- ベストアンサー
母親になるために必要なものとは何なのでしょうか
- 母親になるために必要な心構えについて考えていきましょう。子供を欲しいと思えない理由や選択肢、そして周囲への思いなど、悩みを共有しながら解決策を模索します。
- 結婚や出産願望が本能に誘導されていると気づいていない人も多く、またその誘導に上手く乗れない人もいます。自分の子供を持ちたいと思う方法や、産まずに社会を乗り越える方法など、さまざまな視点から考えてみましょう。
- 母親になるために必要な心構えは個人によって異なりますが、自分の思いや状況をしっかりと見つめ、自身の選択を尊重することが大切です。また、同じような悩みを持つ人からの経験談や助言を聞くことも参考になるでしょう。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
アラフォー主婦です。 あはは。私も質問者様と同じぐらいの歳のころは、そんなもんでしたよ。 「死にたい」・「自分なんて生まれてこなければよかった」・「自分の遺伝子を残したくない」 ・「自殺したいが、周囲のことを考えると・・・」など、モラトリアム全開で青かったです。(;一_一) 今思い出せば、あの頃の自分の馬鹿さ加減が恥ずかしくてならず、と穴があったら入りたいという気持ちです。 ■>私は自分の子供が欲しいと思えません →私もそう思っていたんですが、30歳前後になると急に周囲の友人たちも私も、 どういう訳か子供が欲しくなってしまったんです。 「おい、やばいぞ!」・「タイムリミットまでに何とかしろ!」と、遺伝子からの命令のように、 焦りが襲ってきました。 もう、意思とは関係なく、そのように体ができているような気がします。 ■>「自分の血の入った子孫を残したくない」 →私もまったく同じです。才色兼備で恵まれた男女が結婚・出産すればいい、 自分は関係ないと思っていました。 しかし、これもまた30歳になったときに、その考えは消し飛びました。 きっかけは、(1)親の急死(2)資産家の伯父の孤独死(3)自身がそのショックで病気になり、 肌がボロボロになり長時間働けなくなった(4)兄弟が病気になり休職した、と、 怒涛のようにヘビーな現実が襲ってきたからです。 親が亡くなっただけで、私も他の家族も病気になってしまいました。 人一人死んだだけで、家族はこんなにも苦しい思いをするのだと、身を持って知りました。 また、そのために、健康体だった私の容姿はボロボロとなり、月のものすら止まりました。 収入も減りました。頼れる家族も病気になり、私が介護と仕事を半年ほど続けた日々は、地獄でした。 「誰か助けて。苦しい。辛い。でも、こんなことは親友にもたまにしか話せない。 家族でなければ、一緒に背負ってくれないんだ」と、思いっきり、目が覚めました。(-_-;) その時です。命の大切さと、「命をつなぎたい」という気持ちを深く感じるようになったのは。 「自分の命は自分だけのものではなく、家族や人のためのもの」であるという、生命観に変わったのです。 ■>いっそ、死んでしまえば、簡単なのですけど。 これを言うと全力で阻止される社会です →あはは。私の親戚も億ション住まいで、 独居老人で孤独死しましたが、誰にも自殺なんて阻止されませんでした。 誰も気にかけないし、死後数日経過した腐乱状態で発見されました。 親戚は遺産しか頭になく、今も遺骨の引き取り手すら見つからない状態です。 死後発見された日記には、「生きていたい。結婚して子供を作れば良かった」とばかり書いておりました。 孤独死は全力で阻止されている社会ですか?現実は、ただただ、放置されています。 ニートや若者の自殺も同じ。 ■>結婚だけして、子供は産まない、という考えを受け入れてくれる相手に出会う →簡単です。日本永住権の欲しがっている外人・ED男性(近年、20代の男性の精子数は40代の半数にまで下がっている。このままでは自然妊娠が不可能になる日が近いと言われている。現在も統計的に40代の6割が中折れEDだそうで精力が絶望的な草食系男性が大量にいます)をターゲットにすればいいのです。 また、4人に1人は結婚しない日本になるのは、すぐ目の前です。 ■>同じようなことで悩んだことのある方には、「どうやって乗り越えたのか」 →結果的には、30歳過ぎて、若い時には想像もつかなかった孤独と生殖能力を失うことへの恐怖に より、その感情が消えてしまったのです。 私は36歳で結婚し、37歳で子供ができましたが、その時には高度不妊治療が必要な体になっていました。 30代前半の検査では卵巣年齢(卵子の残りの数)が10歳若く、妊娠確率が高い体ではありましたが、 結婚直後には、子宮筋腫まで見つかりました。 有名な高度不妊専門のクリニックを受診したところ、患者は何か所も転院経験がある 30代後半以上の専業主婦ばかりでした。(患者が殺到しており、排卵日などがずれると予約日もずれるので、フルタイム勤務が困難。ほとんどが追い詰められて退職せざる得ない現状) (参考) ○不妊社会 https://www.nhk.or.jp/shutoken/net/funin/ でも、私には、母親らしき心構えがちょっと出てきたと思った出来事があります。 人工授精(採精した精子をより分け、抽出したものを、子宮に直接挿入すること)の際、 医者が子宮の中をぴょんぴょんと跳ねていく精子の映像を見せてくれたんです。 「この数億のうちの一個が生き残るのが、妊娠です」、と。 その映像を観て、なんだかどの精子も命があって、一生懸命生きようと前進していくような気がして、 「恐ろしいほどの生存競争を生き抜いたのが自分達なんだな。この子たちにも、どうか、 なんとか生き残ってほしい」と感じました。 その出来事があってから、薬の副作用にも卵巣が腫れて病院へ運ばれたときも、 「この子たちを生かしてほしいんだ。たとえ、一匹でも生き残らせてあげたいんだ」という 気持ちで頑張ってしまったんですよね。(-_-;) >私がすべきことは、「母親になるために必要な心構えを備える」ことだと思うんです。 →私見ですが、お勧めなのは「まず、命の大切さを知る経験をする」ことではないでしょうか。 例) ・不妊ドッグを受ける(独身でも高度不妊専門クリニックを受診し、卵巣年齢を検査しましょう。あと何年子供が産める可能性がなるか教えてくれます。そして、追い詰められた必死な患者達を観察してみましょう) ・老人ホーム、精神病棟のボランティアをする(身寄りがなく、資産がない特養老人ホームの入居待ちの老人達は、精神病棟に入院している場合が多いです。彼らの気持ちを聞くボランティアをしてみてください) ・職業的に、安楽死が避けられない職種の人の話を聞く(薬も洗剤も化粧品も、何億もの動物・人体実験の結果、生まれたのです。彼らの死生観・生命観は参考になると思います) (参考) http://nihon.matsu.net/nf_folder/nf_koramu/nf_jisatu_kimihe.html
その他の回答 (7)
- babaorange
- ベストアンサー率24% (446/1842)
色々書かれてますが自分のことが好きじゃ無いのかな。と思いました。 自己評価が低い。ということです。育った環境で心当たりはありませんか。
お礼
回答ありがとうございます。 仰る通り、私は自分が好きではありません。 むしろ、信じられない、と言った方がいいのでしょうか。 でも、将来を考える努力はしているつもりです。 育った環境にはとくに問題はないと思います。 過去うつ状態になったことがありますので、その影響とも思われます。
なんか、産みたくないと言ってる割りに産むつもりで一生懸命書いてるようですけど。なんでもかんでも人のせいにしている印象受けますね。 自分の子供は欲しくないけど、一般的には望まれているから?親戚が望んでいるから?死のうとしても全力で止められる社会だから死ねない? 自分の事くらい自分で決めてください。誰もあなたの事なんて一番に考えてないし、あなたが産みたくないなら、産ませることはできない。死にたいなら死ねばいい。誰も止められませんよ。どうせ子育てがうまくいかなくなったら「産むつもりなかったのに~だから」なんて言ってまた他人のせいにするんでしょ? 間違いなく言える事は、あなたみたいな意志薄弱な母親に育てられたって子供は幸せになれないという事。自分の子供を愛する気持ちは、努力して得られるものじゃない。持ってないということは決定的に欠落しているという事。子供を幸せにできる要素をまったく持ってないのに子供を育て、不幸になるのがあなた一人ならいいですが、子供を巻き込むのはやめて欲しい。子供を幸せにするって簡単な事じゃないですよ。あなたにはできない。 もう一度言いますよ、産みたくないなら産まなくていい。他人よがりなあなたみたいな女性に育てられて、生まれた喜びなんて子供が感じられるわけがない。たくさんの子供達が親に愛され、強く望まれて、たくさんの努力を注がれて生まれてきているのに。 産みたくないなら産まないでください。不幸な子供をこの世から一人でも減らすために。
