- ベストアンサー
幽霊が見える人、霊感が強い人
- 幽霊が見える人とは感受性が強い人であり、幽霊はエネルギーとして存在すると考えられる。同じ波長を持つ人が同じ感情の幽霊を見ることができる。
- 幽霊を見る人は感受性が豊かであり、幽霊の存在はその人の感情や気持ちの現れであると考えられる。また、幽霊を見ることが自分の幻覚である可能性もある。
- 幽霊が見える人は経験や感情によっても影響を受ける。幽霊の存在を否定的に捉える場合、精神的な問題が関与している可能性がある。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ある現象がすべて同じ原因によるものだ・・などということはありません。 例えば幽霊を見るという行為が科学で証明できない…それは科学を知らない者の弁です。なぜか。 人が物を認識するのは脳が判断するからでしかありえません。リアルであれ、幽霊であれ、幻想であれ、脳が理解したから“見える”んです。そして現代科学は目の見えない人にも光を与えました。めがね型のカメラで捕らえた映像を電気信号に換え脳に伝える事により、今ではかなり良い映像が獲られるようになったそうです。今は端子が脳に入りますが、既に電磁波で送る事も実験されています。 つまり自称科学者が幽霊に反論する「目で見ず、脳が勝手に描いている映像」という根拠は科学自体が壊しているわけです。 霊というのは電磁波の一種、或いは魂が電磁波を出しているのではないか。思念エネルギーではないかという説があります。となれば、視神経を介さず、直接脳に信号を送り、映像を見せるのが幽霊だとすれば、科学が幽霊を否定する根拠がなくなります。心霊現象が非科学的な世界だとするほうが間違いなんです。 幽霊を見るという感覚は、実際に見るという場合、物理的にないものを見る場合、妄想や夢のいずれの場合もあります。 何を持って区別するか・・それはいまだ科学でも解き明かせていません。 それどころか、現実には、物を数字として認識する人、音で認識する人、逆に音を光で認識する人など様々なケースがあるんです。ではそのような人は妄想を見ているんでしょうか?それは違いますよね。科学では「物を見る」ことすら完全には解き明かしていないんです。 私は心霊現象の中で妄想ではない部分の多くは残留思念だと考えています。残留思念も幽霊も区別等できないのですから、混同しても仕方ないでしょう。 ここからは科学から離れます。まだ霊の定義すら出来ない科学を論じても視野が狭くなるだけですから。 霊能には持って生まれた能力と、与えられた能力とがあります。 動物には霊能があります。密閉された二つの離れた空間で通じ合うことが出来ます。人間も古代においてはあったと考えています。ところが脳の発達を得た人間は死力や聴力が減衰し、霊能力が消滅したと私は考えています。つまり霊能があるというのは「先祖返り」なんですよ。 コレに対し、与えられた霊能があります。コレには高位霊と低位霊とがあります。 霊能者は特殊で優れた能力だと考えるのは誤りです。詳細は省きますが、知人は低位の霊に支配され悲惨な最期を遂げました。否、死ねなかったんです。父は高位の霊を受けている人の指導で、その低位の霊を除霊し、知人を安らかな旅路に送り出す事に成功しました。 霊能というのは時に自分の体に自分以外の霊を宿す事になります。この場合、自分の精神が耐え切れなくなったり、低位の霊の言いなりになると精神が破壊されます。統合失調症様の症状はコレによるものなんです。 霊能など無くたって幸福に生きていけます。だから霊能など無いに越したことはない。 霊能を自慢するものは先祖返り、つまり「自分は猿に近い」と自慢してるくらいに思っていたほうがいいです。 そんなものに惑わされるより、現実の中の幸せを大切にするほうが遥かにイイと私は思います。 霊能者の中で見えるとか感じるなどというものが人になんだかんだ言うのはインチキ占い師が人を不安にさせているのと同じ。こんなものに耳を傾ける意味はありません。霊能者と自称するならキチンと処理できる人に限ります。
その他の回答 (4)
- blackluna
- ベストアンサー率29% (5/17)
