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祖母がこの世を去りました。
先日、母方の祖母が生涯に幕を閉じられました。 先週月曜日に腰の骨を折ってしまい、入院。 数日経ってからリハビリが始まるはずだったというその日の早朝。 早朝に親が慌しい様子で「ばあちゃんが危ない」と言ってきて、急いで両親とともに病院へ見舞いに。 そして祖母はそのまま、正午近くに旅立ってゆきました。 その日の前に様子を見に行っていた両親や親戚によれば、身動きこそとれなかったものの、 ご飯もちゃんと食べ、意識もはっきりしていて喋りも流暢、それこそ冗談も言うくらいで元気な様子だったといいます。 …しかし、あの日の早朝に容態が急変したとのことでした。 病院側も手を尽くされたようですが、結局、祖母は戻っては来ませんでした。 祖母には、自分が小さいころからとても可愛がってもらっていました。 自分ら親子とは別々に住んでおり、距離があったので頻繁に会えてはいなかったのですが、 会うたび嬉しそうに微笑みながら言葉をかけてくれていました。 自分ら親子と祖母とで一緒に出かけることも多かったです。 十数年前に旦那(祖父)に先立たれても気丈に生きてきた、強くて優しい人でした。 そんな祖母にもう会えない、あの笑顔を見られない、声が聞けない そう思うと今いるこの瞬間が現実であることを認めたくなくなります。 冷たくなっていたのを感じたし、燃えて骨だけになった姿を見た、はずなのに。 また、この世を去る数日前に元気だった間、会ってなかったことを後悔しています。 平日はバイトやらがあるし見舞いは週末でいいだろう、というのが甘い考えだったなと。 天へ還った人は残された者の幸せを願っているとよく言いますが、 果たして本当にそうなのだろうかと心配なのです。 今際の際、数日の間に会いに来なかった自分を悪く思っていないだろうか? そういう不安があるのです。 自分は祖母には向こうでも穏やかに過ごして欲しいですが、正直謝りたい気持ちのほうが大きいです。 最後の最後に不孝を働いてしまった気がして仕方がありません。 失ったことへの悲しみや辛さで泣きたくなっても、 「こんな自分を見てもきっとばあちゃんは喜ばない、それこそ嫌だ」という想いが芽生え、我慢してしまいます。 この感情、処理するにはいったいどうすばいいのでしょうか?
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- hikaricom
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喪失感は誰にでもが経験する辛い人生の局面ですね。 まず、人の死についてのメカニズムを私の知識からお伝えします。 人間の構成要素は3つに分けて説明されます。 まず肉体です。肉体には限りがあります。物質によって体は出来ています。 私の腕、私の足、私の心臓、私の脳、私の手、私の肺…あなたが所有しているもの。それがこの一番身近な肉体というものです。 もう一つの構成要素。 心です。心とは、肉体を通して人生の体験を時間的にデータとして取り込み、あなたの生存に必要な情報を提供したり、時には悲しみ、怒り、また不安な経験をも苦痛として記録します。 あなたは、猫を思い浮かべようとしたら、猫の映像を得るでしょう。人はこの情報を使い、話したり、考えたり、また絵を描くなどの高度な創造活動を可能にします。心とは、機能、働きのことです。しかし、痛みをも記録するため、ストレスは持続しがちです。 最後に、人間を構成するもの。それは精神です。さきほど猫の姿を映像として見ていたのは、何ですか?誰ですか? そう、あなたです! 肉体が見たのではありません。 あなたは、目を閉じても見ることが出来ます。感じることができます。 それは、精神的な存在のあなたに他なりません。それが魂と呼ばれるものであり、一般的に自我と呼ばれるものの実態です。 この魂は、普段肉体の中に、頭部の辺りに留まっています。 しかし、肉体の寿命は短いため、機能が停止すると肉体を離れ、短期間で新しい肉体を求めて、新たな人生を再開します。これが昔から言われる輪廻です。時折、稀に前の人生を記憶している子供が居ますが、通常私たちは、他の肉体に居たことを忘却します。 覚えていないのです。しかし、また記憶を再生することも、難しくはないようです。 お婆様は、もう既に新たな人生を始めていられる可能性が大きいでしょう。 これは、信じるか信じないかというものではなく、学びや体験を通して確信に至る過程です。 心にある様々な人生の後悔や悲しみの体験。この心に記録された、チャージと呼ばれる電荷を帯びたストレスの源を解決するよりよい方法があります。 「ダイアネティックス 療法」です。 私は、アメリカの医療ジャーナリストの書いた本から、これを見つけました。実際体験もしましたが、私の印象では、現代最も先端にある心の技術だと思います。私が学んできた心理学によるカウンセリングを遥かに凌駕しています。 私は、是非お勧めします。 だれでもが受けられます。 http://www.nouryokubunseki.com/?fsm=91