お礼
回答ありがとうございます。 >産みたくないなら産まなくていい。 >死にたいなら死ねばいい。 そう言われて、ほっとしています。 私の周囲には、そういう意見はほとんどありませんから。 mastequila様の意見もそうですが、その他の方の意見からしても、私には子供を産み、育てて行くことはやはり無理なのではないか、という考え方をするようになりました。 周囲を伺いながら、誰かの幸せを願いながら、少なくとも20年間、自分の行動を選んでいくということに、耐えられないと思うからです。私の中に生まれてくる罪は、そうそう消えないと思います。生まれてくる子供には、そんなもの、背負わせたくない。 >産みたくないなら産まなくていい。 >死にたいなら死ねばいい。 ただしこれは、本当は一人では決めてはいけないものですよね。悲しいことですが、人一人に、絶対的な決定権はない、私はそう思います。 だから、これからも色んなものと戦おうと思います。
- milch_milk
- ベストアンサー率43% (40/92)
30代女性です。2歳の息子を育てながら働いています。 はじめまして。 ご自身がご自身の出生に対してポジティブでない時は、そんな先のことまで考えなくてよいのではないでしょうか。 まずは自分自身が幸せを感じることを目指してはいかがでしょう。 自分を他者と切り離した上で自分を幸せだと感じるということは、とても大切なことだと思いますし、それがご両親への一番の親孝行ではありませんか。 親にしてみれば、成長した子に「生まれてきてよかった」と言ってもらえることが、どんな苦労もすべて吹き飛ばしてくれるほど一番幸せなことだと思いますよ。 結婚というのは赤の他人の責任を引き受けることですから、メンタルが弱い状態だと維持は難しいのかなと思います。 ましてや出産・育児の場合、相手が人間として成立していない状態で一方的に体力・気力を極端に搾取されますので、少し間違えば健全な状態の大人でも危ない時があります。 両方とも、すれば幸せ、というものではなくただのスタート地点ですので、「結婚・出産できたら親が喜ぶ」だけで済めばいいですが、上手く維持できなければ逆にご両親を大いに苦しめる原因になります。 ご両親との間で、何かしらご自分の思いを発露できなかったり、折り合いをつけられなかったことがありませんか。 そういうことがあるのであれば、それを何らかの方法で自分の中で消化していくことが必要だと思います。 いつかご質問者様が生きていく中で良き理解者に出会い、その方と子を望まれたら、その時に改めて心構えをお考えになってはいかがでしょうか。 良い未来に進んで行けますように、遠くで応援させていただきます。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。自分でも、あるかどうかもわからない将来の形を想像して怯えている、そんな風に感じます。 現在、幸せであることに違いはありません。親に感謝しています。そうと伝える術は、あまり兼ねそろえていませんが。 まずはそういうところから直していこうと思います。 できることはできる、できないことはできない、と表現していく術を磨こうと思います。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
