- ベストアンサー
発達障害とは?悩む親たちへのアドバイス
- 子供の発達に関する悩みや感じる違和感について語ります。
- 発達障害について早期発見と専門機関の見解について考えます。
- 周りの対応や理解が改善の近道であることに着目しています。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
仰る通りだと思います。誰にでも発達障害に当てはまる点はあると思います。ですが、学習して行く中でそれを補う術を身につけることができれば、その人は発達障害ではないのではないでしょうか。誰にでもある小さい発達障害に当てはまる点を、いちいち周囲が指摘し障害を疑う必要はないのではと思います。 今はちょっと普通と違うだけで発達障害だとレッテルを貼りすぎですね。子供にも大人にも。明らかに生活をしていく上で困ることがなければ、安易に周囲が「発達障害では?」と指摘することでは良くないと私は思います。 ですが本当に発達障害がある場合、早期に発見しないとニ次障害で苦しむこともありますので、親がよく観察して気づいてあげることは必要でしょうね。私も軽い発達障害で、中学時代からニ次障害で精神科に通い、高校生の頃に診断がつきました。それまでは苦しかったです。 発達障害は先天的な脳の問題です。生育状況などは、関係がないという説が有力です。環境が悪いと擬似的なものはでるようですが。
その他の回答 (8)
- lupan344
- ベストアンサー率28% (1201/4265)
52才、既婚男性です。 単純に、言葉が1人歩きしているだけでしょう。 ただ、一つ注意しなければいけないのは、本当の発達障害であれば、適切な診断を受けなければわからないと言う事です。 あくまで、発達障害は先天的もしくは幼児期の生育に問題あった為におきる脳障害です。 それが、その後の成長により自然に回復するならば、問題は無いですが、適切な治療や生育指導で改善しなければならない症状であれば、きちんと改善した方が良い場合が多いのでは無いでしょうか? 発達障害を疑われるには、理由があるはずです。 それが、性格によるものなのか、脳障害によるものなのかは、専門医が診断すべき事です。 このような場所で質問されれば、回答者は医師では無いので、専門医に相談すべきと回答するしかないです。(これは、ガイドラインにも明記されています) 教師が父兄にそのようなアドバイスをするにも、それなりの理由があるんだと思います。 ただ、そのような判断は小学校低学年のうちにアドバイスされるのが普通でしょう。 早ければ、1年生の後期には判断されると思います。 幼稚園に通われていれば、幼稚園の年長までには判断できるはずです。 診断を受ければ、きちんと判定されますから、その後どうするかは親の判断になります。 特別支援学級に通わせるかどうかは、学校と親の協議によるでしょう。 他の子供の教育に支障がなければ、普通学級でも問題無い場合もあります。 現在は、特別支援学級の生徒数は、ほぼ1.1%です。 多くは、特別支援学級でしか教育出来ない子供でしょう。 私が小学校のころは、名称は特殊教育学級と呼ばれていましたが、同様ですよ。 もちろん、回復した子供は、高学年で普通学級にもどりました。 中学校でも回復不可能ならば、養護学校に進学していたと思います。 問題なのは、診断を勧める事では無いです。 子供にとって適切な教育が受けられるかどうかですよ。 初等教育においては、昔とはそれほど変わっていないと思います。 現在は、情報が広がって、一人歩きしているから、問題に思えるだけだと思います。 発達障害にしても、最近見つかったわけでは無いです。 昔からあるんですよ。 現在問題になっているのは、就業形態がほとんどサービス業になっている為に、コミュニケーション能力が必要とされている為です。 本来は、脳障害で起因している発達障害を単純にコミュニケーション障害の代名詞として使っているから混乱しているんです。 質問文に書かれている事は、一般的に発達障害と判断されるには不十分な事項です。 その程度で発達障害と判断する専門医はいないと思います。 もっと詳細な診断を行うのが普通ですよ。 用語を変えれば良いと言う発想もあると思いますが、もともとがあやふな一般認識であれば、用語を変えてもあまり意味は無いと思います。 また、誤解を生むだけでしょう。 