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自民と民主と原子力(22年前予言の福島原子力災害)

91年に日本を離れてから一度も投票する機会がなかったので、あえてノンポリとさせてもらいますが。民主と自民の原発事故とのあり方にすっきりしないものを感じるのは自分だけだろうか? 幼少の頃、Expo70の関電のパビリオンで夢と期待を持って見たのを覚えているが、70年に大型商用原子力発電所として敦賀や美浜に灯がともってから今日に至るまでもんじゅも福島を含む50数基の原子炉も六ヵ所村もすべて自民の政権下で生まれたものといえる。 そもそも第五福竜丸被爆事故の影響もあり総ての原子力(核)開発に異を唱えていた日本の世論を、あの湯川秀樹博士ですら将来の危惧から自ら原子力委員会参与を辞任された日本の原子力開発を国会を押し切る形で進めたのは自民の第一次岸内閣で国務大臣をつとめCIAの協力者でもあった正力松太郎であるし、日本の原子力(村)政策の根本を原子力予算を初めて取る形でまとめたのは若き日の自民党議員、中曽根康弘である。 福島事故はややもすると民主党政権下の不手際によって起こったとする方々が散在するが、元来自民政権が長年にわたって育て続けてきた原子力村をはじめとする「利権と金儲け主義に支えられた安全神話」によって元来起こるべくして起こったと考えるのが妥当ではないか?  確かに管も枝野も長妻も福島原子力災害における重罪人であるが、所詮彼らの行動や発言の裏はそれまで自民が育ててきた原子力官僚や原子力村に間接にまた直接に操作されたものと思える。 講談社の雑誌にかってデイズジャパンというものがあった。社会の問題に鋭く切り込むなかなか面白い雑誌で、毎号職場の昼休みに護国寺通りの同じ並びだった講談社の売店に買いに行ったものだ。雑誌の人気に記者が慢心してしまったのか一個人であるタレント(アグネス・チャン)の講演料の高さを情報の裏打ちも取らず批判するという愚行を犯しそれが原因で89年11月頃に廃刊してしまった。  この雑誌の88年9月号に「原子炉爆発のXデー」という福島第一発電所の爆発を予見した広瀬隆の特集記事が出ている。20年以上も前に的確に災害を予言した広瀬隆もたいしたものだが、逆にいへば「福島原子力災害は放置されたままなら20年以上も前に大手出版社が雑誌で特集記事にできるほどその後確実に起こる」出来事だったのである。 この特集の関連記事にその当時の国会議員全員に行った原子力に対する考えを聞いたアンケートが付属していた。自民民主共々白紙回答が多々ある中、すでに管は反原子力の立場を明確に示し、このままではいずれ大事故が起こるであろうという見解を示し、これ以上原子力発電を増やすべきでないと考え、今後の原子力の展開に関し国民の信を問う必要があるとし、加えて最終処分すら決定できていないのは問題であると回答していたのである。 「しばしば権力は人をだめにする」という言葉がある。88年の段階にここまで明確に原子力の問題を把握していたと見受けられる管が、国政の最高の主導者の座を得ながらややもするとこの福島原子力災害を無意味に大きくしてしまった首謀者のひとりに見えるのは不幸意外なにものでもない。 あなたはどう思うだろうか?

