• 締切済み

楽しくない人生

私は大学4年生で、法科大学院に進学したいと思い、勉強をしてきました。しかし、今は進路が決まらず、辛い日々を過ごしています。どうして思い通りに人生は進まないのだろうと、子供じみた考えが浮かんでは消える毎日です。 そして、過去の自分について思い出してみたら、楽しい日々がなかなか思い出せません。小、中学校に在籍していた頃は、とにかく誉められたいと思っていました。クラス委員長をやったり、生徒会長をやってみたり、勉強も一生懸命やりました。親に認めてほしかったし、小学生の時にいじめられていたので、いじめられないように必死でした。 高校は市内でトップの高校に入学しましたが、勉強が全くできなくなりました。成績の順位も、280人中275位を取ったくらいです。本当に出来損ないになってしまいました。親からは成績が上がらないことを快く思ってくれなくて、きつい言葉を浴びせられました。頑張っているだけで何もできていない私に対してクラスメートから「勉強しない方がいいよ」と笑われたりもしました。大学入試も失敗し、浪人しても三流私立にしか受かりませんでした。 こうして、自分を振り返ってみると、自分は他人の目ばかりを気にしていたんだなと、愕然としてしまいました。誰かと遊んで楽しかった記憶よりも、他人の評価に怯えていた記憶の方が多いのです。 こういった事を質問させてもらうと、「認識が甘い」とか、「早く自立して」と言われます。たしかに、私は認識が甘いし、誰かに依存し、責任を擦り付けているだけに見えるかもしれません。しかし、私はずっと他人を過剰に意識して生きていたので、この考え方を変えようと努力しても、なかなかうまくいきません。 ついつい、楽しそうにしている誰かを見ると嫉妬してしまったりして、心が落ち着きません。楽しそうに生きている人も、見えないところで苦労しているはずだから、自分だけが特別不幸であるとは言えないのですが、心の中が落ち着きません。勉強だけやっているわけにもいかないので、バイトをして食費を稼いだりしていても、他人が気になってしまいます。 このような自分はどうしたら変われるのでしょうか?アドバイスをください。

みんなの回答

  • jhonxx
  • ベストアンサー率45% (51/112)
回答No.7

 他人からの評価や価値基準だけで育つと、「自分は○○である」という「自己」が形成できないのでしょう。  しかし、過去の過程の責任者探しをしても仕方ありません。さまざまな人、さまざまな出来事、そして自分自身など、「責任者」を無数に見つけることができますが、自己満足以外に意味はありません。  これからどうするかが重要ですが、実は、これからどうにでもできます。その意味で可能性は無限にあります。人間は、自分がなろうと欲するもの以外にはなりえません。  自分のやりたいこと、自分のやれることから、何かをやってみることです。趣味、スポーツ、本、遊び、勉強、旅行、アルバイト、ボランティアなど何でもよいでしょう。自分のやりたいことを思い切りやった後の充実感を体験してみること。失敗を恐れないこと。生きることは楽しいという実感は、このような体験から生まれます。子供は、子供らしい遊びの中で充実感を感じますが、大人も似たようなものです。  他人は他人、自分は自分です。他人と比較しても、自分が変わるわけではありせん。

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1289/5171)
回答No.6

 イヤな思い出の方が印象に残りますから、楽しい思い出が霞んでるだけだと思います。  20代前半って、将来が不安でイロイロと悩む時期なので、(他人に嫉妬したりするのは)普通だと思いますよ。  結局の所、「自信」をつけるしかないです。  仕事で「キャリア」を積むか、良いパートナーを見つけるか。  そのどちらかが手に入れば、光が見えてくると思います。  キツイ時に自暴自棄にならずにコツコツ努力して、チャンスが来た時に確実にゲットできる準備をしておくのが吉かと。

