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男のエロ⇒ホモ?なぜ男性がホモ扱いされるのか
- 男性がベースとなった映像コンテンツや特に性的な要素を含むものが「ホモ」として扱われる理由は何でしょうか?
- 男性のヌード写真や水着写真、エッチなコスプレ写真などが同性愛を連想させる描写がなくてもすぐにホモ扱いされることが多いですが、その理由は何でしょうか?
- 男性モデルのコンテンツがゲイ向けとしてカテゴライズされるのに対し、女性モデルのものがストレート向けとしてカテゴライズされるのはなぜでしょうか?なぜ男性ベースのコンテンツはホモとして決めつけられる傾向にあるのでしょうか?
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半ば雑談のようになってしまい申し訳ありません。 No.2・3です。追記。 やや余談ですが、下着とセクシャリティは、そもそもあまり関係がありませんね。 ボクサーパンツ/トランクス/ビキニ/ブリーフなど、下着の変遷は、意外と、一般認識と異なります。 実はトランクスがもっとも古く、原型は1914年頃にアメリカで登場。 同時に、スポーツ用などの下着(ジョッグストラップなど)から派生し、ブリーフが1935年にアメリカで登場。 日本では、この時代までは「ふんどし」のほか、「ステテコ・猿股」などから派生してトランクスとほぼ同じ形状のショートパンツ型の下着が主流でした。 しかし戦後、アメリカなど欧米の影響によりブリーフが流入すると、次第に幅広い世代に浸透し始めます。 このブリーフの時代が意外と長く、1950年代から1980年代まで続きます。(地域によっては異なるが) その間、いわゆる「白ブリーフ」のような画一的なものから、よりオシャレな下着として、ビキニのようなタイプが若い世代に流行します。これが1970年代~1980年代頃です。 この頃は、トランクス型=親父用のダサい下着、白ブリーフ=子供用の下着、または流行に疎い人の下着、ビキニ=オシャレな若い世代の下着、としてイメージが定着していました。(ヒット商品としては「ジュンコ・コシノ」のビキニなど) ただ、この「オシャレな若い世代」というのが、言わば、今日で言うメトロセクシャル的存在であったとも考えられ、男性一般というよりは、一部の富裕層の子息などを指していたのでしょう。 この頃は高度経済成長期でもあったので、大学生などは、スポーツカーを乗り回し、ブランド物のスーツを着て、下着はジュンコ・コシノ、といったスタイルが定番、また女性からも憧れのようなものでした。(当時の女性も、相当過激な服装でしたけどね) ですが、そこまでは至らない(もしくは至れない)男性にとっては、下着と言えば、トランクスか白ブリーフ、という感じだったのでしょう。また、ファッション=女性的というイメージから、ある種の偏見めいたもの(ビキニはいてる男なんて軟派で男らしくない、だからあいつらはホモだろう、など)が生まれた、とも推測できます。 トランクスが隆盛になったのは1980年代、そしてバブル崩壊後に加速します。(サーフィン文化などのある一部の地域では1970年代にすでにトランクスが主流だったそうですが) ある意味で、シルクなどの高級素材を用いることも珍しくなかったビキニに対して、トランクスは綿素材が一般的で、安価であることも特徴のひとつです。一部のスポーツ選手などをのぞき、経済が低迷する中で、トランクスの方が現実的な下着だったのかもしれません。 また、アメリカではリーバイスの仕掛けたCMにより(ブリーフ/ビキニ姿など下着の男性を放映できなかった、という当時の法的な問題もあった。トランクスは下着というイメージを持たれにくい)、親父世代の象徴であったトランクスが、若い世代に爆発的にヒットするようになります。 日本でも、1980年代までの「ブランドスーツ+ビキニ」という流行から、1990年代前半には「ジーンズ+トランクス」という流行へと変化し、そして1990年代後半に「腰パン」などのファッション・スタイルが流行、若い世代にはトランクスが一般化しました。 