みんなの回答

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.4

懐かしい話が沢山出て来たので、つい参加させてもらいます。 管直人は仰る様に反原発から転向した訳ですが、首相になるまでの過程でそこを切り捨てたのが仇になったのは、原発問題を軽く見てしまった事からとは何とも皮肉ですね。 ここで言う「民主党」は現在の民主党に所属した人たちが居た元の党をさすのでしょうが、旧社会党にいて生き残った人数は極めて少なかったので、多数派を形成する為には「過激な」個人意見は封印しなければならなく、そのうちに原発問題については「初心」を忘れたのでしょうね。 事故に対する対応に関しては批判がありますが、自民党が批判した様に「専門家である東電に任せて、どっしりして置け」と言う事が、とんでもない話であった事は明らかだと思いますよ。 首相官邸が出張って来たから、お伺いを立てざるを得なくて混乱した訳ですが、汚染水処理問題を見ればわかる様に、東電側が任されて居たら廃炉に結びつく海水注入はもっと遅れたでしょう。 ところで本筋とは外れますが、私の記憶ではデイズジャパン廃刊の直接原因は、アウシュビッツの内容について数字的な疑義を挟む記事を掲載し、ユダヤ人団体から強烈な抗議があったからと思いますが・・。

tak666
質問者

補足

そうですね。 ところでデイズジャパン廃刊に関しては、「1989年11月号での特集記事「講演天国ニッポンの大金持ち文化人30人」は、日本において著名人の講演料が高額すぎると批判し、数十人の講演料の具体的な金額を掲載した。 ところが、ある女性タレントの講演料の額が誤っていたことが判明し、1990年1月号に謝罪記事を掲載し、同号で廃刊となった。 」ということのようです。 よくよく思い出せば廃刊は11月ではなく翌年1月で、この謝罪記事のった最終号も購読した記憶があります。

回答No.3

>あなたはどう思うだろうか? 100%輸入の化石燃料に大きく依存する電源ばかりの状態から、100%輸入のウラン燃料に少々依存するだけの原子力発電を共存させる政策は、今考えても合理的だったと思います。 今後も、100%輸入の化石燃料に大きく依存する化石燃料発電を最小化し、化石燃料、原子燃料、再生エネルギーの三種の電源を鼎立させ、特定電源に過度の依存をしないリスク分散体制を確立するべきと考えています。 世界に目を向けると、現在431基の原発がありますが、早晩1000基体制に向かって各国が原子力発電を建設・導入します。世界市場が1000基になった時点で、日本の安全技術で動く原発が250基ぐらいあると良いと思います。 同時に、廃炉技術に関して、日本が技術と製品を開発し、場合によっては廃炉請負業で1000基を全部廃炉処理できるようになったら人類への貢献度は最大化されませすね。 そうして21世紀~23世紀ぐらいの「人口爆発期」を乗り越えると、人類の人口も低下傾向になり、少数の化石燃料だけで生きてゆける人類が誕生するでしょう。 金持ちから順に再生可能エネルギーで生きられるようになりますが、24世紀には人類の10%ぐらいになる可能性があります。 その時点で日本人が豊かさで上位10%に位置しておれば、日本人全員が再生可能エネルギーで生きるというシナリオも可能になりますね!!

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

>確かに管も枝野も長妻も福島原子力災害における重罪人であるが、所詮彼らの行動や発言の裏はそれまで自民が育ててきた原子力官僚や原子力村に間接にまた直接に操作されたものと思える。 枝野はともかくとして、管と長妻の発言というのはどういった部分を指しているのでしょうか? 管のどの行為を批判しているのかわかりません。 管はほとんど独断で自分の首と引き換えに再エネ法を通しており、原子力ムラと明確に対立した側の人間ですよね? 東電本社が渋ったベント開放や海水注入を現地に乗り込んで力づくで命令していますし、私は管でなければもっと大きな被害を出していたと認識していますよ。 権力を失ってから原子力ムラに敵対したがゆえに責任をなすりつけられていると思っていますが。

noname#187562
noname#187562
回答No.1

化石燃料が無いとされてきた国であるが故 基幹産業で電気が欠かせないが故、原子力に踏み切ったのだからこれは仕方なかったのでしょう。 どの国もほぼ同じでしょう。石油・ガスに戻すには、C02排出権取引への参加なんかしてる場合じゃないのでは?  原発の事故は津波が主な原因であったのですが、誘致時には考慮されてなかったのでは? 当然、誘致した議員さんも言及しなければなりませんね。誘致したのは、民主党とかいう噂もあります。県知事のおじさまにあたる方とか。裏はいろいろあるんでしょうねえ。政治の世界はわかりません。

