>天皇陛下はそろそろ靖国参拝した方が良いのでは?
陛下が御自身の思いで自由に参拝or不参拝されれば良いと思います。
そのような靖国神社の沿革・由縁と異例の御心が、ありのままに伝わればと願いますとともに、私たち国民の理解とメディアの冷静な対応、周辺国の誤解や非難が起こらない環境や方法で実現できればと祈念申し上げております。。
◇明治天皇の命名された我が国の為に命を捧げ犠牲となられた方々を祀る社。
◇昭和天皇も昭和50年11月21日の御親拝までは折に触れ参拝されていた。
◇その後の、マスコミ報道や特亜でのA級戦犯合祀や戦争美化等の問題化の拡大、世論の対立と周辺国の反発を憂慮懸念され参拝されなくなったが、その後も靖国神社の春と秋に行われる例大祭には,勅使が遣わされています。
◇個人的には、国民統合の象徴であります今上天皇には、ご自身のご自由な意思判断で参拝されるのも参拝されないのも選択いただきたいし、そのような靖国神社の歴史や政教分離の国柄と実態、日本人の死生観や慰霊の心を私たちが受け止め理解を広め、天皇陛下参拝の環境作りと実現を目指して行きたいと思います。
http://www1.r3.rosenet.jp/nb3hoshu/YasukuniTennouSinpai.html
ご参考:私自身の靖国神社考
靖国神社は
先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。
そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。
そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。
政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する特亜(特に中韓)の姿勢にも疑問を持ちます。
「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない!
まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の再軍備の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し誠に申し訳なく恥ずかしい。
それは、死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根だと思います。
元より参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛強制干渉される事では決してないと思います。
誰でも、心ある人が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。
<天皇陛下並びに皇族や総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは自由に思い立った際に立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、本意にもかなうのでは・・・報道は参拝・慰霊の事実を結果報告だけで十分>
靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。
戊辰戦争:3,588柱以降
その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。
安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。
シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり祖先でもある、今日の平和と安寧の為に礎となり身を捧げられた方々である。
このように、我が国には八百万の神がおられ、死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。
そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者・子孫が居られます。
明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。
そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、そこには遺骨を納め祀っているのではない。
その神・仏と成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞・先祖たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別・宗教等に関わりなく等しく祀られているのです。
個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。
その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。
そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない、国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?参拝が許せないという意見は自存自主国家として、政教分離の信教の自由を戴した平和国家として信じられない。
誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか?
国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。
非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。
それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。
あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。
ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、売名行為かあらぬ誤解を助長するための思惑意図すら感じる。
その思い&心が有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。
私自身は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。
国の為に命を散らした同胞に
感謝と二度と戦争を起こさないとお祈りするのは当たり前の事です
例え、どんなに友好国・親しみのある国でも、利害や価値観や色んなテーマと局面に於いてプライオリティの違い等により軋轢やギクシャクとする事は発生します。
まして、歴史的に戦火を交えたり占領併合の時代を負の遺産として抱える国々とは・・・
それを、一方的に属国や施政権下の植民地の如く、問答無用と自国の論理や意向を押し付けたり強要するのは⇒自主独立国家に対しては内政干渉であり、唯々諾々と従う事も、真の友好関係・相互信頼(互恵関係とか未来志向)に資する対応と言えません。
そういう意味で、靖国神社存立と参拝の自由は⇒譲れない守るべき、時間をいくらかけても説明理解を得るべき分野・領域だと思います。
八方美人・時間稼ぎ・問題先送りで、その場しのぎで誤魔化し済ましてはならないと思います。
お礼
激しく同意致しました。そしてとても参考になりました。ありがとうございました。