そして、先の回答の通り、今日のボクサーパンツへと続きます。 つまり、年代・世代によって、下着の傾向は異なります。 1970~90年代に生まれた人は、おそらく、男性の下着はトランクス、またボクサーパンツ、というイメージが定着し、しかし1960年代以前の生まれの人たちには、もちろん、昨今の状況からトランクス・ボクサーパンツという印象は強いながらも、ビキニなどはオシャレにこだわりのある男性が着用するもの、というイメージでしょう。 もっとも、1970~80年代の「ブランドスーツ+ビキニ」(=軟派)の時代は、対局にある「不良(ヤンキー)文化」(=硬派)の黎明期でもあります。当初の不良文化は今日とまったく逆で、徹底し、軟派な男たち(女子にモテる)への反動としても存在するほど、硬派を売りにしていました。 女性の中でも、硬派な男性を「かっこいい」と思う人もいましたし、ある意味で二極化の時代だったのかもしれません。 水着に対しての印象も、上記の下着の変遷に準じてくるでしょう。特に、トランクス型の隆盛はサーフィン文化の隆盛とも関係がありますし。 ただ、今でこそ、水着はスパッツ型などが競泳の世界でも主流になってしまいましたので、ビキニタイプは、一部のスポーツ・ブランドか、ファッション・ブランドしか出していませんね。 しかし、すべての男性・女性とは言えないまでも、下着よりは水着の方が、「身体を鍛えている男性なら」とか、「水泳がものすごい上手い男性なら」、ビキニタイプでも『アリ』と答えるケースもあります。 ナルシスト的傾向は、多くの人に多少はあるものですが、ある意味でコンプレックスの裏返しで、ナルシスト的傾向を批難する人が多いのでしょう。ナルシストとは自己の願望ですが、多くの人がその願望を躊躇なく露呈させることはできないでしょう。そうしたアンビバレントな心理が、どこか、ナルシストを批難する人の言葉に含まれているように思います。 また、メトロセクシャルですが、世間の認知度は低いですね。ストレート男性もゲイ男性も同様に。 むしろ、ストレート男性がメトロセクシャルの男性を見て「ゲイ・ホモ?」と疑念を抱くよりも、ゲイ男性の方がメトロセクシャルの男性を見て「仲間」だと思ってしまうことが少なくありませんし、またゲイ男性がメトロセクシャルを受け入れている、とも、まだ言い切れません。 日本人で、メトロセクシャルの代表格とも言える某・元サッカー選手の「カミングアウト」を心待ちにしているゲイ男性も多いですからね。 まあ、結局のところ、世間の人の多くが、自分の当たり前を周囲みんなの当たり前だと錯覚し、無意識的に流行に流されているだけなんですけどね。 例えば、魅力的な男性芸能人・アスリートの多くがビキニを愛用している、と公言したとしたら、10年足らずで男性も女性も、男性の下着や服装、趣味嗜好のイメージが変わってしまうでしょうね。
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- moritaroh
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No.2、追記です。お礼などありがとうございました。 ご質問の内容ではなく、お礼の中にあった疑問などについて、いくつかお答えしたいと思います。 エロスの話を掘り下げます。 2000年に入った頃から、すでに当時、男性向けファッション誌の隆盛が目立ち始めます。 また、欧米などを中心に、当初はボディビルダーなどの特定の層の人々のためであったジムにも、ごく普通の人々がエクササイズやトレーニングのために出入りするようになり、日本にもこうした流行が波及してきました。 そうした『ファッションに気をつかう』『ファッションにお金をつぎ込む』『自分磨きに没頭する』…といった男性のことを指し、「メトロセクシャル」という言葉が生まれています。 