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激務の友人とのメールのやり取り
- 激務の友人とのメールのやり取りについて悩んでいます。友人との関係を改善し、気持ちよく付き合っていける方法を教えてください。
- 激務につく友人とのメールのやり取りが上手くいかず悩んでいます。自身の性格や友人の忙しさを考慮し、ゆるく繋がる方法を教えてください。
- 友人とのメールのやり取りに悩んでいます。友人が激務なため、メール以外のコミュニケーションが難しい状況です。年に数回のやり取りでもお互い気持ちよく付き合っていく方法を教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
どんなメールだったら?というよりも。 貴方の友達関係に注ぐ意識自体が「緩く」なる事が大切。 気持ちが反映される=メールなんだから。 そう考えてみたら、 その目線で相手から見た貴方のメールを捉え直してみるなら。 貴方のメールって緩いどころか「固い」んだよね? 固くなってしまう理由は、 貴方が書き込みの中に存在している。 緩めたら終わってしまうんじゃないか? 仲違いを経て「今」に至っている。 大げさに言えば、 貴方はいつ途切れてしまうかもしれない、 そういう危機感と背中合わせでやり取りしているんだよ。 実は緩める訳にはいかない。 そう思っている貴方もいる。 ようやく激しい衝突からここまで関係を挽回したのだから・・・ 更に、 過去の不幸な経験が、 人間関係に対する全体的な「気負い」を創っている。 貴方から届くメールって、 実は不快な部分は少ないんだよ。 何故なら、 貴方が先回りして色々考えて、考えて。 相手にとって負担にならないようにを考えて、考えて。 その末に送っているメールだから。 物凄く研磨した末のメールなんだよ。 受け止める相手の立場に立って考えるのは大事なんだよ。 でも、 考え「過ぎ」ても、逆に自己完結してしまうんだよ。 相手が育み返す「余白」が無くなってしまうんだよ。 どうしてもアドリブ的にやり取りを楽しめない今。 まだ仲の修繕は中途だから。 尚且つ、 相手は激務で「ゆとり」が無い。 下手をすれば、 激しく衝突した時のイライラがぶり返す可能性がある。 そう思ったら、 楽しくやり取りしたいという気持ちが前に出難い。 進行形の交流欲(熱)を伝える作業=メール。 でも、 一人で交流欲を展開し過ぎても相手を置いていってしまう。 かと言って、 わざわざ連絡をしておいて、 自己完結した、読み飛ばせる薄い中身になってしまうと。 読んだ時点で心が「落ち着いて」しまって。 再度貴方に返信「し直す」事が後回しになるんだよ。 お互いの関係が更新され難い状態であるからこそ、 一旦後回しになってしまうと動き自体が停滞してしまう。 今の時点で、 どうしても繋がり続け「たい」と思っているのは貴方の方。 だからこそ、 貴方はこれだけ悩んでいる。 理想はお互いにゆる~く繋がっていきたい。 でも、 緩さがどこまでの緩みに耐えられるのか? それが分かり難い関係。 緩いと思っていたら、 緩くても繋がっていると思っていたら実は切れていた。 それが貴方にはとても怖いんだよ。 だからこそ、 スタイルとしては緩めたいんだけれど、 持ち込む中身がどうしても「固く」なってしまう。 貴方はどう思う? 貴方はどちらかに書き方が偏ってしまうと書いているじゃない? だったら、 どちらも「含めた」書き方を大事にすれば良んだよ。 貴方の近況報告は大事。 こちらは特に何も無いけれど最近どう? そういう安易な投げは、相手に膨らませる労を増やしてしまうから。 久々に書くからこそ、 貴方の今がより「見える」ように伝えるのは大事。 貴方の近況自体が、 相手がそこに絡めて返信をしやすい「フック」になるから。 貴方の近況報告を読んでいるうちに、 あぁそう言えば私にもこんな事があったっけ? 何か思い出したり、伝えられる事も見つかるから。 そして、 相手の今をそれなりにケアしてあげる目線も大事。 適度に相手の今を質問してあげる事も大事。 年に数回だからこそ、 全体として貴方の方がややボリュームが出ても大丈夫なんだよ。 その「中」から、 友達が友達なりに適量を切り取って、 貴方に対して返していけるようなやり取りを続けていけば良い。 それが緩く繋がっていけるスタイル。 大切にしてみたら? 確かに大切な友達関係なんだと思う。 でも、 あくまで「一人分」の大切さの中で向き合っていく事。 お互いに気持ち良く付き合っていきたいんでしょ? 気持ち良さって「適量」で「適温」の関係を言うんだよ。 貴方がやり取りを頑張ろうとし過ぎたら、 二人の適量(適温)にはならない。 これからも、 ゆったりと繋がり「続けて」いければいいんだ、と。 良い意味で先を見て繋がっていく。 そして、 友達として良い風を送っていきたいからこそ、 貴方も、自分の目の前の日々の「新陳代謝」が必要なんだよ。 普段の貴方が反映されるのがメールなんだから。 改めて、 深呼吸を忘れずにね☆