- puji777
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別に感情を処理しようとか思わなくてよいです。 泣きたければ泣けばいいし、カラオケで騒ぎたいならそれも。 反省したいなら好きなだけすればよい。 結局のところ感情的になっているので、時間が経過したり、 何かやることがみつかったり、日常の生活や仕事が多忙で 忘れる時がないかぎりそんなもんです。 私も双子の姉が2月中旬に、もう片方の姉は3年前の1月に 両方とも心筋梗塞で急に亡くなりましたが、 最初は立ち直れないほどのショックを受けました。 ましてや、その日の夕方まで顔合わせてましたからね。 歳をとればとるほど、そういう親族が無くなる事もあるだろうと、 自分にいいきかせて納得しましたが。 今は処理しなくて、好きなようにすればよいかと。
お礼
最後のお見送りが終わったこともあってか、少し落ち着いてきています。 それに、ありのままでいたほうが今天国にいる祖母も安心してくれるかもしれない。 今も見守ってくれているだろう、きっと。 そう思うと、自分のしたいことに集中できそうな気がしてきます。 ありがとうございました。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
自分を可愛がってくれた祖母への想いがよく伝わってきました。 あまりにも突然のことだったので、余計にいろんな気持ちが湧いてくると思います。 私は66歳のおじさんですが、回答1の方の書かれている通りだと思います。 Yo_meguruさんはお若いのでしょうね。ですから、このような経験が少なく、ショックが大きいのは当然です。 私の年齢になると、祖父母はもちろん親、親戚、友人達がどんどん亡くなっていきます。 特に親しかった友人がこの世を去ったときは、寂しさはかなりですが、自分もいずれはそちらにいくので待っていて欲しいと伝えています。 ご質問の最後に「この感情、処理するにはいったいどうすばいいのでしょうか?」とありますね。 これは時間です。年月以外にあなたの悲しみを和らげてくれるものはありません。 これからもおばあちゃんへの感謝を抱いて日々を大切にしていってください。
お礼
実は親族を失うのはこれが初めてというわけではないのですが、 今回の場合リハビリを終えて退院できたらいいな、と思っていた矢先のことだったせいなのでしょうか。 すごく重いものに伸し掛かられたような感じでした。 今は少しですが、落ち着いてきています。 会えなくなった悲しみは少しずつ捨て去りつつ、 一緒に過ごした素敵な思い出をいつまでも忘れずに心に留めておきます。 ありがとうございました。
- kpkn
- ベストアンサー率22% (42/190)
>今際の際、数日の間に会いに来なかった自分を悪く思っていないだろうか? お婆ちゃんの笑顔が嘘だったとでも? お婆ちゃんはお爺ちゃんと会って、今は人生の報告で忙しいことでしょう。 私も前夫を亡くしました。 会えば子供の成長録から話しましょうか。 貴方は何も失っていません。 経験が一つ増えただけです。 その経験を活かし、もっと強くなってもっと優しくなりましょう。 貴方が彼岸へ行く日まで瞬く間です。 胸を張って渡らねば溺れてしまいますよ。 また会う日まで、少しだけのお別れです。 優しい子ね。 元気だして下さい。
お礼
そうですね。 祖母がそうしてくれたように、自分も将来は孫に優しいお爺ちゃんになろう。 そしてずっとずっと後に向こうで祖母に出会えたら、 色々経験したこと、話せたらいいなと思いました。 ありがとうございます。
お礼
実を言うと、同じく祖母の孫である上の従姉が妊娠していたりします。 もしかすると、今お腹にいる子は祖母の来世なのかもしれない。 最期を看取りましたが、あれは古い肉体を捨てて新しい肉体に宿る瞬間だったのでしょうか。 いずれにしろ、精神までは消えてないというのは自分も同感です。 テストの方も時間を見つけて受けてみます。 ありがとうございました。