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学歴と仕事能力に関する心理状態
- 学歴にコンプレックスを持つ人や仕事能力に誇りを持つ人がいる。
- 学歴による批判や仕事能力で高学歴を見下す人が存在する。
- 学歴や仕事能力は多くの人の関心事となっている可能性がある。
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質問者が選んだベストアンサー
No.3です。 再度投稿します。 各回答者さんたち、質問者さんのコメントを読みました。 素晴らしいです。その通りですね。 私も戦後の高度経済成長期を見てきました。ここにはお金という豊かさに向かって暴走してきた日本人がいましたね。人格や隣人への愛などはお金に直結しないので、特にお金に向かっている人達は真っ先に捨て去りました。事実、企業の中では人格や人への優しさや愛などというと役員などから甘ったれた人間として扱われる時代でした(現在もそうかもしれませんが)。 生きていくためにお金は大切ですが、お金を目的に強欲に生きるというのはかなり違いますからね。
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- frustratiiiiion
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コンプレックスの塊で現実逃避した人か、自分を過信しすぎて周りが見えなくなった人間が、他人を不必要に批判したり見下したりするんでしょうね。 私の知り合いにもいましたよ。何かにつけて「自分はほかの人より優れている」「あんな職場じゃ私の高い能力は生かせない。」「私はあなたたちよりも努力してるの」っていけしゃあしゃという人。自分より恵まれた環境にいる人間(留学経験者や出世が早い人など)にあえて突っかかる人。 まぁ、結果的にその人は仕事の出来もよくないし、努力してるというわりには嫌なことから逃げて不満ばかりもらす嫌な人たちでしたけど。 ようは現実を見れてないんです。私はもうかかわりあうのをやめましたけど、本当にそういう人たちとかかわってもいい思いは何もしませんしね。 本当に優れた人、努力してきた人は謙虚っていいますけど、そういう人たちは自分がいる世界がすべてではないことを知っています。いろんな人がいて、中には自分よりもはるかに優れた人、努力してきた人を知っているからこそ、自分はまだまだこの位置なんだなと客観視できるんでしょうね。また、そういった足の引っ張り合いは結局自分の能力を伸ばすにあたってなんの役にもたたないころもわかっておられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仰っている事は解りますが少々毒が強いですね(^^;) 色々と苦労しますが、お互いに頑張って生きて行きましょう(^^)♪
- cyrus-kun
- ベストアンサー率25% (46/183)
確かにきちんと教育を受けた人間は、 そういえば「OOが出身校だった」とあまり気にかけている様子は ありませんね。 私自身、教育関係の仕事についてますが、 やはり、きちんと学校を出ていない親御さんのほうが、 子供の成績にピリピリとしていますし、 こちらが聞いてもいないことなどをベラベラと話したがります。 質問者さまが仰るよう、ある意味、学問を身に着けることは、 武器になります。 もっと簡素な言い方をするならば、 勉強をしている人間は物事の解釈の度合いが違う。 社会に出て会社勤めをしたときにその差は歴然と現れ、 一度いっただけなのに物事をすんなり理解できる人と、 再三、伝えても理解できない人がおり、後者のような人間を 目の当たりにすると、「お前学校出てるのか??(バカ)」と、 暗黙の了解のごとく、愚か者扱いされてしまうものです。 まあ、7割がた、お勉強をしている人間のほうが有利である ことは確かなことですが、あとは自分で恥を欠いて息奮闘し、 そこから、自力で学び直すか否か、本人の意思一つにかかって いるように感じています。 しかしながら、自分自身でコンプレックスを解消することができなければ、 ずっと、そのことを抱えながら(コンプレックス)生きていくしかないですよね。 それぞれの事情により学ぶ時期は異なるのかもしれないけれど、 学ぶことを放棄した時点で”負け組”一直線であることは否めないような 気がしてなりません。 自身、死ぬまで勉強だと感じております。 だから、最終学歴に甘んじ、そこから学ぶことをやめた時点で人の成長は止まり、 学校を出てない人を見下すようになってしまった時点で、 腐っている!!と言えるのではないでしょうか? 私の周りにいる高卒の女性で中卒の女性を苛めている人がおりますが、 こちらからすると、その高卒の女性のほうが劣っているように 感じられてなりません。 しかしながら、本人はそのことを愚かなことだと思っていないのですから、 ”お気の毒に”としか、言いようがありませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仕事とは関係ないエリアで社会活動的なものにも興味が有り、その故に色々な事を考えています。 