  • hi-sekai
  • ベストアンサー率41% (274/667)
回答No.5

まずはメンタルを強く持つこと、ハートの強い自分になることだと思います。 心の強い理想の自分を意識して、(気が強い、という意味ではありません。) その理想の自分を裏切らない、恥ずかしくない行動や考えを持つようにすると良いです。 なにかにつけ、「(弱気な気持ちに)絶対に負けない。」と 自分に言い聞かせながら行動すると良いでしょう。 そうすれば周りの目や評価は徐々に気にならなくなると思います。 人の考えや想い、感情などは全て頭が創り出したものです。 そう考えるとこの世の中の多くは頭の中で考えたもの、と言えます。 すべてはバーチャル・リアリティ、仮想現実とも言えます。 その仮想現実をどう自分の頭の中でコントロールしていくか。 それが人生を楽しくするか、つまらないものにするかの分かれ道でしょう。 進学、仕事、恋愛なども、どう考えるかでいくらでも楽しくデザインできるはずです。 考え方のコントロールが上手い人が人生を楽しく過ごしている人でしょう。 そこを究極の目標として、自分はどうすればそのゴールにたどり着けるか。 人それぞれ置かれた状況などで違ってくるかと想いますが、 ちょっとしたことでも明るく前向きな考え方をするクセを付けることが一番だと思います。 入試や資格試験の勉強などしていると、 私も経験がありますが、視野が狭くなってしまい、考え方も狭くなってしまうものです。 とりあえずは、一日勉強のことは忘れて思いっきり遊んでみるなり、 体を動かしてみるなりしてリフレッシュしてみてはどうでしょう。

  • kamo-kyu
  • ベストアンサー率47% (35/74)
回答No.4

こんにちは。 おばちゃんです。 少しだけ、私の話をさせてください。 私は、兄弟沢山だし、いつも人に囲まれて暮らしてきたので、あらゆることが人任せで、30くらいまでは、自分で考えて決断するということが、全くありませんでした。 女性はそれで許された時代で、実際に、一生、それでいけそうな環境がありましたが、これ(人に甘えて生きるだけの人生)ではいけないと、周りと距離を置いて、自分は今後、どう生きて生きたいのか、真剣に問いかけた時期がありました。 考えても、考えても、答えが出なかったので、一念発起して、仕事をやめて、大学院に進学。研究者になるつもりだったので、5年以上、大学院にいましたが、自分と向き合い、自己確立できる、貴重な時間でした。 在学中に、対人の仕事が苦手なことに気づいたので、研究職(教師)は断念して、企業に再就職した後、ある国家資格を取って、今は周りがブルーカラーの職場で働いています。 大学の先輩方や元勤めていた会社の同僚達から見たら、「何やってんだ、あいつ。ばかじゃないか?」と思われそうな生き方ですが、その時々、どうしたいのか、自分自身と真剣に向き合って、出してきた結論の帰結なので、後悔はありません。 何がいいたかったのかと言うと、幸せの基準なんて、人それぞれだし、人生は一度きりのものだから、人の目なんて気にしないで、自分の心の赴くままに生きないと損ですよって。 ずーっと、人の目を気にして、流されるように生きて、人生が終わるときに、「自分の人生って何だったんだろう?(誰のためのものだったんだろう?)」って後悔するような人生って、本当につまらないと思うし、その年で、なんとかしなければと気づけたあなたはラッキーだと思います。 具体的なアドバイスですが、どうか、哲学書や自己啓発の本を沢山読んで下さい。 ベストセラーになる本には、それなりのわけがあるし、良書の中には、よりよく生きていくヒント(ご質問者様の質問への最適な答え)が、沢山あります。 また、若いうちの読書は、必ず、今後の人生の糧になります。 成功した人で、読書家でない人は、いません。 あと、楽しいだけの人生なんて、つまらないし、退屈ですよ。 気持ちの壁や困難を乗り越えて行くのが、人生の醍醐味だし、乗り越えることで充実感や幸福感を得られるのではないかと、私は考えております。 どうか、ステキな大人になってください。

