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靖国神社への思い アンビバレントな感情とは?
- 靖国神社への思いには相反する両義的な感情が存在します。
- 一方で、靖国神社には感謝の念がありますが、他方で英霊たちの苦悩や過去の歴史に疑問を抱きます。
- また、私自身も靖国神社への思いが混沌としており、沖縄終戦日と8月15日にはラマダン断食をすることで自らの思いを表現しています。
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>何故アンビバレント両義的に為りますでしょうか? 戦争で死んだ多くの英霊を祭っていながら、幕府の味方をして、明治のご維新に抵抗した、会津藩士や新撰組の英霊は祀らないという方針があるそうです。 会津藩士の末裔としては、アンビバレントな感情を禁じ得ません。
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- michael-m
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私は靖国を特別視しては居ません。一般神社を同様に見ていますが、さほど参拝しなければならないとも思っていません。その理由は単純な事でした。靖国は日本のために戦った人々を神として祭る祖霊社です。それは別に特別な物ではありません。 最初の理由は国民が居ないという事です。第二次大戦時、国民は銃後の兵といわれ、ともに戦いました。第二次大戦は兵士だけの戦いではない、国は国民総力を挙げて戦うように呼びかけ国民はそうしてきた。にも関わらず、国民は居ません。それだけの事です。私達が二度と戦争を起こさぬと誓うのは兵士に対してでしょうか?それは国民に対してではないでしょうか? それに生きて帰ってきたら神と祀られる資格がないんでしょうか?同じく国のために戦い、死ねば神となって祀られ、生き残ったらただの人ですか? 靖国はきわめて政治的な神社であり、その姿勢は今でも変わっていません。 靖国は新政府が自らの正当性を誇示するために明治天皇の名を使って建てさせた物です。尊皇攘夷などと偽りを以て京都を支配し、京都を焼き払おうとして排されました。挙句に御所に砲弾を撃ち込み賊軍となりました。 すると孝明天皇を害し、偽勅と偽の御旗で京都を攻め落としたのです。さらに強引に勅を書かせて幕軍を滅ぼしました。そして幕府が制限付き快方をしたのに対し、新政府は全面開国に至ったのです。そして行幸を仰ぎ、京都を安心させ、天皇を江戸城に拉致監禁。東京を首都と定めましたが、正式な遷都の勅はなかったんですよ。コレのどこが義軍なんでしょうか? 新政府は明治天皇の名を使って靖国を建立。あたかも天皇のために戦った兵士を祀る施設であるかのようにしました。 しかし明治天皇がこよなく信頼していた西郷は居ません。彼は新政府の専横ぶりに腹を立てて離脱したためです。そこで陰謀を重ねて決起させ殺したわけです。 本当の尊王は、偽の御旗で禁中に攻め込んだ者でしょうか?それとも偽と知りつつも菊のご紋に刀を納めた者でしょうか? やがて靖国は軍部支配の神社に成り下がり、国家神道の中枢となりました。 第二次大戦で軍部主導の国家神道が廃止され、すぐに発足した神社本庁も関わりを恐れて靖国を排除しました。 ところが昭和25年から神社本庁は国家神道復古運動が起き始め、靖国を友好関係の神社としています。 一方で自民党(その前身を含む)と協力して米国との協力体制を強化してきました。 天皇の靖国参拝に関してのメモはデタラメであると断じられています。その経緯は実に神道的問題であり、メモは関係ありませんし、元々天皇が各地の神社を参拝するなどという風習はありません。というか明治以前は基本的に宮中から出ないんですから。 天皇は天孫の末裔です。一方で神道では人は皆神となります。英霊だけじゃないんですよ。頼めば「大人(うし)」などの号を頂いて神になります。しかし神道は上下関係が厳しいのです。最高位の天皇が民に対して頭を下げるなどということはありえません。だから参拝をしないんです。しかしそれに代わる作法によって頭を下げるのと同等の謝意なり敬意なりを表現するわけです。それが勅使であり勅旨です。 現在でも靖国と神宮には勅使が詣でています。勅使は天皇と同様の扱いを受けるので、勅使が詣でるのは天皇が詣でるのと同じことを意味します。つまり「天皇も参拝しない」というのは反靖国派の策謀でしかないんです。そもそもが天皇自ら参拝するなどという作法は存在せず、単発的に一部の天皇が詣でたに過ぎません。或いは人間天皇とか国土復興の一助として詣でたに過ぎません。詣でなくなったのは本来の姿に戻っただけなんです。 靖国に祀られている人々には何の罪もなく、国のために命を懸けて戦った英霊です。しかし、その母体はあくまでも政治的なものです。だから私は護国神社には詣でても靖国には特に行こうとは思いません。近くに行ったら参拝するだけです。それなら各地の慰霊碑に詣でたほうが価値があります。第二次大戦に限れば合同慰霊祭をしているんですから充分ではありませんか? だから私は信念によって特別な意味を持って靖国に参拝することはありえません。
お礼
