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カラー映像世代~1980年の東京の若者たちって
- 1980年の東京の若者たちの生活を鮮やかなカラー映像で見ることができるYouTube動画を紹介します。
- 当時の東京の若者たちはまるで別の国の人々のように見え、衝撃を受けるかもしれません。また、今から30年後の若者たちが今の東京の若者をどのように見るのか、興味深い問いです。
- この動画を通じて、1980年代の東京の若者たちの姿やその時代の風景に触れ、過去と未来を比較する楽しみを味わってみませんか?
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質問者が選んだベストアンサー
>鮮やかで綺麗なカラー映像が残っている最初の世代と思われます。 回答者は70年代後半に就職した世代ですが、実はこの80年代は動画がフィルムからビデオに変わっていった時期でした。 フィルムでもちゃんと撮れば、35ミリのフィルムで撮影されたいい映画のように鮮やかで綺麗なカラー映像が得られますが、当時のニュース映像はそこまで凝った撮影法ではなく、またフィルムの経年変化による映像の劣化もあって、ご質問のように若い方が感じられるのは無理もありません。(もっと古い画質が劣化したカラーフィルムでも今のデジタル技術で修復すれば相当鮮やかに蘇りますが…) ご紹介されている動画自体はビデオだと思いますが、このなかで2分6秒あたりに登場するおじさんが撮影しているカメラは8ミリフィルムを使うカメラですし、別のおじさんが首からさげている望遠レンズを付けたカメラはフィルムを使う1眼レフです。 30年後、2044年の日本がどうなっているのか予測は困難です。確実なのは社会の高齢化が進んで若者の全人口に占める割合が低下していることです。20代はもとより、30代、40代まで「若者」と呼ばれるようになり、さまざまな負担が増えている可能性が高いでしょう。あの公園で踊っていた人たちもそのころは、正真正銘の高齢者になっていますので、映像を見た孫の世代から「おじいちゃんやおばあちゃんが若かったころはいい世の中だった」と羨ましがられているかもしれません。 ご質問の今のiPhone世代は、30年後の高齢化社会では働き盛りの世代のはずです。携帯電話やメールの普及は、人間関係というかコミュニケーションのありかたを大きく変えましたが、30年後もこの延長線上にあるとすれば、そのころの「年少の若者世代」から別に笑われることはないでしょう。 余談ですが、NHKの「みんなのうた」で「コンピューターおばあちゃん」という曲が初めて放送されたのはこの翌年の1981年です。このおばあちゃんは「明治生まれ」となっていました。1981年には明治の終わりに生まれた人は60代でしたので、明治生まれでパソコンを使っていたおばあちゃんも現実にいたでしょう。森高千里が「青春」という曲で「来週にはほしかったパソコンも買うわ」と歌ったのが1990年、今から四半世紀近く昔です。今から見れば比較にならないほどの低機能ですが、それでも現在のパソコンにつながる当時は革新的な技術でした。30年後もおそらく基本的には同じベクトルの延長上にあるのではないかと考えます。 ただし30年経てば一世代分なので、話が通じ難くなるであろうことは想像に難くありません。「たけのこ」にしても、私の親の世代(大正の終わりから昭和の初め生まれ)にとっては、戦後の食糧難時代に着物などを食べ物に代えて食いつないだ「たけのこ生活」という言葉(たけのこが成長するにつれて皮を脱いでいくことに例えた)が忘れられないと、「竹の子族」が流行語になったころに聞きました。 今の若者で「たけのこ生活」という言葉を知っている人はほとんどいないと思いますし、「竹の子族」にしてもあまりいないでしょう。
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- walktkd
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当時はタケコプターが無くて、電車っていうデカイ箱に赤の他人が一斉に乗り合わせて移動してたんだって! わははははっ!
お礼
ありがとうございました。 空飛ぶ自動車は実現するでしょうか?!