むしろ、発達障害という用語になんらかの差別的意識を持つとしたら、それを言い換えても同じだと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 とてもわかりやすい内容で、なるほどと思いました。 確かに、普通とちょっと違うな?と思う子供は昔からいました。 特殊学級にいることは違うけれど、クラスで浮きやすいというか。 でも、支援が整っている地域と、そうではない地域。 差がありますね。 特殊学級から普通学級に戻れるなど、それなりの支援状況がないとできないですね。 でも、私が言いたい発達障害とすぐいいすぎ。と言うのは、 また少し意味合いが違って、 安易に障害と言う言葉で子供を線引きすることが本当に良いことかどうかということです。 言い方を変えても現状は変わらないかもしれませんが、 発達障害などという言葉で大切な子供を線引きされるのは 親にしてみれば本当に切ないことです。 実際に自分の子供がそのあいまいなラインにいた経験がある人ならわかると思いますが。 差別感情は変わらなくても、言い方が障害とつくのは やはり違うと思うんです。 でも、大きくなって生き辛さを感じるのなら やはり早めにわかったほうがもっと違う人生だったのかもしれないですね。 世の中がいかに普通が良しといてできているか・・・。 周りに理解者がいるかいないか。 重要ですね。 脳の障害と言うのは難しいことですね。
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
人の個性や人格を枠にはめ込むことはとても安易な方法です。日本だけではなく、人間には多いですよね。誰かにレッテルを貼ることは。発達障害といってその人を馬鹿にするような風潮は許されませんね。 発達障害に関して、特に軽度の自閉症などは私達が毎日摂取している食品や化粧品や医薬品によって蓄積された化学物質の影響が指摘されています。生命はその時突然現れるようなものではありませんからね。脈々と積み重なった影響が子供達にいよいよ現れているという側面があるのだと思います。 発達障害に限らず、障害を持つ人間に対してその人の障害をその人だけが背負う責任として負わせられるのだろうか?という問題と向き合うことになるのだと思います。いずれにせよ人間にとっての生命の価値とは、誰かと向かい合うことでその価値を見出せるものでもありますから、向かい合う人が誰も居ないような人には積極的に助け舟を出さなければならないと思います。 助け合いは人間らしい行動の一つだと思いますし、社会性の欠落が経験によって修練されるものなら、早めのサポートが必要にもなるでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 摂取してものが蓄積して障害を起こしているということを 聞いたことがあります。 実際に、自閉症や発達障害と診断が出た子供が多くいた地域で、 長年作っている農作物に使っている農薬が原因じゃないかと言われているところがあったそうです。 私自身も、アレルギーの多発なども農薬が原因じゃないかと思っています。 虫や病原菌などを殺す農薬が、なぜ人間にだけ影響がないと言えるのか、農薬には収穫何日前までOKと言うものもありますが 収穫前日に散布しても食べても良いとされるものもあるのです。 それは葉物野菜などに多いのです。 無農薬で作物を作ってみるとわかるのですが、 虫が付かないで収穫できる葉物は真冬以外は無理です。 虫の多い時期に売られている葉物野菜が全くの虫食いがなければ それは相当の農薬を使って作られているんです。 怖いことだと思います。 お礼内容が逸れてしまいましたが、 脳の細胞がなんらかの不都合をしてしまうことも、 摂取した化学物質の蓄積で、次世代次世代へとなんかしらの影響はあるのかと思いました。
>発達障害とか言いすぎ 同感です。これは特殊な事例かもしれませんが、家は小学校に入学する時の健康診断で引っ掛かり、知的な遅れがあるので養護クラスに入るよう教員から強くすすめられました。IQが普通より低い、言葉をハッキリ話せない、語彙が少ない、手先が不器用などの問題がありました。しかし、生まれて間もなくから病弱(ごくオーソドックスな病気)で、入退院を繰り返していたのでそのせいで遅れが出たのだと思っていたのです。一時的な遅れだろうと。その旨を教員に説明するも、そういうことで知的な遅れが出るなどとは聞いたことがないと言い、子供の障害を受け入れられない親であるかのような扱いを受けました。 それで私も随分心配したものですが、結局は取り越し苦労で知的遅れどころか県内でも有名な進学校に合格できました。しっかりしたのは、4~5年生あたりです。 確かに、小学校入学時点では遅れていたのでしょうが、養護クラスというのは普通よりも授業速度が遅く教わる教科も違うようですから、言われるがままに養護クラスで勉強していたら今日はあっただろうか、入学時点での遅れを取り返すことはできなかったのではないだろか、という気持ちはあります。