#2です。お礼ありがとうございます。 補足させてください。 >私の考えは、周りに頼り過ぎているのかもしれない、とも思いました。 人が生きる、というのは 誰しも他人に頼っている面がありますので あまりそこを否定し過ぎないようにされるといいかな と思います。 してもらったことには感謝をして 誰かのために自分にできることがあれば したらいいです。 こどもを持つ、ということは他人のためでなく 自分のための要素が強いので 周りに流されて決断することではない、と思います。 だからもっとこの先悩むことが多くなるでしょう。 だけど自分が居心地のいい(思想的に無理のない)位置をみつけるための 試行錯誤は質問者様でなくてもしていることで 「一般」に見えている他人も多かれ少なかれしていることです。 >でも、育ててくれた両親のためにも、 私は努力しなくてはならないのだと思います。 もし育ててくれた両親のことを思うのであれば 両親より先に死なないでください。 それが最大の親不孝です。 自死しなくても 人はいつか必ず死にます。 それは自分で決められないのです。 自分で決めるのはありとあらゆるものへの冒涜です。 そして残された関わりのある人すべてに その重荷を背負わせることになります。 こどもの問題にすりかえず ご自身の置かれている状況や 考えの根幹になっている 核の部分について もう少し見つめなおされるといいかと思います。 あとは いろんな人とかかわり いろんな意見やいろんな場面に出会うことです。
お礼
確かに、私は自分の問題をすりかえているのかもしれません。 「結婚しよう」「孫がほしい」そう周囲に言われても報いることのできない自分に、すぐに死んで逃げようとする自分に、新しい逃げ道と別の理由をつけたそうとしているだけなのかもしれません。 死を考えても、「それは数多ある命への冒涜だ」と私の行動を阻止する私がいる「私」は幸せなのだと思います。 少なくともあと20年生きることを目標にして、その代わりに色んなものを犠牲にしました。他人にとってはちっぽけなことでしょうけども。 将来にそれを補う程の良いできごとがあるとは思えません。むしろ、新たに罪を作ってしまうかもしれない、そう思うと、それを阻止せねば、という意思が働いてしまいます。 それでも、もっと色んなことに直面し、それを乗り越えて行く覚悟をしなくてはならないのだと思います。 これ以上、誤ちを繰り返さないように、努力は続けたいと思います。
- qwakcer
- ベストアンサー率36% (4/11)
>母親になるために必要な心構えを備える」 そんなの必要ないです。子供ができた瞬間からみんな母親なんです。みんな最初はわけがわからず子育てに奮闘する毎日。 だけど、 >罪悪感を感じながら自分の子を出産し、育てて行く。それだけは避けたいのです。 この文がすでに心構えになっているんじゃないですか?^^ 結婚したいけど子供はほしくないようなほしいような。という心境でしょうか >どのようにして自分の子供に愛情を注ぐのか」 愛情って見返りがないので、子供がすくすく元気に育ってくれれば愛情たっぷりだと思います。 >自分の子供を養っていく覚悟 が、できたら子供作っていいんじゃないですか。24歳なら30代出産も今は普通だし。
お礼
回答ありがとうございます。 >子供ができた瞬間からみんな母親なんです。 そうですね、いざ母親になってみれば、必死こいて母親を務めていくのだと思います。 けれども、子供は親の失敗を責められません。 責めたところで、自分が強く生きなければ、どうにもならないのです。 結婚する努力はしますが、自分の血の繋がる子供は欲しくない、という考えでいます。愚昧な考えとは承知ですが。 まだ、結婚や出産ができるほど強くはない、と自負しています。ただ、将来そういうことをしていくことを想定して鍛えていかなければ、と考えています。 時間だけで解決できるものではなさそうでしたので、質問させていただきました。 失敗を恐れず経験を糧にしていくこと、人生に他人を巻き込んでいく覚悟をすること、が必要なようですね。がんばります。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
