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人は「生きていていいよ」と言われなければ…
ある漫画で、こんなセリフがありました。 「人は誰かに『生きていていいよ』と言われなければ 生きていけないんだ。」 最初は、ん?と思いましたが、よく考えてみると 実際にこの言葉を言われなければというわけではなく、 生きることを認めてもらわなければ…ということなんじゃないかと 思いました。 たとえば、誰かに頼りにされるとか、必要とされるとか。 自分の存在価値を他人に認めてもらわなければ生きていけない ということなのかな?と思いました。 で、質問なんですが、人が生きるために絶対的に必要なものって 何があると思いますか? (食料やお金など、物理的なもの以外でお願いします)
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ざっくり言えば、人として生きるのに必要なのは「絆」です。 動物として生きるだけなら要らないかもしれませんが。
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- haiji1996
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自信、自立した精神ですかね。あと、基本的人権。 自分の存在を、他者に認められ受け入れられる事を必要とする人がいるのもわかりますが、 その一歩先に進み、自分で自分の存在を受け入れ認められたら、完璧な自信があれば、他人の承認を必要としません。 自分に対する無条件な愛、かな。 私は、旦那さんからもらった無条件な愛により、自分を無条件に愛せるようになりました。だから、自分の存在価値は、他人の評価、承認とは無関係なのです。 でもこういう自信を確立してない人が多いから、やたら人に自分を押し付けたり、人に何かを強要する人が多くて、うざいです。職場の嫌いなおじさんから、3通も個人的なメールが来て、無視したからわかってくれたかと思いきや、今朝出社したら、私の机の上に手書きの手紙が置いてあって、超しつこい&気持ち悪い。『私は貴方が嫌いなの。これ以上メールや手紙をくれたら、社長に訴えます』ってメールで言ってやった。。奥さんも子供もいる人なのに、何で私にそんなこだわるのか気持ち悪いです。別に求愛とかじゃなくて、自分の存在を押し付けてくるんですよ。うざすぎ。 還暦過ぎてるのに、自信と自立した精神がない人は困りますね。。こう思う私って、冷たいかもしれないけど、間違ってないと思うんだけどな。。
お礼
ありがとうございます。 自分自身への無条件の愛…。 とても難しいような気がします。 誰だって、自分が一番だと思いますし、 なんだかんだで自分に一番甘いんだと思いますが、 (少なくとも私は自分にめちゃくちゃ甘いですw) それと同じくらい、自分自身が嫌いという感情もあります。 自分の全部を否定はできないけど、認めることもできない。 だからこそ、他人からの評価を気にしてしまうんだと 思います。 それこそ、そのウザいおじさんのように、 自分を押し付けたり強要したりすることで、 自分自身を認めてもらいたいんじゃないでしょうか? …やり方大分間違ってますけど。 もっと自信を持って生きたいものですね。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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人間とは、「人」の「間」に生きる生き物、「絆」とは、「糸」でがんじがらめではなく、「半」分張った緩い繋がり。 ギリシャだかローマ時代だかの昔、皇帝か誰かが、「人は本来何語を話すのか」というおかしな疑問を持ち、赤ん坊を集めて一切言葉を掛けないで育てるという実験をしたら、全員死んでしまうという残酷な結果になったそうです。 ホントにあったか事か眉唾ですが、人間の真実を突いている話だと思いました。 愛であれ憎しみであれ友情であれ、何かしらの絆によって人は生かされ、その絆が人間のすべてと言っても過言じゃないと思います。 心とか魂とかってのは、人と人との間にあるもので、個体である肉体によってひとつの心や魂を形成してるように見えますが、本来、この世に昔から受け継がれてきた「千の風」が、たまたまひとつに集まったつむじ風が自分なんだと思います。 ・・・新興宗教でも作ろうかしらw
お礼
二度もありがとうございます。 なんだか、ちょっと宗教くさい感じですねw でも、おっしゃってることはわかります。 人と人との間の何かしらの関係、感情、いろんなものが 「人間」というものを形成しているのかもしれませんね。
- LOLIPON35
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他人はいなくても、動物としては生きられる…。 絶望しないための希望、生きるための希望があれば。 一人でないなら、そこにいる他人が敵でも味方でも、 生きるモチベーションになるのかもしれませんね。 それが絆だったり、希望だったりするのかと思います。 ANo.3の方に、もう一票。
お礼
ありがとうございます。 人は一人では生きられないってことですね。 どんなに他人との関係を断ちたくても、 完全に切り離すことはできないでしょうし、 仮にできたとしても、「人間」らしい生活は 送れないのだろうと思います。 本当にこの世に一人きりになったら、 生きていたくはありませんからね。
- roku1001
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3月11日にね、福島の浜通りにいて、いろんな偶然や運が良くて 津波に巻き込まれなくて東京まで帰って来られたんだ。 で、その道中にあった、沢山の偶然な幸運の話を友達にしたらね。 「そりゃ、お前、なんかの力に生かされてるんだ。まだ生きていろってね。」 って、言ってくれた奴に、3ヶ月後に死なれた。 きっと、そいつは、自分の病気が末期だったこと知ってたのに、 それを俺には言わずに、俺が興奮して帰ってきたことを喜んでくれてたんだな。 耳の底に染み付いてるよ、で、今では信じてる。 「俺は、なんかの力で生かされてるんだ、まだ死ぬ時じゃない。 その時が来れば自然に解るんだろ。」ってね。 たぶん、生きるのに必要な気構えなんて、きっとそんなもんだ。
お礼
ありがとうございます。 そういう偶然が重なると、自分は生きなきゃ いけないんじゃないかと思わされますね。 よく、亡くなられた方の遺族や知人の方が、 あの人の分まで生きよう、頑張ろうというようなことを 言っていますが、そういうのもまた、生きるための 力になるのかもしれません。
>人が生きるために絶対的に必要なものって 何があると思いますか? 私はあちらこちらでこのことをいつも言っていますが、それは「プライド」ですね。これが無ければ人間は生きてはいけません。一番重要なものだと思います。人間以外でも高等動物には大なり小なりこれがあると思います。 >誰かに頼りにされるとか、必要とされるとか。 自分の存在価値を他人に認めてもらわなければ生きていけない ということ これはまさに「プライド」でしょう。違いますかねえ。 「一分の虫にも一寸の魂」ってこのことを言っているのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 確かにプライドはすごく大事ですね。 私も結構プライド高いですから、おっしゃってること わかります。 自尊心というか…持ちすぎてもいけないのでしょうけど、 「人間」としては大事なものの一つですよね。
神様です。神様以外に考えられないです。
お礼
ありがとうございます。 神様は本当にいるんでしょうかね?ww 私は特に信じているわけでも、信じていないわけでも ないんですけど。 でも、自分たちとはかけ離れた絶対的存在を認めれば、 いろいろと楽になることもあるのかもしれません。 この世には、我々人間には理解できないことも たくさんあるわけですからねw そういった意味では必要なのかな?
