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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:東洋人と西洋人~本当の意味で公私を区別するのは?!)

東洋人と西洋人の公私の区別について

このQ&Aのポイント
  • 東洋人と西洋人の公私の区別について、日本人と西洋人の違い、公私の使い分けの厳しさについて考える。
  • 西洋人は公私の区別が厳しいと言われるが、実際には社会的立場による違いがある。
  • 日本と西洋での公私の使い方の違いについて、日本人と西洋人の考え方の違いを探る。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.2

 おかしな言い方にはなりますが、何を持って公私の区別と言うのか、これひとつでも回答は変わってくるような気がします。  同僚と飲みに行く…ということであれば、私が知る限り、オーストラリアは知りませんが、フランスでも、イタリアやイギリスでも、ドイツでもオランダでも、結構足しげく飲みに行っています。そして、飲み歩くということは、やはり日本と同じく、癒しと親睦と情報の面で欠かせないことのようです。  また、わずかな経験で言えば、アメリカの東部でも西部でも、仕事の帰りにちょっと一杯といったお酒もお付き合いしたことがあります。  ただ、日本のように、酩酊状態で「もう一軒」などと終電車ぎりぎりまで飲み回る光景はあまり見かけません。精々、ドイツ人ぐらいでしょうか。ですが、適度で切り上げてそそくさと自宅に帰る…、このことがそのまま「私」を大切にしている証しと言えるかどうかまでは自信がありません。  ただ言えることは、会社員が勤務時間中に喫茶店に陣取って高校野球を観戦するとか、勤務中に私的なネットやツイッターなどに興じるといった日本では多くみられる現象はヨーロッパでは、まるで無いわけでもありませんが、普通はあまり見かけません。また、その結果、自らが仕事を残してしまって残業のタネを作ってしまうということも、かの地ではあまり見かけません。  ですが、これを「公私の区別」をきちんとわきまえた態度と言えるかどうか。わたしにはむしろ、そうすることが彼らの働き易さであり、習慣だとしか感じられないのです。長い夏のバカンス、あれも結局は、適度に働いたら適度に休もうといった彼らの習慣であり、それがすなわち「私」を大切にすることとも言えないように思うのです。  社会的にタブー視される発言をTwitterでちょっと「つぶやいちゃった」だけで、いとも簡単に職場を免職・解雇されるそうな…。それを事実としてすぐ横で見たことがあるわけではありません。ですが、雇用関係そのものがかの地と日本では大きく違っていることを忘れては語れないと思います。  日本はまだまだ永年勤続が基本となっています。社員たちはできるだけいい子になって定年までひとつ職場にしがみつこうとするスタイルです。ですが、彼の地では、雇用側もドライですが、社員側もドライです。解雇は簡単ですが、社員が突然転職するケースも多いものです。そして、昨今の就職難もあるものの、基本的に就職や転職も日本に比べれば簡単です。  ただし、「公私の区別」はともかく「社会的にタブー視される行為」に対してはかの地は大変厳しいものです。ナアナアは許されません。悪は悪、善は善、それだけです。社会的にタブー視される行為はあきらかに悪であり、悪が企業にとってはっきりとマイナスとなって現れる場合には、当然解雇も考えられます。まして、イギリス(イングランド)では、転職時には前の雇用主からの勤務評定が発行されるという中世の習慣が現代ですらまだ残っているのです。こうして、社会的にマイナスな人材は厳しく断罪されてしまうことになります。ですが、これもまた本人の資質の問題であり、「公私の区別」の一例というわけでもありません。  日本の政治家が公私を使い分けて、神社を参拝することも、西洋人には理解不能だとか??…、アメリカ、ヨーロッパともに、要人が公私を使い分けることがまるで無いわけではないように思います。ですが、一国の総理大臣が公私を使い分けて、神社を参拝することは東洋人のわたしにも理解できません。  アメリカでは担当事件の捜査途中で定年退官した刑事が、私人捜査を続けて犯人検挙させたヤツがいたそうな…。詳しい事情は知りません。ですが、アメリカでは、定年退職した警察官がいわゆる探偵として捜査をすることはよくあるケースです。もちろん誰でもがすぐ私立探偵になれるわけではありませんし、業務にはいろいろな制約が課せられているようです。  ですが、たまたまその制約の範囲で、現役時代に得た情報を生かして犯罪解決に寄与するということは不可能ではないと思われます。私立探偵が正規の認可によるものであるなら、公私の問題も無いものと思います。警察に限らず日本でやったら大問題になります…、それは当然です。日本にはこうしたシステムが認知されていないからしかたがないのです。  「私人としての言論の自由なんてなくなる」…、そうかもしれませんね。何を言おうと、どこで言おうと、とかく曖昧で、大らかで、なんの障害も生じないこの日本、fuss_min 様には世界で一番住みよい日本かも知れません。アメリカは自由の国、ですが、万人にとっての自由を尊び保証するのであれば、一部の不穏分子の自由に制限を加えなくてはならない。ましてや、多種多様な人種や出身国、言語、社会思想、宗教、これらを出来る限り一本にまとめようとするかぎりは、かなり厳しいコントロールが必要となるのは自明の理です。自由の国アメリカはそれゆえ自由を謳歌できる国ではありません。  その点ヨーロッパは幾分不穏な発言にも大様なように思います。ただ、意見百出、多少過激なことを呟いても「おのれのユニークな意見」ただそれだけ。誰も注目なんかしてくれませんよ。そして、それですべてがうまく回転しているのです。グズグズの日本から見れば恐ろしくなんかありませんよ。