「メトロセクシャル」は、ファッションやジム通いだけでなくスキンケア、建築・インテリアなどの「住」、また「食」と「健康」といった、外見・ライフスタイルの多様な分野に対して、旧来の男性にはなかった強い美意識を持った人たちで、ただ「服が好き」とか「健康オタク」などとは違います。 またセクシャル、とついていますが、ストレート、ゲイ、などといった性的な意味合いは異なります。 「社会的にも『男性美』を持ち、外見的にも『男性美』を持っていたい」と思う男性、という感じです。 おそらく、質問者さんの感覚は、メトロセクシャルとナルシストの中間にあるような気がします。 ナルシストとも似ているかもしれませんが、どちらかと言えばナルシストが偏執的な自己愛ゆえに、ある意味で自己以外には閉鎖的であることに対し、メトロセクシャルな人は、社会全般の価値認識に対して意識が向いている傾向がある、と思います。 (簡単な例として、ボディビルダーはどちらかと言えば、ナルシストでしょうね。) きっかけはやはりファッションですが、本来、女性が主な市場であったところに、男性の市場が急速に拡大しました。 ファッションデザイナーは旧来から男性が多かったものの、やはり女性の市場という側面が強いためか、ファッションに大きく関心を寄せる男性はゲイが多かったでのでしょう。 …というより、ファッションの分野では、ゲイがカミングアウトしても働きやすかった(セクシャルマイノリティであることがデメリットにはならなかった)のだと思いますが、実際にデザイナーなどの有名どころでゲイを公言している人は多いですし、ファッション=女性、ファッション好きな男性≒ゲイ、といった認識が定着してしまったのでしょう。 またそうした認識を強める理由としては、ゲイ男性の多くは女性と結婚していませんし、また子供をもうけていない場合が多く、自分のためだけに使えるお金が、ストレートの男性よりも多いです。また、パートナーとなるのも男性であり、ストレートの夫婦・カップルよりも、ゲイ男性のカップルの方が経済的にも余裕があり、ファッションやライフスタイル、また趣味の分野で、ストレートの男性とは異なるお金のつぎ込み方、興味の掘り下げ方ができるとも考えられます。 よって、今日で言う「メトロセクシャル」的な要素の多くは、ゲイ男性の一般像からなされてきました。(特に欧米では) しかし、社会も変化し、ストレートの男性にも「メトロセクシャル」的傾向を持つ男性が増えた。それによって初めて「メトロセクシャル」という言葉が定義づけられるようになった。…ということです。 旧来、ゲイ男性が得意としていたファッション・ライフスタイルなどの分野に興味を示す(特にストレートの)男性を「メトロセクシャル」とした、という感じでしょう。 先にも言ったように「メトロセクシャル」自体は、性的な意味合いを含まないので、ゲイもストレートも区分けがない、ということですが。 余談ですが、現在の男性では主流となっている「ボクサーパンツ」ですが、あれを仕掛けたのはゲイ男性の皆さんです。 ボクサーパンツを一躍普及させたデザイナーのカルバン・クラインもゲイですが、大胆な広告宣伝では、ゲイに人気の高い俳優・スポーツ選手などを起用し、ゲイ男性の多くがボクサーパンツを着用し始めた頃、ストレート男性にも波及していった、という形。 ボクサーパンツの黎明期は、ボクサーパンツ≒ゲイ、という認識が特にゲイ男性には強かったものの、もはや一般化し、そうした認識が薄れていった、というのもあります。 要するに、女性が活躍するような分野、もしくは女性を対象とした市場などでゲイ男性が活躍するイメージが強かったため(日本は、まだかなり部分でこの認識を引きずっていますね)、ゲイ=女性的、といった認識がすりこまれて行ってしまったのでしょう。 イングランドかどこかのサッカー選手が、引退後にゲイをカミングアウト、現役時代には「公言できるような生活環境ではなかった」という話もあるように、男性が中心となる分野においては、まだ、ゲイ=女性的(な仕事をしている)といった認識が強いのでしょう。 