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- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
女同士はどうだか分かりませんが、激務の場合はもうやってくる仕事を時代劇の主人公のようにばったばったと切り捨てるのに忙しいので「ゆる~く繋がる」なんてことそのものが不可能です。 メールの返信もすぐその場でしないと次から次へと次の仕事というか話題が押し寄せてくるので、すぐ返信するもの以外はあああっという間に忘却の彼方へ運び去られます。 先方が忙しいなら、たまにこっちから連絡して相手から返信が来るって付き合いが基本にならざるをえないのかな、と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は過去にもA子のことについて、こちらで相談したことがあって、その時も、eroero1919さんから鋭くもありがたいご回答をいただきました。 (このような場合は過去の質問も貼るべきだと思うのですが、 どのようにしたらそれができるのか、わからないのです) あの時、eroero1919さんは、「A子は、わかってねえな、と感じていると思うよ」といってくださいましたが、また「わかっていないメール」を送ってしまったようです。 A子が激務なことだけが、メールのやり取りが先細っている原因なのではなくて、私の書いているメールの「わかってなさ」にも、原因があるのですね。 もうこうなったら仕方がないので、いつかeroero1919さんが言ってくださったように、また、もう一人のご回答者のblazinさんが言ってくださったように、「考えすぎず」、開き直って、人生を楽しみながら生きていこうと思っています。 また、ここに相談することがあったら、ご回答いただけると嬉しいです。 相談することがないにこしたことがないのですが(^^) ありがとうございました。 (自分の質問を開いたときに、最初に表示される回答からお礼を書いたために、ご回答いただいた順序と、お礼を書く順序が逆になってしまって、すみませんでした)
お礼
ご回答ありがとうございました。 おっしゃる通りで、私がA子に送ったメールは、 推敲に推敲を重ねた「作品」で、 blazinさんからのご回答を読んで、 自分が書いたメールのどこが悪かったかわかった今でも、 「でも、あの時の自分にはあれ以上のものは書けなかった」、 そう思うくらいのものでした。 そして、A子から見て、私のメールは、 精一杯「ユルさ」を装っているけれど、 自分に気を遣いまくって、仲直りに必死な姿が透けて見える 「重たいもの」だったと思います。 「仲直りをする気持ちがある(衝突したことは過去のことだ)」 と、A子は、はっきり意思表示をしてくれているのにも関わらず、 「無理をしてくれているのだろう」とA子の気持ちを決めつけ、 ここでも自己完結をしてしまっていました。 私の必死なメールからA子に伝わったメッセージは、 「あなたって気難しいから、私はいつもあなたに気を遣っているのよ」という「A子を信頼していませんよ」というものだと思います。 人間関係に過敏な私を、A子はいつもフォローしようとしてくれていました。でも、それは「やりすぎ」だった。 そして、やりすぎなA子から、私は 「あなたって、私がフォローしてあげないと、人間関係をうまくやっていけない人だよね」という否定的なメッセージを受け取っていました。 それと同じことをしてしまっていたのだと思います。 実は、A子との関係を修復しようとしていた1年半の間に、 blazinさんが他の質問者さんへ書かれたご回答を読みました。 そして、私の人間関係がうまくいかないのは、 「友達が自殺してしまった=だから私はもう人間関係がうまくいかない」、そのことばかりにとらわれ、人生を平面(そのこことが、目の前の視界の全てを覆い尽くしている)として考えていることがいけないのではないか、と気づきました。 人生において、多面体を創っていくことが大事だと、blazinさんは、おっしゃっているのではないか、と。 仲直りをしてから、数か月の時間をおいて、私がA子に送ったメールは、私の「多面(他面)」を表すものでした。 その時は、私の日々の生活が充実していることを喜ぶ内容の返信がきました。でも、そのあとに、フックのない、ツルツルしたメールを送ってしまった。 今度、A子からメールがくるのは、おそらくお正月だと思います。 その時には、再び、私の多面(日々の充実)を映したメールを返信できたらいいな。 blazinさん、ありがとうございました。 ご回答くださったことと、(他の方へのご回答とはいえ) 友達が自殺したことによって、人間関係がうまくいかなくなって しまったことだけに、1対1(1面対1人)で向き合っていて、 息苦しかった当時の私に、「多面(他面)」があることを教えてくださったことに対して、心から感謝申し上げます。