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カウンセラーへの感情の処理
- アメリカ在住の女性が鬱病の治療のために受けたサイコセラピーで思考回路が改善されたが、カウンセラーへのモヤモヤが生じている。
- カウンセラーは大学教授のベテランの女性で、治療をする中で陽性転移を利用した。
- 彼女は本当に感情を抱いているのか、演技なのか分からず、このモヤモヤを消化できない。
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質問者が選んだベストアンサー
前回の質問にも回答した者です。 質問者さまが受けているサイコセラピーは精神分析系でしょうか? 精神分析では、転移を積極的に治療に利用するとネットでですが読んだことがあります。 転移でとことん苦しんだ私はそれを読んで本当に腹立たしく感じましたが。 ユング派の故河合隼雄さんはご存知でしょうか? 彼は、転移はない方が良いが、起きてしまったら仕方がないという考え方でした。 セラピーは治療のための契約関係です。 クライアントはお金を支払い、カウンセラーはお金を受け取る。 恋愛や親子などの愛情関係ではありません。 そこに恋愛感情としか思えないような恋焦がれる想いが湧いてきてしまうのですから、 恋い焦がれる一方で、腹立たしいのは当然の感情だと思います。 私は2番目のカウンセラーが母性の強い方&転移についての深い理解のある方だったので、 私の赤ちゃん返りをそのまま受け止めてくださいました。 というか、なぜか私が安心して赤ちゃん返りできたんです。 その方に会って、お絵かきしたり、折り紙したりするまでは、 私は私の身体の奥深くから突き上げてくる強い感情が恋愛感情なのか、何なのか分かりませんでした。 以前回答したように真剣に同性愛なのではないかと悩んだくらいでした。 「あなたの欲求をそのまま満たすことはできないけど、いくらかは満たすことができるよ」 と彼女は言ってくださいました。 私が辛い時は肩を抱いてくださったし、 甘えたい時は膝枕をして、トントン手で拍子をとりながら子守唄を歌ってくださったし、 哺乳瓶にミルクを入れて飲ませてももらいました。 ホント、恥ずかしいですが、私は乳幼児のときの母親との関係構築に問題があって、 そこまで戻ってしまっていたのです。 で、赤ちゃんになっているときは心から満たされた、幸福感に包まれた、もう雲の上の心地でした。 でも一方で、私はいい年をした大人でもあったので、 支払いをしてカウンセリングルームを出ると、なんとも言えない気持ちにもなりました。 お金で愛を買ってるんだとさえ考えたことがありました。 逆にカウンセラーはお金で愛を売ってるんだともね。 そんな自分が恥ずかしいし、悔しいし、嫌だったけど、もう乗りかかった船なので仕方ない、行くとこまで行こうという感じでした。 私は帰省した時に、1度だけ老いた母に「今夜は一緒に寝ようよ」と甘えて言って、 母とひとつ布団で寝たことがありました(母が承諾してくれたのが本当に意外でしたが)。 そのときは、緊張したし、母は窮屈じゃないだろうか、寝苦しいのじゃないかしらという思いでゆっくり眠れなかったけど、 お金で愛を買っているような惨めさはなかったですね。 今は亡き母との陽だまりのような温かな貴重な思い出になっています。 河合隼雄さんは陽性転移について書いています。 「異性のクライアントから恋愛感情を向けられて嫌な気がするカウンセラーはあまりいない。いい気になってしまう人も多い。しかし、それが(その恋愛感情が)なんなのか、よく分かっている私には嬉しくもなんともない」と。 果たして、質問者さまのカウンセラーがどこまで陽性転移について理解しているか(机上の理解と体験からの理解では天と地の差があると思いますよ)分かりません。 でも、ハグとか触れ合うことには応えられないけど、彼女が出来る範囲内では応えようとはしてくださっていると思います。 それが絵を飾ったり、個展に来てくださったり、優しい言葉をかけてくださったりなのでしょう。 ファンだということも治療のための演技やテクニックではないと思いますよ。 質問者さまには「私はあなたを愛すことはけっしてない」と拒絶されたと思えば、ファンだと言って絵を飾ったり、「愛慕の情で繋がってる」と言ったりで理解しがたいのでしょうが、「愛」にも色々ありますでしょう? 彼女の言う「あなたを愛すことはけっしてない」は同性愛的な性愛を言っているのかもですし、でも友情のような愛情は持ってくださっているのでは? 言えることは、質問者さまが混乱されているように、カウンセラーもきっと混乱されているのでしょう。とうすればいいのかね。 どうしたらいいのか分かっていて演技しているのではないと思います。 とても苦しいし、辛いし、だけど離れられないし、質問者さまもともてお辛いでしょうが、 河合隼雄さんではないですが、(陽性転移が)起きてしまったものは仕方ないです。 