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双極性障害、精神的な疾患の治りについて
- 双極性障害や精神的な疾患は完全に治ることは難しいとされていますが、適切な治療やケアを受ければ症状を軽減することは可能です。
- 双極性障害や全般性不安障害といった精神的な疾患は、日常生活や仕事に影響を与えることがありますが、適切な薬物療法や心理療法の支援を受けることで社会的な活動を続けることも可能です。
- 自分の病気にコンプレックスを感じることはありますが、病気と向き合いながら自分のペースで進めることや、周囲の理解やサポートを受けることで前向きに生活することができます。
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全般性不安障害は、ノイローゼの一種ですので、ノイローゼのからくりを書いてから、パニック障害のからくりを書いて、双極性障害のからくりを書いてみますので、後は御自分で学んで自分からこう言ったノイローゼの状態から抜け出して下さい。ノイローゼは、『自分自身で問題を作って、自分自身がその問題に悩んでいる事』を意味します。根本原因は『受入れたくないもの』を自分で作り出して、現実の世界と頭の中の世界の相違を悩む事を意味します。 こうなる事は、貴方の性格基盤に原因があります、貴方の性格が神経質であるために不安に成り易いという意味ですが、神経質な人がその性格を自分で知る事によって、神経質な性格はそのままでいながら、『深い安心出来る生活を送る事が出来るために学ぶ事』を順を追って書いてみますので参考にして下さい。 人間に感情が沸き上がる仕組みを書いてみます、人間の心に感情が湧き上がる仕組みは『感情を沸きあがらせている者が存在しているからです。』この者と『自我意識』と言う心の間に協調性が欠ける事を『神経質な性格と言っています。人間の脳の機能分化の科学的な説明です。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 今の二つの事から思い付く事を書いてみます。 左脳に存在する人格は『自我意識』=顕在意識と呼ばれていると思います。そうして右脳に存在する意識は『無意識の意識』と呼んでも良いものと思います。 右脳に存在する意識は『言葉を持っていない事』が特徴ですが、動画に在るとおり、他の人達と繋がっている意識です、自分では気付かないとしても、確かに他人や、大自然や目の前の現実と繋がっている存在と言えます。 ノイローゼの原因はこの『二つの意識』が関係しています。人間の思考には二つの流れがあります。一つは『一念』と呼ばれているものです。この一念が沸き上がる根本は『自我意識には関係していません』自我意識が、あずかり知らないところで、発生している意識です。この一念とうまく同調出来ている場合を『健常者』と言っています。 この一念とうまく同調出来ない場合を『神経質な性格とか、不安になり易い性格』と呼んでいます。 或いは人間の精神活動は、『意識する自分』と『無意識の自分』がうまく交替制をキープする事で『健常者としての生活が守られています。』この交替制がスムーズに行かない場合を『神経質な性格や不安になり易い性格』と呼んでいます。 人間の精神活動は、先の動画に有るとおり、脳内の対話によって成り立っています、この成り立ちに違和感を持つ場合を神経質な性格や不安になり易い性格と言っています。つまり、自身の心の成り立ちに敏感と言う意味が神経質な性格と言う意味です。 こういう人達の指導法に『森田療法』や認知行動療法というものがありますのでそのあらましを書いて置きます。森田療法は主に神経症の治療方法を示していますが、その極意は『ノイローゼや神経症の治療は』健常者と同じに扱う事で容易に治る、としていますが、この意味は『脳の機能にも身体の機能にも』いかなる検査をしても異常が見つからない事から、『意識性の問題を悩んでいる事を解除する方法』としての治療方法です。 何処にも異常が見つからないのですから、『身体も脳(心)も健常者と一緒』と言う事を意味していますが、只一つの違いは『執拗な症状の訴えのみ』です、こう言った事が起きる背景には『本人の考え方や世の中の見方に誤りがあるため』としていますので、その誤りを修正してゆく事で治るとするものが、認知行動療法の考え方です。 ノイローゼの原因は、ストレスとの向き合い方に原因があります、或いはストレスにしてしまう考え方に問題があります。是は同じ環境、同じ職場、同じ学校にいた場合に目の前の現実の世界を『頭の中で認識する時の、認識の仕方に』違いが有ります。 