいと信じることを、周りに振り回されず、胸を張って実行してください。でも、無理はしないように。できるところからでいいんです。その心を忘れないように!
補足
ありがとうございます。 ・化粧の持つ意味ですが、私は純粋な「楽しみ」の一つであると考えます。 ・また、ちょっと余談ですが、歩きたばこは大変に危険なので、「マナー」程度の問題ではないと思います。子供にとってはちょうど目の位置にあたりますし。 ・また、余談ですが、葬式時の黒い礼服がマナーになったのはここ数十年のことだそうです。一生に一度しかない葬式と結婚式という人生のハレの舞台です。そういう意味を込めて、相手への敬意を払い、日本の多くの地域で結婚式と葬式は自分が持っている一番いい着物(必然的に同じ物)を着ていたそうです。 ・裸の人が公共の場にいれば罪ですが、上半身裸の「男性」がいても罪にはなりません。しかし、上半身裸の「女性」がいると犯罪になります。「男性」のほうがカップが大きくても!です。「裸族」と総称される人たちは裸ですが、周囲に対する気配りがあるからコミュニティを形成できるのだと思います。 マナー=気配りというのはよくわかります。「した方がいいこと」のわかりやすい例示になっていることもわかります。 しかし、本来、違う物ではないでしょうか。 「食事中に鼻をかんではいけない」というのはマナーです。しかし、小学校3年くらいまでひどいときは5分に1回は鼻をかんでいた私がそれを知ったのは高校3年くらいの時でした。誰も私にそんなことを言わなかったのです。それはまさに気配りだと思います。「マナー」は気配りによって臨機応変に変えられます。それならば最初からすべての場所で成り立たない単純な「ロール・モデル」なんかに頼る必要はないのではないでしょうか? そんなものが無くても、いや、最初からそんな物にとらわれない方が気は配れると思うのです。 うーん。脱線しがちですが、「化粧=マナー」としてしている人の場合、「身だしなみ」であるのでしょうから「家の中でするべき」なこともわかります。 しかし、そう思わない人はどうでしょうか?
- searchingboy
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大変な回答で、返答に困っておられると思います.それだけ、マナ-の悪さにみなさんが感じておられるのでしょう.私も回答しながら、ずっと考えていました. 「マナ-」は心(内面)の美しさを表しているのではないかと考えました.しぐさ(行動)の美しさを見せるためにマナ-があるのではないかと思えるのです.「化粧」は表面の美しさは表そうとしているのですが、他人が見ても車中での「化粧している」そのしぐさには美しいとは感じないので、良くないと思うのでしょうね。 人間には「美しいもの」にあこがれる心があるともいます.「マナ-」はなにも人のためにあるものでもないように、自分のためにもあるようにも感じました.他人に「マナ-違反」といわれたら、みなさんに迷惑をかけていないから、ということになるのでしょうね.しかし自分の内面を良く見せるための「マナ-」ならば、「恥がない」ことに納得していただけるように思います.NO.24の回答で、歩き方からの到達した私の意見です.
お礼
本当にありがとうございます。 「表面の美しさ」:しぐさ を美しく見せるために、内面の美しさを表す「マナー」があり、「マナー」を外れることをすると、内面の美しさが表せないと思う。、、、ということでしょうか? とにかく。「内面の美しさを表すマナー」に外れることをしているのは私は良くないと思う、ということですよね! また「いろいろある理由」の一つが判明しました! ありがとうございます。
補足
ありがとうございます。 遅くなりましてすみません。返答に困ってというより、忙しかったので; マナーは内面の美しさを表しているというのには、微妙に疑問です。「マナー」を大切にするあまり、肝心な「楽しむこと」や「用件自体」がおざなりになっている人をよく見かけます。わかりやすく食べることを例にとると、出していただいた料理や飲み物を心から楽しむコトが一番の目的であって、マナーばっかり気にして「全然食べた気しないね」とか言って帰りにラーメンでも食べて帰るというのは本来の目的を外しているように感じます。 マナーは自分のためにあるものだと私も思います! けれども、「自分自身で行動すること」によってにじみ出てくるものが「内面の美しさ」だと考える私には、「理由もなく存在しているように感じるマナー」に従うことは内面の美しさとは何ら関わりがないことのように思われます。 他人が見ても車中で「化粧をしている」しぐさが美しくないと言うことですが、それはsearchingboyさんが思うのであって、私は思いませんし、searchingboyさんの隣に座った他人が思うかどうかも聞いてみないとわかりませんし。
