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繊細だと言われる人
大人になると、 自分を優先することが多くなって子どもの頃に比べたら人の痛みにも鈍くなる。みんなも同じ。細かいことに気を取られて繊細でいれば無駄に傷つくのはこちらだ、自分を守るために鈍くなるのは仕方ない。 でしょうか? 私は今、まさにこんなことを考えています。自分も開き直って他人の痛みに少し鈍くなるか、このまま感受性と向き合っていくか。 もしかしたら誰しも経験のあることでしょうか、またこのような気持ちになったとき、あなたならどうしましたか? ぜひ教えてください。
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繊細な人が大人になって代わるわけではありません。 自分の特性です。大事にすべきです。 気にしすぎる事を気にする必要はありません。
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- trenty
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私は、他人の痛みに鈍くなるということは、自分の痛みにも鈍くなるということだと思っています。 実際は逆のパターンでそれに気付いたんですが。これ以上傷つきたくない、と、鈍く生きていたら他人の痛みに気付いてあげられなかった。 今は、そんなんじゃ生きてけないよと言われても、自分や他人の痛みがわかる方がいいような気がするので壊れない程度にいちいち傷ついたりしてます。 これでいいのかどうか、私も思案中です。
お礼
trentyさん 捨てようと思っても捨てることができないのが感受性かも知れませんね。そこは諦めて向き合うしかないのかな。鈍く生きるのも、結局は自分を傷付けることになるのかも知れない。 お互い大変に生まれてしまったと考えて楽しむくらいの気持ちで生きていけたら良いですね。参考になりました、ありがとうございます。
- KoalaGold
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逆かと思いますが。子供はエゴの塊です。 他人を思いやれる余裕を持って初めて大人と言えるのではないのでしょうか。 そして面倒見の良い人が群れのボスになるのです。 自分のことしか眼中に無いなら切羽詰まった状態でストレスに弱いということでしょう。
補足
KoalaGoldさん エゴの認識について共有できているかは分かりませんが、本能的な部分と私は思っています。 確かに子どものほうが本能的=素直な人が多いと感じますね。 対して、繊細=共感力と考えています。生き物が死んだとき、たとえ魚や昆虫でも私は泣くような子どもでした。今はさすが泣きません、たくさん死を見てそれが普通だと慣れたんでしょうね。これが鈍くなることだと考えています。 意図していないところに反応していたらすみません。ストレスに弱いのは当たっていますよ。
ぼくが思うに、最初から自分優先だし、 他人の痛みなんてわかってないんじゃないかな って思います。 人は、みんなエゴイストだし。 自分は利他的だ、他人のことを考えてる。 こういう人は、自分のエゴを自覚してない。 たちが悪いエゴイストです。 自分優先で、他人の痛みは実感できないから、わからない。 わからないから、理解しようとする。 エゴイストだから、ちょっとは利他的になろうとする。 エゴからはじまるのが、自然だと思います。
補足
ryo-phoenixさん なるほど。 あまりに言葉が直球で、読んだときにズシンときました。すごく繊細な方のように感じますが。 私も、自分がエゴイストでないと思っていませんよ。身体的にも精神的にも生き物である限り、自身を一番に健康に保とうとするのは当たり前の機能だと思います。 だから気付きますよね、 あ、この言葉は、この行動は自分の為のものだ。そういうものは大概、誰かを傷付けているように思います。その棘を向けられても気付かない人もたくさんいますが。 そして気付くというのは、自分の言動を選べるということですよね。自分の棘に気付かないフリをして投げつける、これが私の思う自分を優先する行為です。まさに今。
お礼
441moeさん 個人的に大きな発見でした。 子どもの頃というのは誰しも繊細だと思っていました。みな傷ついて繊細さを失っていくものだと思っていました。 これまで自暴自棄になり自らを傷つける人たちを見て、後々さらにややこしくなるだけなのにな、と理解できず不思議で仕方がなかったのですが合点がいきました。自分の痛みが生まれる箇所に早い段階で気付けていないだけなのかも知れませんね。 スルリと少し気が楽になりました、温かい言葉をありがとうございます。