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敬語について素朴な質問ですが
こんにちは私は30歳代の男性ですが みなさんは敬語について日ごろからどのように思ってますか?例えばなんとも不可思議 奇妙な感覚とか 私の思うには敬語で会話してる間はお互いに距離をもってるような感じでぎすぎすしていて殺伐としていてなにか重くろしいムードが漂ってるのです 一時期年上の人前ではいつも黙っていたものです あと初対面の人と会話していて言葉をくずすタイミングは どのようにしてますか?私は人を観察してこの人はあっさりしたタイプだと思ったら最初は敬語で話していても言葉をじょじょにくずしていくようにしてます また仕事関係でずっと年上の人でその人が社会的に肩書きがいくつもある人なんかの前では絶対に言葉がくずれず敬語のままです 最近私も20歳台のころと比べて人への言葉の対応の感が身 についてきたような感じです あと私はいつも思いますが敬語で会話していてこちらが 言葉をくずしてもいいですか?とたずねるとどうなるか 相手はいやな顔して怒りだすだすでしょうか?それとも いいよ と言うか みなさんはどうおもいますか? 私の思うには敬語が無くなればもっと人間関係がスム-ズになると思いますが日本の習慣の一種だから仕方ないですね このように私のように常日ごろから敬語について思ってる方のご意見もお聞かせください
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こんばんは。敬語の問題というのは実に微妙で難しい問題ですよね。私は個人的に敬語の存在を肯定的にとらえています。大げさに言えば、日本語の美しさの一つは敬語が存在するからだとさえ思っています。確かに、estoladaさんがおっしゃる通り敬語を使っている間はお互いに距離を置くことになると思います。それを重苦しいと捉えるのか、いい意味での緊張感と捉えるのかは人によって異なると思いますが。初対面の人と会話していて言葉をくずすタイミングというのは確かに微妙なところがありますよね。的確な回答になっていないことを承知で言うならば、やはりTPOに任せるというところでしょうか。実際、私の場合は「よし、今この瞬間から言葉をくずすぞ」などと意識したことは正直言ってありません。その場の雰囲気を読んで適切な言葉を使うという方が私の場合は合っているようです。まあ、日本人の間で「言葉をくずしてもいいですか?」といったような会話は実際あまり耳にしたことがないように思いますが、日本語以上に敬語体系が発達し、尚かつ敬語の使い方に関しては徹底していると言われるお隣の国韓国では、相手といわゆるタメ口で話したいときなどは、どちらからか「俺たち今からパンマル(タメ口)で話そうか」などと切り出すようです。また、敬語ではありませんがフランス語には相手の呼び方にはVous(あなた)とTu(君)の2種類があって、最初はお互いにVousで話していたのが互いに打ち解けてきたなと思うと、やはり「今からTuで話そうよ」と宣言するらしいです。ただ、日本人の言語習慣というか、伝統的な考え方から言うとこういう事は逆に不自然になってしまうように思います。日本人は昔から相手の心を読むという事を一種の美徳にしてきた気がしますから。良くも悪くもいわゆる本音と建前というものに結びついてしまうのでしょうか。外国では通用しませんが本音と建前も私は日本国内で生活する上ではとても素敵な習慣だと思っています。結論から言えば日本人の言語習慣においては敬語をある程度適切に使えた方が人間関係がスムーズに行くと思います。
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- miruchama
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こんにちは。 女性が使う言葉、男性の言葉、子供の言葉、一つの物事を表わすのにいろいろな言葉を使ったり(雨、夕立、五月雨、霧雨、、、、)、様々な方言があったり、日本語の表現てとても豊かです。日本人は、周りの環境やそれと自分のかかわりにとても敏感だし、鋭い言語感覚にそれが現れていると想います。他国語(私は英語を勉強しましたが)にはないものです。敬語では人の関係の「公」と「私」を使い分けられる、優れたツールだと想います。 国語の教科書のような出だしになりましたが、敬語は、「こういう相手には」「こういう時には」使わなければならない、なんてルールはないと想います。使う場面を使い分ける感覚が日本人にはあるという結果、そういうツールが出来たのだと思います。だから、そういうツールを、それが必要な場合に自然と使えば良いのではないでしょうか?どんな言葉でもその場その場に最適な言葉を選べば良いのではないでしょうか?ただ、最近はちまたで「敬語が崩れてる」と取り上げられて、それを正しく使えない事がとりざたされています。最近のニュースで自分の両親を「お父さん、お母さん」と他人に言うこといついて90%以上の高校生が正しいと答えたような状況にあるからだと思いますが。でも、この状況を作り出したのは大人が後輩である若者に使い方を教えないからだと思います。それでますます、窮屈な言葉づかいだと感じる人も増えるのかもしれませんね。 estoladaさん敬語が窮屈に感じられる相手とは、既に話し言葉を使って良い間がらなのではないでしょうか? 1期上の方の場合は職場によっても違うと思いますが、組織ですから周りからあまりはずれていない言葉づかいをするのが、人間関係的にはいのでは? 敬語を崩したいと思うなら、そのまま相手に言えば良いのではないですか?「たばこすっていいですか?」と同じような感じで。海外では「ファーストネームで読んでいい?」という事で人間関係の距離感を縮めたりするようなのと一緒では?相手とわずらわしい話方でなく、ストレートに話たい!という意図をわかるように聞いてみれば相手が敬語をどう思っているかは別にして、不快な思いはしないと思います。 敬語が無いほうが、、、、と、おしゃっています。生活環境によっては、敬語をあまり使わないもあるかもしれません。わたしは普通のOLですが、でも、敬語が必要な場面は私の場合はたくさん沢山あります。だから私にとっては必要なんです。
