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幸せからの不幸の落差が怖い。
幸せから不幸の落差が怖いから、不幸のままでいたいです。そのせいで 結婚ができないんですけどどうすればいいですか? という質問を私は何回か見た時あります。するとベストアンサーに選ばれた回答は、「不幸から更なる不幸が襲うこともある。不幸のままでいることは無意味だ。」という感じのことでした。 しかし不幸から幸せの落差は激しすぎるため、とてつもない恐怖を人は感じます。その回答ではあまり解決していないような気がします。 じゃあどうすれば、幸せが続いている中に突然やってくる不幸に人は立ち向かうことができるでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。質問拝見しました。 確かに、「不幸から更なる不幸が襲うこともある。不幸のままでしることは無意味だ。」 という以前barutokaiさんが拝見された回答は、あくまで回答者の意見であり、 解決には至っていないようですね。 barutokaiさんの、不幸から幸せの落差は激しすぎることに、人は恐怖を感じる・・・という意見 を伺いまして、確かに共感することが多くあります。 私自身観察力が高い方なので、人の不幸な出来事を見て、 同様の出来事が起こりそうになると、自分は同じ体験していないにも関わらず、 恐怖に思い、縮こまってしまいます。 人生では、どの人も大差はあれ、幸せや不幸を感じることが沢山あります。 では、どうすれば幸せが続いている中に突然やってくる不幸に立ち向かう事ができるか? とういう質問は・・・ 私の場合、単に全て受け止めるようにしています。 ただその出来事を受け止めます。 受け止めると、本当に悲しくなったり、苦しくなることもありますが、 それでも単に受け止めます。 そこから湧き出る感情を感情のままに表現する事で、 自分の根柢にある、その出来事をどう受け止めたか? という自身の考え方の癖を知る事になります。 不幸かどうか判断するのは、他人ではなく、自分自身。 周りからみて不幸に見えても、その人自身はひょうひょうとしていたり、 むしろ、楽しんでいる方もいらっしゃいます。 不幸な出来事であっても、後になって考えると実は幸せだった ということも多々人生であります。 不幸を経験したからこそ出会った人もいたり、 不幸を経験したからこそ人の痛みを理解できるようになり、寛容さがうまれ、 友達の輪が広がった。とか。 出来事に不幸か幸か意味づけるのも自分自身。 その時の状況だけで、自分の価値や存在性を低く見積もるのは ちょっと早い気がします。 幸せな考え方、定義付け、出来事として受け止めて 楽しんだ方がずっと人生が面白いです。 個人的には、不幸に立ち向かえる人は、 どんな状況においても、希望ある考えや思考ができ、多角的な視点を持っている人。 少しの可能性にも自分自身を100%信頼している人だと思います。 不幸かどうかを決めるのは、親でもなく、先生でもなく、友人でもなく、 近所の人達でもなく、 自分自身だということを深く理解できたら、 何か光が見えてくるのではないでしょうか? そういった意味で、ご自身から見て、不幸な出来事に対処している、 何かしら立ち向かっている人を見つけたら、 その方の考え方を伺える機会をもつことは、 新しい思考の仕方、視点ができるので、 親や先生から受けた影響による一つの考え方以外に 他にも考えがあることを知る事ができ、考え方を選べるようになります。 出来事をどうとらえるか選択肢が増えます。 哲学はそういった意味で、選択肢を増やす学問だと思います。 私は応用宗教哲学を勉強していますが、 勉強するたびに、新しい視点や気づきや考え方が得られます。 また、人生を向上させるヒントや実践方法なども説いており、 とても面白いです。 興味がありましたら、哲学も学んでみてはいかがでしょうか? お役立て頂けたら光栄です。
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- plot02
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不幸が発生した時に備えて、リスクを分散させることでしょうか。 具体的には、いろんな場所に、同じくらい大切なものを、たくさん作っておけばよいのではないでしょうか。 例えば、「恋人の○○以外、他に誰もいらない!」なんて人。 こういった人の幸せは、大切なものが1つしかないため、非常に脆いです。 でも、恋人以外にも大切な人を持っている場合、残った人を頼って不幸に立ち向かう、ということがしやすいです。 なお、必ずしも人である必要はありませんが、「同じくらい(順位をつけられないくらい)大切」という点は重要だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 大切なものを今後多く作っていきたいと思います。 人は幸せを糧として生きている面もあるからやはり多くの種類の幸せが必要ですよね。
しあわせを味わいつつ、 常に最悪の状況を想定することです。 たとえば、年収1億になったとしましょう。 最初は0からはじめた。 仮にうまくいかなくて、最悪倒産したとしましょう。 でも、元々0だったんです。 元に戻るだけ。 死ぬ訳じゃないし。 ってね。 最悪を想定する悲観主義によって、 まぁそれでも死ぬわけじゃないしっていう楽観主義になれるのです。 そうすると、今のしあわせが続いたらハッピー。 でも、なくなったからって、また考え直す機会を与えてくれた、ハッピー。 こう考えると、しあわせでも、不幸でも無敵でしょう。
お礼
回答ありがとうございます なるほど。最初から不幸であることをマイナスと考えず、マイナスを0と考えることにより不幸を感じないという作戦ですね。参考になりますありがとうございます!
