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次の言葉は新羅語ですか
日本書紀に 「保食神の死体の頭から馬が、額から栗が、眉から蚕が、眼から稗が、腹から稲が、陰部から麦と大豆が生じた。」 とあるそうですが 「日本古典文学大系・岩波書店)の解釈では古代朝鮮語で次のような掛詞になっていると説明しているそうです。 頭(マラ)→馬(マル) 額(チャ)→栗(チョ) 眼(ヌン)→稗(ヌイ) 腹(ペ)→稲(ピョ) 女陰(ポーティ)→小豆(パト) ↑ ここに登場する言葉は新羅語ですか?
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- jagd4
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1:>日本古典文学大系・岩波書店)の解釈では古代朝鮮語では古代朝鮮語で次のような掛詞になっていると説明しているそうです。 2:>ここに登場する言葉は新羅語ですか? 1ですが、以下の理由で、単なる駄洒落レベルの一致を、こじつけているとしか思えません。 2ですが、 そもそも、「古代朝鮮語」や「新羅語」がどのような言語であったか以前に、存在すら証明されていないので回答自体が不可能です。 ↑で「新羅語」として扱われている言葉ですが、現代朝鮮語の慶尚道の方言に過ぎません。 確かに慶尚道の慶州は新羅の都でしたが、だからといってそれが 古代の新羅語 であるとするのは無理がありすぎます。 京都弁が平安時代の言葉だと言うくらいありえません。 朝鮮語ですが、ハングルが考案された15世紀以前には独自の文字は存在しておらず、それ以前は漢字表記された極めて断片的な資料しか残っていません。 しかも、ハングルは日韓併合までは全く普及していません。 また、質問者様は「古代朝鮮語」と「新羅語」という用語を使っていますが、 それらは別のものでありると考えているのでしょうか。 また、どのような違いがあると考えているのいるのでしょうか。 現在では、日本人のルーツが半島からの渡来人であるという説は否定されています。
お礼
>古代朝鮮語」や「新羅語」がどのような言語であったか以前に、存在すら証明されていないので回答自体が不可能です。 ウィキペディアには次のように記されています。 言語像をある程度知ることができるのは、資料が比較的多く残されている新羅語だけであるが、それでも資料は非常に限定されており、言語の全体像を把握するのはなお困難である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9Eより引用 回答者さまは新羅語は存在さえ確認されていないとおっしゃいますが、ウィキペディアの記述は新羅語がどんなものなのかを解明するのは難しいが、新羅語というものはあったというふうに読めます。 >「新羅語」として扱われている言葉ですが、現代朝鮮語の慶尚道の方言に過ぎません。 上記ウィキペディアには新羅語とは現代朝鮮語の慶尚道の方言であるとは書いてありません。 ソースをお示しいただけますか。 あるいは、なぜ新羅語は現代朝鮮語の慶尚道の方言だといえるのか、それについてご説明ください。 >朝鮮語ですが、ハングルが考案された15世紀以前には独自の文字は存在しておらず、それ以前は漢字表記された極めて断片的な資料しか残っていません。 それは存じております。 それを存じ上げたうえで質問しております。 >質問者様は「古代朝鮮語」と「新羅語」という用語を使っていますが、 それらは別のものでありると考えているのでしょうか。 また、どのような違いがあると考えているのいるのでしょうか。 古代の朝鮮には高句麗や百済、カヤという国もありました。 一般的に古代朝鮮語は新羅語だと考えられているようですが、高句麗や百済、カヤでも同じ言葉を使っていたとは限らないですよね。 以前にある人に聞いたところ、 頭(マラ)→馬(マル) 額(チャ)→栗(チョ) 眼(ヌン)→稗(ヌイ) 腹(ペ)→稲(ピョ) 女陰(ポーティ)→小豆(パト) は現代の韓国語の発音だと聞きました。 しかし、日本古典文学大系・岩波書店)の解釈では古代朝鮮語では古代朝鮮語で次のような掛詞になっていると説明している。 それでこれらの言葉は百済語でそう発音するということが研究結果でわかっているのだろうかと思って質問したしだいです。 >現在では、日本人のルーツが半島からの渡来人であるという説は否定されています。 そういうことは質問しておりません。
補足
再回答を待っていましたのに、いただけなくて大変残念です。 回答の誤りを指摘すると、返ってこられない回答者さんが多いですね。 もう少し、間違っているかもしれないという謙虚な気持ちをお持ちになられたほうがいいのではないでしょうか。 こういう画像はご自身のために今後は貼らないほうがいいと思います。