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こんばんわ。大学生をしている者です。
こんばんわ。大学生をしている者です。 祖父が今日亡くなりました。私は京都にいて祖父は北海道にいて、親にお葬式に来なくてよいと言われています。けど、1回きりしかないのに行かなくてどうするんだとも思っています。親は授業のほうが大事で、祖父も授業に出ることがよいと思ってるのではないかと言っていました。本当にそうなのでしょうか。確かに、北海道の地方都市なので飛行機片道だけで4万はかかりますが、行きたいという気持ちがあり、まことに複雑です。揺れています。どなたか助言をくださると有難いです。お願いします。
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- sayapama
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祖父の立場に立って考えてみれば、京都から北海道の地方都市まで、高額な交通費をかけて大学生の孫が、授業を休んで足を運んでくれる事は、嬉しくはありますが、非常に申し訳なく忍びない気持ちになります。 それよりも、自分の事を思ってくれて、学生の本分である学業に精を出してくれる方が嬉しいですね。 大学の長期休暇を利用して、旅行もかねて何らかのついでに顔を出してくれて、線香の1本でもいただければそれで十分です。 孫思いの祖父さんであれば、なおの事 「若い者が無理をせんで良い。ワシにかける金があるのなら、自分のために使ってくれ! 気持ちだけで十分じゃ!」 と考える祖父さんは多いでしょうね。
私も祖父の葬儀のとき、子供達が小さいし来なくていいよと言われて行きませんでした。 たしかに手のかかる時期の子供を二人抱えていて、祖父とは同居したこともないので特に強い思い入れもなく、行かないことを選んだのですが。 もし状況が許せば行くに越したことなかったと後から思いました。 なぜそう思ったかと言うと、祖父を見送れなかった後悔というよりも田舎の葬式を経験するのも一つの人生勉強の場だと思ったからです。 その後の祖母の葬儀には遅ればせながら駆けつけたのですが、その時思いました。 祖父の時も来れば良かったな、と。 葬儀には当然ながら一族が集まります。 結婚式の時にも呼ばなかった人達の顔も揃います。 何が面白いとか有意義という事でもないですが、自分の血筋、家系というものを意識する少ない機会なのです。 ほぼ初対面という親戚に会ったりするわけです。 親戚以外でも関わりの強い人などは来ていて、その人間関係や相関図を思い描くわけです。 何か、自分の存在意義みたいなものを意識するわけです。 ついつい人間って自分一人で生きてるような、自由に生きているような気持ちになりがちです。 今の時代はとくにそうです。 でも、そうじゃないな。自分が今あるのはご先祖の歩みあっての事なのだな、と。 そんな事を意識できる良い機会なのです。 中にはあまり知りたくない事や見たくない事実に出会うこともあります。 でもそれとて自分とどこかでつながってる人達の事だと思うと、いろいろと考えさせられるものです。 無理してまで行く必要はないけど、行きたい気持ちがあって、行ける条件が揃うなら、思いきって行ってみると良いと思いますよ。 お葬式って存外いろんな事を学ぶ機会なのです。
- merciusako
- ベストアンサー率37% (909/2438)
行きたいという気持ちがあるなら行くべきです。 一生に一度しかないです。
- waokun99
- ベストアンサー率0% (0/0)
無遅刻欠席を目指していたり、テスト前だったり、はずせない授業じゃなければ私ならお葬式に行きますね← 学生なんだから授業を大切にしろ!という意見も分からなくもないですが主さんのお気持ち次第ではないでしょうか?
- -tikatika-
- ベストアンサー率60% (6/10)
困難な状況(場所や費用や日時)で息子、娘の立場なら、出来る限り調整してでも行くべきだと思いますが 孫であればそこまではこだわらなくても良いかと思います ただお祖父様に思い入れがあり、ちゃんとお別れをしなかったら、後で絶対に後悔する!と思われるなら行くべきだと思います ただ費用面もありますので、出資がご両親なら合意が必要です きちんとお別れをしたいという熱意や、休んでいる間の講義(ノートや出席数など)の対応を含めたうえで説得をしてみてはどうでしょうか? もちろん結果行けなかったとしても、心の中だけでもしっかりお別れをしたら通じると思いますよ