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血は水より濃い…?
- 血縁者との関係について不思議に思っています
- 血縁者へのひいきや特別な感情に対して疑問を感じています
- 血縁関係と感情の結びつきについて混乱しています
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質問者が選んだベストアンサー
素朴な疑問ですよね? 実は私も素朴に同じような疑問を持っています。 とてもはしょって簡単に書いてしまうと、日本というのは‘お家制度’‘直系を重んじる’が 海外諸国とは微妙に異質なお国柄だった(今でも)流れでは?で何となく 納得しています。 質問文の内容は二つのことが書いてありますよね。 まず、田舎のお年を召した方々が‘血縁者’を身贔屓することへの違和感。 もう一点の、例えば知らないで血縁関係のない子供を育てていたら、 血が繋がってようがそうでなかろうが我が子には変わらない、ということ。 この二つは関連はあるけれど、全く別個の問題として捉えた方がよいと思いますよ。 こんなに交通機関が発達しておらず、生を受けた小さな集落などで 人生を全うするのが当然だった時代。 当然、周りは血の繋がった親類縁者がかたまるのが当り前だった。 本家や分家、長男は家を継ぐ、嫁は男の子を産んで‘お家安泰’にする。 そうやって自分達のなわばりを守らなければ、特に田舎の農村地帯などは 生きていくことさえ困難になっていく。 ‘お家を繁栄’させるための血の繋がり、と考えれば血縁者を守る、他人様が正しくても 血縁をかばわなければ‘お家’そのものがなし崩しになっていくということを 特に意識をせずに継続させていることは自然ではないでしょうか。 様々な多岐に渡る情報が溢れている、尚且つ各々に自由がある、人生の選択肢も 自分の意向で決めることができる世の中になりましたよね。 長男だからといって跡継ぎにならなくてもいい、結婚しない自由、子供を産まない自由、 自分の国とは違う海外の文化に触れるのも簡単。 生活が多様化した今の日本では、特に質問者様が毒されてるとは思えません。 でも、一方では昔ながらの日本式の考え方が脈々と根付いていて、それはそうなんだと 認めることも必要なのでは?ですか、ね。 そして、血の繋がっていない赤ちゃんでも我が子として育てることができるか? これはもう、その人それぞれではないでしょうか? 不謹慎な例え話になりますが、もしも質問者様の血の繋がった赤ちゃんが取り違えられていて 他人の子供を我が子として育てている最中に事実を知ったとする。 質問者様の血が繋がった子供は、両親がいても不幸にも可愛がられていない様子だったとして。 相手方が、実の子供として取り替えてくれと言ってきたら? その後は一切のコンタクトは取らないことが条件だったら? イジワルな気持ちで問うてるわけではないです。 私はこういう風なことを考えていた時期があります。 考えるだけで身が切られそうになりましたが、答えは出ていません。 その他、代理母出産や里子制度ももろ手を挙げて賛成できるかというと 心情的には、それってすごくいいじゃない、と軽く考えてしまいがちですが やはり‘倫理感’の問題が出てきて議論に議論を重ねて慎重になるべきことだということも 理解できます。 私は、私や質問者様のような感覚の人がいてもいいと思いますし、いやそんな考え方はおかしい という方がいてもいいのだと思っています。 ただ、自分と違う感覚・考え方の方々を引き合いに出したり、比べたりする必要は 全くないのではないでしょうか? 「私はこう考えている」のだから、わからなくなっていないしこの社会に毒されてもいないです。 私は、小さい頃に別れていますが父親がアメリカ人のミックスです。 年齢的に(40代半ば)小さい頃は「アメリカさんの血が入ってる混血の子」とどれだけ言われたか。 そして、何度かアメリカへ行きましたが人種のるつぼでおおらかなはずの向こうでも やはりさびれた田舎へ行くと、親類縁者がかたまっていて他人には排他的だったりしますから。 きっと、質問者様のお子様方もうちの成人した子供達も、私達の影響を受けるのでしょうね。 「血が繋がりを一番大切にするのは、どうして?」ということに固執しないで 自分の考え・やり方を大きな声で吹聴せずに、通せばよいだけだと思います。
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- yuki360679
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まあ、人間勝手なもので、紛れもない我が子でも、ダメなところは夫に似ていると思うし、いいところは、さすが私の子って思うよ。 ふだんほとんど交流のない姪でも、デキ婚で経済的に困っていると聞けば、ベビーグッズを無償提供してやるかって気にもなるしね。
お礼
ありがとうございます。 もちろん血縁を理由に援助したりはまったく悪い事ではないですよね。 多少付き合いがある人や縁がある人に情がわくのはわかります。 ただ、私は、血縁も縁のひとつに過ぎないんじゃないか、そんなに特別なものじゃないんじゃないかという気がするんです。 たまたま隣に住んでいたのも縁、何かのアクシデントで出会うのも縁、自分のおなかから来るのも縁なら、つれあいの連れ子としてやって来るのも縁だろうと思います。あとは気が合うか合わないかの違いしかないような気がして。 親戚を見ていると、罪もない他の人を犠牲にしたりしてまで自分の身内だけに良いようにしようとしている人がけっこういて…(人の子供をさらって来て自分の子供に食べさせる鬼子母神を連想してしまいます。 子供の友達の保護者の方にも少数だけどいるような気がします)。血のつながりがあるというだけではないのでしょうが、まあ、ここでは論点を絞って血縁がある事から来る感情を問題にしています。
論点が良く分かりません。 血縁者を贔屓すること、と血縁者を可愛いと思うこと、 をどうして同列に扱われるのでしょうか。 可愛いと思う、という以外の理由で贔屓をする状況は想定外ですか? ま、自分と異なる考え方・感じ方を 理解できないのは至極当然のことですが。
お礼
ありがとうございます。 かわいいという言葉が限定的で良くないのかも知れませんが、まあ、親しみを感じるとか、守りたいとか…そういうような意味合いですね。それが長じて、たとえ自分の身内が悪くても相手のせいにしてしまったりとかいう現象が起こるのを何度も見ています。どうも、ある種の人たちは、単に血縁があるというだけでそれをやる事もあるようで…。(実際には、血縁=一緒に長く過ごしているという事になりがちなので、純粋に血縁があるだけというのがイメージしづらいかも知れませんが) 血縁者をひいきする理由としては他に何があるでしょうか。実利上の理由だとしたら他人でもあり得る事ですから、あまりこの場合は問題になりません。 極端な例まで出し、けっこう論点を絞ってお聞きしたつもりなのですが…。
- emiiem
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血縁者だから何してもかばう人はごくわずかじゃないでしょうか? 難しいことはわかりませんが、uekidoさんの考えの方が普通じゃないですか?
