- 締切済み
自己矛盾を感じます。
私は人に対して「損得関係なしに、心から優しい振る舞いをしたい」という気持ちと、「理不尽に罵り酷く傷つけてやりたい」という相反する気持ちを常日頃から抱えています。 誰かに対し「優しくしたい」と思った時、同時に「傷つけてやりたい」とも思います。相手が精神的に弱っていたりすればするほど、優しくしたい気持ちも傷つけたい気持ちも強くなります。 その度「どうしてそんなことを考えるんだ」と自分自身について強い不信感を抱いてきました。 この自己矛盾的なあり方は思春期特有のものであろうと結論付け今まで放置してきたのですが、私は今年で成人を迎えます。にも関わらず、私の気持ちが変わることはありません。 他人を理由もなく傷つけたいと思ってしまう心を許容することができそうにありません。 どうすればこの性格を矯正できるでしょうか。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
矛盾なのはわかるから、いまの本当の自分をうけいれてみなよ。大人になれば誰も否定しないから。
- haruharu22
- ベストアンサー率19% (163/850)
どれほどのものかによりますが、考えられることは自己抑圧ですね。 幼い頃から色々と我慢しなきゃならない環境で育ってませんか? 親との関係はどうでしたか? 問題を掘り下げていくと、たいていそこに問題があるものです。
損得勘定なく考えたい気持ちも、考えてしまう気持ちも、優しくしたい気持ちも、傷つけたい気持ちも、いやいやそれじゃだめだろと思う気持ちも 全部あなたです、ていうか人間が持ってしまう当たり前にある心、あなたがあなたを否定するから心の中でケンカがおきるのであって、あなたの心にないと思っていてる人殺しの気持ちだって実はある それを自分にはないと思って、殺人のニュースを見て「最低、信じられない」と否定 人間なら全部あって当たり前、それが普通、そう認めるしかありません。 世の中自分にとって都合の悪いことは否定するから争う、しかしそれもまた人間 なんやかんやで全てひっくるめてじゃあどうしたいのよ!と考え新しいものを生み出せるのも人間 成長とか進化ってそれを乗り越えた先にあるもので、常に時代は変わっていきます、常識も変わっていきます 古い人達をみてごらんよ、世間で未だにあれはダメだこれはダメだ騒いで認めることを知らない 少し話しが逸れましたが、優しくしたいと思う自分も傷つけてやりたい自分もその感情が生まれた源にあるのは「悲しみ、寂しさ、孤独」あなたの心に「悲しかった」自分がいるということ なんでそんなこと考えてしまうんだと思う自分というのは、世間や親によって作られた超自我 苦しむのは心を雑に扱われ、ただただ規範や、正当性を押し付けられてきたから あなたの中にいる未だ悲しんでいる自分に気づき、それじゃダメだと押さえつける親を跳ね除け あなたがどうしたいか決め、それを信じ実現(自己実現)させることではないですかね 夢を持ちそれに向かって進んでいる精神状態をイメージしたら分かりやすいかもしれません。 優しくあろうとしてやさしくするのは違うかな、悲しみを理解できるから優しくなれるものだと私は思う。 悲しい経験が多くその心と向き合うことができた人が優しさを身につけていくと思う そのまま悩んで進んで大丈夫だと思う、あなた立派だと思う。
お礼
「自身の中にある悲しみ」についてですが、確かにそういったものが私の奥底に深く根付いているのかもしれません。 自分のこの性質を無理に矯正するのではなく、自分自身についてもう少し考え、悩んで進んで行きたいと思います。回答ありがとうございました。
要するに「相手より優位に立ちたい」ってことでは? 「助けたい」も「傷つけたい」も、相手より上にいるって点では同じですよ。 支配欲も「他人を助けるすばらしい自分でいたい」っていう欲も、まぁ誰しも持つものですよね。
お礼
なるほど。自分自身のこの性質の正体がようやく分かりました。私はただ人より優位に立ちたいだけだったのですね。とても納得しました。何とか折り合いをつけて生きていこうと思います。回答ありがとうございました。
まず、人に対して「損得関係なしに、心から優しい振る舞いをしたい」という気持ちを持っていることに、あなたは自信を持って良いと思いますし、その優しい気持ちをなくしたくないですよね。 それと同時に、「相反する気持ちを常日頃から抱えています。」というのは、あなただけではありません。人間の「性」というのでしょうか?誰にもあります。「性」ですから、本人の意志とは違うものに支配されている面があると思います。どうにもなりません。「例え」は適当ではないし、ぴったり当てはまらないのですが、「他人の不幸は蜜の味」という諺があります。「かわいそう」と言いながら、密かに、喜んだり、楽しんだりする、異なる気持ちがあるということだと思います。 『その度「どうしてそんなことを考えるんだ」と自分自身について強い不信感を抱いてきました。』というのは、すばらしいことです。私のような凡人は、そんなことにも気づきませんし、反省もしません。 「この自己矛盾的なあり方は思春期特有のものであろうと結論付け今まで放置してきたのですが、……」というのは、間違っているように思います。思春期特有のものではなく、人間の「性」に基づくものですから、おそらく一生つきまとうと思います。 「性格の矯正」はかなり難しいし、そもそも、性格からきているのではなくて、人間の本性、あなただけではなく、誰でも持っているものだという理解が必要です。 だから、あえて「矯正する」必要はないと思います。ただ、このような気持ちが生じる背景には、常に「あなた自身との比較」ということがあるような気がします。「あなた自身」と比較をするから「優しくなったり」、「傷つけたくなったり」するのだと、私は考えています。それを少しでも「和らげたい」というのであれば、表現は難しいのですが、人生を「ゆるやか」にすることです。わかりにくいと思いますが、端的に言うと、「あなたの人生ですから、あなたらしく生きる、あなたの気持ちに素直に生きる」ということです。まだ、わかりにくいと思いますが、他人と比較するから、いろいろな感情が浮かんできます。「他人と比較する」ことを止めて、「自分らしさ」というのを見つけて、それに素直に従って生きていけば、「二面性」というのは、少なくなってくると思います。 しかし、私のような凡人には難しいので、「その二面性を否定するのではなく、矛盾を受け入れつつ生きていくことも大切だ」と、私は思います。
お礼
「自分の気持ちに素直になること、矛盾を受け入れること」ですね。今まで自分を矯正することにばかり囚われ、そういったことには考えが及びませんでした。 今すぐにそうすることは難しそうですが、ゆっくりと自分の性質を受け入れていけたらいいなと思います。回答ありがとうございました。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
普通でしょ。うつになって始めてわかった。本当の自分が。
お礼
自分がおかしいのではないかと気が気ではありませんでした。これも人間として普通の感情なのだと受け入れることにます。回答ありがとうございました。
利・・・でしょうか。 自分にとって有利か不利かで考えると自然に生き方が決まると思います。 損得を度外視して生きる事は出来ません。
お礼
人と関わる際、損得を念頭に置いてみようと思います。回答ありがとうございました。
お礼
自己抑圧ですか。確かに私は親との関係があまり良好ではなく、親の兄妹間での態度の差、過干渉と無関心に不満を抱いてきました。そういったことも原因としてあるのかもしれません。それについて少し考えてみます。回答ありがとうございました。