何もかも自分が思う通りに、はいかないので どの道を選んでもそれなりにめんどくさいことはありますし 腑に落ちないことをしなければならないこともあります。 「周囲」「一般的」、何をそんなに恐れていらっしゃるのでしょうか。 ご自身の人生なので ご自身のいいように生きればいいのです。 結婚したくないなら結婚しなくてもいいし 子供が欲しくないなら無理に作らなくてもいいのです。 結果どういう人生を過ごすのかは自分次第で 色々言う周囲は何の責任も負ってくれませんから 必要と思う言葉だけ聞いたらいいのです。 >私がすべきことは、 「母親になるために必要な心構えを備える」ことだと思うんです。 こどもが欲しくない私を受け入れてくれるパートナーを見つける あるいは 誰かにとって どんな条件を出されても一緒に生きていきたいと思える 魅力的な女性になる じゃないでしょうか。 そこにこどもをからめて考えなくてもいいのでは。 ご自身は生まれてよかったと思っていらっしゃいますか。 生まれた喜びは感じなければならないものではないし 実感するまでにすごく時間がかかることかもしれません。 なんでも割とすぐ答えを見つけたがる感じがする質問者様には 気の遠くなるような労力かもしれません。 だとしたらこどもがらみの欲求は いっそ放棄したら楽になるのでは。 考えるのは自由なので 共感も批判もしませんが 今健康を自負していらっしゃっても実際どうかわからないし (20代前半で結婚し、双方検査して異常なし、でも7年たっても 子宝に恵まれないご夫婦が身近にいらっしゃいますし、 原因不明の不妊は増えています) 実際産めない年齢になったときどう思われるのかもわかりません。 ただ 自分の選択は自分で責任を持ちましょう。 周囲とか世間とかに転嫁しないことです。
お礼
回答ありがとうございます。 「ご自身のいいように生きればいいのです」という言葉に重みを感じました。 私の考えは、周りに頼り過ぎているのかもしれない、とも思いました。 正直なところ、生まれてよかった、と感じているか、というと微妙なところです。「生まれなければよかった」とは思っています。「自身の良いように生きる」となると私は死を選ぶでしょう。 答えを急いでいるように聞こえると思いますし、実際に急いでいると言えます。 解決策がないのなら、失って困るものを増やす前にいなくなりたい、と思うからです。 10代の時に、死ぬタイミングを逃しました。もう、間違いたくはない、というのが本音です。 でも、育ててくれた両親のためにも、私は努力しなくてはならないのだと思います。子供や自分の血云々ばかり考えるのではなく、もう少し波にもまれる人生を考えてみようと思います。
- morino-kon
- ベストアンサー率46% (4176/8935)
世間一般の中には、 「子どもなんか欲しくない、しかし妊娠してしまった」 「子供が出来てはならない関係なのに、望まない子供が産まれてしまった」 というケースがあります。 そのうちで、本当に嫌な人は生まないと言う選択肢もあったのでしょうが、産まれてみると子供がかわいくて良い母親になったという例も多くあります。 ですから、産まれる前にいろいろ考えていても、実際に赤ちゃんを目の前にすると変わると言う事もあります。 いきなり産まれるのではなく、何カ月も自分のお腹にいるのですから、気持ちも変わるでしょう。 子供は自分でコントロールできると思うと、「望む」とか「望まない」とか考えてしまいます。 しかし、「神様からの授かりもの」と思って自分の運命に組み込んでしまえば、人生の一部になります。 実際に妊娠するかどうかは分からないわけですし。 自分は健康だと思っても妊娠しない人も多いです。 もし、妊娠したら、次第に考え方も変わってきますよ。 男性だって、最初は自覚が無くても実際にわが子を目の前にすれば変わるという例が多いんですから。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、いざ妊娠し、出産することができれば、その子を自分の人生を掛けて守り、幸せにしよう、という意欲がわいてくるのかもしれません。 むしろ、そうでなければ、正直、母親になる資格などないのではないか、と思います。 実際に、私も親に愛情を注がれながらここまで過ごしてきました。とても幸せです。親に感謝しています。 でも、私は「生まれなければよかった」と思っています。 だからこそ、子孫を残すことに嫌悪感を持っているのだと思います。 もしこの考えが、精神的な理由によるものであるとすれば、遺伝する可能性もあります。祖母が精神病を患っているので、さらに怯えている状態です。 大人になったら考えは変わるだろう、そう思った結果何も変わりませんでした。 妊娠したら考えは変わるだろう、そう思った結果も何も変わらなかったら、私はどうすればいいのでしょう。 その子を育て上げるまで、嘘をつき通す自信が、ありません。。。
