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80年の安保自動延長は...?
60年は樺美智子さん 70年は東大安田講堂 と象徴的な事件がありましたが 80年そして90年と安保自動延長に関して、何らかの社会運動があったのでしょうか? 無かったとしたら、なぜ無くなったのでしょうか? 積年の疑問です。思想・体制に関係なく教えてください。
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- buck
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さて、nkmrkkさん、安田講堂の攻防(東大闘争)は反安保闘争ではありません。 東大医学部の学生がインター制度に代わる登録医制度に反対して無期限ストに突入したことがそもそもの始まりなのです。 同時期の日大の闘争にしても学費値上げに端を発しています。 反安保の要素があったかもしれませんが、60年の安保闘争とは性格が違います。 東大闘争も日大闘争も様々な思惑が交錯し、その闘争の性格を一言で表現することは困難ですし、安保自動延長に反対する社会運動、学生運動として東大闘争をとらえることはできないと思います。 参考になりましたら幸いです。
- bonnnou
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さて、質問者の認識と、私の認識では、少し異なっています。 第1は、「70年の安田講堂」事件と記載がありますが、70年の安保自動延長時期と、安田講堂事件は、年代が、異なっていたように記憶しています。 これが、私の勘違いの回答を書かせる原因となったものです。 安田講堂事件は、69年の事件で、大阪万博開催時、初日に入場の列に並んだ時には、そのような、事件は、頭の片隅にもなかったと思います。 一般大衆は、その程度で、70年安保が安田講堂なら、次の時は、万博という程度の、はるか昔の記憶でしかなかったという事です。 私のごく身近に東大を諦め、京大に入った者、1浪して、東大に入学した人間がいましたが、その元となった安田講堂事件と、次の年の万博とはそれほど、隔世の感がある事件だったとの記憶でした。 第2に、60年安保闘争は、70年以降と異なったものです。 60年は、旧安保から、新安保批准という、日本国として積極的な「行為」が必要だったのです。 だから、安保反対運動が盛り上がったもです。 それ以降は、安保条約の破棄という積極的な行為が無い限り、自動延長だという事です。 そして、政府は、第1回自動延長時期に相当気を遣って、大阪万博をもってきたというわけです。 日本という国は、いったん、体制が定まると、大きな変革は望まない、あまり望まない体質でしょう。 これを、自信もって、回答しておきます。
- bonnnou
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1980年 日本国内では何があったのでしょうか? 現在関西で、「こんにちは」といえば、「浜村純」ですが、当時「こんにちは」と言えば、「世界の国から」なのです。 1980年は、大阪万博でした。 目玉は、米国館の「月の石」で、多くの人たちが、大阪に大挙し、大衆の関心事は、「万博」でした。 この万博を何故、東京近郊で開催しなかったのか? この万博開催と、開催場所選定の絶妙さは、日本(政府)の「大衆操作」の手本として、外国に伝えられたと聞いています。 つまり、大きな万博を開催することにより、大衆の関心事は、「安保」よりも、「万博」でした。 また、多くの人間を「東京」に集めると、小さなきっかけで、「大衆」が、「暴徒」に変わる可能性もあったので、東京から、400km離れた大阪吹田で開催されることが、「決まった」と言われています。 その大衆の無関心さに「抵抗」するように、「太陽の塔」の目玉のところに、登った「学生」がありました。 また、「よど号事件」が発生したのもこの年です。 これも、そのような日本を見限った「犯人達」の「パフォーマンス」であったかもしれません。
- kentaro107
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日本の平和が憲法の精神などではなく、日米安保で守られている冷厳な現実を知ってか知らずか、今でも安保反対の社会運動をしている方はおられます。米軍の空母やイージス巡洋艦が日本の港に寄港すると入港反対の抗議行動を起こされる方がニュースで報道されています。ですから、無くなった訳ではないと思います。ただ60年代70年代に比べて規模が小さくなっただけだと思います。まあ、ご質問のように無くなったと言っても良いかと思います。で、なぜ無くなったのかと言いますと、これは日本の選挙の投票率がなぜ下がっているのかと共通しているのです。一言で言えば「世の中が豊かになったから」。これだけ日本が経済的に発展したのは日本が平和であったからです。何が日本に平和をもたらしたのかは冒頭に述べたとおりです。積年の疑問、解消されましたか?
お礼
回答ありがとうございます。 当時から大人だった人達にも何度か質問したところ 同様の意見が多かったですね。 衣食住足りて喜びを知る。 米国あっての日本を知る。
お礼
回答ありがとうございます。 毎日の平和な生活のなかで、変革への諦念が芽吹き始めたんですね。 って云うか、そんなに植えつけられちゃったんですね。