ですが、こうした男性中心の分野にも「メトロセクシャル」はまたがっています(サッカー選手ならクリスティアーノ・ロナウド、中田英寿なども「メトロセクシャル」の代表的人物として推測される)から、新しい男性の価値認識として、少しずつ定着し始めているのかもしれません。 同時に、社会の多様化は、ここまでに挙げた「メトロセクシャル」なゲイばかりがゲイではなく、対義語的な「レトロセクシャル(旧来の男性像に近い、外見やライフスタイルに頓着しない)」ゲイも存在できるようになり始めています。 未だに同性愛への偏見が強く、男社会とも言える(女性が肉体的に仕事に従事することが困難な)土木・建設業、運輸業、一部のスポーツにまで、ゲイ男性が働いていることも少なくない(こうした人たちの中に「メトロセクシャル」な人もいますがね)ことが実際に確認できます。 ゲイを公言して働けるほど、そうした場所で理解はされていないでしょうが、ライフスタイルそのものが多様化し、セックス(肉体的性)がセクシャリティ(性的指向)もジェンダー(社会的役割)も規定してしまっていた社会から、セックスがセクシャリティを規定せず、またセクシャリティとジェンダーの相関関係からの例外も多くなっていく社会へと変化し始めているのでしょうね。 …と言いつつ、質問者さんのおっしゃることから、こうした認識が、まだまだ少数派のものである、と言わざるをえないのですが。 しかし、メトロセクシャル(またはナルシスト)を前提に捉えれば、男性が男性のエロスに共感を覚えること=ゲイ、と限定できない、ということです。 しかし、ポルノについては、エロスを、もっと産業的・市場的に解釈したもので、産業と市場は多数派に沿いますから、男性:女性とで、多数派である男性のためにポルノが存在し、その中での多数派としてのストレート男性に向けてつくられた「ポルノとしての女性」と、少数派であるゲイ男性に向けてつくられた「ポルノとしての男性」…となります。 ですが、別に、ストレートの男性が「ゲイ向けポルノ」からエロスを抽出して見ることは一向に構わないと思いますが、しかし、第3者から見れば、「ゲイ向けポルノを見る=ゲイ」と認識されがちなのは、まさに、それがポルノだからでしょう。 ちなみに、セクシャリティ(性的指向)の定義付けとしては、情緒的魅力、性的魅力(興奮)、恋愛感情など(それらのいずれか、またはすべて)の「魅力を持続的に抱く対象」と考えられているようです。 情緒的魅力、という部分の解釈がやっかいだと思いますが、ある意味で、質問者さんが同性に抱く感覚は情緒的魅力を抱いたと思えます。 しかし、セクシャリティより後に定義付けられた「メトロセクシャル」の登場を考えれば、これは情緒的魅力だけを同性に持つ場合は、必ずしもゲイとは言えないよ、とする考え方が(まだ多数派ではないが)存在している、ということでしょうかね。
お礼
ありがとうございます。 すごい勘違いをしていたら申し訳ないのですが、簡単に纏めると「メトロセクシャル」という発想自体がまだまだ少数で一般浸透していないことと、ゲイが女性的な社会にたくさんいた、よって女性的な社会にいる男性はゲイであるという、安易な論法による思い込みが誤解を作り上げたのでしょうか。 ところでボクサーって、ゲイ的と言われていたことがあったのですね。 それは知りませんでした。 むしろ今だとビキニ下着の方がゲイ的だと思われますよね。 本当はそういう服の嗜好と、性的指向がいっしょくたになることに物凄い違和感を感じるんですけどね。 これも安易な思い込みでしょうか? ゲイが(性的な男性が好きという意味で)ビキニが好きである→ビキニが好きな男性はゲイである という、逆が必ずしも真ならないものがこじつけられたのでしょうかね。 ある状況が真故に逆もまた真ならず、というのは本当は当然なのですけど、よく物事を曲解する手法に使われるから不思議に思ったりします。 そもそも、男性のエロスを好む男性を、ホモと決めつける人って、メトロセクシャルやナルシズムを理解していないのか、あるいは理解しているけどわざと曲解しているのか、どちらなんでしょうね…。