或いは同じ環境を不安にしてしまう『感じ方や、受け取り方』の違いから生じています。 この違いが分かる時、不安障害やパニック障害のからくりが分る時ですので、この違いを書いてみます。 現実の世界をそっくりそのままにして『心』が受け取るとき、例え不安の要素があってもそういう対応を『あるがままの世界』と言います。この心的な態度を『健常者』と言います。 現実の世界をそっくりそのままに出来なくて『不安を感じないように工夫をする時』その心は『予期不安を作り出してしまって、小さな不安でさえも大きな不安に変化しています。』つまり現実の不安の要素以上に大きな不安になってしまう』事を意味します。この状態を不安障害と言います。 現実には無い不安を感じている、と言う意味です。 更にこの不安を、心から排除しようとする時、只の不安感が更に大きくなってしまって『恐怖感に変わります』このからくりが、不安障害やパニック障害のからくりです。 このからくりを見破る事が出来た時、不安障害もパニック障害も『現実には無い不安や恐怖感』は、自分が不安を嫌う余りに『予期不安として自分が自分の頭の中に作り出していた幻』であった事が分ります。 此処のところを『了解出来た時』不安障害(ノイローゼ)やパニック障害は完治します。例え不安になり易くて神経質な性格の持ち主であったとしてもです。 不安障害やパニック障害から卒業出来た場合では『沸き上がる不安感や恐怖感』を殊更意識しなくなっています、そのままにして置く事が出来るようになります。 この意味は『沸き上がる自分の雑念に一々過大反応しなくなる』と言う意味になります。 心に湧き上がる感情や考えは、『一過性の性質があって』その場その時によって『変化するものであって、絶えず流れ去ってゆくもの』と言う事がわかるからです。 自分の心が『良い事を望み過ぎたり、悪い事を嫌いすぎたりした場合にだけ』沸き上がる雑念の内、受け取りたくない事柄を『予期不安として拡大してしまっていた事』がわかるようになります。 この意味は『良い事を望みすぎたり、嫌な事を嫌い過ぎる心が』予期不安となって、雑念の中から嫌な事を拾い出して、更なる追い出しを図る事で、心の中に妄想として固定させていただけ、と了解するからです。 つまり『沸き上がる雑念の虜になっていた事』を意味します。 言い方を変えるなら、只の雑念に過剰反応して右往左往していた事が分るからです。乗り越えた時には『只の雑念として受け流す事が出来ています。』 生きる姿に書き換えるなら、毎日が忙しくなって展開しています、沸き上がる自分の雑念になどかまっていられなくなっています。 貴方が治った姿を書いてみます。 不安があろうが無かろうが『毎日の課題を追う事に忙しくなって、心の中の詮索などしている暇がなくなっています。』 自分の心に不安があろうが無かろうが、そういった自分自身の心の内面を問題にする事がなくなっています。この『問題にしない態度』を守っている人達が、貴方が先に書いた『同じ所からスタートした同期はIT業界でそれなりの位置をきづいて、同い年の友人はどんどん結婚してゆきます。』と言う事になっています。 生きる態度の違いは、目の前の現実の世界を自分の問題として『何時も見つめていて対処している事』を意味しますが、ノイローゼの場合での対処の仕方は『現実の問題をそっちのけにして、頭の中に沸き上がる、現実には無い不安感を相手にしています。』 是を『ストレス』と言う言葉に置き換えて説明したいと思います。 ストレスを強く感じている事が『ノイローゼの実態』ですが、現実の世界には『ストレスなど存在していません』ストレスとして感じている人が頭の中に作り出している事柄がストレスになっています。 この意味は神経質な性格や不安になり易い性格基盤を持った人は、現実の中に『存在していない不安を、自分の頭の中に作り出して、その作り出された不安に自分が過剰反応している事』を意味します。 ストレスを感じ難い人は『自分の頭の中に、ストレスにする要素を持っていない』と。いう事が出来ます。この違いを書いてみますので参考にして下さい。 ストレスとはその人が『嫌ってしまって、受け取ろうとしていない事柄』と言う意味です。その事柄とはその人が『受入れたくないと思う事柄です。』この意味は、その本人の考え方や感じ方の相違によっていると言う意味です。 ストレスにしてしまう性格を不安になり易い性格と書いていますが、『自分自身の生体反応に過剰反応している。』と言う意味です。誰の心でも、自身に沸き上がる感情や考えを『心』が感じています。 この感じ方の相違が健常者とノイローゼにする人の明暗を分けています。 沸き上がる雑念の処理の仕方の相違です。沸き上がる感情(生体反応)に一喜一憂しなくなった時、ノイローゼから卒業したと言います。