ご回答、感謝致します。 お考え御立場も尊重致します。私も同意する所も御座いますが、少し事実と異なると思われる点、言わせて下さいね。 先づ「生きて帰ってきたら神、、」として祀られた方いますね、戦犯と言われる方々です。こちらの方が問題だと思いますよ。戦犯だから悪いとは考えませんが、戦死者では無いからです。 確かに靖国神社は今も政治的ですね、只、保守系の「日本会議」には靖国宮司だけでなく神社本庁、熱田神宮明治神宮司も参加してます。個人参加ですけどね。 いわゆる官軍が義だとは私も思いません。でもそれこそ勝てば官軍負ければ賊軍、ですから仕方ない。で、大日本帝国も負けたんですけど、総括できてません。 天皇、平安室町期歴代の帝は熊野詣で、那智、本宮、新宮速玉大社、御一代でも何十回も参拝為さってますね。京でも為さってたのでは? 少なくとも伊勢神宮の祭祀では在られた。 又、戦前の靖国の合祀祭には天皇が祭主として出席した、とWikipediaには書いてあります。この事の意義が絶大だったのでしょう。ですから天皇陛下が御参拝為されない神社は意義は低くなると思われます。合祀を嫌がられたのは大御心だと思いますよ、だってあの時以来、今上陛下まで続いてますから。 しかし私も護国神社で構わないです。各地の熊野神社、東郷神社に分祀してくれれば心置きなく参れるのですが、。年に一度の合同慰霊祭ではなく、日頃一般人が参れる処。 私的な墓所と家系が途絶える家には、そんな場所があると有難いです、なるべくなら古来の神社の方が有り難み御座います。明治政府は神社まで統廃合して、南方熊楠翁に酷く怒られたのでした。 ありがとう御座いました。
補足
御回答戴きました皆様、有難うございます。 只今当方PC不具合にて、御礼遅くなります事どうか御容赦下さい。冷房入れても廃熱上手くいかずフリーズします。 様々なお立場の御意見賜る事は予想してました、私は歓迎しますし排除しません。ですが、運営ガイドでは指摘回答、批判、意見を一応禁じており、部分削除される場合もある事、予め御了承下さい。まあ殆ど大丈夫です、私は通報など致しませんが、先日も運営様が一つ削除してます、念の為。 未知の情報も戴きました事、感謝致しますが、両極の御意見は他でも多々交わされてますので、此処ではなるべく複雑なご心境の方の御意見伺いたく質問しました。私の亡き祖母や母もそうです。それも多勢居られると思います。 その思いも伝えてゆくべきと考えた次第なのです。 そんな方、引き続き宜しく御願い致します。
- hideka0404
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うちの祖父の弟さんがガダルカナルで二階級特進して靖国神社に祀られています。 しかしながら、本家の真言宗のお墓にも遺品が埋葬されています。 この問題は神葬祭(神道)を理解しないと解決しません。 神道では、狭義において、死ぬと神様になります。 仏教では、協議において、死ぬと仏になります。 キリスト教では、狭義において、死ぬと審判の後、天国で永遠の命が与えられます。 うちのようにハイブリットな祀り方もあります。 ■【祭る/祀る】とは (1)飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする。 (2)神としてあがめ、一定の場所に安置する。 (3)あがめて上位にすえる。まつりあげる。 ■神道における神とは? 神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強い。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利の後、天照大神が最高の神格を得たが[21]、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。 気象、地理地形等の自然現象に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神々」である。アイヌの信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神)。 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、人民生活を見回って、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などには少しお礼をしたり。それが、日本の「神(かみ)」がやっていた仕事の一つである。日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった。日本の神は地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟る」性格も持っている(荒魂・和魂)。 人間も死後神になるという考え方があり、社会的に突出した人物や、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊として祟りをなした人物なども、「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある]。 このことを総合的に理解出来ない方が「相反する両義的思い抱く方」になります。
お礼