まず、輪廻転生はロマンチックで、僕も信じたい部分ではあります。 でも本当に存在するかどうかは実証不可能です。記憶が無いからです。 あったとしても生前自分が~~であったという事と、その~~の記憶を持っている=生まれ変わりだという立証にはなりえません。 >実際そういう幽霊と言われる存在を見るのには波長があえば見れると聞きます。 波長とはなんですか、科学的に立証できるものでしょうか。 >見えているのが幽霊ではなく、自分の幻覚である可能性も否定できないのではないかと思います。 君は今自分が見えてるもの全てが全て現実とどう説明できるのかな。それを証明するには哲学の知識が必要じゃないかな。僕はやったこと無いけど。 僕は幽霊を見たことがなんどもあります。ベッドを揺らされたり、 僕の周りを暗闇の中で走り回ったり、緑のモヤが人の形になっていくのを、 誰もいないはずの居間で、なにかが苦しそうにうめくのを。(家族全員所在を確認済み) 超自然的なものを、ついさっき思いつきました的な発想で 「俺は幽霊の理屈が解った」というのは余りにも滑稽だ。 もっといってしまえば、幽霊が見えたからなんなんだとその友人の真偽に関らず問い詰めたい。 幽霊の存在より、幽霊にあっても、面白半分で嘘をついたとしても そういった状況に知らず知らず陥っていまった事の方が本当に怖い。 私が貴方の言うとおり、精神病じゃなく本当に幽霊に出会っていたなら その存在を弄んでヒロイズムとナルシズムに陥った人がホラを吹くのが本当に気分が悪い。 もし本当に出くわしたなら、その理屈なんてものはどうでもいいと思う。 あったことをありのままに話して信じてくれる奴を大事にすれば良いんじゃないかな。 TVや映画、ゲームで作られた幽霊は偏見に満ちたただの見世物パンダじゃない? 是非興味が尽きないようなら学者になって、その存在の理屈を存命のうちに公表していただきたい。 多分1年もしないうちに、虚しくなると思う。 「木村タクヤにあった!前世で波長が通じてるからあえたんだ」っておかしな事言ってる奴と いってる理屈は変わらないからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一応僕の考えはあくまで一つの例で真っ向から霊的なものを否定する気はないですね。 ただ、どうしても幽霊という存在を見た!というほどの確証もないので考えが否定的になってるのはいがめませんが……。 回答者様はいわゆる霊感が強い部類なのでしょうか? 恐らく幾度となく霊というものを目撃されて怖い思いなどもされたのかな?と思います。 そういう物が見える方からすれば、病気扱いされたら気持ちがいいものではありませんよね。 ちなみに否定的なことを言っているつもりでも今日気功の先生に身体を見てもらった際に霊視も行えるということでお願いをしてみたんですよ。そうしましたら、霊体に憑かれてるようには見えないそうですが、頭の方に邪鬼が溜まっており、思考力と記憶力が落ちてるとのことと、それから守護霊が見えるとのことでした。 否定的なことを言っている自分でも守護霊の存在は信じたいなぁと思いました(笑) まぁそれを信じるのであれば、波長云々の理屈も通らなくなってしまうのかなと思います。 もともと以前から考えていたことではあったのですが、自分の考えが絶対だとは毛頭思っておらず、みなさんはどのような意見をお持ちなのかな?と思って今回は質問させて頂きました。 恐らくこれを突き詰めて考えることはしないと思いますし、する気もないと思います。 恐らく答えは見つかることはないと思うからです。 と、お礼になっている文章なのかちょっと自信がありませんが、この辺で終わらせて頂こうと思います。 ご回答ありがとございました。
- Epsilon03
- ベストアンサー率24% (868/3495)
私自身霊感が強いと周りから言われます。 実際、幽霊と言われる像を見た事もありますし、ラップ音は良く聞きます。 しかし、幽霊は脳科学で説明が出来る様になってきてもいます。 ラップ音も物理的に説明も付きます。 従って結論的には物理的な幽霊は存在せず、精神的存在が脳機能に影響を及ぼし脳機能でのエラーの一つが幽霊と言う事にもなるでしょうし、脳は欠けている部分を補う事も行うので、そこに知識として持って居る幽霊などが当て嵌められてしまって見えたような状態になるのでしょう。 脳も時折暴走する事もあるらしいですので、それが幻覚や幻聴になったりして霊現象と思い込んでしまうのでしょう。 そのキッカケに恐怖心もあるでしょうから、「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」と言う言葉もありますので、脳の暴走やエラーが引き起こす現象でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 霊感が強いと言われる人でまさか心霊現象を否定されるとは思っていませんでした。 脳の暴走でそういうことがあるのですね……。 脳とは不思議なものです…。
