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「良心の呵責」の正体は打算が生み出す恐怖ですか?
動物の脳には、自身の子孫繁栄に有利か不利か、 という行動判断基準しかないと言われます。 良い悪いの区別や、殺人が悪というのは、 人間が決めた社会契約にしか過ぎないとすれば、 そもそも良心なんてないはずです。 「良心の呵責」は、打算であり、 自身が繁殖で不利になるという「恐怖」でしょうか? 周囲の監視の目や無言の圧力が無くなれば、 「良心の呵責」も無くなるのでしょうか? 処罰されない特権を持つ独裁者や、 絶対にバレないという確信を持った犯罪者から、 「良心の呵責」が消えるのは、 そのためなのでしょうか?
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スタンフォード監獄実験 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93 独裁者の心理を推察できるかと思います。 こうした社会的ルールから逸脱した場合の人間の行動は、極めて原始的になることでしょう。 繁殖以前に自己保身です。 『ライフ・オブ・パイ』という作品はそれを秀逸に描いていると思います。
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- lions-123
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>「良心の呵責」の正体は打算が生み出す恐怖ですか? ↓ 「因果応報」 個人差やケースバイケースの要素はありますが、質問を見聞してパッと閃いたのは「因果応報」という仏教の訓えです。 私たち日本人の人格形成や価値観の醸成される過程で、その人の生い立ちや躾や教育環境の中に自然と萌芽したパーソナリティそのものではないでしょうか? そして、それは言葉や文字とは別に私たちの深層心理やアイデンティティの中に良心や真心との対比や乖離を意識した時に良心の呵責と言う反省&自己批判、後悔や自虐という思い躊躇いが起こるのでは・・・ また、それは類似の訓えや思いを表した「自業自得」「善因善果」「悪因悪果」等にも関連&繋がっているのではと思います。
お礼
ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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打算ではなく、当人が本当のところどう思っているか?ではないでしょうか? 某オウム真理教のような輩には通用しませんが
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 参考に見てみたいです。