御回答有難う御座います。 仰る事、引用?為された事は正しいと思います。私は既に承知の事項ですが、失念してた事もあり又、知らない方の御参考にも為りますので感謝致します。 しかし結論には異論有り。その理由は御回答の中に既に記されてます。 国家に反逆し戦乱を起こした人物」平将門や追放された菅原道真など、これは祟りを畏れて、朝敵でも祀る伝統ですね。 仰るようにこれも、江戸以前の古来よりの神社の姿でした。 急いだ近代化で変わってしまった。 禁門の変での長州は朝敵だったが合祀されてたので、その後朝廷側の会津藩士は祀られた。 でも戊辰、西南戦争以降は会津も西郷隆盛も祀られない。古来の在り方とは違います。彼らは当時の反政府ではあったけど、反朝廷では無かった。 山県有朋などの軍閥の意向、まあ官軍神社ですね。大御心ではない。 本来ならば合祀すべきです。外国人の敵は無理ですが。 当時靖国は内務陸軍省の運営、戦後は単立宗教法人、神社本庁には属さない。やはり特殊な存在です。 又、明治以降でも本来は戦没者を祀る処。 でも戦後そうでない方達も合祀しました。戦犯だから悪いとは申しません! 真珠湾攻撃の司令長官だって、御存命だったらA級で裁かれたかも知れない。 戦没為さったから合祀されてても誰も文句言う輩は居ません。 それが本来と思われるので、違和感有り両義的となるので御座います。 一番重要なのは、名もない一人ひとりの戦死者の心を思い遣る事! 生前の思いと生きていたら思ったであろう事。様々でしょう。それを一つに決めつけるのは、残された者の思い上がりで、死者への冒涜なのです。 あまりに戦後の両陣営の議論はかれらの思いを等閑なおざりにしてます。私は、硫黄島の日米など、戦士の友情を信じます。外野は戦後いつ迄争ってるのでしょう? 神社は和平宥和平定の為に有るのでしょう。
- sutorama
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宗教にからめた思想だからダメなんだと思います 供養塔・祈念碑ぐらいの感覚がちょうどいい 御(身)柱にして、信仰の対象のような存在に祀ることがそもそもの間違いだと思います
お礼
ご回答に感謝致します。 現憲法下では仰る通りだとは思います。でもあそこは戦前から、既に存在してるところですから、、そうとも言い切れんのです。 それに、古来より戦闘に殉じた者どもを祀る習慣が御座います。 どちらかと言うと、顕彰する事よりも、祟りを畏れてでした。 将門や菅原道真などです。それは日本の伝統です。 それを近代国家軍兵士にも当て嵌める事については、確かに考え直す余地有りと思われます。ありがとう御座いました。
- uen_sap
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あなたは両義的とは言えません。 おじさん達の墓はないのですか? 靖国ではない、その墓にお参りはしませんか? わざわざ、靖国にお参りするだけで、あなたの意思は明確です。 そもそも靖国神社は天皇を護るために死んだ兵たちのための神社です。 即、明治の官軍しか祀られていません。西郷隆盛は維新の三傑の一人ですが、西南戦争で官軍の敵となったため、祀られていません。 つい先ごろ、森が話の中でナチスを引き合いに出して、欧米から袋叩きにあいました。 日本の外交センスのなさを象徴する事柄で、安倍外交の足を今後引っ張るでしょう。 戦争をするからには、勝たなければなりません。 東京裁判が一方的だ、とはよく言われますが、負けてしまってはどうしようもありません。 当時の米国の新聞には判決の出たあと、この裁判には最初から欠席した者が一人居る・・・との評価が一般的でした。 東条大将等はこの裁かれざる一人の罪を背負って死んで行ったとすると、靖国に祀られることには一理があります。 ドイツではナチスに関する戦犯容疑には時効がありません。 そういう国と今後付き合いを続けていかなかればならぬ、とすると、東条大将以下の刑死者については、靖国合祀すべきか否か、は自明と思います。
お礼
早速の御回答ありがとう御座います。 私質問文で「墓を引き継ぐ者も居ない」旨書きました。無論お墓はお寺に有って毎年御参りしてます。遺骨ではなく只の木片ですが、。 母方の叔父なので私と姓が違います、母の兄弟は全員戦死で姉妹は他家に嫁ぎ、家系は途絶えました。私どもに子は無く今後は誰も参れません。そんな家系は沢山有ると推測してます。 すると靖国神社しか無くなるのです。確かに靖国は官軍神社でしょう。 我が父方は徳川家臣です、その意味でも両義的なのですよ。可能なら心置きなく参拝できる施設があれば、と思いますが御座いませんので、。 日本は敗戦事実をもっと受け入れるべき、とは思います。しかし連合国はマッカーサーと天皇の会談の結果も受け入れました。 昭和帝は自ら責任を自覚され、命は投げ出す御覚悟だったとアメリカ側も伝えてるでしょう? ナチスとは違います。南方では植民地開放闘争も闘ったのは事実です。 インドネシア旅行した時、何人もの御老人に日本語で感謝されました。 オランダや、その後入ってきた豪州に対して、一緒に闘って独立手助けしてくれたのは日本兵だ、と。それが終戦後だと又違う問題有りかも知らんけど、。 一方、バリ島北部では日本兵を酷く恨んでる人もいました。 功罪あるのです。どちらか一方ではありません。 それも相まって、両義的と申してるので御座います。
お礼
御回答感謝します。 私も家族も最近まで、会津が差別受けてきた事、存じませんでした。 父方は徳川の家臣だったので、大恩有るにも拘わらず、。教科書でも避けられてきたかも知れません。 大正になって、禁門の変の会津藩士だけは合祀されたそうです。京都守護職ですから。少なくとも 孝明帝の朝敵では無いですね。 戊辰戦争に参加した長州閥の明治政府の方々が、 会津だけは許すな! の方針、恨み骨髄で、。廃藩置県でタライ回し流浪の境遇だったそうですね。 言われてみれば、最近までのズーズー弁や東北蔑視、思い当たります。 靖国神社が真に国の体の神社に成るには、会津の事は避けて通れないと思いました。 大正時代にも既に見直された事有るので、今からでも遅くはないと思います。 有り難う御座いました、どうぞ御自愛下さい。