お礼
回答ありがとうございます。 たぶんにして、今の教育現場が発達障害に対しての対応を求められ、教員も研修など参加しているのかと思います。 でも、その道のプロでもないので、ある項目にヒットする子へ対して、早期に対応と言う形で、遅れなどを指摘するのだと思います。 それで救われる子もいるかとは思いますが、 多くは成長とともに改善するであろうことまで、発達障害扱いをしているのではと思います。 障害という言葉を言われて、ショックを受けない親はいないと思います。 発達障害と言ういい方も悪いのです。 回答者様のお子様は、親御さんの対応もとてもよかったのではないかと思います。 私自身、自分の子供が指摘された経験がありますが、 そう思って焦っていた時期は、そうだとしか思えないことばかりでした、 でも私自身が子供の個性を理解して、否定しないで 良い部分をより引き出す接し方をするようになってから 見る見るうちに成長していきました。 周りの対応も大きいと思います。
- mink6137
- ベストアンサー率23% (595/2500)
>すぐ発達障害とか言いすぎじゃないですか? あなたのおっしゃることに全く同感!!です。
お礼
ありがとうございます。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
発達障害は「障害」とつくから、煙たがられますが、要は少数派なだけです。メガネをかけている人が、世でものすごく少なければ、先天性であり、眼球のいびつさや焦点の合いにくさなどからくるのでよほど障害というのが似つかわしいでしょう。微細な色盲にしても、その人たちの方が数が多ければ、逆転するのです。 人に対して、気を遣わないのが美徳の世の中であれば、アスペルガーは完全体です。合理主義の世代に進めば、それの方が多くなるかもしれません。学習障害も苦手が度を過ぎればヒットですし、セロトニンの制御がどう支配するかで人の価値観は変わります。 私は発達障害の息子を育てていますが、知れば知るほど、みんなかすってます。
お礼
回答ありがとうございます。 ほんとうに、障害と言ういい方が良くないのだと思います。 たとえば『エジソン個性』とかいういい方なら、 親の希望も違ってくるのかなと。 発達障害とか名称つける人は、自分の成長に全く不安もなく 自信満々に自分は普通以上と思っている人なんでしょうね。
僕も子供が発達障害なのかと妻と言い争ったことがあります。 妻は病院へ連れて行き、可能な限り治療する(投薬も含め)という考えを持ち、僕は個性として見守るべきではないかという話をして何度もぶつかったことがあります。 専門医療期間はとても混んでいますしすぐに結果がでるものではなく長期的に経過観察という形で微妙な感じです。 本当にはっきりと発達障害と出る子なんて少ないんじゃないかな。 先生方のアドバイスも病気なら特殊学級へというような感じはあります。 「なんとなく普通と違う?」というだけで発達障害としてしまうことに僕は違和感があります。
お礼
回答ありがとうございます。 たぶん奥様は、周りからの特異な目を避けたかったのかと・・。 子供が発達障害と言われた場合やその心配を指摘されたとき、 夫より妻のほうが衝撃が大きく、また受け入れも早いかと。 一般の家庭は夫は外の世界に自分の場所がありますが、 妻は仕事があったとしても子供とは密着度が夫よりは多く 自分の一部と言う思いもあります。 専門機関は本当に今は混んでいるそうで、かなりの順番待ちらしいです。 私も1年生の時の担任が熱心で、一緒に専門機関についていこうとまで言ってくれました。 何度も電話などで話を重ねました。 申し込みをして面談をする直前で、子供じゃなく私だけで話に行きました。 相談電話なども利用しました。 いくつか話をしてみて分かったことは、 子供の相談に乗ってくれる人は、自身の子供にも心配なことがあったという人が多く、 話をするうちに自分の子育てを思い出して後悔している人もいました。 