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.3

   新しいことにチャレンジするときは、人は期待と不安で葛藤しながら引くか進むかを決断するわけです。 そういう時に、結局たどり着くのは「ダメだったとしてもなんとかなるだろう。」というある意味の開き直りと、「これだけやったからできるハズ。できないわけがない。自分はなになにを成し遂げた。」とか過去の栄光にすがることでの漠然とした自信によって開き直るしかないのです。ただ、誰しもがそういう成功する世界でないわけで、そういうのに対して自分が本当に成功するかどうかなんて結局わからないわけですよ。まあ、あえて言えば、大学4年生ぐらいなんだからやり直しするに無理な年でもないですし。幸い?にももうある程度失敗しているんだから親の期待もいうほどあるわけではないでしょうから、失敗したらしたで「ごめんなさい」でいいのでは?というぐらい気楽でもいいんじゃないかなあというぐらいでしょう。  ちなみに一番最初の文章は、昔塾でバイトしていた時に講師の先生が言ってたことです。中学生ぐらいだと、その葛藤の期待と不安のうち不安に押し負ける子も多いと。だから講師の役目はその不安に押し負けないように上手く導いてやることだと。学生の時にそういう話を聞いてなんか妙に納得してしまった覚えがあるんですね。「なんだ、自分中学生レベルではないかと?」     まあ要するに、他人の目が気になる度合いってのは誰でもある事なんだと思いますよ。ただ色々考えた挙句にあえて言わせてもらうと、他人を気にする性格っが変わらないなら無理に変えようとしないでそれとをポジティブに変えればいいのではないでしょうか? 過度に気にするということはそれだけ感受性が高いわけですし、そう言う感性で他人をみることができる人ってのは(とくに失敗したことがあまりない人には)少ない気がしますしね。だから、常にそれぐらいの緊張感でも潰されないぐらいの図太い精神力をつけるしか選択しはないのかもしれません。ただ、逆に言えばそういう精神力があればどんなにつらいことや困難があってもやっていける、誰かを守っていけるという自信にもなりますよ。将来的には。  いずれにせよ、将来弁護士になりたいならそういう緊張感と毎日つきあっていかなければいけませんよ?それでもなりたいんですか?文章からはそういう葛藤に弱い自分を自覚しているようですが、逆に言えばそれでもなりたいというなら、それぐらい確固たる意思を持つしかありません。はっきり言ってなりたいものがある。それが、無理難題でないならば、やるしかない、といったことでしょうか? 結局人生一度きりなんだからもし弁護士になって何がしたいとかがあるなら、避けて通れない道だとおもうしかないんですよ。それが嫌ならサラリーマンを目指しましょう。  で、そう言う葛藤に対する答えは強くなるしかありません。ただ、問題は試験に受からないかどうかということであって、これに関してはもっと”具体的に””謙虚に”かつ”冷静に”分析する必要があると思います。要するに点数が取れないのが、勉強不足なのかケアレスミスなのか、なんなのか?勉強不足ならパソコンやってる時間が長いのかだらだらやってるとか、そういうところを冷静に判断することと、それに対策することを徹底してください。「自分は性格が他人をきにするので、、、」とかいうのをそういう部分の言い訳に使うのは全く別の次元の話であるとおいうことを知るべきです。だって、テストで勉強が身についていないか否かというのは理性的な次元での話であって精神的な話を持ち出そうとするから解決にならないのです。学ぶべきポイントが身についているか否かというのがテストであって、それが否ならどうしたら身につくかを全力で考えればいいのです。

noname#180064
noname#180064
回答No.2

子供じみた考えだとは思いません。 普通にサラリーマンも同じように悩んでいる方は沢山いるかと。 出世に頑張ったのと同じだし、人の目を気にする事が悪い事だとも思いません。 バイトをバイトと考えずに 経営者目線で働いてみられたら? 確か吉野家の社長がバイト店員から始まったような。 あらゆる仕事は繋がるので、利益をあげるには?と考えるのも良いかなと。

回答No.1

すごくよくわかります 他人の目とか他人の評価とか、私もすごく気にします。自分でもバカかと思いますw 私も周囲から厳しいご指摘をいただきました。私は一言でいうと「甘い」のだそうです。 結局、後悔することになりました。 でも今の私は質問者様と少しだけ違います。私は今も他人の評価を気にしていますが、評価に怯えることはありません。むしろ、どうやって相手を驚かせてやろうかといつも考えていますww どうだ!すごいだろ! みたいなw バカですよね^_^ 前は私も評価に怯えてました 親とか友達とか先生とか しかしその人たちの評価というのは攻撃に近いものでした。評価する人間というのは結構傲慢だったりします。だから怖かったです。 だからこっちも傲慢になろうと思いました。今は私から他人の評価を求めています。私はまだこんなものじゃない。本気でそう思っています。 でもどうせなら自分の価値は自分で決めちゃいましょう!自分の望むだけの結果を勝ち取りましょう!大丈夫!絶対できます! そしてうるさい周りを黙らせちゃいましょう!そんで思いっきり楽しんでください!!!

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