- everyone
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>電車の中での化粧は何故いけないのか 迷惑をかけていなければ、良いのかと思いますよ。御飯食べていても迷惑でなければ、これも構わないと思います。私自身は化粧とか食事とかしようとは思いませんが。 ただ、化粧品は匂いがあり、それを不快な臭いとして感じる人がいますし、手元が狂って隣の人の洋服などにつけてしまったりすることも有り得ますし、出来ることならしない方がそういった心配をする必要がない。こういった他社への配慮を持っているなら、電車での化粧はいけないとは思いません。 ただ、もし化粧をする、しないに関しては意見を見てもわかる通り、化粧をしない方が敵をつくらない(反感をかわない)ですよね。そういう意味からわざわざ嫌な印象を与えるよりは、与えないようにしない方が自分自身にとって得ですよね。でも反感なんて気にしないなら関係ないです(笑) 私としては、生きていく上でできるだけ敵はつくらない方が得策に思えます。
補足
ありがとうございます。 化粧品の不快な臭いについては、私も考えました。たけど、もう「装着済み」の人からもかなり気持ち悪く臭ってくるので(満員電車・等の場合)、関係ないかな、とも思います。他人に化粧をつけてしまう可能性ですが、これも考えました。この場合なら、他人につかないような化粧ならいいわけですし、わかりやすいかな。と思いました。 できるだけ敵をつくらないというのは・・・無理のようにも感じますね~。 だって「自分自身を持つ」人にとって、「自分自身を持たない人」は敵である可能性がありますが、逆の場合「自分自身より、社会規範を大切にする人」にとっては「自分自身を持つ」人は敵である可能性がありますからね~。。。目の前にいる人が、どんなタイプなのかなんてわかりませんからね~~。
「○○という場で××してはイケナイ」というとき、理由は2種類に分かれます。 (A)具体的・物理的に他人に迷惑がかかる (B)その時点での社会の慣習が「イケナイこと」と決めている 電車内という場でしたら、たとえば「喫煙」「しゃがみ込み」は(A)の理由が大きいですよね。だから議論にはなりません。 一方、化粧は(B)の理由が大半でしょう。慣習ですから、明確に説得力を持って説ける人は少ないでしょう。だから我々も「2001年現在の日本では、そういう風潮なんだ」と認識するしかありません。 でもご安心を。日本一般の社会規範(この場合、「××してはイケナイ」という暗黙の了解のことです)は急速に崩壊しつつあります。あと十年も経たずに化粧も当然な風潮に変わるんじゃないでしょうか。さらに十年経てば、このサイトは「どうして電車でセックスしてはいけないんでしょうか。本当に分からないのです」という質問で盛り上がることでしょう。 人間誰しも、前後の世代よりも自分の世代がいちばん正しいと思いますからね。その時は「今の若者達は……我々の世代から言わせてもらえば……我々の時代は……」なんて大いに嘆きましょう(笑)
お礼
ありがとうございます。 明確に説得力を持って説ける人は少ないですか(笑) >さらに十年経てば、このサイトは「どうして電車でセックスしてはいけないんでしょうか。本当に分からないのです」という質問で盛り上がることでしょう。 面白いですね~!! でも時々思います。吊革につかまる手がズラッと並んでいると、(あ~、手フェチの人は天国だろーなー)って(笑) 今現在でも、禁止されてるのって限られたセックスだけですよね(笑)
- nakaG
- ベストアンサー率25% (42/165)