救えたかもしれないのに救えなかった想いを、 自分じゃない誰かを救うことで癒しているんだなとも思いました。 抵抗感がある理由は、『発達に障害がある』という言い方だと思います。 だれもが子供にはすくすく順調に育ってほしいと願うのに、 人生の節目の時期に、「あなたの子供は発達にしょうがいがあるかもしれません。検査したらどうですか」と言われるわけです。 丈夫で元気ならそれでいいと思っていたのに、 普通の子じゃないんだと突きつけられるのは、ショックです。 でも、確かに育てにくさを感じていたのもある。 ああそうだったのか。障害だったのか。 なら直せばいいね!と楽観できる人は少ないです。 認められない。なんで!?と思うと思います。 その中で、ちゃんと治療と向き合えるかどうか、 やはり周りの対応次第なんだと思います。 うちは6年生になりましたが、1年生の時になんか知らしていたら もっと早くに私の不安も解消して子供を受け入れていけたのかなと。やっと受け入れることが出来たのは5年生の終わりころです。 きっかけの出来事はありましたが、それがなかったら今もやはり育てにくさを感じていたのかもしません。 今はとにかく可愛くて、すごくすごく大事です。 生まれてくれて、ありがとうの気持ちです。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
発達障害の子どもが居ます。きちんと調べてもらうことでその後の事でサポートがされるかどうかも関係します。病院によってはアドバイスを出してくれたりもしますし、学校側はその診断で認められた、認めないけれども、指導の仕方を指示したりもあります。 また、子どもにとって辛い教室から少人数の教室に変えたりとかもあります。我が子は支援クラスに入ったことでのびのびと育ち、落ち着いた環境で勉強をしています。また授業の進行も調整出来ますので、きめ細やかなフォローも多くなりました。 こちらでは、支援クラスのみの校外学習などもありますよ。 問題は親は納得なんですが、親戚など部外者からの声が邪魔ですけどね。特に母親への風当たりは強かったです。私が随分と説明などもしていきましたよ。 子どもにとっての逃げ場所、落ち着ける場所があることも大切ですからね。学校という場所はそういった場所が少ないので。 普通のクラスに居たこともありますが、辛そうな状態も多かったようです。でも、支援クラスに変わることで、落ち着きましたよ。 全体の支援として、指導や親の考え方、それまでの活動内容が他の先生達や学校などに引き継がれていきますので、同等の指導が継続されるようです。学校の先生から聞いています。これがないと,先生によっては、自分は違うやり方で行くなど大きく変化して行きますし、その先生が上手に指導出来たとしても、次の先生には普通の子どもという扱いに成り、サポートが無い状態のまま過ごすことになる危険性も指摘されていましたから。 我が子は全てを支援クラスにしていません。普通のクラスに入り過ごすこともありますよ。 発達障害のことを知れば知るほど、指導方法は他の普通の子どもにも良い影響を与える可能性もありますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 支援対応のしっかりした学校なのですね。 私自身が小学生だった頃、都会の小学校でしたが、 『特殊学級』と言うものがありました。 高学年になると、そのクラスと触れ合う時間があって、 支援クラスの先生とも遊びましたが、 自分たちの担任の先生とは明らかに違って、 明るく伸び伸びとすごく体を使って遊んでくれた印象でした。 でも、私自身はおとなしい性格だったので、 話をすると、目に吸い込んできそうな見つめ方や 心の中にまで入ってきそうな話し方が苦手だったのを覚えています。 学級の子供たちはすごく楽しそうにしていました。 普通クラスの先生と支援クラスの先生の違いは 距離感だと思います。 普通は、そこまで関わらずにスルーするようなことを 気が付いて対応してくれるので、指導にきめ細やかさを感じます。 普通クラスでついていけずに置いていかれる子も、支援クラスなら先生が気が付いて、対応してくれるのですよね。 それが普通のクラスでも行われたら、すごくいいなと思うけど、 30人ほどいる子供すべてに一人で目を配るのは無理なことだと思います。 それに、そこまできめ細やかに指導しなくても、 自分の力で考えて伸びることが出来るのです。