芭蕉の句のセミは何匹でしょうか??
芭蕉の句のセミは何匹でしょうか??
松尾芭蕉の句に、閑かさや厳にしみ入る蝉の声というのがありますが、そのセミは何匹いる状況なのでしょうか?
私は40代ですが、小学生の時、先生から、ミンミンだかジージーだかカナカナだか知りませんが、とにかく山の中で沢山のセミがうるさく鳴いていて実際はちっとも静かではないのだけれども、岩山にそびえる厳かな山寺に参拝する道すがらは、そのうるさい程の音もかえって静寂の要素に感じられるーというような解釈を教えられました。
そして、芭蕉が静寂を詠んだもうひとつの句に、古池や蛙飛び込む水の音がありますが、これは一匹の蛙のわずかな水音で破られた物質的は静寂を詠んだもので、沢山の大きな蝉の声がもたらす哲学的な静寂とは、ある意味で真逆に位置すると教えられました。
でも先日24歳の若者と話をしていましたら、彼はセミも蛙も1匹で、2句とも同じような静寂を詠んでいると解釈しているというのを知りました。知り合いの日本人数名(25歳、31歳、34歳、35歳)に聞いたところ、とりあえず私のように複数の蝉がわんわん鳴いている状況だと教わったという人はおらず、多くても2、3匹だろう位の答えでした。
何十年も沢山の蝉が鳴いていて、蛙の句との対比句だと思って生きていた私はかなり驚きました。あの先生の解釈の仕方は、おそろしくマイナーだったという事なのでしょうか?それとも解釈の仕方が最近変わったという事なのでしょうか?
お礼
旅行で田舎の無人駅で列車を待ちながら・・・私も一人旅が好きですので、そんな経験もありました。 駅舎から外に出て見渡しても人っ子一人いなくて、さすがに静か過ぎたりして。。。 ありがとうございました。