- snow_3939
- ベストアンサー率36% (8/22)
No.3の回答者様に同意です。 ルーマンの社会システム理論では、「システムは自己の内と外を区分(境界維持)することで自己を維持する」(wikipediaより引用)と考えます。 したがって、自己(の同一性)維持とは境界の維持にほかなりません。 そう考えると、他者からのフィードバックがまるでなかったら自己が保てなくなるでしょう。 「絆」も含めて「他者」あるいはそのつながり、だと考えます。
お礼
ありがとうございます。 そうですね、やっぱり他の人と繋がっていないと 「人間」として生き続けるのは難しいかもしれません。 何物とも繋がれなければ、自分の精神とか心とか いろんなものがなくなってしまうような気がします。 人との繋がりを大事にしないとですね。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
うーん「愛」だね。 人間に限定されるけど、愛。 愛情がないと、人間は人間じゃなくなるから。 >人は誰かに『生きていていいよ』と言われなければ 生きていけないんだ。 その通り。 生物としての生存は可能なんだけど、心が死んじゃうんだよね。 人は誰でも、誰かに「生きていて下さい」って言われるなり、自分で感じられるなり出来ないと、人としての生活が送れない。 野生動物よりもはるかに無制御な、残酷な生き物としてでしか、生きられなくなる。 人は脆いものです。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。 生きていてもいいんだって思えないと、 「人間」としては生きられないのかもしれません。 心がなければ、生きていても死んでいるのと同じだと よく言いますしね。
- gldfish
- ベストアンサー率41% (2895/6955)
自分は『生きていていいよ』なんて一度も言われたことありませんが、生きてますけど。 『生きていていいよ』なんて誰かに言われたことある人っているんでしょうか。そう多くはないのでは。 たぶんその作品の言いたいことは、「生きろ」「生きて欲しい」だと他人の意思でしかないが、「生きていていいよ」と言えば、生きるか生きないかを本人の意思に託せるということで、プレッシャーから開放される・・・という意図ではないかと思うのですが。 そういう意味では、「生きることを認めてもらわなければ(生きていけない)」「自分の存在価値を他人に認めてもらわなければ生きていけない」という意味とは真逆だと思います。他者の気持ちは関係なく決定権を本人に託しているのですから。 でもちょっと無理ありまくりですよね。「『生きて』だと重荷だから・・・『いいよ』ならいいか」みたいななんだか浅はかな考えを巡らせて出てきた判断のせいで、肝心な本質が表現出来ていない。 少なくとも自分は「あなたに生きて欲しい」って単純明快に言われた方が嬉しいし、生きようって気になりますけどね。まぁ確かに「死」を「望み」と考えている精神状態の人間には、重荷でしかない言葉なのかもしれませんけど。 >人が生きるために絶対的に必要なもの 「人それぞれ」なんて答えはつまらないでしょうから、あえて言い切ります。 それは「愛」ですね。この意味は、今生きている人達がそれぞれで判断出来ると思います。
お礼
ありがとうございます。 考えれば考えるほど、この言葉の意味が よくわからないんですよね…。 おっしゃるとおり、決定権を本人に託している 言い方ですし、私の解釈も???と自分でも思います。 結局何が言いたいのか…。 もうちょっとわかりやすい言葉を選んで欲しいものです。 …愛ですねw 愛にもたくさんの種類がありますが、基本、 人と人との間にあるものは「愛」なのかな、と思います。
- osieteyouid
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生きようとする意志。 誰かに必要とされなくても逆に不必要と罵られても 生きよう生き抜こうという確固たる意志が己にあれば生きていける 病気や怪我で生きるか死ぬかの状態でも最後は己の生きようとする気持ちが 力になるともいわれてるでしょ 私はそれは確実にあると思ってます。 生きる意志があれば自然に人との繋がりや和も必要とし大事にしていくでしょうし 超えなければならない山も越える力の原動力にもなるでしょうしね
お礼
ありがとうございます。 確かに、生きよう、生きたいという意思がなければ 人なんて簡単に死んでしまえそうな気がします。 意思とか気力とか気持ちとか…。 そういう力って証明するのは難しいけど、 確かにあるような気がしますね。
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お礼
ありがとうございます。 やっぱり「人間」として生きるなら、 他者との関わりを断つわけにはいきませんよね。 「絆」って、言うのは簡単ですが、 実際どういうものが絆と呼べるのか…。 考え始めると、結構難しいです。 人との関わり=絆?でいいんでしょうか。