お礼
ありがとうございます。 私の方が普通と言っていただけるのは安心しますし、私としてはそういう本能レベルの事より理性の方が勝る人が多い方が生きやすいのですが、まあ私の親戚は田舎の年寄りばかりでして、そういう人もけっこういます。 単に、借金などしたいために食いついたり、他の人への優位を示したいときの口実にとってつけている内に、大した意味もなくそう思い込んで来るのかも知れませんね。 または昔はそういう事が重要だったのかも知れません。 連れ子がかわいくないとか、お嫁さんの連れ子より産まれた実の孫ばかりかわいがるなどという話も時々聞きますが、それも、血縁という事が無関係ではないのではないでしょうか? 一緒に過ごした時間の問題が絡まないようあえて「出産と同時に他の赤ちゃんを一緒にひきとったら」という設定をあげてみましたが、どちらが自分のおなかから出て来たのかはっきりわかっていたら、扱いを差別してしまう人もけっこういるんじゃないでしょうか。私は、どうせ引き取るしか選択肢がないならどっちでも良いと思うんですが(血のつながりにまつわる医療的な問題は一生起こらないものと仮定すれば)。
お礼
ありがとうございます。 はい、素朴な疑問ですね。 そしておっしゃる通り、正解などなく、色々な感覚があるという事なのだと思います。 血のつながりがどうのというのは逆に社会的な問題だという事ですね。 自分の仲間と敵(とまでは言わないまでも利害が対立する相手)を分けるにあたり血縁というのが一番明確な基準だったのかも。 そういう中で育った年寄りと私とではおのずと感覚が違う訳ですね。 おっしゃる通り、血のつながらない子供をどう考えるかはまた微妙に別の問題がありますね。 挙げていただいたたとえの場合、私個人は、間違えて私のところに来るのも縁、おなかにいたというのも縁ですから、自分の養育能力があるという前提ならどちらとも引き取れれば一番良いと思いますが、どちらかしか育てられないなら、今まで手元にいた方をとらざるを得ないかなと思います。 かわいがられていない子供をどうにかしてやるために何らかの策は講じるかも知れませんが。 また、どちらかの子供が完全に健康体でなかったりしたら、つらいですがまた別の問題が入りこんで来るかも知れないですね。 以前、とり違えられて手元に来た子供に知的障害があり、40年以上育てたあげくに発覚して両親が病院を訴えた事件があったと思います。 詳しい事情もわからないのに言及するのは良くないかも知れませんが、私は、多分この方たちは、単に被害感情で起訴したのではないんじゃないかなと思っています。 これだけの期間育てていれば、苦労したとしても普通の人なら情があるはずです。 裁判のかけひき上何と言ったかわかりませんが「自分たちの人生が破壊された」というような事ではなくて、自分たちも歳をとって来て、賠償金などをもらい子供に残せるものならそうした方が良いと踏んだのではないかな、と。まあ、少なくともそう思いたいです。 遺伝子的に外国人であっても本人には何ら責任のない事だし、育った土壌が日本なら単に日本人だと思うんですが、「血」が違うだけで、どうしても何か言う人が出て来るんですね。そう言えば、私が思い浮かべている田舎の年寄りも「外国人」が嫌いで、根拠もなく悪く言います(自分の不見識を露呈しているだけだと思うんですがね)。 川村かおりさんも、ロシア人の血が入っているというだけで学校の先生に罵倒された事があると聞きました。 時には人の理解できない言動に凍りつく事もありますが、実際に差別的なものを経験なさった回答者様が、きちんと事実を見据えて自分の考えを持たれているというのは立派だし、そういう方がいらっしゃるという事は世の中捨てたものではないと思えます。 アメリカの田舎は閉鎖的で保守的で、何だかんだ言っても均質化されている日本人に比べるとおそろしいくらいだと言っていた人がいましたが、そうなんですね。人種差別の問題なども残っている国ですから、もっと理不尽なのかも知れないですね。 差別というのは、ほぼ形骸化して大した意味もないのに人を虐げる悪習なのではないかと思います。 私は、「血のつながり」というのが材料に使われるのも無意識下に嫌だったのだと思います。