- moritaroh
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性的表現とは別種の、「男性性(男らしさ)」や「女性性(女らしさ)」の、男女相互での感覚的な違いと、社会的な風潮の影響でしょうね。 端的に言えば、社会的無意識…といったようなものでしょうか。 ポルノとエロスについて、まずは分けて考えてみます。 ポルノ=性的興奮のための産業、エロス=男性性、女性性などの肉体的な魅力、という感じ。 言葉の意味としては本来、ポルノもエロスも大した違いはないですが、便宜上、性的興奮と肉体的魅力とに、区分けしてみます。 ポルノ産業は、それ自体があくまでも男性(ストレート、ゲイを問わず)に向けたものがほとんどです。 ポルノサイト、ポルノ関連の雑誌などを利用するのは、多くの場合が男性ですね。もちろん女性向けのポルノも存在しますが、まだ限られた存在です。 これは男性が性的興奮を視覚に依存しているのに対して、女性はそれほどでもない、という、脳の構造の違いが影響しているでしょう。 また、男性上位、男性主導といった社会的状況が長く続いたため、今日でも、女性がポルノを嗜好する、といった考え方、女性の性欲自体が否定的に捉えられるようになり、半ば無意識的に、ポルノでは男性が女性を隷属させるような見方になっています。 簡単に言えば、ポルノにおいて、女性は男性の性的興奮を満たすための存在でしかない、というようなものです。 男性全体から見れば、ゲイというのは少数派です。ですが、上記(ポルノ=男性を対象にした産業)を理由に、ゲイを対象にしたポルノ(=男性のヌード、男性同士のセックス)というのも、あくまでもゲイ男性に向けてのものがほとんどで、女性の嗜好を満たすためのものではありません。 しかし、レズビアン的表現(百合)を含むポルノは、対照的にレズビアン女性に向けたものなのか。しかしポルノ=男性向け、といった状況から、あくまでもマニアックなストレート男性に向けてのものでしょう。 つぎに、エロスについて。 男性から見た「女らしさ」は、ポルノの影響、そしてそもそも視覚から性的興奮を覚える男性の性質から、男性に隷属的な女性像(男性の性的興奮を満たす)として形作られましたが、女性にとっての「女らしさ」は、美しくありたい、といった自己の容姿などに対しての願望によって成立していて、男女では「女らしさ」が嗜好としては共通していません。しかし肉体的な魅力(容姿)が「女らしさ」を決定するうえで重要であることから、容姿に価値を置くところで、方向性は一致しています。 では、逆に「男らしさ」はどうでしょうか? 男性上位、男性主導といった社会的状況は、言い換えれば男性の「男らしさ」を、社会的地位や名声、経済力などによって示すことも可能でした。つまり、男性たち自身が考える「男らしさ」の定義は、「女らしさ」とは対称的ではなく、自己の容姿など、というものではありません。女性たちから見た「男らしさ」も同様に、男性の肉体的魅力だけが男性の価値ではなかったのです。 しかし社会状況も変わりつつあり、昨今では、社会的地位や経済力だけが豊かさ・幸福の価値ではない、と考えられるようになってきたこともあり、男性が考える「男らしさ」も、自己の容姿を磨くこと、などが加わりつつあります。 それよりも先に、女性から見た「男らしさ」も同様の変化が生まれていて、と同時に、女性の性的興奮を満たす(やや言い過ぎですが、目の保養の目的…といった感じ)ための男性像(アイドル・芸能人などのセミヌード、イケメン、etc...)が一般化してきたのは、男性上位、男性主導といった社会に女性が進出していったことの表れかもしれません。 端的に言えば、男性と女性とで、ファッション誌の数を比べてみてください。圧倒的に女性に向けたファッション誌が多いです。いかに女性が、自己の容姿に重点を置いているのか、ということが分かりやすいでしょう。