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一番大切な人の命を奪われたらどうしますか
復讐したって何も変わらない、殺された人は返ってこない、復讐なんて望んでいない、それよりも強く生きていくべきだ、みたいなことを言って諭すシーンがドラマなどでありますが、実際に殺意を持って殺されてしまったら遺族の憤りはそんなものでは収まらないと思います。私だったらどんな形であれ絶対に復讐すると思います。でもそれは人として思いとどまるべきなのでしょうか。
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被害者の遺族です。 大切な人の命を奪われた人にとって、復讐が生きる支えになることもあるのかもしれませんね。 私の場合は、ある日突然に家族を奪われた喪失感、守れなかった罪悪感があまりに大き過ぎて、加害者に対する憎しみや復讐心は、当初はあまり感じることができませんでした。 もちろん、理不尽に人の命を奪ったことは到底許せることではありませんでしたが、当時の私は現実を受け止めるだけで精一杯でした。 初めて憎しみがわいたのは、気持ちがようやく落ち着いてきた頃、警察から当日の着衣や所持品の返却があった時です。 警察から連絡を受け、救急搬送された病院の霊安室で遺体と対面した時の光景が重なりました。 まだ検視前だったこともあり、遺体は酷い状態でした。 忘れてしまいたいのに、前に進みたいのに、その後も要所要所で何度も『あの日』に引き戻されてしまいます。 よく「遺族の怒り」「遺族の悲しみや苦しみ」といった表現を目にしますが、悲しいとか苦しいなんてレベルの話ではないんですね。 一歩間違えば精神が崩壊してしまうレベルです。 実際、遺族の中には精神疾患を発症する人が少なからずいます。 私も含め、被害者の遺族は皆、精神的にギリギリのところで闘っていると思います。 そんな中、ある人は真実を明らかにするために闘い、ある人は民事裁判で罪を追求し、ある人は許すことで心に折り合いをつけ、またある人は精神的な病になることで自分を守るんです。 復讐もまた、選択肢の一つかもしれません。 私は最終的に、許すという選択をしました。 優しさからでも、情けをかけた訳でもありません。 そうしなければ、自分が苦しすぎて生きていけないと思ったからです。 許す。決して簡単なことではありません。 私も長い長い年月を苦しみ抜いて、ようやく辿り着くことができました。 いまは穏やかに笑って暮らせているので、この選択は正しかったと思います。
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- usagidoshi7gatu
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>私だったらどんな形であれ絶対に復讐すると思います。 >でもそれは人として思いとどまるべきなのでしょうか。 復讐をしたければ復讐をすべきです。 ただし、法律によってです。 かつて江戸時代の日本では復讐は「仇討ち」と呼ばれ、罪には問われませんでした。 時代が変わり、明治時代になると個人や集団では復讐を禁じる(仇討ち禁止令)が出されました。 同時にこれは、これまでの「仇討ち」を禁止する代わりに本の国が、悪いことをした人を法律によって罰することを意味しています。 ですから、法律によって遺族が犯人に復習することが社会的に正当な事になります。 殺人に対する罰則は2種類あると考えて下さい。 刑事罰と民事罰です。 刑事罰とは刑罰とも言い、犯罪を犯したものに国家が科せる罰のことです。 民事罰とは、身内が殺されたことによって発生した経済的な損害を加害者に対して損害賠償を求める裁判を起こし、高額の損害賠償を支払わせることです。 刑事罰では重い量刑を与えるように裁判で働きかけ。 民事罰では高額の賠償金を支払わせることが、日本ではできる限りの復讐です。 繰り返して言いますが、法に従った復讐はすべきです。
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ご回答ありがとうございます。国が相応の復讐(刑事罰と民事罰)をしてくれればよいのですが、そうとはならないケースも見かけます。弁護士はもちろん必要だと思いますが難しい問題ですね。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 haruco08さんのお言葉がとても重く深く心に圧し掛かりました。 テレビをみていてそんな許しがたいニュースがあると、私だったら憎しみの感情しか生まれない、制裁を与えるべきだと思っていたのですが、それでは解決しないんだという意味がharuco08さんの言葉でようやく分かった気がします。 人の命を奪うという行為がこの世からなくなることを切に切に願います。