- yuu222222
- ベストアンサー率25% (7/28)
以前どこかで、「死んだ人のほうが多いのだから幽霊がいてもおかしくない」というのを聞いたことがあります。 なるほどな、と納得いたしました。 私も子供のころに幽霊が見える友達がいましたよ。 小学生のころ、部活の帰りに真っ暗な廊下に消防のランプ(学校に設置されているホースがついているもののことです)をみると、お化けだー!といってキャアキャア走り回ったことがあります。 私は見たことはないですが、ちょっとだけもしかしたら、という体験があります。 一人暮らしをしていたアパートで、ロフトに上る梯子を上る音がする(隣の部屋の音?) 両親が寝ているのに下で歩く音がする(隣の部屋?) 視界の端で、白いものが下に落ちていくのが見える(光の関係?) などです。 置いたはずの場所から物が移動していた(自分で動かしたのを忘れただけ?)ということもありました。 怖いのにお化け屋敷にいくようなもので、怖い(怖がること)=楽しいという気持ちが、現実で起こった些細なことを幽霊と結びつけているということもあるかな、と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も子どもの頃はよく幽霊だー!と騒いでことはよくあります(笑 僕も幼少期幽霊?と思われるもの体験したことがあります。 6階マンションのベランダから塀を乗り越えて下を覗きこんだ時、白い服を着た女性が目の前で笑顔だったことがあります。……叔父も白い服を着た女がいると言っていたので、あれはもしかしたら……。 >>怖い(怖がること)=楽しいという気持ちが、現実で起こった些細なことを幽霊と結びつけているということもあるかな、と思います。 それはありそうです(笑 なんだかんだで楽しいですからね。
人がどのように幽霊を見るかははっきり解明されています。 子供や原始人には命が無いものを命があるように錯覚する相貌性知覚という性質があり、夜、窓の外からナニカが覗き込んでいるように感じて恐れます。この性質は人によって違い、子供の頃から何も感じない人もおれば大人になっても闇に動く木の影を恐れる人もいます。しかし一般的に大人になるとこの傾向は弱くなります。原始人は海や山や石などあらゆるものに生命を感じ神として祭りました。 正常な大人が幽霊を見るのは疲労で頭がぼうっとなった時です。長い単調な山道を走るタクシーの運転手は、過去に乗せた女の客の記憶をつい先ほどの出来事と錯覚して、後ろを振り返ると乗っているはずの客が居ない、幽霊だった、というストーリーが生まれます。同じ山道がすべての運転手の脳に同じ作用をして、幽霊が出る峠道が生まれます。マサユメと言う現象も、初めての体験を「これは夢で見たな」と勘違いすることにより生じます。過去に夢で見たような気がするだけで、実はそんな夢は見たことが無いのです。 老人性痴ほう症になると過去と現在の区別がつかなくなり、部屋に居ない人たちと宴会をはじめたりします。まさに幽霊と宴会をしているわけですが、実態は単に夢と現実が混合しているのです。 かく言う私も子供の頃はいろんな物を恐れ、特にトイレの水を流す音が怖かったのですが、甥っ子が小さい頃は洗濯機の音を怖がって近づかなかったのだそうで、ごうごうと流れる水の音を怖れる遺伝子でもあるのかと感心したことでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、心霊に関しては否定派の方なのですね。 確かに私もご回答者者のご意見には賛成です。 幽霊を見たと言ってもそれが本当に幽霊だったのか?と言われれば、実際はただの幻覚…とまでは言わなくても勘違いというのはよくありそうです。 本当だった方がロマン?がありそうですが楽しそうですが…(笑)
お礼
ご回答ありがとうございます。 回答者様の仰っている霊体は即ち思念体のエネルギー体であるというのは僕の言っていることに近いのかなと感じました。 さてと高位霊と低位霊をお話の部分を読ませて頂いて、確かに統合失調症の原因が霊である可能性も否定できるものではないなと思いました。 統合失調症になった叔父もそのように思える父もどちらも宗教関連で統合失調症になりました。 どちらも神のお導きだと言っていたのですが、もしかしたら低位霊の仕業だったのかもしれませんね。 子どもの頃は霊感や霊能などには憧れを感じておりましたが、霊能などは持たないでふつうに生きたほうがよさそうですね。