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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:指定弁護士側「控訴を検討」 尼崎脱線事故無罪判決)

指定弁護士が控訴を検討 遺族を支持する声も

このQ&Aのポイント
  • JR西日本の歴代3社長を無罪とした神戸地裁判決に対し、検察官役の指定弁護士3人が控訴を検討していることを明らかにした。
  • 指定弁護士は判決の予見可能性を否定し、表層的なものだと批判した。
  • 一方、賠償責任を重視する意見もあり、裁判官の判決を支持する声がある。再発防止が重要であるとの意見もある。

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回答No.2

ATSを付けていなかった不備があるかもしれませんが、原因は明らかに運転手の速度超過です。 あの事故を見た瞬間の感想は 「鉄道模型と同じ事がリアルに起きた」 でした 鉄道模型をやってると、たまに速度を出しすぎてカーブで曲がりきれずに飛び出してしまう事があります 全く同じ形でした 法は感情で動かしてはいけません 韓国には「国民情緒法」と呼ばれる考え方があります 国民感情を勘案して判決を下す これは法治国家の考えではありません 今回の裁判は遺族側の情緒で起こされた物に過ぎません

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >法は感情で動かしてはいけません 羽越本線の事故の時は 原因究明が最優先でしたけどね。尼崎は在日が多いしね。

その他の回答 (2)

回答No.3

あの事故も、最近のJR北海道の頻発している事故も、国鉄民営化の後遺症なのだと思います。 民営化したため、JR西日本は安全対策より利益優先に走りました。 あの路線は私鉄との競争が激しく、コストを切り詰め、過密ダイヤで走る事が安全より優先されたのです。 運転手にゆとりのある状態で走らせる事が出来ない、キチキチした運行を要求し、少しでも遅れると処罰すると言う事が行われました。停車駅での停車時間で調整するのが普通の時間調整のやり方。尼崎線では初めから30秒停車で、乗り込む人が少しでももたもたしているとすぐに発車時間が遅れ、積み重なると2分くらいの遅れはすぐに起きてしまうのです。それで処罰される。(減給だったかな) あの事故を起こした運転手は前にも処罰された事があって、事故を起こした時も、1、2分の遅れが出ていたので、その遅れを取り戻すために、規定以上のスピードを出したのです。 1、2分の遅れの原因がなにかは解りませんので、その遅れが運転手の責任によるものかどうかは言えませんが、処罰と言うプレッシャーが無ければ過大なスピードを出す事もなかったと思います。 また、急カーブの所では、スピードを出さないATSを付けて置く以外に、車輪の内側にもう一本の脱線防止用レールを付けて置くのが普通ですが、尼崎ではそれも付けていませんでした。ATSを付けるよりは、はるかにコストが安いのですが。 つまり、民営化した為に「儲かればいい、安全は2の次。失敗は社員の責任にする。」と言う姿勢が生んだ事故だったと考えるべきでしょう。 ですから普通には経営責任は免れないでしょう。 国鉄民営化は中曽根行革の金字塔みたいに言われていますが、陰でこのような事態が起きています。 JR北海道は経営難のため、線路の補修や、車両の修繕もままならず、脱線事故や車両火災が頻発しています。 事故は起きていませんがJR四国も線路の補修や、車両の修繕が出来ずに放置されていると言います。 民営化は必ずしも悪い事ではありませんが、分割した事が問題なのです。 何故、民営化に分割が必要だったか。 官僚の天下り先が増やせるからです。分割しない民営化であれば、安全対策にもっと金を出す事が出来、あの事故も起こらなかった可能性が高いでしょう。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >あの事故も、最近のJR北海道の頻発している事故も、国鉄民営化の後遺症なのだと思います。 JR北海道の事故は個人の責任までは及んでいませんが、誰かを悪者にして叩くだけでは 原因の本質を見失いちゃいますよね。

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.1

これは、日本の法制度の不備なのですよ。 社長の個人的な刑事罰を問うことは極めて困難ですよ。 そんなこと、起訴した弁護士にだってわかっています。 でも、弁護士がそんなことを言ったら、自ら司法制度を否定する ようなものですから、口が裂けても言えません。 法制度というのは、死亡者が多いから罪があるなんていうことはなく、 罪があるか、ないかは、死者の数では決まりません。 もちろん、罪の「重さ」には影響するでしょう。 そこで、出てくるのが、社長個人としての責任が問えないならば、 組織としての会社(法人)の罪はどうなるのだ、 という問題です。 例えば、JR西日本は、遺族や被害者に損害賠償をしていますが、 あくまでもそれは、失った利益の補填であって、 罰ではありません。 JR西日本が営業停止になったこともありません。 罰金を支払ったこともありません。 つまり、JR西日本という組織は、無罪放免なのですよ。 運転手個人の責任だけでなく、 無理なダイヤを組んだ責任など、 組織自体に責任があると考えるのは当然の意識です。 そこで、「法人罰」という考え方が出てきます。 米国では、法人に刑事責任を問うことはできません。 しかし、懲罰的賠償が認められています。 つまり、損害賠償額が1億でも、懲罰的賠償として10億円の 支払を命じる判決が出ます。 米国では、このために、高額の判決がでるのです。 個人や法人の刑事罰を免除する代わりに、事故調査に協力させて、 二度と事故を起こさせないようにさせる一方では、 民事で罰を与えるという合理的な考え方です。 また、フランスのように、法人罰がある国もあります。 日本では、何もかも中途半端。 個人が刑事罰を受ける可能性があるから、事故調査の協力には 非協力的になります。 こうして、個人の罰を逃れ、事故調査もままならない。 法人は罰を受けない。 これでは、遺族の怒りを持っていく場所がありません。

cherry77_
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >これは、日本の法制度の不備なのですよ。 というか、日本人の国民性にも問題があるでしょう。日本人って 物事を損得勘定に徹して考えることもできないけれど、厳密なルールにも納得できず、感情論を引きずるところがあるでしょ。 日本人の多くが死刑制度に固執しているのも それと関係あるかもしれません。