学歴も職能も拘ってしまうのはベースに堅固な人間関係がないからだと思えるのです。 このサイトを見ていても、幸いにも不正や不利から遠いポジションにあるのであろう方のご意見はなんと言いますか人情に欠けるというか他人(人間は自分も含めて不正にまみれている存在です)を受け入れてしっかり手をつないで行こうという気持ちに欠けている様に見えるのです。 バサバサと切って行けば確かに自分の人生が終わるくらいまでは自分の人生位は守れるかもしれないが、結局簡単に人を切る精神は世の中の荒廃の大きな一因になりえます。 そこで「では」と根気を持って向き合ってみると案の定感情的になる事もちらほら出て来る。向き合わなければ一言で「愚か」と断じていたであろう事に対してです。長期にわたる忍耐などを強いられて、向き合わずに忍耐を強いられていない状態ではそもそも反応しないものにまで反応してしまう事も出て来るからです。 こうして見ると、自分が今までいかに色々なものを自覚無しに見下していたかが解るのです。 この見下しは大袈裟に言えば多くの不利な人の脅威になっていたでしょうし、故に多くの不正にも繋がっていたかもしれない。 特に日本ではハッキリとした物言いがその人の道へのダメージに繋がる確率が諸外国よりも高い。真実を語っているとしてもです。故に黙っている事も多々あろうかと思います。気づく能力が優れている人ほどこの強制沈黙に関するストレスも多く、それが仕事の能力の低下に繋がる事もちらほら見て取れます。 故に仕事ができる=能力が優れていると安直に断じる事も出来ない。 実際学歴が高い人よりも理解力のある相対的低学歴の方も沢山いらっしゃいますし、やはり社会全体と社内若しくは何らかのグループ内の関係は切っても切れない。 すると、やはり先ず当面の問題は誠と博愛精神の欠損かと思った次第です。
- rainbow_lizard
- ベストアンサー率40% (88/218)
No.4です、お礼ありがとうございます。 >本人にコンプレックスがなくても本人がコンプレックスとしない当該要素を他人が見てコンプレックスとして押し付けて来る事はありますよ(笑) >正直ダルなめんどくさい人達という分類です。これは広義で私のコンプレックスですかね? 面白いなと思ったので、もう一席。 コンプレックスはもともと心理学用語で、その定義は私もよくわかりません。 昨今は一般的に劣等感と同義と考える人が多いようです。 私は「執着」という日本語が一番最適かなと思います。 執着の原因が対象そのものの場合もありますが、私は他者評価への過剰な意識が多くの執着の原因だと思っています。 つまり劣等感に限らず、学歴が低いことを気にすることもコンプレックスですし、学歴が高いことをアピールすることもコンプレックスです。 そしてコンプレックスの自覚がない人も多いです。 「学歴が高くても、仕事がその程度じゃね~」と言うような人の多くは、自分が学歴にコンプレックスがあると思っていません。 言う人自身の学歴が高かろうが低かろうが、発言自体がコンプレックスの発露です。 またコンプレックスが他者評価への過剰な意識の現われなら、コンプレックスとは他者評価つまり世間一般が作り出すものと言えなくもないです。 例えば、一般多数の意見として、男性は身長にコンプレックスを持つ人が多いです。 もちろん身長が低くてもコンプレックスのない人はいるわけですが、そういう人に対して、「気にしないとか強がっちゃって」とか多数派の意見を嵩にきて、価値観を押し付ける人はいます。 この場合、押し付ける人そのものを鬱陶しいと思うのはコンプレックスではありませんが、押し付けられる意見に過剰に反発するならコンプレックスです。 学歴も仕事の出来不出来も、出るところに出れば立派な武器になりますので、こだわることが一概に悪いとも言えません。 むしろ質問者様の仰るように、軽々に人を非難・侮辱・見下すような人間性こそ醜いと言われるべきものでしょう。 私は醜いというより、かわいそうだなと思いますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうなんですよね。 「執着してしまう前に1人で悩まないで!」と叫びたいのですが。。。 心から本心である事を強調した上で言いますが、回答者さまの事を言っているのではなく、「かわいそう」と思うのも場合によってはある種の問題思想だと思う事があります。 本当に「かわいそう」と思う事は良いのですが、相手への嫌悪感の類いが内に生じた時に嫌悪感に取り込まれそうになるのを防ぐ為か、取り込まれそうになる自分が嫌なのか、理由は解りませんがそういう時に相手を「かわいそう」と言う人がいます。 あまりの嫌悪感に見下す事で感情を抑えるのがやっとなのでしょうか。 以前にそう思える事が一時期に集中して起こり、見ててあまり褒められたものではないなと思いましたので、以来「かわいそう」には少し過敏になっているかもしれません。 