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結局ないものになるのに

親からあんたは何やってもできない子って言われ続けてきて やりたいことあって頑張ろうって思えたのにそれも否定されて 自分なりに頑張ってみてるのにそれも知らずに努力したことあるか?なんて 楽しいことも嬉しいことも努力したことも自分が生きた証も、ただの一般人は何も残せないのに。 教科書に載るような改革も、後世まで残るような発明も、一般人には残せないのに。 頑張って何になるんですか? 幸せだって死んだらなくなるのに 生き続けて何になるんですか? 人間の最期は死しかないのに何故生きようと思うんですか? 人間は何のために生きようとしてるんですか? 死んだら結局、ないものになるのに。なかったことにされるのに。

みんなの回答

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

生きることに理由などありません。 犬や猫、ミミズなどに生きる理由があると 思いますか。 人間だって同じです。 人間は特別な存在などではありません。 他の動植物と同じ存在です。 人間の特別性など科学的にも否定されて います。 生まれてすぐ死ぬ人も沢山います。 堕胎されてしまう生命もあります。 そういう人達に生きる理由などあったで しょうか。 人間は理由無く産まれ、理由なく生き、 訳も解らず死んでいくだけです。 それは嫌だ、耐えられない、というひとが 色々な理由を付けているだけです。 そして、そういう理由をこじつけた人生の 方が面白い、ことも確かなのです。 ”人間は何のために生きようとしてるんですか?”      ↑ 以上の説明でお解りかと思いますが、客観的な理由 はありません。 人生を面白く生きるための技術として、理由を見いだした 方がいいよ、というだけです。 その理由は自分で探さねばなりません。 誰も探してなんかくれません。 自分の人生なんだから自分で探す他ないのです。

回答No.5

この世の全ては、ただ通り過ぎるだけです。 (と、先日のテレビ番組の中で、先住民の言い伝えの言葉としで紹介されていました) だから、名前を残そうなどと思うのは、自分に自信がないからだとも。 教科書に名前が載ったとしても、100年後の教科書にも果たして載るのかなど分からない。 書かれている事は分からない訳でもないが、何もしない、したくない・・単なる言い訳の様に聞こえます。 そうそう、教科書に載る様な人は、教科書に載る様な人生を送ろうなどと思った事はないのでは? 自分の役割を一生懸命に行っただけ・・ そう、一生懸命に生きた結果と思います。 あなたは、今まで、一生懸命に生きましたか? そこから・・の様に感じます。 >>親からあんたは何やってもできない子って言われ続けてきて だから何? その程度の事、覆せば良いだけ。 >>やりたいことあって頑張ろうって思えたのにそれも否定されて これまた、だから何? 否定されたくらいで諦めたの? 結局は親を説得出来るだけのもの、熱意も本気度も無かったと言う事では? 今からでも遅くはない。 つべこべ言っていないで、行動しましょう。 親元を離れることから、物理的にね。 そして、親離れ・・巣立ちましょう。

noname#196134
noname#196134
回答No.4

>人間の最期は死しかないのに何故生きようと思うんですか? 人間は何のために生きようとしてるんですか? 人間限定に考えるから分からなくなる。 種は種を絶やさないために生きます。