失敗を成功ととらえていく生きる力があるかないか。 失敗やわからないことをいつまでもこだわりそこから抜け出せないから、あきらめ無気力になっていくのかもしれないですね。 私の子も、たとえばリコーダーやローマ字など、 理解が遅く、ついていけなかったようです。 理解しきれないうちに、授業はどんどん進んでいく。 自身を失い、やる気を失い、どうせ自分なんてとあきらめていく。 そんな状況でした。 2歳下の兄弟がいますが、普通にすんなりこなしていけるのです。 その年齢で受ける授業についていけるかいけないかは大きいなと思いました。 勉強も、上は手がかかりましたが、下は放置してもこなしていました。 下の子は全然心配ないのに、なぜ上はと思っていました。 でも、今は上の子と話すのがすごく楽しいです、色んな知識があって面白い。特に歴史に対して詳しくて、大人よりも知識があるので、「なるほど~」と思います。 下の子は、学年相応の子で、好きなことはゲームなので、 子供としゃべってるな~と言う感じで、それはそれで可愛いです。 上の子の変わっていると思っていたことが、今はすごいなと思うことになっています。 「あなたとはなしていると、すごく楽しいよ!」と何度も言いました。 子供は「でも学校ではふーんでスルーされるんだ」 なんて言いましたが、 「たまたま周りのその話に興味がある人がいないだけで、世の中は広いから、同じこと好きで盛り上げれる人に出会えるよ! 今の狭い世界だけじゃないよ、あなたの未来はたくさん広がってるよ!好きなことは好きなままでいいんだよ!だってすごくいいと思うよ!すごいなって思うもの!」 と言い続けました。 子供は自分に自信を持って、認められる喜びを感じているようで、 私が作る料理に、「お母さんの料理はすごく美味しいよ!何食べても本当に美味しい!今日のおかずもサイコーに美味しいよ! お店開けるよ~!」(いいすぎ?) なんて言ってくれます。 そういわれると私も、もっともっと美味しい料理を作ろうって思います。 認められると未来に目を向けれるのは子供も大人もおんなじですね。 学校を卒業して、社会に出ていくこと。 学びの目的はそこですよね。 社会に出て自分らしく生きていけるのなら。 ちなみに、最近勉強嫌いだった子が塾に行くと自分から言い始め、通ってますが、 塾の勉強は楽しいそうです。 学ぶことが楽しいと思えるのは今の学校では先生が忙しすぎて難しいのかもしれません。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 あなたの考えは、全般的には非常に理知的な考えだと思います。ただ、少し誤解があるかと… >実際は… おおむね、多かれ少なかれ「どの子にも当てはまる内容」ですよね。 ただ、実際に発達障がいの子(高校生です)に接していて「もう、少し早く支援の手があったら、ここまで2次障がい(抑うつ傾向、強迫性障がいなど)に苦しまないで済んだのでは?」と思うことが多いのです。 その子たちの保護者に聞くと「育てにくかった。なんで、この子はこうなんだろうと悩んだ」とおっしゃる。 それでも、それは「子育てをする保護者ならば、誰でも悩む」のです。ただ、問題のあり方の「程度」が違う。 そして、あくまでも「程度」の問題なので、あまり専門的な知識のない一般校の教員で、良心的な人は「ちょっと本人が困っているのでは?」と言うだけでも「専門機関に相談」となる。 反対に、あまり「波風を立てたくないタイプ」の教員は「このぐらい普通ですよ。様子を見ましょう」となったり、変に「自分の教育方針に自信過剰な」教員は「こうなるのは生徒が悪い」と「不当なレッテル貼り」を行ったりする。まぁ、どれも困った対応なのですが… 実際に「困っている子」にとっては「自分は普通」(当たり前ですよね。誰でも自分が基準ですから)ですので、思春期になって「周りから浮いてしまう自分」を客観視して悩みだします。 そこでもまだ、支援の手がないと「どうせ、自分はダメ人間だ」と被虐的なってしまう。 >内容を読んで、「発達障害の検査は受けてみたか」などの回答が多く、 >あー。こうした相談事は、発達障害と思う人もいるんだなと。 それは「言葉だけの情報しかない」からではないでしょうか? 「席に着かないんです」と書かれていても、「どういう風に席に着かないのか」などによって、アドバイスは変わってきますよね。「発達検査」を受けているのならば、ある程度「言葉で抑えることが難しいぐらい席を立つ」なのは、類推できます。 