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ひよこは可哀想ですが、他の生命体の倫理は。。。
この前、facebookでひよこの大量生産を見ました。 小さな体のものは、生まれたらベルトコンベアで運ばれ、行きたまま粉砕されていました。 アメリカだけで、数十億/年だそうです。 大量生産によって、他の生命体の倫理が侵されていますが、 人々はどう考えてきたのでしょうか。
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一部、特殊な例をもって正当化する意見がありますが、大勢に影響はありません。 拝金主義が進めば間違いなく破滅です。 人類の救世主であるシェールガス革命も反面、環境に対する影響を危惧されています。 しかし拝金主義者のエゴには勝てません、さて、どうするか?
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- 1coconattu1
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あなたは肉を食べるということがどういうことか はじめて知ったときどう感じられましたか? すごく嫌だったと思います。 私は小学生でしたが、餓死と戦う心持ちになり 食べない と意地を張りましたが、空腹には勝てず、なくなく食べました。 生きるためにはどうしよもないと 食べている罪悪感に蓋をして生きるようになった気がします。 今わたしはベジタリアンになりました。 なってみると、その心の蓋が自然に開かれて、心の空白がひとつ埋まったような感じを覚えました。 今まで殺すということについて、がんばって無関心をつとめてきたことも自覚しました。 殺すということについて、みんな心に蓋をしているのだと思います。 ベジタリアンに慣れてくると、肉って麻薬だったんだなという感想を抱くようになりました。 肉はおいしい やめられない そのためには殺害をしなければならない 心が痛い でも生きるためだから仕方ない 心の痛みは無視しよう そして殺すことへの罪悪感が麻痺したのではないかと。 肉は食べなくても生きていけます。 子供の私は分かりませんでしたが、食べなくても生きていけるのに食べて正当化するのは、麻薬に近いものを感じるのです。 感謝して食べれば、というひともいますが、本当に感謝して食べている人がどれほどいるでしょう。 すでに肉になってるのだから、廃棄する方がひどいという視点もあるでしょうが 需要と供給を考えれば、肉が売れ残るようになれば肉の生産は縮小されます。大量生産されて殺される命が減るのです。 あなたのような悩みを持った人がベジタリアンになって反旗をひるがえしてきたのではないでしょうか。 肉食のメッカな欧米でベジタリアンが多いのは面白い例ですね。 世界の食料不足も、肉食を減らすだけでかなり改善すると言われています。 月曜日だけは肉食をやめようキャンペーンなどが広まっています。それだけでもかなりの効果があるとか。 日本ではまだまだ知られていないキャンペーンですが。 というわけで 今までは肉の魅力に魅了され、気にしないできた大量生産の非道を 自覚した今は別の生活スタイルへ変化している最中、と言えるのではないでしょうか。
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ご回答ありがとうございました。 そうですね。知能を得た生命体として、 コントロール出来るところですので。 自分が運良く知的生命体に生まれただけだということを、 学校教育で教えたほうがいいと思います。 宗教は非論理的で、教育には入らないのかもしれませんが、 宗教的に理解するレベル迄行かないといいけないと思います。 ゲームだけではなく、全てがある意味バーチャルなのでしょう。 人間社会で勝ち残るために、経済学を駆使して、優位に生きようとする人しかいない世の中です。 人間自体がそれなのです。 問題意識を持たなければ行けないと思います。、
- dodonmai123456
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何も考えていません。 考える必要があるとしたら、それはこれから作られる常識ですね。 そういう議論が活発になってきたのは、ほんのここ数十年前からです。 畜産業や漁業などの従事者以外は、そのようなことが行われていることすら知りませんでした。 従事者は、倫理など気にしていたら収入を得られないので気にしている余裕がありませんでした。 (そう言う意味では、無為に殺されていくものも含めて”生活に必要な分だけとっている”ことになりますね) また、こういった話が議論される時に 「昔の人間は必要な分以上はとらなかった」 と言いますが、事実とニュアンスが違っていて、 「必要な分を取るだけで精いっぱいだったので、取れなかった」 が、正解です。 