質問者さまが欲しい愛とカウンセラーさんが差し出してくれる愛がずれているので、苦しいのでしょうが、 なんとかなんとかしのいでくださいませ。 私としてはその苦しみを絵画に昇華してくださればと願っています。 酷ですが、質問者さまのカウンセラーは、質問者さまが欲しくて欲しくて仕方ないものを持っていらっしゃらないのです。 私の最初のカウンセラーが持っていなかったように。 どんなに望まれても、持っていないものは与えることはできません。 辛くても、辛くても、諦めるしかないこともこの世の中にはあります・・・。 最後に、どのくらい正しいのか分かりませんが、作家の故森瑶子さんがアメリカでカウンセリングを学んだ河野貴代美さんにカウンセリングを受けたとき、森さんは河野さんに「根本的な治療をしてしまうと芸術的才能(?)が失われる」と言われて、その時点でカウンセリングを止めたそうです。 ヘルマン・ヘッセがカウンセリングを受けたのは有名ですが、彼はその体験をもとにした「荒野の狼」書いた後、小説も詩も書くのはやめています。 私はコピーライターを生業にしてしていましたし、詩や小説も趣味で書いていましたが、赤ちゃんから育て直しをしてもらった後、イメージが膨らむことがまったくなくなり、ペンを置きました。 質問者さまが画家でいらっしゃるのなら、自分の人生で何が一番大切なのかを今一度お考えになることも必要かと。 なんの治療のためのカウンセリングなのか私には分かりませんが、治療のためなら絵筆を置くことになってもいいでしょうか? 私の場合、そこまでしても、私が望んだ私にはなれませんでした。マイナス10がマイナス3位にはなりましたけど。 むしろ、私が陽性転移で苦しんでいた間、家庭も仕事もおろそかになり、失うものが大きかったです。 創造性という宝も失いましたしね。 少しでも参考になれば幸いです。
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- xxxassamxxx
- ベストアンサー率27% (37/136)
理詰めして、そういう一貫性のないことをすると困るといってはどうかと。 親離れするのに反抗みたいなことってあると思うんですが、そういう儀式が必要なんじゃないですか?
誰の言葉も、誰にも正確には解らないでしょう。 皆が皆、相手の気持ちを想像しながら生きているのです。 いえ、想像しかできないと言って良い。 推測と思っていても、本当には憶測かもしれず、妄想かもしれない。 推測と憶測と妄想の差は、誰から見ても もっともらしいか、そうではないかの差でしょう。 推測と妄想は見分けがつきやすくとも、憶測はというと「当事者にしか分らない」。 >「私はあなたを愛すことはけっしてない。」 >「私はあなたの大ファンなの」 これは、「私は“あなたの望み通りに”あなたを愛することはけっしてない」 ということなのでは。 でも、この私の推測が憶測になるのか否かは、当事者であるカウンセラーにしか解らない。 でも妄想とは言えないと思うし、当たっている可能性は否定できないとも思います。 カウンセラーとクライエントは、親友にも姉妹にも母子にもなれない。 模した関係はその空間のみで、診療室を一歩出たら赤の他人。 担当のカウンセラーは、診療室を一歩出たら画家としてのご質問者の一ファンであり、創作活動に大いに期待している。 でも、家族や親友のように、痛みを分かち合う分身のような親密な関係にはなれない。 …そう言いたかったのではないでしょうか。 >私の絵を部屋にかざったり、個展に来たり、じーっと見つめられたり カウンセラーから感情移入されているということは、実際にあるのかも。 それは、否定できないと思います。 けれども、そのカウンセラーは誰にでもそうなのかも。 真面目に通うクライエントには親身になるという性分があるのでは。 しかし、絵を飾ったり、個展に来たり、見つめるという行動に翻弄されて苦痛なら、もう、その人のもとへ通うのは止めたら良いと思います。 利用されたと考えるよりも、「巣立つときが来たんだ」。 その様に捉えたら良いのだと。 >「あなたが何を考えてるかさっぱりわからない。」と言うと、「そうね。」で終わりです。 これは、この回答の最初に書いた通りです。 そして、クライエントに感情を見透かされるようでは、カウンセラー失格だと思っているので、そのように返答があったのだと思います。 >もう、どこまで演技なのか…。 自らが踏ん切りをつけることで相手も変わる。そういうものだと思います。 カウンセラーのあやふやな態度がご質問者に悩みを生じさせているし、ご質問者の迷いがカウンセラーに伝わっているとも言えるのではないでしょうか。 疑うぐらいなら、やはり「潮時」なのでしょう。 限りなく恋愛感情に近い感情を抱いてしまったが故の疑念だと思います。 本当に演技であったにしろ、そうでなかったにしろ、カウンセラーを深く愛したり憎んだりは不味いと思います。愛憎とは、家族や親友レベルの結びつきを得た人、そういう関係が許される間柄のみが耐えられる感情だと思います。 他人に向けた場合も向けられた場合も、限りなく傷つき泥沼になります。 カウンセラーは導く人であっても運命を共にする人ではないのです。