>じゃあどうすれば、幸せが続いている中に突然やってくる不幸に人は立ち向かうことができるでしょうか?> その不幸を回避する能力か対処能力とそれに伴う精神力があれば大丈夫だと思います。 簡単に言うと (1)不幸回避能力 もしくは (2)不幸対処能力 プラス それに伴う精神性 という事になると思います。 とはいうものの言うは簡単です!こうやって私が言うのも私は簡単です。実行できるかどうかという質問でしたら私はその人ではないので答えられません。 以上
お礼
回答ありがとうございます 不幸回避能力ですかー・・・・それに関して何か調べてみます。
- moto_koukousei
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> じゃあどうすれば、幸せが続いている中に突然やってくる不幸に人は立ち向かうことができるでしょうか? 幸せが続いている中に突然やってくる不幸に「立ち向かった」/「立ち向かわない」の具体的な差は何でしょうか。 > 不幸から幸せの落差は激しすぎるため、とてつもない恐怖を人は感じます。 不幸が続いている中で幸せが起きてしまった場合、その幸に「立ち向かった」/「立ち向かわない」の具体的な差は何でしょうか。 「不幸のままでいる」/「不幸に立ち向かう」の具体的な差は何でしょうか。 「幸のままでいる」/「幸に立ち向かう」の具体的な差は何でしょうか。 不幸から更に一段?下の不幸になる / 幸福から一段?上の幸せになる 幸福から更に一段?下の不幸になる / 不幸からから一段?上の幸せになる 不幸のまま変わらない / 幸せのママ変わらない しかし、ずーっと変わらないでいられるか、幸せになったり、不幸せになったりを、自力で確実にできないのであれば、不幸せでいるのを選好する特別の理由はなさそうです。 幸せでいるのを拒絶する特別の理由もなさそうです。 変化が恐いというのはあるかもしれませんが、より不幸・より幸福への変化はどのような状態からでもあるから、今の立ち位置を幸せに求めるか、不幸せに求めるかの理由にはなりません。 「不幸のままでいることは無意味だ」と思うなら「幸福に向けて、落差の激しい急な変化ではなく、少しづつ慣れる範囲で幸福アップに進んでもイイでしょう」 「幸福のままでいることは無意味だ」と思うなら「不幸せに向けて、落差の激しい急な変化ではなく、少しづつ慣れる範囲で幸福ダウンに進んでもイイでしょう」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「幸せから不幸の落差が怖いから、不幸のままでいたいです。そのせいで結婚ができないんですけどどうすればいいですか?」という質問者がいたとしたら、「結婚しても、不幸なままでいられる結婚をすればイイじゃない」という返事も可能でしょう。世の中には「不幸な結婚」もあるから、(結婚する&不幸なままでいたい)という条件を満足するように努力すればイイのです。 「幸せな結婚と結婚生活をしたいけど、不幸なままでいたい」という要求では、もう少し要求の内容を整理しないと方策が見つかりません。 「幸せな結婚と結婚生活をしたいけど、幸せから不幸の落差が怖いから、迷っている」のであれば、落差を怖がらないようになる努力をするか、幸せから不幸にならない努力をするか、状況に左右される心情から自分の生き方や行動が中核心情になるように努力する方策を勧める方がイイでしょう。 「絵に描いた幸せ模様を善し」とするのを避けて、「絵に描けば不幸せな模様でも、そこで落ち着いて生きて行ける」のであるなら、「絵に描けば、他人からみれば、幸福そうか不幸せそうかであっても、そんな他人視線ではなくて、自分の生き方ができる」と思えます。 カネがない、社会的地位が低い、体調が良くない、家も狭い、身内に病人がいる中でも、そこで落ち着いて生きていけるならば、宝クジでカネが手に出来た、体調が良くなった、スゴイ職に就けたなどがあったって、そんなことに左右されずに生きていけばイイでしょう。 