事実、ある動物の毛皮、ある木の実が都市で流行して需要が見込めるようになると、その地域の人総出でとりつくしてしまった…ということが、近代以前にも起こっていますね。 さらに、「動物は意味もなく他の動物を殺したりしない」などといいますが、これも間違いです。 猫飼ってるとわかりますが、猫は良く食べもしないのにネズミやゴキブリを殺しますよね。遊びだったり、飼い主に対するプレゼントだったりのために。 メスへのプレゼントに獲物を捕らえる生き物はたくさんいます。そのプレゼントがメスのお気に召さなかった場合、どうなると思います?ほとんど廃棄です。腹が減ってれば食べることもありますけど。 「モズのはやにえ」って有名ですよね。これは食べ物の備蓄だから必要がある分の殺しだ…と思いきや、ほとんどのはやにえが忘れ去られて放置されるらしいですよ。獲物は完全に無駄死にですね。 アシダカグモっていうクモがいるんですけど、コイツは非常に攻撃的で、今とらえた獲物を食べている最中でも、別の獲物が視界に入ると殺します。その際、もともと食べていた獲物は大抵の場合食べかけで放置です。クモは生きている餌にしか興味を示さないので。 動物も、昔の人間も、現代の人間も一緒ですよ。 人間は頭が良くて力があるから、一個体、あるいはつがい、あるいは群れで消費できる以上の獲物や道具を得ることができるようになっただけです。
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ご回答ありがとうございます。 他の生命の苦しみが、ブラックボックスになっているので、なかなか、人は節約しようとしないのでしょうか。 人間以外から見れば、恐ろしく悲しいことだと思います。
- kque
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肉食動物でも満腹時は獲物を襲いません。 人間も動物なので、食べるため及び自衛に関しては問題ない。特に食のための殺傷には感謝が伴います。 それを超える殺傷は殺戮となり地獄に落ちるわけです。 以上が、原日本人が本来持っていた思想です。 現状の西洋の海賊とユダヤの末裔による野蛮な拝金主義者しかいない社会は、自分さえよければ良いという思想です。 近い将来、世界を破滅させるでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この流れを止めるための動機がなければいけないのでしょうか。 認識することが必要ならば、現代は、少しは誰もが認識できる状況になっているのでしょうか。
現状は他の生命を犠牲にして生きるのが生物です。 人である以上それを否定する権利は無いでしょう。 逆にそういう命を大量に犠牲にして人が成り立っていると考えては? 自分の命を大事にすることは犠牲になった多くの命を尊重する事でもあります。 まあ、やがては遺伝子工学や細胞培養で直接「肉」を作り出す世界が来るでしょう。 その時に始めて人は他の生命を犠牲にする事無く自らの命を保つことができるようになったということです。 牛の細胞を培養して霜降り肉だけを量産するとか、マグロを殺さず中トロだけを作るとか…。 そんな夢のような世界が徐々に現実的になりつつあります。 いつか自分の命を保つ為に他の生物の生命を犠牲にすることが「野蛮」であると禁止される日も来ると思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうなればと思います。
なんにも考えていない。 目先の利益や自分の生存のために、 平気でほかの生き物を犠牲にしている。 人間は自然の法則を侵しつづけている。 今異常気象が起こっているのも、 そろそろ人間が法則的には 淘汰される必要があるからじゃないの?
お礼
ご回答ありがとうございます。 難しいですね。難解です。
人間に関わった全ての生き物は不運であり不幸です。 全ての生物を支配する人間として常にその気持は持たないといけないと思います。 ペットは人間を幸せにしますけど、ペット自身はただの奴隷です。
>人々はどう考えてきたのでしょうか。 大抵の人はそんなものは みない。考えない。 でないと、しれっとした顔で生きていけません。 気にする人はそういうのを見て ベジタリアンに転向したりします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 革命的なエネルギーができれば、生き延びられるかもしれませんね。 でも、何かがおかしいと思います。 文化、人の心。 人類は、わかっていないのでしょう。 結果は、誰にもわからないので、今生きる自分のためだけに生きるのが、生命として自然なのでしょう。 しかし、知的生命体としての責任を感じなければいけないと思います。 ある人(経済学博士課程)がいいました、「自分が死んだら世界は無いもの。 来年の食べるものと、今晩の夕食がどちらがだいじですか?」 経済学者でも、このような考え方をしているのです。