私は電子的な文書にもその人の心や気持ちはある程度載ると思っており、回答者さまの文書には全くそういったものを感じませんので、回答者さまの事ではないと改めて申し上げておきます。 他人に評価される為に仕事の効率や効果を上げる、学歴を少しでも高くする事にかまけてこうした一つ一つの経験に対して反芻してみたり、経験の中で生じたゴミ意識の掃除を怠ったりしていつの間にか微妙な人になってしまうのでしょう。 どこかの国のなんとかという民族がなにかの様で(笑)山に登るのに同行したカメラマン達がその民族の人がしょっちゅう休む事に疑問を持って「どうしてそんなに休むのか?」と問うたら「魂が遅れてるから待っている」的な事を答えていたテレビ番組を見たことがあります。 私はそういう感性の方が人間にとってより大切なのではないかと思うのです。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
>学歴や仕事が他人よりもできるか否かは多くの人の関心どころなのでしょうか。 一緒に仕事してたり金銭絡みで持ち出すならわかりますけど、ほんの一部だと思います。 ウチの近所の人なんて相手の評価を下げるためにそんな話をしてますよ。 私生活では一切関係ないのに、勝っただの負けただの言いながら・・ 愚かですよね。 >実生活でも同じ様な割合で気にしている方は居るが、皆口にしないだけなのでしょうか。 そもそも日常ではあまり気にする必要のない事ですし、人の話をすれば自分の学歴や仕事の出来不出来も注目されますから、わざわざ口にする人は少ないと思います。 そうそう立派な人ばかりじゃないですからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 良かったです。 実際に気にしてないのですね。 どこまで平均人心は乱れて行ってしまうのだろうと心配になりました^^;
- yama891
- ベストアンサー率13% (191/1368)
☆ 第2信です。 ☆ ⇒ 既に、SOHO(Small_Office_Home_Office)としての、24Hr・Working_Monitor を 2015年度に、適用可否かの_運用リハーサルを、実施しております。! ☆ 何かと、センシティビティに、ご心配を_戴かなくても_十分に_”IT(インターネット・テクノノロジー)&セキュリティ&企業ポリシーに、何ら・支障(トラブル?)・・・等は、有りうるべくは。*** ⇒ お気使い・ご配慮に関しましては、心中より”感謝と御礼”を申しあげたく。 お幸せに。!
お礼
ご回答の意味がよく解らないのですが。。。私の理解力不足でしょうか。。。 ※何かを理解できない時に自分に原因を求めてみようキャンペーン中です。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
No.3です。 あなたのお礼コメントを読みました。 最後の「私としては学歴も仕事ができるか否かよりもむしろ醜い競り合いをするその精神の方が気になるという事です」には私も同感ですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 良かったです。(^^)
- rainbow_lizard
- ベストアンサー率40% (88/218)
実生活で学歴を気にしている人はそんなに多くないですよ。 学歴コンプレックスのある人だからこそ、質問したり回答したりするだけです。 そもそもサイトを見ている人の割合自体が全人口に比して圧倒的に少ないですし、何とも思わない人はほとんど意見を口にしないでしょうから、そういった意見が目立つだけでしょう。 割合という意味では何の参考にもなりません。 他者評価に対する意識が過剰だからこそ、コンプレックスになるのです。 質問者様が何のコンプレックスもないありのままの自分で生きられる人ならそれは素晴らしいことですが、多くの人は多かれ少なかれ何らかコンプレックスを持っていたりします。 友人関係だったり、恋愛だったり、お金だったり、家族だったり、まぁいろいろです。 それが学歴だという人もいます。 それが何であれ、褒められたものでないことはおっしゃる通りでしょう。 総じて価値観の違いですから、「そういう人もいるんだな」くらいに流しておけばいいでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 良かったです。 前の方も仰っていましたが、確かにこのサイトでは頭がいいなと思う方の意見もよく見られ、あながち意識レベルの低い方ばかりのサイトとも思っていなかったので割合的には実社会と同じ程度なのかと思うと学歴や仕事のできるできないを過剰にきにするあまりに少し歪んでしまってるんだな~と思う人の割合が思っていたより多いという事になりまして、少し気になった次第です。 本人にコンプレックスがなくても本人がコンプレックスとしない当該要素を他人が見てコンプレックスとして押し付けて来る事はありますよ(笑) 正直ダルなめんどくさい人達という分類です。これは広義で私のコンプレックスですかね?