#27までなって大変なことになっていますね。怒っておられるかたもいらっしゃる様です。 私もson105さんがゲームとして楽しんでいらっしゃると思ってましたが、回答履歴を読んで彼女(ですか?)の気持ちが解ったと思います。 切っ掛けはビートたけしの番組だったと思います。あの時のパネリストの殆どは私と同じ年代の連中でした。恐らくあなたの御両親も同じくらいでしょう。その彼らがあなた達の世代に向って「親の顔が見てみたい」とか「そんな当たり前のことが何で解らないんだ!」と云うのはある意味で滑稽なことです。 私も70年代は髪は肩まであり、ジーパンにTシャツ、米軍放出の迷彩色のジャケットを引っ掛けて粋がっていました。親や年寄りには不潔とか変とか言われていました。 その連中が頭が薄くなったからと言って若者に当時の親と同じレトリックで非難するのは滑稽ですよね。 ただ我々の世代から言わせてもらえば、たしかに同じ様に見えるでしょうが、少し違う気もするのです。すべてがそうだとは言いませんが、今の若者達の抗弁の理由が「他人に迷惑をかけていないから良いじゃないか」と仰ってますが我々の時代の異議申立てはそうじゃありませんでした。一つの主張としてその姿があり、行動がありました。当時の教授達にも「君等は文化として何も残せない」と言われましたが、振りかえってみるとそうでもないと思っています。少なくとも「迷惑を掛けなければ良い」と言うような消極的な主張ではなかったと思います。あなたのまわりのオッサン達をみてもピンと来ないでしょうが・・・・・・。 時代の評価は今後ですから、あなたがおかしくないと信じればこれからも信じ続けてください。 規範は変わるものであり、変える力は若者にあるのです。 それから"手荒い場”で歯を磨くのはどうかと思います。かなりハードですからね。手洗い場ならそうでしょう。
お礼
ありがとうございます。 70年代に「青春」を送っていらっしゃった方なんですね(>w<)。 昔のテレビで「ビートルズなんて不良だ!」「そんなこと無いですよ!」とやってるのを見たことがあります。(これはちょっと前か) そうですね。逆に(?)私から言わせてもらえば、当時の人にあったのは「勢いと主張」だけだったと思えてなりません。たしかに主張も突飛な行動もあったけれど、実生活に生かすことは全然できていなかったと思います。学生運動をした大学生たちが真っ先に「一流企業」の手足になっていったそうですし・・・。その点では(当時の主張が訴えていたこともつまりはそうだとおもうのですが)一番自分に関わっている「生活面」に「理屈」もなく入れていける「今」の方が消極的だとは全然思えません。 規範は変えるものであり、変える力が若者にあるなんていうことはないと思います。 元気な高齢者がどんどん活躍している姿は「高齢者=弱者=守るべき者」という規範を否応なく壊しています。 時代の評価なんて全然必要ないと思いますし、nakaGさんもこれからもがんばって下さい。 ・・・話がズレてる。 手荒い場での歯磨きですが、結構大丈夫なもんですよ(笑)
お礼
ありがとうございます。回答が遅くなって申し訳ございません。活発な議論のはずなのに・・・。 手を動かすと気になる。そうですね。そういうことは大いにあるでしょうね。 私はよく切符や財布がバックの中でどこにあるのかわからなくなってしまって、随分ガサゴソとしていることがあります。そういう時もできるだけアヤしくならないように気をつけようと思いました。 「距離と時間」ですね。すごく納得です。 新聞を読んでいたら(ずいぶんと前の話になってしまいました・汗)、「何故増える車内暴力」という記事の中に、「パーソナルスペース(個人空間)」というのがありました。目で見えないけれども、それぞれが自分の一部だと認識している領域だそうです。 ちなみに引用すると、 >目白大学人間社会学部の渋谷昌三教授が説明する。 >「例えば、服を着ているときは衣服も「自分」、車を運転しているときは車の外側まで「自分」と感じるでしょう。この空間に他人が入ってくると不快なんです。 化粧をすると動く:目につく 混んだ電車内は近くて固定された空間:パーソナルスペース(個人空間)がおりるまで続く (混んだ電車:具体的に言うと、座席の前に立っている人が基本的に動けないくらい) 自分の空間に入っていて動いているから目につく。 :ちょっと不快 ”見慣れない行為”の化粧。 :ちょっと不快 ”慣れないので”人間として見られていないような気:ちょっっっっと不快 こんな感じですかね??? 個々は「ちょっと」だけど、全部あわさるとかなり不快みたいな。かなり不快だと迷惑に感じる人が増える。 >いろんな場面での「焼き鳥」が、つまり「恥」と呼ばれるものなのだと私は考えています。 なるほど! それはわかりやすい説明です。それからすると私は存在自体が「恥」ですな(笑)。かっこいー。 「私」で話を進めて下さって、本当に嬉しいです。 「だってそー言われてるじゃん」じゃなくて、誰かの考えや気持ちを聞きたかったんですm(_ _)m ありがとうございます。