- anshi
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私は逆に、敬語は互いの距離を縮めるものだと思っています。 ここで言う距離とは、互いの年齢や経験、立場といったものです。 私は学生なので、たいていは敬語を使うほうの立場なのですが、例えば大学の教授なら知識や学識が、バイト先の先輩なら仕事の経験や熟練度が私より上ということになります。 そういった差を縮める(差をなくすわけではない)ために敬語を使うんだと私は解釈しています。 私の個人的な考えでは、敬語が無くなれば、縮まっていない「差」を意識してしまい、余計に相手に気を使ってしまって堅苦しくなるように思います。 同い年やその前後の友人ならいきなり言葉を崩しますが、少し歳の離れた友人の場合は、向こうが「敬語は使わなくていいよ」と言ってくれるまではとりあえず敬語を使うことにしています。 特に仕事なら、年上や地位が上の人に対して「敬語をくずしていいかどうか」と尋ねるのは、若干失礼な気がします。 「内」と「外」は、使い分けた方が良いのではないでしょうか。
>敬語が無くなればもっと人間関係がスム-ズになると思います estoladaが本当にそう思うのならば隗より始めよで、まずestolada自身から敬語を廃するべきだ。だが、このestoladaの投稿自体が敬語を使っているではないか。態度が矛盾している。estoladaが否定する敬語とは何か。 ↑な~んて言われたらムッとくるでしょう。だからやっぱり敬語は必要だと思うんですよ僕は。 でも納得できない敬語というものもありまして。よく新聞・雑誌に「今の敬語は乱れている。たとえば“犬に餌をあげる”という用法だが、“あげる”は尊敬語だから犬に使うのはおかしい」とか載りますが、「じゃあキミは“仲人にお中元をあげる”と言うのか?」と言いたくなりますね。それと「~させていただく」の濫用のような過剰敬語の問題もあります。だから、自分が納得できない敬語に対しては異議を唱えてもいいと思います。
- gomuahiru
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こんばんは。 「敬語」ってある意味とても楽ですよね。使う相手の年、肩書、自分との関係を考えれば、自ずからその言い回しも、そして使い方のルールも決まってくるものですし。かえって、そのようなもののない英語などの方が、相手との距離を推し量りながら、使う言葉を選択していく、といったことが必要なはずですからー。 何年も社会人をやっていらっしゃるのですから、その辺は苦痛がないはずですし、 なぜあえて今、無理に「敬語」をはずすことを考えていらっしゃるのでしょうか? その職場の敬語を使っている方と今の関係だけ(仕事上)以外に、別のより親しいプライベートな関係を築きたいのでしょうか? そうだとして、そういう関係を結んだとしても、職場ではプライベートでの言葉使いはふさわしいものではないと考えます。(釣りバカ日誌の浜ちゃんだって職場でのスーさんにタメ口は聞いてなかったと思いますが・・・) 「敬語をくずしていいか」というのを相手に聞くのはちょっと・・・ 聞かれた方もとても返事に困ることでしょう。崩しても構わない場合も、崩されたくない場合も。 普通に生活する中で、自然に相手との距離を推し量りながら、自然に会話をしていけば、くだけた感じを望んでいる相手には最初そうでなくても、それ相応に言葉使いは変化していくーと思うのですが。
こんばんは。 職場での言葉遣いについては、先の方々が参考になる回答をされておりますのであえて触れませんが、 >私の思うには敬語が無くなればもっと人間関係がスム-ズになると思いますが… について、思うところありましたので発言いたします。 例えば、あるプロ野球選手が人類未到の大記録を残したとします。その模様を中継する解説者が「あーっっ、○○がやったよぉ~、すごい記録出したよ~やったね!すげーじゃん!!」と、全編ため口にて解説したら、どう思います?それはそれでカジュアルで構わないとしますか? 或いは、もしもestoladaさんの目の前にマザー・テレサ女史がいたとして、何かを話しかけなければならないとしたら、あなたはため口で平気なのですか?ため口でもいいかなー?と考え込みますか? 少々大げさですが、相手を尊敬し、相手の人格を崇める気持ちがあれば、自然と敬語は口をついて出てくるものだと思います。ちなみに上記に挙げた例とは、私が中学生の時の国語の授業で「何故敬語が存在するか」ということについて考えた際のものです。 相手を尊重しあい、あくまでも自分本位ではなく、相手の気持ちに立って接することは大人社会の基本です。その一環として、敬語の必要性が生じてくるのです。確かに、毎日交わす言葉ですから、敬語が続くと息苦しさを憶えるかもしれません。しかし、言葉に心が伴っていれば、自然と適切な言葉遣いになるはずです。ため口だから親しみがある、敬語だから堅苦しいとするのは、実に子供じみた考えだと私は思います。自立した社会人としての自覚があれば、いちいち敬語かため口かと悩むことはないはずです。
- hero1000
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estoladaさんの意図に沿っているかどうかわかりませんが、 以前、似たような質問がありましたので見てみて下さい。