しかし、近年は男性向けファッション誌も急速に増えています。 簡単にまとめると、 女性たちは、容姿を磨くことと同時に、旧来の男性の考えるような、社会的地位なども女性の価値に含まれる、といった考えを持つようになった。 男性たちは、社会的地位などに価値を置いていたが、旧来の女性に近い、容姿にも価値を置くようになった…ということです。 さらに、自己の容姿を偏愛するナルシスト的な陶酔感を持つのは女性特有の考え方と思われたが、男性にもそうした考えが生まれるようになった、ということです。 これらは女性は男性に隷属すべき、といった風潮・社会状況、男性の社会的地位や経済力だけが豊かさ・幸福の価値ではなく多様化したことに一因があるでしょう。 ややズレた回答になってしまったかもしれませんが、旧来の考え方を持った男性は、自分を磨く、または同性の容姿に興味を持つ男性を、同性愛(女性的な男性)的だと思ってしまうのでしょう。ですが、それ自体が、今日の社会ではもう古い考え方です。 (ちなみにゲイ男性が、女性的な男性、といった考えも、もはや古いものだと思いますがね…) 同時に、女性たちの中にも、男性の肉体的な魅力(エロスもポルノも同等に)を能動的に求める人も現れるなど多様化が進んでいますが、旧来の考え方を持った女性には、まだ受け入れられていない、ということです。 しかし、ポルノもエロスも、男性視点と女性視点では、必ずしも対称性を持ったものではなく、ズレが存在しています。このことは留意しなければなりません。いちおう補足しておきます。 これらは意識的な変化ではなく、社会の変化を受けての無意識のもの・・・つまり、社会的無意識、と言えるのではないか、と。 さて、本物のゲイから言わせてもらえば、ボーイズラブはあくまでも、女性向け「ポルノ」であって、ゲイ男性の嗜好は、もっとエグくて直接的なものですよ。 ボーイズラブも百合表現も、実際には、抑圧されていた女性たちの性欲の捌け口として、古くから女性向けポルノとして存在していました。 しかし、女性は視覚にそれほど性的興奮を依存しないため、テキストが重要だったのです。ですから依然として、ボーイズラブも百合表現も、ビジュアルよりはテキスト(シチュエーションなども含め)が重視され、セックス、性器といった、直接的な性表現はあまり好まれていませんね。 ですが、女性向けポルノが、半ば一般化してきたのは、これまでの説明の通り、とも言えます。 ただ、もうひとつ補足しますが、プロレスや格闘家など「筋骨隆々とした『強い』男性像」はどうでしょうか。 男性性の根源的な部分に、肉体的な「強さ」というものがあるでしょう。近代以前は、それらが圧倒的に、男性の価値を決めていたのでしょう。 旧来の男性、と言ってしまいましたが、もっと古くをさかのぼると、男性が、自己の肉体を鍛錬することは、半ば本能的なものでもあるのではないか、と。 近代以前の男性性の価値観は、肉体的「強さ」が重要で、それは女性も認めていた。 しかし近代になって経済力が「強さ」に置き換わった。 しかしさらに現代に至ると、多様化により再び「強さ」が復権したと同時に、「美しさ」という価値観も男性に生まれた。 しかし、現代のこの価値観を、受け入れられる人とそうでない人が、まだ男女ともに一定数は存在し、ともすれば、まだ近代的な価値観の人が多数派なのかもしれません。 近代的価値観では、「強さ」も「美しさ」も自己の容姿に関わるものなので、そうした価値観をゲイ、と決めつけてしまうのでしょう。 あ、ちなみに近代以前は、ゲイなどの同性愛が、社会的に認められていました。同性愛が社会的に封殺されたのも、近代のことです。 日本と欧米などを比較したら、また少し違うかもしれませんし、娼婦と同じく男娼だって、ずっと古くからありました。 しかし、長くなってしまったので、このくらいで。
お礼
