そもそも神社の参拝法などというものが成立したのは戦後、神社本庁設立後の事です。
それ以前には昇殿参拝による神職の作法は明治政府の所管庁によって纏められましたが、一般人の参拝法などありません。そもそもが厳島神社春日大社だって読経していたんですから。江戸時代には仏教上位の姿勢も極まっていました。
寺だ、神社だと分けたのは明治新政府の神道国家樹立のための、あくまでも政策によってです。寺を重んじた徳川幕府に対抗して尊皇を掲げた手前、神道を重視するために強引に分けただけの事です。
そして神仏分離令の過剰反応である廃仏毀釈から難を逃れるために寺の多くが神社になっただけです。厳島神社も本尊を裏の寺に預けて神社になっただけの話です。
様々な記録を観ると、神社だろうが寺だろうが、一礼、或いは合掌が一般的です。
大日如来は本地垂迹で天照大神の本体ですから、お堂だから仏教というのも正しくはありません。
要するにどちらでも気の済むほうでイイということです。
太陽に向かって合掌する人も、拝礼をする人も居るでしょ。どっちが正しいなんていいませんよね。
大日堂に鳥居があったら?金(ドラ)ではなく鈴があったらどうします?逆に鳥居の祠にドラがあったら、どっち??
神仏習合の時代に作られたものであれば、神社だ、寺だなんてものはないんですよ。
なので、古来の方法で参るなら一礼、或いは合掌で十分。もちろん二礼二拍手しても全く問題はありません。