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カストロ共産政権の55年間続く理由とは?
- キューバでは1959年に成立したカストロ共産政権が、実に55年間も続いています。
- 米国の干渉や経済制裁にも耐えながらも、キューバの共産政権はなぜ続いているのでしょうか?
- カストロ人気や政権の経済難への対処などが、共産政権の続く理由と考えられます。
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>なぜキューバの共産政権が続いていると思いますか? ●回答・・・米国の姿勢が軟弱であり、キューバの統治体制が堅固だったから。 ○ビッグス湾事件については、米正規軍の投入をためらったケネディ大統領の判断ミス。 ○キューバ危機の場合も、米国はソ連のミサイル撤去の代わりに、キューバを攻めないとする約束を米ソ間で交します。 以後も冷戦間は、米国はソ連との対決のエスカレートを恐れ、キューバに対して軍事力を行使する事を回避。これには冷戦間、キューバにソ連軍8千人が駐留していた事も含まれます。 ○冷戦後については… (1)キューバが強固な国内統制態勢を維持。 内務省下にPNR(国家保安局)や、治安隊を組織し、国内で反乱や反政府運動が起きないよう取締りを行ってきましたが、冷戦崩壊後に経済が悪化してくると、1990年に内務省下にBRRという新組織を発足させ、さらに国内での監視体制の強化を行っています。 また、一般市民にはCDO(革命防衛委員会)という組織があります。これは20世帯程度で1組織とされ、殆どの市民が参加しています。日本で言うところの自治会に近いものですが、各組織ごとに警備責任者や思想責任者を置く事を定められており、住民の相互監視組織として、密告組織としても機能しています。そのため、反政府活動が露見しやすいため、キューバでは反政府運動やデモが起き難い社会構造となっています。だからキューバでの生活が耐え難い場合、国民にとり一番見込みのあるのは、家族で海を渡って国外脱出する事となります。 (2)キューバ指導部による政治・経済改革。 冷戦時代、全貿易の7割がソ連であったキューバは、ソ連の崩壊とその貿易の激減に経済が厳しい状況に追いやられます。 その状況を克服するべく、貿易構造の改革を行います。国防、教育、医療以外の殆どの分野において外資の導入が行われました。また、観光産業にも力を入れ、80年代は年間、観光客が30万人程度だったのが、90年代半ばには150万人にも増加し、観光収入は10倍も増えました。 また、1994年には中央行政機構の再編を行い、40あった組織を32に減らし、人員を36%も削減し赤字の削減につとめました。 1995年には党中央委員の人数を225人から150人に大幅に削減し、年功序列も廃止ししました。 つまり、キューバ政府は経済の悪化を好転させようという目に見える政策を行い、さらに政治家が身を切るという事を国民に示しています。これにより、国民のある程度の不満は緩和されます。 (日本の旧民主党政権や自民党政権がいつまで経ってもできない政治改革をキューバは行いました) (3)米国の経済制裁が不完全。 キューバを追い詰めるため、米国はそれまでの制裁に加え1996年にヘルムズ・バートン法を成立させますが、2年後の1998年には早くも「人道的」見地から制裁緩和政策を行うなどしており、米国の経済制裁は中途半端です。 それに、キューバは2006年にボリビア、ベネズエラといった南米の左派政権との間に、人民貿易協定を結び、経済的結びつきを南米と深めていますが、それを米国は阻止できずにいます。 キューバの外資導入の動きも防げずにいます。 前述した観光客の増加もそうです。 米国の経済制裁は不完全すぎました。 なお、米国の経済制裁によるキューバの損失は年間でGDPの約1割です。これでは経済的にキューバを打倒したり追い詰める事は難しいでしょう。 (4)キューバでの新たなエネルギー資源の開発。 キューバでは2000年頃から外資を積極的に導入して石油、天然ガスの開発を行っています。 中国、ロシア、ベネズエラ、ベトナムなどとキューバの国営会社が合弁事業として開発しています。 現在、キューバの消費している石油の約半分はそうした開発で得られた自国産の石油であり、さらに未開発の有望な油田もキューバ付近にある事がわかっており、将来は石油輸出国になるとの見通しも出ています。 つまり、経済的に明るい見通しがあるわけで、そういう面ではキューバ国民に将来への期待を抱かせます。 (5)米国のキューバ敵視政策の緩和。 冷戦時代、キューバはソ連と手を結び国内にソ連軍が駐留していました。さらにキューバは「革命の輸出」を国是とし、中米の左翼政権や左翼ゲリラを支援し、さらにアンゴラ、エチオピア、コンゴ、モザンビーク、南イエメンなどに軍事顧問や軍隊を派遣しており、その人数は6万5千人を超えていました。ちなみに、そうした軍隊を派遣、維持するのにかかる費用はソ連が負担しており、キューバ軍はソ連の傭兵と言っても良い状況であり、キューバにとつては外貨獲得の一つの手段でもありました。 しかし、冷静崩壊後は、キューバからソ連軍も引き上げ、ロシアからの軍事、経済支援も激減したため、キューバは派遣していた兵士を全部、国に引き上げ、「革命の輸出路線」を放棄しました。 これにより、米国防省は1996年に「キューバは軍事的脅威では無くなった」との報告書を出します。 また、石油、天然ガスなどのエネルギー資源の有望なキューバに進出したい米企業による政治家への動きが起きます。 それに加え、これまでは米国ではCANF(全米キューバ市民団体)という亡命キューバ人の組織が、民主党、共和党を問わず米国の政治家達に多額な政治献金を行い、キューバへの強硬政策を求めてきましたが、その組織のホルへ・カノッサ代表が1997年に亡くなると、組織が穏健派と強硬派に分裂し、米政治家への働きかけが、これまでより弱いものとなりました。 そうした状況から米国のキューバへの敵視は緩和されていきます。 そして2009年9月にはオバマ大統領が、キューバへの渡航制限及び送金制限の撤退を含む経済制裁緩和措置を実施しました。 ■つまり、米国の経済制裁は不十分であり、キューバでは強固な国内統制体制を敷いている一方で、政治改革を行い政治家が身を切るなど上からの改革を断行し国民の不満を緩和したり、冷戦崩壊後の経済危機も、外資の導入や経済構造の変化を行い乗り切り、新たな資源の開発に明るい希望を国民に見せています。まだ市民の生活は豊かとは言えない部分もありますが、教育に力を入れ、識字率では中南米一ですし、医療にも力を入れているので平均寿命は先進国並みの高さです。 キューバには欠点もありますが良い部分もあります。言わば「飴と鞭」により支配体制を維持しています。 そうした事から現在まで国が崩壊する事なく続いています。
その他の回答 (1)
- wakaranyo2
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ローマ帝国文化では、民族をぶつけ利用してきたから、キューバにそのなごり的文化が残ったと考えられます。
お礼
回答ありがとうございます。