ありがとうございます。 なんとなく思った事ですけど、まずはそういう「ポルノ」が男性向けと捉えられた事が原因の様ですね。 だから、女性ベースのポルノも、男性ベースのポルノも、男性が視聴することが前提なので、ストレートとゲイという単調なくくりにされたのでしょうかね。 実際はそこにもまだ疑問があるのですが、これは最後に書きますね。 それに対してエロスの方は、女性の方はさておき、男性の方はなんだか 古代、近代~現代、現代以降、で波打ってるのかなと感じました。 肉体的な美しさの価値が、アップ、ダウン、アップ(まだ中途)って感じました。 あと最後に、女性的な考えを持つ男性が同性愛、という誤解はどっから出て来てしまったのでしょうかね。 それに関連すると思いますが、仮に男性が視聴することが前提であったにせよ、男性ベースのエロスやポルノを楽しむ男性が、全て同性愛であるというのは間違いな気がします。 傍目から見たら似てはいるが、根底が違うんじゃないかなーという気がします。 あくまで同性愛者というのは、その対象を恋愛対象だったり性の対象だったりとして考えた上で、同性ベースのポルノを楽しむことじゃないかと思います。 それに対して、一つ前のお礼にも補足したことではあるのですが、エロスとして楽しむにせよ、ポルノとして楽しむにせよ、「自分が同じ様な事をするのが好き」「自分が同じ様な性的倒錯を持っている」「自分の憧れの姿である」というのが動機な場合は、恋愛対象とは呼べませんし、性の対象とは言えないと思います。 性的興奮の有無と、性の対象というのは違うと思います。 だからそういう人達を「同性愛者」として扱うのは、ちょっとどころか全く違うように感じますし、同性愛の本来の定義には含まないものに感じます。 それはどうなのでしょうかね。 一体なぜそうなっちゃうのかなーと思っています。
- hito20f
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男性モデルだからゲイということはないと思います。 女性雑誌にイケメングラビアもありますし、好みはどうか別としてホストクラブもありますよね。 男性のシンクロも女性が興味持ちますし、惹かれるものもあります。でも、あからさまに水着姿に興味があるなんて言いません。 男性器は見てもなんとも思いません。水泳をやっていたので、競泳用の水着から性器が浮き出ているのも気になりませんが嫌悪する女性も多いです。彼氏のモノだったら直視できるけれど、それ以外は直視できないという女性も多いと思います。体育系のサークルだったので、オープンな男子が多くていつも見慣れるとなんとも思いません。嫌悪する女性も慣れの問題だと思います。 でも、確実に言えることは、男性の性器については、積極的に見たいと言うことがないということです。結局、「見ても平気という女性」か「見るのが恥ずかしいまたは嫌悪する女性」に大別されます。これが性器ではなくて、ハダカ(肉体美)なら「見たい」と言うのが少し加わるかも知れません。 それに対して。女性の裸はというと、ほとんど全員が「見ても平気」というカテゴリーになると思います。ただ、性器については「嫌悪」を感じるのもほとんどだと思います。実際、見るのも見られるのも温泉や水泳の着替えで全裸になるとしても、性器までは見せないと思います(女性は普通の状態で性器は見えませんからね)。正面のヌードで性器が出るのも男性の特徴だと思います。 ですから、男性のヌードは女性に需要が少ないといえます。その女性の需要の少なさが、男性対男性の場合の男性の需要よりも少ないので、質問者様が指摘されたような現象が起きるのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 確かに、男性の身体の場合、ヌードというだけで性器が見えやすいため、そういう傾向にはあるかなとは思います。 とは言えまだ少しひっかかる所があります。 あなたがおっしゃる通り「ハダカ(肉体美)ならば見たい」という人が加わって来ますよね。 ヌード写真というのは基本的に余程のハードコアなもので無ければ、普通は性器は映しません、当たり前ですけどね。 日本の法律に触れますからね。 