他人目線、世間評価でなくて、自分がやろうとしていることをやっていることに満足や充実を感じていれば、津波や自動車が飛び込んできても、家の下の地面が突然陥没しても、糖尿や心疾患、がんになったとしても、それはそれでやっていけるのではないでしょうか。 天変地異、人災、疾病、事故、裏切りその他諸々を、一切起きないということはあり得ないです。 追い打ちを掛けるように色々なことが起きることもあります。 不幸でいたからそれ以上に不幸なことは起きないというものではないでしょう。 幸せでいたからそもう不幸なことは起きないというものではないでしょう。 変化を恐れるのも、不幸や幸せを恐れるのも、勝手ではありますが、そうしない方が生き方として楽で、恐怖も起きなくてイイように思います。
お礼
回答ありがとうございます!長文で助かります! なかなか難しい文章で咀嚼に困りましたが何回も読んでるうちに理解できました! 回答者さんの言った中でも変化を恐れない生き方がいいよというアドバイスが大変参考になります。ありがとうございました!
私は30代後半の女性で結婚もしています。 たぶん幸せなんでしょうけど、質問者さんがいうほどのものすごい幸せかどうかといえば、よくわかりません。小さな幸せや小さな不幸が入れ替わり立ち代わり訪れるのが普通の状態だと思うのですが、とてつもない恐怖を感じるほどものすごい落差を感じる幸せと不幸せって、一体どういう状況なのでしょう? 一番極端な例としてはやはり人の死でしょうか。たとえば結婚して、愛する配偶者がいつか死ぬことを考えたら、それが怖いから結婚しない、ということなのでしょうか。 質問者さまは結婚したいけど何かが怖くて結婚できない。でも一体何が怖いのでしょう。解決の糸口になりそうなのは質問者さまご自身があいまいな不幸を恐れている点であり、具体的にどういう状況が怖いのか認識できていないことだと思います。 あなたが恐れているのは一体何なのでしょうか。それがご自身ではっきりおわかりになればもう一歩先に進めると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 まさに死ですね。死が恐ろしいのです。死について今後考えてゆきます。
- cubetaro
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人生には好不調の「波」があって、突然のトラブルもあって、それらをひっくるめて「人生」です。 悪い事があっても「人生」はこういうモノだと受け入れて、不調の時も次はきっと良い事があると思っていく前向きに進むのが良いかと。 (つまりトラブルが起こる事を計算に入れておく。トラブルにスマートに対処しようと思わないで、トラブルを楽しむ余裕を持つ) 結婚しない事は幸でも不幸でもないのでは(結婚しないメリットもあるし、するデメリットもあるので)。 -------- 金持ちになるより、失う物がない貧乏の方が安心という人もいるので、一生、結婚しないで生きるという選択は質問者さまの自由です。
お礼
回答ありがとうございます。 トラブルを楽しむ余裕を持つことですか・・・いいですね! トラブルを避ける人生をばっかりしている私にとってはとて参考になるアドバイスでした。
お礼
回答ありがとうございます!中身のある文章でどんどん頭に入ってきました! 「不幸かどうか決めるのは親でもなく近所の人たちでもなく友達でもなく先生でもなく自分自身だということが深く理解できたら何か光が見えてきませんか?」←大変身に染みました!不幸な事は不幸な出来事を体験することではなく自分が不幸と感じることみたいな名言を思い出しました。 不幸かどうか決めるのは自分自身ということを理解したら私はもっと哲学の勉強をしたくなりました。 身に染みる回答ありがとうございました!