お礼
私の望む通りには愛してくれない、その通りに思います。私はこの人から求めすぎていました。「今以上に何を私に望んでいるの?」とも言われました。時間外に電話をしても、長いメールを送っても優しく対応してくれるので甘えすぎていました。 診療所をでると赤の他人、この事実がつらいです。このことを考えたくありませんでしたが、受け入れる努力をします。 ありがとうございました。
>それをそのまま彼女に言ったら「ほんとにそうね。」とか「私もあなたの立場だったらそう思うわ。」とかあっさり言ってのけます。 うーん、どう言って欲しかったのでしょう? きちんとしたセラピストだったら、クライエントが「なんだか裏切られたような変な気持ちになる場合もある」ということを知っているはずです。 教育分析のような、「セラピストになるために自分がカウンセリングを経験する」こととか、今現在でも技術向上や研鑽のために「カウンセラーのためのカウンセリング」を受けているとしたら、そういう気持ちを経験しているかもしれません。 http://www.1-ski.net/archives/000360.html http://www.kokoro.net/modules/cp_blog/details.php?bid=29 訓練や経験を積んだカウンセラーが言う「ほんとうにそうね」は、一般人が言う「わかるわかる」とは、深みが違うだろうと、私だったら思うのですけどね。 カウンセラーは米国人ですか? 米国人に受けてるから文化的にコミュニケーションの感覚が違うということもあるのではないでしょうか?
お礼
はい、カウンセラーは米国人です。そうですね。コミュニケーションの感覚が違うことがあると思います。私なら言いにくい物事をストレートにズバズバ言うので驚いたり怒ったりすることあります。 ありがとうございました。
- sayubow2012
- ベストアンサー率39% (65/163)
そのカウンセラーは女性ですよね。 女性って、生理周期の関係か、非常にブレやすいと思います。 私なら、カウンセリングは男性の方を選びます。 陽性転移があっても、相手は絶対にブレませんし(プロならブレては困るのですが)。 話すたびに、相手の態度が変わったり、こちらが翻弄されるくらいなら、カウンセリングの意味がありませんので、即刻止めた方がいいように思います。 今随分寛解されてきたのであれば、思い切ってやめてみてはどうでしょう。 彼女の事が好きなら、尚メンタルに支障をきたすような気がします。
お礼
女性はブレやすいとはなるほどと思いました。ありがとうございました。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
>このモヤモヤを消化できません。 100パーセントの安心はきっとないですよ、100パーセント人間関係はないですよ、 少しくらいモヤモヤあっても当たり前だと思います、理想主義的な人間関係を 求めると心は病むと思います、理想主義は心を病むと思います。
お礼
そうですね。私は求めすぎていました。ありがとうございました。
お礼
覚えててくださり、また回答をしてくださり、ありがとうございます。私の経験をよく理解して回答をしてくれるので本当に感謝します。読んでいて涙がでてきました。 陽性転移の悩みは大抵、「治療者を変えるか、やめる」のを勧められるのでつらいです。会えなくなるのが何よりも恐ろしくつらいんです。いくらお金を支払っての関係でも、経験している感情はリアルなんですよね。やめることを想像するだけで引き裂かれるような感情です。 経験からのアドバイスとても興味深く読ませていただきました。 回復すると創造性が失われること、そうだなと思います。わたしは一生絵を描いていたいです。創造性は強い感情から生まれること多いとおもいます。ただわたしの場合はこのサイコセラピーに助けられたところおおいです。 失われて枯れていた感情がセラピーで生き返ったようなきがするからです。 なのでこのセラピーは続けていくとおもいます。カウンセラーからは、「あなたの心の傷は多分いつまでも癒えない。でも杖の使い方を学ぶことができる。傷があっても杖があれば歩けるでしょう。傷を受け入れることは弱さではないよ。」とおしえていただきました。 夫には中毒だとかセラピストの金づるだとか言われますが、私にとっては愛慕の情なんです。 しかしカウンセラーから得たいと思っていた愛情はあきらめます。今のままで十分得ていること、回答者様のアドバイスをよんでるうちに思いました。ただ欲しかった愛情の種類がちがってました。