水着写真、コスプレ写真というものも、原則的に性器を映すものではありません。 それならば、見る人は選びませんし、ホモがどうのというのとは関係ない様にも思えるんですけどどうでしょうか? また、百合的表現のある作品と、BL的表現のある作品の対比ですが、そもそも前者の「百合的表現」というのは、レズビアンを扱いたくてそんな表現にしているかというと、そうでない場合が多いですよね。 単に男性的なものを排して、女性的なものだけを扱う為に、その様に表現しているのですよね? BLはそれをそのまま逆転させて、女性的なものを排して男性的なものを表現したに過ぎないと感じる訳ですけど、なぜそれがホモになるのかな?と思います。 あからさまな同性愛を扱うもので無ければ、十把一絡げにホモだのゲイだの言って、更には百合は許せるがBLは許せない、みたいな非対称的な文句を言うのもお門違いではなかろうかと思います。 まあそもそも異性愛が許せるのに、同性愛自体を叩くこと自体が変なんですけど、それ以前に拡大解釈のし過ぎかなと感じました。 あからさまなエログロを扱うものは、別個成人指定などのゾーニングが必要になってくるかも知れませんが、BL的な内容であるというだけで文句を言う人がいるのはおかしいかなと思いました。 これって単純に、女性的要素がなくて、男性的な要素が多く含まれる物を一方的にただ嫌悪しているようにしか見えませんでした。 更に言ってしまえば、男性的な要素を持つものを男性が鑑賞したり、女性的な要素を持つものを女性が鑑賞することが、ホモ所謂同性愛になるかというと、それも拡大解釈の類いではないかと思えます。 質問文中でシンクロナイズドスイミングの話しを出しましたが、シンクロを見る時って、性の対象としてエクシビションを見るでしょうか? 普通は見ませんよね。 フィギュアスケートも、女子フィギュアは性の対象として女の子を見ますか? 男子フィギュアは男の子を性の対象として見ますか? 違いますよね? だから男のシンクロ⇒ホモ向け というのは物凄い的外れに感じる訳です。 男性的な要素を持つものを男性が鑑賞したり、女性的な要素を持つ物を女性が鑑賞したりする動機は、なにも「性の対象」とは限りません。 こうありたい、とか、こうなりたい、という憧憬の一種であったり、僕だって私だって同じ様なことをやってるよー、という仲間意識だったりする場合もあります。 むしろこの感情に関していえば、異性よりも同性の方が起きやすいものと言えるでしょう。 また更に、それで鑑賞した人が性的興奮を得られたとしても、性的興奮を得る為に鑑賞したとしても、その段階でもまだ更に「性の対象である」と言うのは拡大解釈だと感じます。 性的興奮を得られる理由は、性行為だけではありません。 性的興奮を得られる理由が性行為だけならば、変態性欲と言われたり、フェティッシュと言われたりする物について説明がつかなくなります。 競泳水着そのものに性的興奮を感じたり、着用して自慰を行うことが好きな男性が、競泳水着を着用した男性を見て性的興奮を感じた。 これはあくまで本人が競泳水着が好きだったり着るのが好きだったりするから、副次的に本人と同一の要素を持った対象に性的な興奮が向かったというだけで、鑑賞者が被鑑賞者に対して性行為を希望していることや、恋愛感情を抱いていることではありません。 恋愛感情や性の対象としての感情と、それ以外の動機での性的興奮は、違うものですし、分けて考えるべきだと思います。 一括りにホモだの同性愛だのっていうと、的外れかなと思います。 まだまだこれだけ謎がある訳ですけど、一体なぜ男のエロ⇒ホモ と極々限定的且つ、単一的な解釈を為されてしまうのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 どっちかというとわざと曲解しているというよりかは、深く考えていないせいで、大間違いな方向に進んでいる感じがあるのと、男女でエロスやポルノの考え方が違う、ナルシズムに対するコンプレックスなど、複雑な物が実情を歪ませている様に思えました。