tak666
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。気になったので、一部、補足の上、懸念したことを書かせていただきました。 福一の誘致を行ったのは佐藤善一郎ですが、57年、農業団体、社会党、労働団体と政策協定を結んで福島県知事選挙に出馬し、当選。福島県知事在任中に、福島第一原子力発電所の大熊への建設を決定したとあります。民主党は全く福一の誘致には関係ありませんね。 その後、実際に用地買収活動を行ったのは佐藤善一郎が64年に急死した後、福島県知事となりその後汚職問題で失脚した自民党の木村守江が理事長を兼ねていた県開発公社の職員であったようです。またまた民主党は関係ありませんね。 福島第一発電所の敷地は元々長者が原と呼ばれ第二次世界大戦が始まった頃、陸軍熊谷飛行隊の練習地として300ヘクタール程、接収されていたようです。敗戦後農民たちに払い下げられたもののそのうちの101ヘクタールが自民党議員であった堤康次郎率いる西武鉄道(国土計画)が所有したようです。当初福一の予定地の半分強を占めるようになっていた国土計画の買収が完了したのが64年11月27日、奇しくもそのわずか3日後東電が「福島原子力発電所建設計画」を正式発表しています。そして農民たちが最終的に土地を手放したのが翌年8月末とあります。 つまり自民党議員であった堤康次郎の土地があったからこそ用地の手当てがスムースに行ったし農民を簡単に切り崩せたようです。 またまた民主党は関係ないが、自民党の影が色濃く見えますね。 まあそれも当然で、そもそも原子力利権は自民党の正力松太郎と中曽根康弘がタッグを組んで生まれた物です。その黎明期においてはどう考えても政敵である民主党が簡単に横から利用できる利権ではなかったはずです。 自分は「福一を誘致したのは民主党とかいう噂」は全く聞いたことがないし。上に記した史実を見ても、かりにあったとしても、そんな噂が根も葉もない話であるのはあきらかですね。 電力の元となる化石燃料が国土に少なく輸入に頼ってきたのは事実です。しかしながら原子力発電に不可欠となるウラニュウム燃料にしてもご存知のように昭和の時代に唯一の希望であった人形峠ウラン鉱山の開発に失敗しその後も全く実現しておらず、100%海外からの輸入に頼っています。 私はここ15年ほど豪州に居をかまえております。 日本の電力会社やメディアはややもすると「西側先進国には原子力発電が不可欠」というような風潮を繰り返し豪州のことは触れたがらないようです。豪州は確認されているだけでも世界のウラン埋蔵量の3割強を有し日本で燃やしたのウラン燃料も公害に苦しみながら産出しております。しかしながら原子力発電所は一基もありません。すべて火力発電で賄っております、加えて今日まで不況を経験したことがない経済を誇っており、結果、こと最近は日本よりもはるかに物価が高くなってきておりますが、電気料金は未だに全く日本よりも安価です。 日本が化石燃料がないとされてきた国であるのはあきらかですが、だからといって更に国内に存在しないウラン鉱を利用した原子力に踏み切ったと考えるのは無理があるのではと思います。 よく言われるように60年代から70年代にかけて外務省がこだわった核抑止力の実現とそれによる国際的な地位の向上、加えて米国から見た日米安保条約相手国としての極東での牽制という役割を果たすため、原子炉を使えば使うほど溜まってしまう使用済燃料中のプルトニュウムの備蓄が目的だったと思えてならないのです。日本国内の世論では「非核三原則」は強固に生きていますが、事実、アジアの有識者の見解では過去40年間で溜まりに溜まってしまった使用済燃料中のプルトニュウムは「比較的簡単に兵器転用できる」という意味で、すでに日本の実質的核武装と見られる方々も見受けられます。

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