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
私もご指摘のような質問にはよく回答しています。 その中で高学歴を安易には賞賛していません。それはあなたが書いている「学歴コンプレックス、高学歴の方に対する批難めいた言い回し」でもありません。 私は長く生きてきた経験から正直に書いています。 それよりも「高学歴だと社会で高いステータスで生きていける」と考えている若い人達やその親に実態はそうではありませんよと伝えたいからです。 上場企業でも社員の学歴を公表しなくなってきています。例えば、春に採用された新人が職場に配属される場合でも学歴は公表しないのです。なぜかというと学歴で烙印を押してしまうからです。彼は何々大学だから優秀だとかです。 しかし、高学歴でも職場になじめなかったり、思ったほど仕事ができなかったりというケースはたくさんあるのです。企業ではそのような経験から学歴で人を判断せず、実際の仕事の中身で判断するようにというようになってきているのです。 もちろん一生懸命に勉強することはいいことです。しかし学校の成績がいいことがそのまま実社会では通用しないということは知っていた方がいいですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も同じだと思います。 少なくとも私の職種では学歴はあまり意味がありません。 仕事というのは、会社の体質や規模にもよると思いますがコミュニケーション能力が必要レベルより劣っているとうまく回らなくなる事があります。自分の頭で考える事を放棄して「和」を盲信するあまり目先の悪い意味での"今ここ"しか考えていない人は沢山おり、そういう人にまた何も考えずに右に倣えをする傾向の強い民族の中で「仕事ができる」という事が必ずしも人間として持つべき能力を備えている尺度にもならない。 故に私としては学歴も仕事ができるか否かよりもむしろ醜い競り合いをするその精神の方が気になるという事です。
- yama891
- ベストアンサー率13% (191/1368)
○一般論としては、下記のような事が言えます。 学歴⇒社会人になる段階での単なる、パスポート(特定の自治体・企業への通行手形?)的な意味合いで、志望される”職業の固有的特徴か・専門的知識の必要度合いに、左右されます。 仕事⇒個々に仕事に対する成果の尺度(成果査定)は、無限の価値範囲が設定されます。単純には、成果(スピード+仕事量+仕事の重要度ランク等など)は、その査定方式が社会では、特定の公式にあてはめ難きパラメータが多く、一概には判断困難な場合が、あります。 従い、その仕事に対する”経験年数”等が、優先する場合があります。 安直には、管理職・経験の有無が、キャリア・貢献度として、重要視される所以です。 ○こういった、相談サイトといえども、時には、かなり高度な見識ありのコメントもあれば、ごく雑駁なご意見もあれば、まさに”玉石混交”ですから・時に”はたっと”⇒人間真理の明確さに”目から鱗(うろこ)が落ちる・・・ような・コメントもありますので。 ☆ご指摘のあります、学歴の悩みより・”学歴は過去の事。”⇒現実社会での、”仕事に対する姿勢と成果の出し方は、どなた様でも・永遠の命題であり、そこで自己評価・他人評価等の周りの雑音?は、気にして当然ですし、さりとて・・・という事でしょう。決して、フラストレーションの多い人達が世の中に多くて相談サイトへ投稿・登場するだけでは、ないと私は思うし、まして・”文章力の競争か自慢かをしていられる方達ばかりでも、ないと推察しておりますが。*** ☆悩まれる・程度の差こそあれ、同じ労働者?としては、にたり・よったりの”悩み”を抱えつつ・成るほど・皆様、誰しも、同じような感慨に陥る場合アリなのかしら。?・・・とホットする時あり、又自己経験では、こういう風に、乗り切り・思考切り換えで、何とかやっています。・・とか、励みにもなり・自己反省にもなりを、していますが。 *** 失礼を致します。***
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり口に出さなくてもそれなりに気にはしていて、その割合はこのサイトで見かける程度と同じ位ということでしょうか。 因にyama891さまは例えば中卒の社長で年収数千万~数億、人格的には所謂成り上がりの様な気配もなく良い意味で普通の方を見た場合、どのように思われますでしょうか?
- veronica2013
- ベストアンサー率24% (31/127)
普通の職種では関係ない、関心のない話題でしょうね。 自分の年齢以上に給料をもらえるような 一部大企業や、公務員には永遠の関心事でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 学歴や仕事ができるかどうかを気にするというのは、別の言い方をすると「他の同僚とどれだけ差を付けられるか」に言い換える事ができるでしょうか。 人間としてどうなのかなどとは考えないのでしょうかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「必死になって生きる」という事を思っています。 一昔前までの私は、必死になって生きれば殆どの苦難は比較的簡単に乗り越えられ、愚痴を発想すらしない。変に怠けて生きるから色々と愚痴が出るし大した事もできない。と考えていまして、故にお金や地位などの問題とは全く別に他人を見下していた部分がありました。 今でも実際甘えてるから色々な不平不満がでるのであって、一所懸命生きてみれば多くの不平不満は世から姿を消し、結果大分明るくなると思っている面はあります。 ですから、高度成長期に日本を造り上げて来た方たちの"非道に見える行為"の全てを否定する気持ちはありません。 ただ、モチベーションが正しかったのかどうかは問いたいところです。 当時の方達は気持ちの切り替えが悪い意味でドライ過ぎたし、少し前までの人達はカッコつけたり体裁を整えたりなど目先の人間関係を良好に保とうとするあまり真実をないがしろにして必死になる事をかっこ悪いなどと否定する。結局どっちもどっちで双方共に自らの首を絞めています。 最近ようやく少しバランスの取れた思想が広まりつつあるのかなと思っているところです。