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差別

マルクス主義悪平等社会主義なのかこの国は差別ができなくなった。 調べると昔は普通に差別があったようだ。お国に協力しないものを非国民とののしったり。 今は何でも個人の自由となり、受け付けないものを黙って敬遠するだけの社会。 日本人自身が異端化して、カルト化し外人を差別する力は弱いだろう。 古今東西、差別とはどんなものなのか、どうやって差別しているのか、 教えてください。

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  • hekiyu
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回答No.5

ある、米国の黒人運動家がこんなことを言って いました。 「心の中で、どんなに差別しても構わない。  それは信条の自由であり、誰もタッチできない。  ただ、就職や給料など、実害が無ければ  それでよい」 これに対して、日本人は、心の中の差別まで 禁じよう、とするのでぎくしゃくしてしまう んではないでしょうか。 ”古今東西、差別とはどんなものなのか、どうやって差別しているのか”     ↑ 歴史を見れば一目瞭然んでしょう。 身分、財産の多寡、社会的地位、性、ハンデ 人種、宗教・・・・。 人間は、他人と比較しないと己の位置が判らない のです。 そして、人間は、己の位置を認識せずにはいられない のです。 そこに差別が誕生するのでしょう。 ただ、面白いことがあります。 例えば、宗教です。 宗教が異なる、というだけでは、実は差別は 発生しないのです。 その間に、紛争などは起こりません。 異教徒間で、経済格差が出来ると、差別が発生し、 紛争が起こります。 この意味では、経済的差別がもっとも本質的 だと言えるかもしれません。

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  • key00001
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回答No.4

> 受け付けないものを黙って敬遠するだけの社会。 基本的には、それで良いと思いますが。 要は、あからさまな言動に表せば「差別」ですが、黙って敬遠する範囲には、ほぼ差別には該当しないでしょう。 違う言い方をしますと、頭の中では「差別」するのが普通です。 極論すりゃ、マルクス先生も、差別者を差別している様なモノだし。 あるいは「差別してはいけない!」と唱え続ける人が存在する限り、同時に「差別が存在する証明」とか、「差別が無くならない証明」です。 ただ、表立って差別しない方が、差別的な社会では?とは感じますね。 いわゆる「タブーが多い民族は野蛮」と言うヤツで、残念ながら、我が国は、こと差別に関してはタブーが多い点は全く同感。 欧米(特にアメリカ)などは、差別的な用語を用い、罵ることもしばしばです。 たとえば、身体障害者のアスリートがミスなどすれば、今の日本じゃ、ちょっと使えない言葉を用いで罵りますよ。 しかし、ファインプレーをしたり良い成績を遺せば、何ら屈託も無く賞賛もします。 一方の日本は、差別用語は用いないかわりに、常に障害者であることを意識しまくったり、特別視している様に感じますが、これは恐らく、「差別してはいけない」的な意識が強過ぎて、その結果、むしろ差別意識を強くしてしまっているのでは?と思われます。 また、放送禁止用語など「言葉狩り」に依存し過ぎて、かえって悪くなっている部分もある様に感じますね。 たとえば「目の不自由な人」と言う表現の方が、欠陥や欠損がある部位を特定しちゃってるしなぁ。 それと言葉なんて、完全に狩り取れるものじゃないし。 「め〇ら判を押しといて!」とか、産業界では「め〇らフランジ」なんてのも普通に通用してます。 > 古今東西、差別とはどんなものなのか これは奥深いですが。 たとえば欧米からは日本の捕鯨文化は差別的に扱われるし、その日本人は韓国の犬食文化などは「有り得ない!」と感じますよね? 即ち、歴史や文化の違い(差)など、違いや差がありゃ、何でも差別の対象になり得ます。 基本的には、差別に合理性があれば、それは区別と言われ、逆に合理性が無ければ差別ですが、その合理性も歴史や文化などの影響を受け、必ずしも普遍的なモノではありません。 一方、中には性差,世代(年齢)差とか個体差とか、統計学的な有意差など、如何ともし難い「差」も存在しますが、それらでも「差別してはいけない」などと言う人も存在し・・。 そう言う人とは、もう「考え方の違い(差)」であって、最終最後は、お互いに差別し合うしかないのでは?と思いますよ。 極左的で頑迷な平等主義などは、究極の差別主義と言えるかも知れません。 極左的な平和主義で言いますと、「平和に反対するヤツは皆殺し!」みたいな感じで、「それのドコが平和主義?」と言う話しと類似です。 冒頭の通り、言動に表す場合は慎重を要すものの、少なくとも頭の中では、差別は的確に捉えておくべきものかと思います。

  • dragon-man
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回答No.3

差別にもいろいろありますが、最も大きな要因は宗教と階級制度です。キリスト教国ではイスラムなど他宗教は差別迫害を受けます。ヨーロッパの中世史は宗教を原因とした争乱や戦争で明け暮れました。ヨーロッパの中世史は(近代史も)宗教戦争史と言って過言ではありません。西洋に根強く残っているユダヤ人差別は宗教が原因です。 それに較べると階級制度による差別はより根強いものはあっても、大きな紛争や戦争までには至らず、静かな差別といえるでしょう。階級制度が原因で起きた戦争の数少ない事例はアメリカの南北戦争です。国が二分して争い、その結果非差別派の北軍が勝ったのに、いまだにアメリカの黒人差別はなくなっていません。むしろ広がっています。最も厳しい階級制度がインドに残っていますが、それが原因で戦争が起きたことはありません。現在シリア、イラクなどで起きている紛争は階級制度によるものではなく、宗教、宗派の対立です。 宗教にしろ階級制度にしろ、日本にはそう言う激しい差別はありません。宗教戦争はせいぜいキリスト教を弾圧した江戸時代の天草、島原の乱ぐらいです。今ある差別は、せいぜい江戸時代の名残である部落差別程度のもので、世界のそれと較べたら可愛いものです。日本は世界には珍しい差別の少ない国です。

noname#224207
noname#224207
回答No.2

>古今東西、差別とはどんなものなのか、どうやって差別しているのか、 おそろしく多岐に渡る問題です。 それこそ、唯一絶対神のキリスト教圏、イスラム教圏の各国の歴史そのものが差別の歴史で、今も続いています。 >日本人自身が異端化して、カルト化し外人を差別する力は弱いだろう。 「異端」という言葉自体が、唯一絶対神を信じる人達が使っている言葉です。 カルトというのも、唯一絶対神を信じる国や地方では簡単に定義できますが、仏教圏の国では非常に難しく、さらに八百万の神を伝統的に受け入れている日本では、下手に定義をすると靖国神社もカルトとなります。 >今は何でも個人の自由となり、受け付けないものを黙って敬遠するだけの社会。 受け付けないものを黙って敬遠するのは、万国共通の庶民感情です。 一々個人の主義主張で角を突き合わせていたのでは、社会が成り立たないくなるのを良く知っているからです。 >マルクス主義悪平等社会主義なのかこの国は差別ができなくなった。 マルクス主義であれなんであれ主義に合致しなければ差別排除します。 差別と区別の意味を確認しておかれますことをお薦めします。

回答No.1

その国で生まれ、その国の国籍を持っているにも関わらず同じ権利を行使出来ない、同じサービスが受けられない。これが差別です。 > お国に協力しないものを非国民とののしったり これは差別ではありません。侮蔑と言います。 現在でもポッポは売国奴と言われるように非国民という表現が使われなくなった代わりに売国奴という表現になっています。 一部では在日外国人の権利が制限されていると喚く人がおりますが、これも差別ではありません。 日本人では無いので、権利の制限があるのは致し方ないことです。

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