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- kandglose
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回答No.1
↓こちらに詳しい経緯が載っているみたいですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E4%B8%8B%E9%A7%85 【Wikipedia「大平下駅」】 2001年(平成13年)夏までは2面3線の列車交換設備が機能していたみたいですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ohirashita_Station_Premises.JPG 【駅構内の配線が2面3線だった当時の大平下駅(1998年)】 さらにさかのぼって1972年(昭和47年)6月までは貨物扱いも行っていたみたいです。 上下列車の交換に加え、貨物列車を停泊させその場での貨物扱いの積み下ろしのために 大平下駅はフルに使われていたことがしのばれます。 かつては小駅でも貨車を解結する作業がおおっぴらに行われていましたから。 小さい頃、私も作業風景を見たことがあります。 http://yaplog.jp/kirakako/archive/65 【ブログ:キラカコ鉄道交友館「加古川駅3番ホーム(1977年)」】 http://trainview.web.fc2.com/wb_old/izumosi/izumo1.html 【山陰本線出雲市駅(入れ替え作業風景)】 国鉄の分割民営化、そして効率性・採算性追求が世の趨勢のスタンダードになり 無人化および棒線(単式ホーム1面1線)化という、味気ない風景になってしまったのでしょう。 いかがでしょうか。 参考になりましたら幸いです。
お礼
ありがとうございます。 そのような歴史があったのですね!