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「君が代」問題で教職員176人処分
私自身はとくに関心がない、というか どうでもいいことなのですが、気になったので質問します。 無知は無知なりの考えで、 これは憲法の「個人の信教の自由」に違反するような 気がするのですが、 実際のところ、こういう解釈は大間違いなのでしょうか? そもそも憲法に違反するなら、通達自体違法ってことだし… きちんとした理由なり解釈があるのだと思うのですが、 そのへんのところ、解説をお願いします。
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- yushimadiode
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結論はNo.9の方と同じで、件の職務命令自体が憲法違反だと思いますが、もう少し別の視点から補足させてください。 そもそも学校行事で国歌を斉唱すること自体「グローバススタンダード」ではないと思います。自分が生活したドイツ以下、欧州数カ国の事情しか知りませんが、私の知る限りどの国でも学校行事で国歌は歌われません(それ以前に入学式もなかったりします)。いずれの国も政治的に成熟安定した議会制民主主義国家ですし、国旗国歌も憲法に明記されていますが、学校で国歌を歌わないからといってことさらモラルが低いとか犯罪が増加している風にも見えません。一方、民族意識が強いことで知られる小国もいくつか訪れたことがありますが、国歌が登場したのは、きわめて政治色の強い街頭集会だけです。興味深いのは、こういう国や地域の方々に日本の学校の「君が代」をめぐる問題を説明すると、「そんなばかな、国の旗や歌を敬うのは当然じゃないか!」ではなく、「うんなるほど、そういうこともあるだろうね」と一応の理解を示されることです。他の民族宗教との確執や不寛容の問題と現実に向き合っているからこそ、出てくる言葉ではないでしょうか。 入学式や卒業式は、学校主体で来る人去る人を歓迎歓送する行事であって、国との結びつきを再確認するような場ではないと思います。学校への愛着なり郷土愛なりを重視するなら、校歌と一緒に県歌(州歌)でも歌えばいいのです。県歌なんか知らない、聞いたことがない、と一足飛びに国歌に飛びつくのは、それだけ地域の文化的独自性がないがしろにされている証拠ではないでしょうか。 また、この種の議論で決まって話題にのぼるアメリカ合衆国ですが、成り立ちが特殊すぎて、他の国の参考にはならないと思います。日本と同じように、立憲君主制かそれに近い政治制度があり、国民の大多数が同じ民族で(本当は一概に言えませんが)文化的均質性が高く、国自体が長い歴史的伝統を持つ、などの点では、アメリカよりもイギリスなりイタリアなりドイツなりを見習った方がいいと思いますが、これらの国については既に述べた通りです。 No.10の方は「エホバの証人」について1940年の連邦最高裁判決の例を出されたものと推察しますが、有名な「バーネット事件」に関する1943年の米連邦最高裁判決、1966年のニュージャージー州最高裁、1971年メリーランド州控訴裁などでは、むしろ忠誠宣誓に参加しない権利を認める旨が述べられています。また1969年のニューヨーク州東部連邦地方裁判決のように、忠誠宣誓の文言そのものに対する批判的意見の自由を保障し、宣誓時の起立拒否の権利を認める判例もあります。 なお、「君が代」に反対するなら対案を出すべきだ、とか、なぜ新しい国歌を作る運動を起こさないのか、といったご意見もこの種の議論でしばしば拝見しますが、どのような内容の国歌であれ、学校行事の出席者に強制することが問題なのであって、新しいものに変えればよいとか、軍国主義だからダメ共産主義ならOKとか、そういう問題ではないと思います。仮に、私個人が100%納得するような国歌が東京の政府で制定されたとしても、学校行事で全員に歌わせるというなら反対するでしょう。 スポーツ競技の開会式などの国歌斉唱までやめろとは申しません。個人的には不快ですが、嫌なら退席すればいい、或いは始めから行かなければいいだけのことです(もっとも、国際試合の国歌演奏でも外国選手の大半が歌っていなかったりしますが)。学校行事の場合、それすらも許されない点が問題なのです。 最後に、質問者さんは「とくに関心がな」く「どうでもいいこと」と言われますが、自身の意志に従ったために処分される先生たちが日々どのような仕打ちを受けるか、また、本心を押し殺し命令に従った先生たちがいかに荒廃した精神状態に追い込まれるか、リアルに想像してみることも大切ではないか、と思います(野田正彰『させられる教育 思考途絶する教師たち』岩波書店,2002年 などをご覧ください)。
