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山手線と赤羽線について2
以前、「山手線と赤羽線について」という主題で、山手線と赤羽線が池袋駅で同一ホームから発車してた頃のことについて質問させていただいた者です。回答してくださった皆様、ありがとうございました。 今回は、池袋駅に赤羽線の新ホームができた1983年当時のことについて質問があります。 wikipediaの池袋駅のページによりますと、 『・1983年(昭和58年)、赤羽線ホームを山手線ホームの東側に新設し、3面5線の形態となった。』 とあります。3面6線ではなく、3面5線です。つまり、新6番線となったであろう、旧:4番線(現8番線)は一旦撤去されてしまったということでしょうか。そうだとすれば、国鉄はそれまで赤羽線として使われていた旧4番線を山手線外回り始発電車などに使うことを考えなかったのでしょうか。それとも始発電車などを出す必要はないと考えてたのでしょうか。どちらにせよ、今は外回り、内回りとも、当駅始発・終着電車はありますね。実際はどうだったんですか?よろしくお願いします。 <1983年> ───新6番線(撤去?)(旧4番線・現8番線(復活?)── ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ──────新5番線(旧3番線・現7番線)────── ──────新4番線(旧2番線・現6番線)────── ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ──────新3番線(旧1番線・現5番線)────── ────────新2番線(現4番線)──────── ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ────────新1番線(現3番線)────────
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#1です。 そうですね。記憶が少しこんがらかってましたね。 整理してみますね。 埼京線ができる少し前まで、 山手線内回り始発ホーム :1番線 山手線内回り着発ホーム :2番線 山手線外回りホーム :3番線 赤羽先着発ホーム :4番線 東武東上線着発ホーム :5番線 東武東上線中線山手線側 :6番線 東武東上線中線西口側 :7番線 東武東上線各停乗車ホーム:8番線 東武東上線各停降車ホーム:9番線 でした。埼京線が決まって当時の国鉄のホーム番号が変わるため、将来を考えて、まずは東武が独自のホーム番号に変更しました。 5番線を東上線の1番線として順に奥へ付番。各停降車ホーム(現在のTJライナー専用ホーム)を5番線に変更しました。 その後山手線の西武側に新ホームを国鉄が設置、埼京線運転開始時に 国鉄1番線:埼京線着発1番線 国鉄2番線:埼京線着発2番線 国鉄3番線:山手線内回り始発ホーム 国鉄4番線:山手線内回り着発ホーム 国鉄5番線:山手線外回りホーム ※ 旧4番線は線路はあるけど使用せず、番線番号無し そしてその後に埼京線が新宿延伸で1番線が埼京線新宿方面、2番線が大宮方面に区分しました。 宇都宮線と高崎線の池袋乗り入れ時に西武側にホームを再度新設。 1番線:宇都宮・高崎線着発1番線 2番線:宇都宮・高崎線着発2番線 とし、このホームの使用開始前までの1番線から5番線までを3番線から7番線に変更しています。 そして山手線の大塚方に内回り本線から新5番線に入る渡り線を設置、同時に外回り本線へ使用していなかった旧赤羽線ホームから直接はいる渡り線を設置し、外されていた線路を復活。この時外回り始発ホーム8番線として旧赤羽線ホームが復活。 宇都宮線・高崎線の池袋乗り入れ路線が新宿湘南ラインに変更。 埼京線の中間に新宿湘南ラインを入れることで乗り継ぎを楽にするため、池袋駅構内の大がかりな配線変更と3番線ホーム延長を実施して 1番線:埼京線 新宿・大崎・りんかい線方面ホーム 2番線:新宿湘南ライン 新宿・横浜方面 3番線:新宿湘南ライン 大宮方面 4番線:埼京線 大宮・川越方面 5番線:山手線内回り 始発ホーム 6番線:山手線内回り 着発ホーム 7番線:山手線外回り 着発ホーム 8番線:山手線外回り 始発ホーム となってますね。 記憶が曖昧で済みません。西武沿線に生まれて48年、東上線を通学b使っていた頃から数えて30年、山手線を通勤に利用し、埼京線完成頃から20数年、現在の勤務先への山手線の通勤利用をやめて1年の親父の記憶でした。
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- EASTBIRD
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こんばんは。 長年の山手線利用者ですが、少なくとも1983年以前の山手線外回りの池袋止め電車は旧3番線をそのまま大塚方に進行し(右折)内回り線を横断して山手線内側に入るかたちで車庫へ。 1983年秋に赤羽線が晴れて独立したホームに移転すると外回り池袋止め電車は大塚方を左折して(内回り本線を横断しないかたち)こないだまで赤羽線が使っていた東上線脇の単線ルートで赤羽線を斜め横断のかたちで車庫へ。 したがって旧4番線はいつしかレールが撤去されていたことをおぼえています。では外回り始発ですが、#1さんのとうり旧1番線を通過して目白方のY線を経由して外回り旧3番線に据え付ける。 オマケ・・・手元の鉄道P誌を調べていましたら、赤羽線は1983年10月2日から10両編成になったとのことです。また1985年10月号が山手線特集になってます。機会がありましたらごらんになれば、質問者さんの参考になるかと思います。
お礼
回答ありがとうございます、参考にさせていただきます。やっぱり撤去されてたんですね。
- akak71
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#1の下3行の 番線が違うのでないでしょうか? できれば回答者のかた確認してください。
その当時、西武線から池袋乗換で、日暮里の職場まで通っていました。 あくまで記憶の中のことですが、赤羽線を埼京線の一部として使用するとなった際、池袋折り返しで運転が始まりました(後に新宿、渋谷、恵比寿、大崎と延長)。 しかし、従来の4番線のみで折り返すのでは列車本数に限界があるため、旧来の1・2番線の西武側の貨物線部分に新しいホームを新設し、新1・2番線を始発ホームとしました。 この時点で配線上は島式3面6線になったのですが、当時の山手線は内回りは4番線発着、内回り始発は3番線からの発車。外回りは3番線を回送で通過し目白方のY線に入線。その後5番線に転線して発車するという方法でした。 池袋止まりは内回りは4番線にて運転終了しY線に引き上げ、その後3番線経由で池袋検車区へ、外回りは5番線で運転終了。目白方の運転台に運転士が乗って目白方Y線へ引き上げさせ、その後内回り同様の方法で車庫へ引き上げて行きました。 そのため、旧4番線は線路は残っていましたが「○番線」というようなホーム上の標記もありませんでした。目白方の転轍機は、定位固定であったと思います。 その後現新宿湘南ラインの運転開始(当時的に言えば高崎線、宇都宮線の池袋乗り入れ)に合わせて新新1・2番線が新設されてホームの番号が再度変更された際、旧4番線に「7番線」の標記が復活しています。 現在は、外回りの7番線は始発の発車のための山手線本線への渡り線の設置、内回り4番線への山手線内回り本線からの進入用の渡り線の設置がされています。 記憶では、現7番線を使用していなかった頃、7番線から池袋車庫方向へ繋がる線路の一部が撤去されていたように記憶しています。 あくまで古い記憶ですので、若干異なっている部分があるかもしれませんこと、お詫びしておきます。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。参考になりました。