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「寝床」では御簾の中で義太夫を語っていますが、作法
古典落語の傑作に「寝床」がありますね。義太夫マニアの旦那が、義太夫を語って、店子や店の者を苦しめる、というストーリーです。 この旦那が、御簾の内で義太夫を語っています。 素顔を晒さないで、御簾の内で語る、といのは、義太夫の作法なのですか? あるいは、落語の構成の都合で、御簾の内で語ることになったのですか?
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作法と構成上の都合の両方の要素だと思います。 寝床の義太夫は浄瑠璃ですから、人形を使う場合、観覧の邪魔にならないように御簾を使う事もあります。 また「寝床」の場合は目の前で客がバタバタ寝てしまう訳ですから、御簾内で語った方が、それに気付かなかったと言う事になり自然です。 演者によっては、「今日は喉の調子が悪いから御簾内でやります」と言っている場合もあります。
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こんばんは。 さあ・・・どうなのでしょうね。 あまり面倒な理由もないような気もしますけど・・・。 語り物ですしね! 男と女の悲しい別れを爺様に語られても興醒めでしょうし。 顔が見えないほうが我慢も出来るかな?(笑) 想像をふくらますには御簾内のほうが良いのでは? 義太夫の作法ではなく、テク二ックでしょう。 私はそう思いますけど・・・。 「寝床」と言うと私は志ん生さんを思い出します。 笑いの神が降りたような・・・客席が爆笑の渦で! 私は大好きです。
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回答ありがとうございました。 <男と女の悲しい別れ> では、演者が御簾内に隠れてもらった方が、想像力が膨らみますね。 志ん生さんに出会えた方は、幸せでしょうね。羨ましいです。
- somikakuda
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もともと「義太夫節」というのは、文楽の浄瑠璃を語るためのものです。 歌舞伎にも移入されました。 歌舞伎や文楽の舞台で義太夫を語るときに、 舞台袖に壁の一部のような形で太夫さんの場所を作り、御簾を降ろして 客席から太夫さんが見えない状態で語る演出があるのです。 義太夫そのものを単体で語る演芸も、寄席などでやっていましたが、 ふつうに「義太夫」といってイメージされるのは、 江戸なら歌舞伎、上方なら文楽です。 なので御簾の内で語る、とうう発想になるのでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。 <もともと「義太夫節」というのは、文楽の浄瑠璃を語るためのものです。> なのですね。したがって、 <舞台袖に壁の一部のような形で太夫さんの場所を作り、御簾を降ろして 客席から太夫さんが見えない状態で語る> のですね。 義太夫の役割を教えて頂きました。
お礼
回答ありがとうございます。 <演者によっては、「今日は喉の調子が悪いから・・・・・> ですね。 ほとんどの演者は特に理由もつけず、(人形を使わないのに)御簾内で演じることにしておりますね。かって、ごく少数の演者が、何か理由を言って、御簾内で演じ、聞いていて納得した記憶が微かにあります。しかし、本当に聞いたかのかどうか不確かで、私の記憶間違いかもしれないな、と疑い、今回の質問をしました。