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- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
わたしもそうだけど自分がこうじゃないといけないんだっていう思い込みが貴女を支配している気がします。うつ状態が治ったとき、もういいやっていう諦めから、そして、これでいいんだっていう自信が、何回か来た波を乗り越えました。 もう、そんな波は、来ません。ただ、孤独の寂しさは、なくなりません。もともと、孤独なのに、否定してるから、辛くなります。辛くなったとき、抱きつけるのが女房です。 双極性は、厄介だと聞きますね。わたしは、貴女を理解してくれる人がそばにいてくれたら治ると思います。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
双極性障害の軽度で、通院は7年とありますが、未だきちんと病名を聞いていないのですか? ちゃんと確認した方が良いですよ。聞いた所で治るかと言うと、答えはノーですが、自分自身の持つ障害を把握する姿勢が必要な気がするのです。 あと、本当に一生付き合って行かないといけない障害なのかと言うと、これも医師とちゃんと納得いくまでお話をまずするのが良いように思います。これも上記で書いた点と同じように、自分に向き合う姿勢が必要だからです。医師から聞きたくない事も聞くかもしれない、でもそれも自分がこれからどこにどう進むかを、自分自身で決めるために必要なことだと思うのです。自分ができること、出来ないこと、今出来ていること、出来ていることでもムリをしていること。これらをきちんと把握した上でどうするかを決めるなら、自分が選択をした人生なので、卑屈になることもないでしょう。自分がやりたいと思い、決めて実行していることに、他人がとやかく言う資格はありません。なら、私の人生をより良く送ってくれるんですか、くらい思って良いのでは? 偏見は付きものです。たとえ、障害を持っていなくても。ちょっと内気だとネガティブな言葉は”暗い”、個性があると”変わり者”、天真爛漫だと”KY”だの、なんでも悪く言えば悪くなります。でも、表裏あるなら、良い方取っていった方が良いじゃないですか。笑っても泣いても一生が過ぎるなら、笑える方を取りたい。 双極性で一時期働きすぎるなら、「その時が来ているな」と少しだけペースを落とす、疲れて何も出来ない時は、「この時が来た」と休みモードに。私はうつと過眠症でした。まあ、どちらが先に来たか分からないですが。復職したものの、就業中は薬の副作用で居眠りが多々ありました。あの周りの空気はするどく突き刺さりました。眠いならどっかいっとけよ、みたいな空気。いたたまれなくて、休みを取る事も多かったですね。でも、上長とかに抗うつ剤が花粉症の薬の何十倍もの強い眠気を誘うことを産業医が説明してくれたことで、だんだんと理解もでてきたので、取りあえず上の人には多少ゆるやかな仕事をもらうことで負荷を下げてもらいました。多分、仕事の負荷を下げたことよりも、周りの理解の方が効果があったかと思います。 あと、自分には障害があります、文句ありますか?の気持ちがあっても良い位です。多分、こう言ったところで、ひどく罪悪感が出ると思うので、絶対に高飛車になったり、何もしないくせに妙に障害をひけらかして開き直るようなことはならないので、安心して下さい。要は、自分の心からくびきを解いてやるような気持ちを持つことです。悪い言い方ですが、他人はなんとでも言います。一方でああ言えば、他方ではこういう。正直振り回されるだけですし、誰かに合わせれば、誰かに合わない。なら、何も変わらない自分が自分の気持ちや現状を受け入れて、信じてあげることです。これほど強い味方はいません。自分を信じれば、人はあの人はこういう人なのだと後から理解するでしょう。他人が先ではなく、自分が先なのです。 「双極性障害 有名人」で一度検索してみて下さい。意外な人が一杯いると思います。彼らが有名人であるから障害を受け入れられているのではなく、障害があろうと、悩みながら苦しみながらも、自分を受け入れ、自分の能力を活かしているからこそ、周りが認めているからこそなのです。私たちは一般人です。ここまで人に認められなくても、身近な人達に認められれば十分でしょう。 人間が長所(表)と短所(裏)があって自分を構成しているなら、障害という悪いと思われている部分も、あるいは表となり、裏となるものではないでしょうか。2つで一つですし、表も裏も紙一重ですから。