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日本の司法は庇っているのか? 裁判官のインチキについて考える
- 日本の司法は和解を優先し、冤罪を庇っているのか?多くの痴漢冤罪が存在している中、疑わしきは罰せずの姿勢が問題視されている。
- 広く世間には捕まれば被害者になるという偏見があり、被害者からの怒りも募る。裁判官は社会的常識とズレているのか、そのやりがいはあるのか疑問視されている。
- 誰もが公平な裁判を求めている中、裁判官に求められる責任とは何なのか。社会的に許されない行為をしても法律的に大丈夫なのか、その葛藤も考えさせられる。
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何に怒ってるんだ? 日本の裁判の在り方か 裁判官の心根か それとも単なる妬みか。 インチキって何だ? 人が人を裁くなんてのはそもそも間違いがあって当然。 それは裁判官も分かっている。 神様じゃ無いんだから。 裁く資格だって国という社会は認めているが 個人に返ればただの人だから 実際ストレスで心を病む人だっている。 だが誰かが判断しなければいけない。 杓子定規にやれば人道からはずれる 心情を汲めば被害者が怒る 厳罰を処せば弁護士が張り切り 上告すれば全員に費用がかかる。 メディアに叩かれたりもする。 こんなのを一つ一つ溜め込んでたら生きていけない。 だから彼らのような役職は 決して全知でも万能でない自分を自覚しつつ 過ち在る人間を過ち在る人間が裁く事が必要とされている現実を見据え それでも自分達の考えられる最良の道を選ぼうとする。 だから時々普通ではおかしいという判決も出る。 何しろ彼らは「法」の欠点も矛盾も理解しているから そしてその大切さも理解しているから いつもそのバランスを周りから要求される。 それ故視点次第でおかしな判決も出る。 必要悪なのか必要善なのかは彼らとて分からない。 だが必要である事に変わりは無い。 心情的にこれがやりがいなのかと言えば首をかしげるが 「社会に必要とされる」のはやりがいとはいわんか? 人は例えどこであれ自らが立つ場所で より自分を活かす道をやりがいと感じる。
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- trajaa
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「疑わしきは罰せずです」 それで良いというコンセンサスが社会的に出来上がっていると思うのだが貴方は違うのね? 怒りをぶつける相手がずれてない?
お礼
もちろんです。それが世間体じゃないですか? 法律マニアの人間はそれが法律だ、といってもだから日本はダメなんだと返される。 だから創価の番人と言われる。 それでもやりがいあるんですかね?
お礼
あいつらは創価の番人だから と言われながらやりがいってねえ・・・ >社会に必要とされる 別にって感じでしょう。万引きでも死刑でOKと思ってる人もたくさんいるでしょう。
補足
>人が人を裁くなんてのはそもそも間違いがあって当然。 ふざけんなって思いませんか? ありえんでしょう。 だから屑なんですよ、裁判官は。