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大一番は何故「天王山」か

よく勝負の大一番で「天王山」とか「天王山決戦」とか言いますよね? もちろんこの由来は知っています。 しかし天下分け目なら「関ヶ原」だと思うのですが? 何故「関ヶ原」ではなく「天王山」を使うのでしょうか?

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  • born1960
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回答No.1

 天王山の戦い(山崎の戦い)は明智光秀が本能寺にて主君織田信長に謀反を働いて討ったのが1582年6月21日です。その一報を聞いて備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉軍が、明智光秀を討ったのが7月2日です。そして結果論かもしれませんが織田信長の跡目を継ぐことになりました。たった2週間足らずの出来事です。そこにドラマチックなものを感じませんか?2週間前には羽柴秀吉は跡目を継ぐだけの立ち位置じゃなかったと思います。  関ヶ原の戦いは、戦い自体は1日で決着したみたいですが、そこに至るまでに何年もかかっています。 主な目的が徳川の豊臣排斥でした。要するに跡目争いではなく、すでに徳川は強かったんですね。そこにはたとえば大河ドラマならそこに至るまでのドラマを事細かく描き、クライマックスで「関ヶ原」を持ってきて「こうして徳川家は征夷大将軍となりました」みたいな落ちで終わるというパターンが成り立ちます。  しかし、仮に豊臣秀吉の伝記をドラマとするならば、天王山は物語の中間地点の山なのでしょう。本当に面白いのはそこから先だと思います。  関が原は確かに天下分け目の戦いだったでしょうが、ほぼ徳川方の勝利は見えていました。天王山はその戦いが怒るに至るまでがあまりにもドラマチックだからだと思います。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

その他の回答 (2)

noname#192754
noname#192754
回答No.3

あとは、大一番は、”山場”であるからです。 原っぱは洒落にもならんからですよ。

azuki-7
質問者

お礼

関ヶ原も山場ですよ

  • hideka0404
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回答No.2

それはね、織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が戦った山崎の戦いでは、この山を制した方が天下を取ることになるとして「天下分け目の天王山」という言葉で表現されたことにちなみます。 この山崎にある山が「天王山」です。

azuki-7
質問者

お礼

知ってますよ

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