回答No.3

何だか「どっちが先やねん!」と言われそうなのですが、あなたが生きている(=何かをしようとした)時間の中で、たとえ漠然としたものであっても、または一見して無謀・無茶に思えること、あなたの周囲が否定や反対したことであっても「これをやってみたい」という「意志」をあなた自身が持った、という事実こそが一番、尊いと私は思います。 「何かの『偉業』を達成すれば自分の死後にまで何かを残せる」とか「死んだら何も残らない、『偉業』をなした人でなければ死後に何も残してもらえない→だから成功しない限り、頑張っても意味がないのではないか?」というのは一見もっともらしく思えるのかもしれません。しかしたとえ世界を変革するような「偉業」を達成したとしても、それをやった人自身もいつか必ず死にます。ですがその人が生前にやったことや生前に周囲がその人に与えた賞賛が本当に真実や永遠のものなのでしょうか? このたとえが適切かどうかよくわからないのですが、アリストテレスは彼が生きていた時代であれば最高の学者とされていたでしょうし、その後数百年の中世期にも学問的権威とされていました。しかし彼が論じた科学の範囲でいえば(少なくとも物理学に関して言えば)間違いが多くて、現代の科学者でアリストテレスの名前を持ち出して研究の論拠とする人はほとんどいないと思います。 つまりその本人が生きている間(またはその後のしばらくの時間)に受ける称賛や否定や評価なんて、もっと長期的に見たときに顕れてくる『偉業』の評価や誤りの修正にはあまりあてにならない、ということです。 では何のために「頑張る」かというと、結局は「自分のため」で良いのです。こう言うと「そんなのは『自己満足』じゃないか!」と言う人もいるかもしれません。しかし(不幸にもあなたは親御さんに否定的に言われてしまったのかもしれませんが)少なくともあなたには「自分がやってみたいこと」に気がついて、そちらに向かって進もうとした瞬間があったはずです。そのときの満足や希望だけで十分に「生き続ける」理由になると思います。それだけではなく、そんな個人的でささやかな『自己満足』が本当に世界や歴史を変える可能性だってゼロではないと思いますよ。ビートルズだって最初に4人(または他のもうひとり?)が集まってバンドを始めたときには「世界を変えよう、歴史に名を残そう」ではなく、「音楽をやりたい!」という程度の動機だったんではないでしょうか? 今見えているものが世界の全てではないし、今までに周囲から言われたことが自分の全てを決めるわけではありません。「人間の最期は『死』しかない」からこそ「自分(の人生)にため」に生きてみる、というのがとりあえずの回答です。

  • quidaole
  • ベストアンサー率49% (98/197)
回答No.2

 「お前の存在は無意味だ」という言葉に「NO」というために生きてます。  教科書に残らなくても後世に名を残せなくても、誰かの記憶や自分が受け継いだものを誰かに残して、間接的にでも目に見えなくても自分の中と外に何かを残すために。  人に必要とされる限り居場所があって、自分を覚えてくれている人がある限り誰かを信じることができて、何かを失くしても幸せな過去や未来を思って歯を食いしばって生きてます。  死ぬことで何もなくなるならいっそその方がまだましだと思えることもあって、だから死ぬときはその時より楽になれると思えるなら、今ほんの少しだけ頑張ることもできてます。  他の人の事は判りません。自分の事だって半分以上は判りませんし。なので残念ながら人間は、なんて大それたことはまだ私には言えそうにないです。  それでもこれまで生きて来て、地球にある全てのものに限りがあり、みんなでそれを分け合っている限りは自分が失う事が誰かが何かを得る事に繋がるようになっていて、悲しい場合も嬉しい場合もある、という事はぼんやりと分かりました。  潮の干満のようにピークに達した時加速度がゼロになる一方で、プラスマイナスゼロになった時実は加速度が最大になっていて、どん底から這い上がろうとする人の想いが道を切り開いたというのは、そんな潮の干満と同じことなのだという気がします。人の在り方と世間的な評価も一致しないという事も、そういう事なんじゃないでしょうか。  昔むかしに十字架と一緒に他の人の分まで罪を背負っちゃった人もそうだったんじゃないかと思います。きっと同じように考える人は今も昔もたくさんいて、だからその人やその人のお父さんの残した言葉や教えが今も「背筋伸ばして生きようぜ」って言っているように思います。  まあ自分が思うだけの事ですし、何かあったらひっくり返るような拙い儚い考えですが、今「こうじゃね?」って差し出せるようなものっていったらこんなことです。お目汚しですが、参考程度に。

回答No.1

俺たちに出来るのは、後世に笑いあって暮らせる子供達を残してあげることだけだよ。それは、人生に悲しみ抜きでは、考えられないことだともわかってのことだとも十分わかってのことだけどね。

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