• 締切済み

慰安婦問題で

慰安婦問題で疑問に思ったので質問させていただきます。当時、慰安婦募集広告があったそうですが、(実物と言われるものを見ました)が、識字率の低かった当時の朝鮮で、漢字混じりの広告を果たしてどれだけの人が理解できたのでしょうか?ふと疑問に思いましたのでお詳しい方宜しくお願いいたします。因みに特に思想的にどうこういうものはありません。ただ単純に疑問に思っただけですので宜しくお願いいたします。

みんなの回答

回答No.6

漢字は読めなくても、所謂、井戸端会議でしってたのでは? 「今度、いい金儲けが出来るって、広告があるんだってさ!! そこらへんの学者より、高額のお金が稼げるらしいよ!!」ってな感じで。 実際、外国の兵隊相手に、一儲けして、女だてらに、 親に家を建ててあげて、弟妹の学費も稼いでたらしいからね。

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.5

おっしゃる通り、当時の朝鮮の女性の識字率は低かったようです。ネトウヨは、日韓併合時代に一挙に教育が行き渡ったかのような、ウソをつきますが。 ご質問の広告は、斡旋業者が、同業者の目に留まるように出稿したものではないかと言われています。いわば、「女性転売」でしょう。 当時、女性本人が警察署に出頭して、自分の意志で娼妓となることを届け出て、鑑札を受ければ売春稼業をすることができました(公娼制)。それ以外の売春は、当時でも違法です(私娼という)。しかし、さまざまな業態の私娼が数多く存在しました(「あいまい屋」という言葉まであった)。私娼の取締りは、いたちごっこでした。 本当に自分の意志で売春するのなら、少しでも条件のいいところを選んで、広告も見て、娼館やあいまい屋を移っていくはずですね。いわば「渡世」です。 しかし、実際は前借金で人身売買的に拘束されることが多かったといいます。そして、女性を拘束している業者が、ご質問のような広告を見て、女性を転売してピンハネするわけです。もちろん、言葉巧みに勧めるのです。 「あんた、ここは不景気だから、南方へ渡ってみないかね(例えばビルマ)。規律正しい軍人さんが、たくさんお客になって、稼ぎがいいらしいよ。前借金などすぐ返せる」などと。 しかし、その言葉を信じて遠方へ輸送されると、地獄が待っていたわけです。連日何十人もの相手をさせられて、軍票で支払われて紙切れと化したり、敗戦後は置き去りにされたりしました。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.4

> 識字率の低かった当時の朝鮮で、漢字混じりの広告を果たしてどれだけの人が理解できたのでしょうか? 昭和末期位までの日本でも、ステレオタイプの家庭として父親が新聞を読みきかせ、妻や子供がそれを聞いている場面というのがありました。 これと同じように、一人でも読める人がいれば、その人が読み聞かせることでその周囲に内容を理解させることができます。 因みに、識字率が低かったと言いますが、1930年代であれば江戸時代中期頃の日本の庶民と同じか少し高い程度になります。瓦版が江戸時代中期頃から勃興することを考えれば、それなりに伝達能力があったと考えるのはそれほど無理があるとは思いません。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.3

農奴隷の奴婢(ヌヒ)は識字率は低かったです。 しかし、それらを支配する両班(ヤンバン)達は漢字も読めたしハングルも扱えました。 ですので、併合時に奴婢を解放して、ハングルを覚えさせました。 広告は支配層の元両班達が情報収集し、傘下部落の親に利発そうな娘を騙くらかして、安値で買い叩いたのがっ実情です。 元々奴婢は、将来はキーセン(外国人及び高級官僚用売春宿兼居酒屋)に売られるか、近親相姦で子供をはらまされるかしかなったので、それはそれで不幸でも無かったと思われます。 奴婢にとってキーセンは憧れの職業でした。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.2

当時は朝鮮でも漢字を使ってたんです。ハングルは存在していたけど漢字に比べると劣っているとしてあまり使用されていませんでした。そこで日本政府がハングルの使用を奨励してハングルが見直されました。 というわけですから当時の朝鮮の人達は漢字を読めました。 しかし、当時の朝鮮では日本本土ほど教育は進んでいなかったため漢字でもハングルでも読めない人(文盲)はいました。

回答No.1

>識字率の低かった当時の朝鮮で この根拠は? 日帝時代には義務教育で小学校(名称は磁気によって違う)に行っているから日本語とハングルは習っている。 つまり慰安婦になるような年ならほぼ理解できただろうね。