歴史というか人の価値観、世の中、宗教や哲学は30年でガラリと変わります。 まさにいままでの常識今日からは非常識となります。 30年前の1984年、昭和59年。ファミコン、ビデオが家庭に普及してきた頃です。 携帯電話は見たことがありません。電話機の子機やファックスや留守電はお金持ち が持っているという感じでしたね。あとネットもあるにはあったけど おぼっちゃま学校のパソコン部(PC-8801か9801の全盛期)でべらぼうに料金が高い パソコン通信程度でした。しかも内容は2ちゃん程度。画像や動画なんて夢のまた夢。 想像すら出来ませんでした。 パソコンをもっているだけで「お前キモイんだよ」と軽蔑され時代でした。 それからさらに30年前の1954年、昭和29年。白黒テレビが街頭で出始めた頃です。 戦後のゴタゴタも消えてきて日本がこれからの輝く未来に向けて 希望であふれていた頃じゃないかな。映画もカラーになってきて歌謡曲、レコード この辺が娯楽だったのかなあ。 さらに30年前の1924年、大正13年。関東大震災があったころです。テレビはもちろん ラジオすらなく情報は混乱していたのでしょうね。 映画はチャップリンとかの短編とか時代劇かな。もちろん白黒でサイレント。 さらに30年前の1894年、明治27年。日中戦争です。日本には映画も無いんじゃないかな。 電灯も都心部だけで地方での電気はほとんど無かったのかも。 さらに30年前の1864年、幕末。新撰組とか池田屋事件とか竜馬とか西郷さんとかその頃。 もはや伝説で時代劇の世界です。 このように30年で世の中の価値観や思想がガラリとかわりますので 30年後にいま(2014年)を振り返ったら「iphoneなんてダサイの使ってたんだね」と笑われているでしょうね。 そういえば30年前のPC-98や88、シャープのx1や富士通のFM-7が全盛期の頃 アップルIIというパソコンがありました。 フロッピーディスクのゲームでウィザードリィやウルティマといったドラクエの元祖みたいな 画期的なゲームでアップルIIを持っているお坊ちゃま君の家はたまり場になっていました。 全部英語だったけど当時のゲームは国産も英語ばかりだったので英語はそれで覚えた人も 多かったです。ちなみにアップルIIは性能的には当時の国産機の足元にも及びませんでした。 今でもずっと継承されている伝統です。
お礼
ありがとうございました。 (ベストアンサーさんと同じ内容になりますが、) 意外と速く時代は移り変わりますね。 技術の進化が変化のスピードを上げています。 これからの30年は過去30年よりも 大きく変化するかも知れませんね。 秋葉原の街並みは例外的で、過去15年間の変化よりも、 さらにその前の15年間の変化が凄まじかったようですね。 --- 私が60歳になる頃には、 リンク先の映像で踊っている方々の半数は、 既にこの世にいないかも知れませんね。 1990年代の以降の映像は、 劣化しないと思われますので、 なんだか怖いです。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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1980年と約30年後の今を比較しますと… 1:ラジカセ・ビデオカメラなどの機材がデカイ→小さくなりました 2:髪型が聖子ちゃんカットですね→絶滅危惧種 3:シャツをINしてます→ださっ 4:ご老人→奇を衒うような視線は今と変わりません 5:ジューシーフルーツのジェニーはご機嫌ななめ→きゃりーぱみゅぱみゅに相当? 6:衣装が蛍光色→ジャニタレファンのうちわに名残が… 結論:2040年になっても笑われる
お礼
ありがとうございました。 一世代前は常に嘲笑の的かも知れませんね。
- localtombi
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懐かしい映像ですね! 竹の子族ですか・・・ でもこの中から一世風靡が出て、勝俣とか柳葉敏郎とか哀川翔などが出てきたんですね。 亡くなった沖田浩之さんも竹の子出身でした。 で、30年後ですか? アナログからデジタル時代にはまさにエポック的な変化を遂げましたが、これからはデジタルを土台として派生的に変化していくような気がするので、(竹の子族のような)そんなに時代的・年代的なギャップはないのではないかと思います。 根拠は全くありませんが・・・ ただ、街中でも電車の中でもスマホに没頭している光景を30年後に見せたとしたら、何らかの笑いは起きそうです。
お礼
ありがとうございました。 一世代前は常に嘲笑の対象かも知れませんね。
お礼
ありがとうございました。 意外と速く時代は移り変わりますね。 技術の進化が変化のスピードを上げています。 これからの30年は過去30年よりも 大きく変化するかも知れませんね。 秋葉原の街並みは例外的で、過去15年間の変化よりも、 さらにその前の15年間の変化が凄まじかったようですね。