その他の回答 (2)

  • ape_wise
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回答No.3

「日本人」はこうで「西洋人」はああだ、のような議論は大抵ウソですから、信じない方がいいですよ。 日本人だけでも1億人以上いる。西洋人は欧米だけでも10億人前後いる。 それほどまでに大勢の人たちをそんなに単純に分類できるわけなんかない。 その手の議論をする人って、多くの日本人は海外の事情を知らない、自分だけがそれを知っているという前提で、西洋の人は日本人と違って~みたいな大風呂敷を広げるのです。 もちろんそんなわけがない。ちょっと知っている人ならすぐにウソデタラメだって分かる。 米国で公私混同した人の代表例はEdward Snowdenね。彼は職務上知り得た秘密をばらして一躍有名になった。本人はいいことをした気でいるけど、それはあくまでも個人的な判断基準によるものです。

fuss_min
質問者

お礼

ありがとうございました。 だけど、スノーデン氏がいなかったら、 質問サイトで米国批判をしている私だって 命が危ないかもしれない。 米国だってスノーデン支持は多いでしょ? 車で逃げる強盗犯を車で追って捕まえた一般人が、 道路交通法違反で逮捕される国が現代日本だ、 と非難した政治家が昔いた。 あなたの理論だと、車で追った方が場合によって重罪になる。 おかしいと思わないだろうか?! (他国だったら逆にヒーローになるかも知れない。) そういう国民の生命に関わる重大事項については、 『公私混同』という小さな問題を 遥かに超えたところに議論の価値がある。 私が言う『公私混同』とはそういう事ではない。 私とあなたとでは、同じ日本人でも、 『公私混同』の捉え方に大きな違いがある。 しかしこれは文化の問題ではなく、 言葉の定義、思考の違い。 あるいは双方の読解力の問題かもしれない。 当質問は【仕事と関係ないプライベートな発言】により、 仕事を解雇されるということについての話題だ。 私は西洋に住んだことはないから、よく知らない。 そう質問に書いたはず。 誰が知ったかぶりを鵜呑みにしたか? しかし、一つ言えることは、少なくとも、 【仕事と関係ないプライベートな発言】で、 米国ほど極端に社会的立場を失うことはない。 解雇を突き付けられる米国に対し、 日本ではせいぜい訓示か悪くても減給なのは、 ニュースを見ればあなたも分かると思う。 まともな読解力があれば。 誰も一億人全ての性質が国籍だけで 決まるなどとは全く言っていない。 そんなハズがあるわけない。 民族全体の【平均的傾向】について話しているのは、 あなた以外の回答者は恐らく理解しているだろう。 一億人以上もいる集団の個人個人の性格を、 国籍だけで推し測るなんで馬鹿なことは不可能だ。 せっかく回答をいただいたのに、 反論するようで申し訳ないが、 言わんとしていることを ご理解いただけただろうか?!

回答No.1

日本人は、子供の頃に過保護ないし母親がベッタリで、 依頼心の強い甘え体質に育つ(その「依頼心」が、日本 的な集団主義に役立っているとも言えるが)。 一方、西欧では子供は突き放されて育ち、自立した 自我を持つ個人主義的な人格に成長する。 海外で仕事をしていると、白人は日本のODAを邪魔しよう として、色々嫌がらせをするが、私は元々が協力隊出身 なので、他の日本国内から出張してきたゼネコンや設計 事務所のスタッフのように我慢したり、すぐ妥協して譲り、 相手にも引き下がってもらおうとしたりせず、相手の事務 所に乗り込むだけでなく、そこでの議論を議事録にして 被援助国の政府高官にバラまいて『こんな妨害されている』 とアピールして相手の業務を逆妨害するなどして散々戦っ たのだが、ホリディのパーティに彼らが招いてくれたのは、 黙して我慢した他の日本側スタッフではなく、私だった。 最初『どんなに批判されるのか』とビクビクして訪問したら、 私のとったあの手この手を面白がってくれて、「お前は 日本人では際立って(out standing)いる」と称え、互いの 過去のプロジェクトの自慢話に興じたのだった(かといって、 その後も戦いに手心を加えてくれる事はなかったのだが)。 要するに、日本人は「議論はケンカだ」と考えて、仕事上 のロジカルな議論を情緒的な個人攻撃と混同して、相手 の嫌悪につなげるが、欧米人にとって議論とは相互理解 のプロセスであって、逆に日本人的な我慢や遠慮、沈黙 は金、後ろ姿で語るなどといったマナーは、『何を考えて いるか分からない』と気味悪がられる=典型的な日本人 への評価につながっているのだ。

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