質問者さんのおっしゃる「説明の際にうまく(効果的に)説明しようとする傾向」とは、具体的にどのようなことを指しているのでしょうか。
直接当てはまらないようなことにも、「説明」の内容が当てはまるようにこじつけたり、「特殊」な事例をあたかも「一般的」「普遍的なように取り扱ったり、というようなことですか?
もしそうであれば、それは「科学の考え方」ではなく、科学の方法論を装った詭弁、似非科学です。
それは、素人や門外漢はだませても、本当の科学の論理的思考を持ってすれば論破、あるいは反証できることだと思います。
そうではなく、逆に「1つの理論で、いろいろな現象を統一的に説明しようと試みる」というアプローチ、たとえば「光速度一定の原理」から出発して全ての現象を説明しようとする相対性理論のようなものに対してそう考えているのだとすれば、それは「うまく(効果的に)説明しようとする」ということではなく、「統一的な理論で全てが説明できないか」という「仮説」の提示です。
「あの現象はこの理論」「この現象はこっちの理論」といった「八百万の理論」ではなく、この世は統一的な一つの理論で説明できるはず、というアプローチの中で、「理論の不備を、都合よくつじつまを合わせるための説明」のような説明をしている例は確かにあります。いろいろな素粒子の存在を仮定したり(ヒッグス粒子だとか、ニュートリノだとか)、宇宙の成り立ちに「超ひも理論」だの「インフレーション」といったものを持ちこんでいるなど。
もしそういったことを指しているのだとすると、それは「統一理論完成までの、いろいろな試行錯誤のなかで提示された仮説」ということであって、決して「うまく(効果的に)説明しようとする傾向」とは違うと思います。
一つの仮説が、いろいろな現象をうまく説明できれば、それは正しいのです。本当に正しいかどうかは、いろいろな実験や観測された事実で検証あるいは反証されて行くのです。その仮説が正しいと分かれば、それがどうやって成り立つのか、因果関係をさらに深めていけば、統一理論に到達できる可能性があるのです。
これは「うまく(効果的に)説明しようとする傾向」ではなく、その仮説の提案者が「その仮説で、広く一般的に説明できることを主張する」ということです。世に公表して、第三者の検証や反証を呼びかけるのです。「広く一般的には適用できない、特殊な事例」であることがわかれば、何の価値もないので消えて行きます。
質問内容が不明のため、私なりの「仮説」で説明してみましたが、違っていたら無視してください。
お礼
早速の回答ありがとうございました。
補足
--「1つの理論で、いろいろな現象を統一的に説明しようと試みる」というアプローチ、たとえば「光速度一定の原理」から出発して全ての現象を説明しようとする相対性理論のようなものに対してそう考えているのだとすれば、それは「うまく(効果的に)説明しようとする」ということではなく、「統一的な理論で全てが説明できないか」という「仮説」の提示です--ということですが、もちろん、そういう趣旨の質問だったのですが、こちらの舌足らずでした。 --いろいろな現象を統一的に説明しようとする--ということですが、説明に成功した時点で(目的を果たした時点で)、説明行為が効果的だったと言えるのかなと思うわけです。 なお、効果と言うとき、科学技術において効果的であることが優先されて、人類の幸福を破壊するような兵器が作られていることと対比して、両者の効果的な方法が質的にどのような異なるのか、それとも同根のものなのかを考えているところなのです。 やはり、前者の方法については「うまく(効果的に)説明しようとする」ということではないのかも知れませんね。