お礼
回答ありがとうございます。 参照まで載せて頂いて、非常に勉強になります。 仰る通り、私には決定的に「命」に対する感動や「生」に対する執着が欠けているのだと思います。 二人の親から一つの「私」が選ばれる確率は400億分の1の奇跡であると言われています。そのとき死に物狂いで頑張った「私」がここで簡単に「死にたい」など、笑わせる、私もそう思います。 あの時は本能で(燐酸の反応で尻尾を動かして)頑張ったというのに、なぜ、成長すると本能的に物事を考えられなくなってしまうのか。 生まれたら、死にたくない。これは生物の正常な感覚だと思います。 私の祖母は、精神病を患っています。彼女は、ある日私に抱きつき2時間離さなくなり、結果として病院に入ることになりました。抱きつかれている間に彼女が叫んでいた言葉「死にたくない!」を、私は一生忘れないと思います。 彼女が今も何に追い詰められ、何に怯えているのか、私は想像することしかできません。病気の影響で、と両親は言いますが、彼女は実際に、「健康に生きていた」のです。 話はそれますが、私が死にたいと思うとき、必ずと言っていい程、彼女の声が聞こえます。身体を取り替えてやりたいとも思います。だけど、それはできないのです。 これまた余談ですが、私の母は看護師です。数多と人の生死を見届けながらも、いつも変わらぬ様子で帰ってくる。それほどの覚悟が私にできているか、というと否です。彼らはプロだからできる、と考えるのが普通でしょうが、その道のプロでなくても、人は子供を産みます。その心境が良く理解できないのです。 とりわけ、自分の血の入った子供を産む、ということはその血、生まれ、育ての環境、その他色んなことがあると思いますが、それらに責任を持つということです。 私も、追い込まれてみれば家族や命の大切さを知ることができるのかもしれません。そうと知った時にはもう遅いのかもしれません。でも、その時に、「そうするしかなかった」という理由は、子供には悟られたくないのです。 自殺(自死)に関してです。 孤独死を選ぶ(もしかしたら選択肢すらないのかもしれませんね)精神状態は、私にはまだ理解できていないと思います。若者の死についてもそうです。物理的には阻止されていません。ただし、誰しも一度は「人はどうやって生まれるのか」「何のお陰で今生きられるのか」「どうして死んではいけないのか」を学校なり独学なり学ぶと思います。その答えが正しいかは別問題として。そうすると、生まれた時点でもう「死ねない」のだと気づきますよね。例えば、思春期で生死について悩む中で、それを理解できればいいです。その時期に追い詰められるようなことがあり、死を選ぶとすれば、私は、それは彼らが精神的な縛りを脱した、つまり彼らにとっての「解放」であると考えます。そうでない私たちは常に「死ねない」社会に精神的に縛られている、そう考えてしまうのです。 「死んでもいいよ。でも、きっと後悔する」 そう言ってくれる人が、どれくらいいるでしょうか。 よくわからない話を展開してしまって申し訳ないです。 同じような考え方を持っていた人がいた、という事実が嬉しいのです。 morinokumazou様が子供を授かることができたのだということも。 今の私はまだ勉強不足、努力不足なのだと思います。 かつて「セックスなし」の条件でお付き合いしていた方も、結局は求め、私を責めました。その時は、これが摂理だ、と思いましたが、もっとちゃんと探せば、悲しみを分かち合える方はいるかもしれませんね。外国の方なら宗教も違います。日本よりも愛や子孫云々に熱烈な宗教が多いですが、その手もありだな、と思いました。 出産を決意するにしても、しないにしても、自分を恨むのはやめようと思います。 命の大切さとありがたみを感じる努力をして、いつか「生き残りたい」と感じることができるように。 もし、自分の血が入った子供を産みたいと思うようになるなら、その思いを恨むことのないように。 身体を張って、命の重みを教えてくれるものや人々に、失礼のないように。 私はもう少し、生きてみようと思います。