診断でも「発達障がい専門の児童精神科医」が「本人」に会って、様子を見て、話を聞き、心理検査を行い、幼少期を知る保護者からの聞き取りを行った上で数か月後にしか、行えないぐらいですから、「疑い」があるだけでも「療育」を受けてもらいたいとは思います。 子どもに発達障がいがなくても「療育」は益にこそなれ、害にはならないとも思います。 >あの場合は、祖父母が本当に愛情深く子供を受け入れてくれたから >いいとはおもいますが、実際はそうはいかないのでしょうね。 そうですね。「育てにくさ」から「虐待」になり、「虐待からくる障がい」になる子が増えています。 生まれた時からその子たちに「障がいがあったかどうか」はわかりません。 悲しことですが…
お礼
回答ありがとうございました。 専門家の目線で回答くださったので、とてもわかりやすかったです。 成長してからの二次障害。切ないことですよね・・・。 若者が事件を起こした事件の中には、発達障害の二次障害からの事例もあるのではないでしょか。 誰も自分をわかってくれない。自分は悪くない。こんな世の中が悪いんだ。だから世の中の奴らを懲らしめたい。 という、普通では考えつかないような思考が働くのではないでしょうか。 もっと、その子達を理解しようとするまわりの対応があれば違ったのかもしれませんが、実際は親でさえ理解できずに放り出していたのでは・・。また、学力さえつけさせれば自信になるのではないかと、勉強の強要など。 親がそのまんまの子供を受け入れられないと言うのはあると思います。 でも、親もまたコミュニケーションがうまく取れない人も多いのではないでしょうか。 親は子供を産みさえすれば親になれますが、 子供を育てるという事は、とてもとても大変なことです。 親自身も経済力がない人ならば、学力もコミュ力もない人が多く、自分のことで精いっぱいだったり。 また、経済力がある親ならば、自分の仕事が忙しく子供と向き合える時間がないとか。 色んな原因で、子供を療育するタイミングをなくしてしまった場合があるのでは・・・。 なんかしらの事件を起こしてしまった若者は反省する言葉が出てこないと聞きます。親を憎んでいることも。 昔に「おふくろさんに会いたくないのか!」という言葉に犯人が涙して自白するなんて、いう母親の愛情を受けていなかった。 親は憎むべき対象でしかない。 そうなった場合、なんらかのきっかけで不特定多数に憎しみを抱くようになるのでは・・・。 子育てをしていると、子供が周りよりできればうれしいです。 かけっこも、ビリよりも一等賞がうれしいのです。 でも、本当は社会に出て一等賞じゃなくても仕事を持ち暮らしていけるほどの給与を得て、家庭を持ち子供をもうけ、人に迷惑をかけない生き方が出来ればそれで満足なんですよね。 親の思いがどこに向かっているか、 それだけで、発達障害と言うことに向き合えるかどうかが変わってくると思います。 ちなみに、検査をしたら私だってもしかしたら発達障害となるかもしれません。 コミュ力も自信ないですし、勉強もそこそこの成績でした。 いじめにあった経験もあるし、人とうまくいかないこともありました。 でも、結婚して子供をもうけ、夫を支えて子供と向き合って育てています。 この先の人生何を望むかとしたら、今あることに感謝して 子供たちを社会に出していくことかと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 私と考えが似ていました。 実は私自身も高校を卒業したあたりで精神科のお世話になったことがありました。 今思い返すと、どういうわけか人間関係でつまづくことがありました。 仲の良い友達もできますが、 仲が良かったのにいつの間にか悪くなり、果てには無視された時も、何度かあります。 無視するまでに発展する人は総じて気が強い社交的タイプです。 そういう方から見て、いらだつところがあるのかなと思いますが、 はっきりと、「あなたのここがいや」とは言われないので、 なんとなくいやなんだと思います。 思い悩んだことも多々ありますが、 世の中には合う人間も合わない人間もいるという事ですね。 発達障害が全くない人間は、世の中楽しく生きやすいものなのでしょうか? 人とトラブルになったり、うつや引きこもりにはならないのでしょうか? 結局は周りの環境で障害があってもなくても 生きやすかったり生きにくかったりするのかもしれないですね。