あなたは肉を食べるということがどういうことか
はじめて知ったときどう感じられましたか?
すごく嫌だったと思います。
私は小学生でしたが、餓死と戦う心持ちになり
食べない
と意地を張りましたが、空腹には勝てず、なくなく食べました。
生きるためにはどうしよもないと
食べている罪悪感に蓋をして生きるようになった気がします。
今わたしはベジタリアンになりました。
なってみると、その心の蓋が自然に開かれて、心の空白がひとつ埋まったような感じを覚えました。
今まで殺すということについて、がんばって無関心をつとめてきたことも自覚しました。
殺すということについて、みんな心に蓋をしているのだと思います。
ベジタリアンに慣れてくると、肉って麻薬だったんだなという感想を抱くようになりました。
肉はおいしい
やめられない
そのためには殺害をしなければならない
心が痛い
でも生きるためだから仕方ない
心の痛みは無視しよう
そして殺すことへの罪悪感が麻痺したのではないかと。
肉は食べなくても生きていけます。
子供の私は分かりませんでしたが、食べなくても生きていけるのに食べて正当化するのは、麻薬に近いものを感じるのです。
感謝して食べれば、というひともいますが、本当に感謝して食べている人がどれほどいるでしょう。
すでに肉になってるのだから、廃棄する方がひどいという視点もあるでしょうが
需要と供給を考えれば、肉が売れ残るようになれば肉の生産は縮小されます。大量生産されて殺される命が減るのです。
あなたのような悩みを持った人がベジタリアンになって反旗をひるがえしてきたのではないでしょうか。
肉食のメッカな欧米でベジタリアンが多いのは面白い例ですね。
世界の食料不足も、肉食を減らすだけでかなり改善すると言われています。
月曜日だけは肉食をやめようキャンペーンなどが広まっています。それだけでもかなりの効果があるとか。
日本ではまだまだ知られていないキャンペーンですが。
というわけで
今までは肉の魅力に魅了され、気にしないできた大量生産の非道を
自覚した今は別の生活スタイルへ変化している最中、と言えるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 革命的なエネルギーができれば、生き延びられるかもしれませんね。 でも、何かがおかしいと思います。 文化、人の心。 人類は、わかっていないのでしょう。 結果は、誰にもわからないので、今生きる自分のためだけに生きるのが、生命として自然なのでしょう。 しかし、知的生命体としての責任を感じなければいけないと思います。 ある人(経済学博士課程)がいいました、「自分が死んだら世界は無いもの。 来年の食べるものと、今晩の夕食がどちらがだいじですか?」 経済学者でも、このような考え方をしているのです。