- SCNK
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信教とは関係ないでしょう。国旗も国家も宗教とは関係ないからです。思想の自由はあるでしょうが、公教育の教師という立場なら特別権力関係が成立します。もちろん職を辞す自由は与えられているのですから、自らの思想に反するのなら辞職すればよいことです。 学校教育の一環として国が国家、国旗について斉唱、掲揚しなさいと命じているのですから、いずれにせよ命令違反です。
お礼
前半の認識違いはご容赦を。 >学校教育の一環として国が国家、国旗について斉唱、掲揚しなさいと命じている 「特別権力関係」でぐぐってみました。 現在、基本的人権尊重の日本国憲法では、その制限も最小限度のものになっている、みたいな解説が見受けられました。 だとすると今回の処分はその「最小限度」のものにのっとっているということなんでしょうね。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
アメリカの「国家への忠誠宣誓」に関しては例えばエホバの証人などが、偶像崇拝であり、国旗に対する誓約文が認められないという理由により拒否したことで退学になったりの際などにそのつど訴えを起こしています。 で判決に関しては 「国旗敬礼は、礼拝行為でもなければ偶像崇拝でもなく、まして宗教的な儀式ではない。国旗は宗教と無関係」「信教の自由という自由も、秩序ある社会を前提として成り立っており、その秩序ある社会を表象するのが国旗」「法の要求に応じたくないものは、彼らだけの学校を自由に作ることができる」 まぁこの辺の判例は戦前のものなので、今現在だともう少し柔らかく言い換えられていますが、大体において訴えは全て却下されています。 で日本においてはどうかと言うと。 まずアメリカのような忠誠を誓う宣誓儀式の強制性などが問題になっているのではなく、卒業式などで歌うか歌わないか、掲げるか掲げないかのレベルでもめていますからねぇ。これが信教の自由を侵す行為なのかどうかということでしょう。 またこれらが教員側の当然の職務の範疇にはいるのかどうかというのもあるでしょう。 まぁカエルだってオケラだって、アナーキストだってテロリストだって皆生きている訳ですから、最低限の人権は保証されています。 反政府的な活動・運動も法律の範囲内においては認められています。将来のテロリストを育てる為に教員になった人の人権もある程度は保障されるべきでしょうが。 だからと言って相対主義に陥りあれもアリ、これもアリで何でも認めてしまうのは唯の動物でしかないかなと思います。 あーあと最後にひとつ質問になるんですが。 未だに侵略・進出の書き換えの「誤報」を信じていらっしゃるのも まぁこれも個人の信条の自由と言ってしまえば自由というわけで認めるべきなんでしょうかねぇ?
- taroimo_hasami
- ベストアンサー率23% (191/830)
人に思想を強制することは間違いです。yo-yaさんが言うように明白な憲法違反。公務員法以前の問題ですよ、あんなものは(笑)。 国歌がいかなるものか、その解釈自体も個々人により異なります。国民であれば国歌を敬い歌うのは当然、というのも思想なら、別に歌う必要なし、というのも思想です。 子供達を教える立場にある教育者であれば、個人の信条を乗り越えて歌うべきだというのも、一つの思想に過ぎず、思想の押し付け以外の何物でもないわけです。ですから、公務員法以前の問題です。 子供達にしてもそうで、君が代をどう思うかはその子次第のはずです。子供には、君が代に好感を持たせなければならない、愛するように教育しなければならない、というのも、一つの思想であり、思想の押し付け、悪く言えば、判断力の弱い子供にそう教育することは洗脳するに等しいことです。 また、君が代には賛否両論があり、歌わない事が国を嫌っていることを示すわけではありません。逆に、国を愛するが故に嫌う人もいます。歌わないだけで国を貶める人だと解する人がいるなら、もはや暴論の極み、君が代をすばらしいと考える自分の意見を押し付けているだけに過ぎません。短絡的過ぎます。人と自分との違いを受け入れられず、認められない偏狭な人達だと言って過言ではないでしょう。 最近、薄気味が悪くて仕方がありません。どこを見ても愛国、愛国。愛国心という言葉を持ち出せば、どんな暴論でも否定しにくくなる。愛国心が家族愛や郷土愛などを背景とした純朴でささやかなものであるとするなら、ことあるごとに愛国心なる言葉など出てこないはず。本物の愛国心は、普段は心の内に秘められ意識されないもので、戦争などの特殊な場面でのみ表出するもの、今のような平時に愛国心なる言葉が跳梁跋扈するのは健全とは言えません。外国人差別が激化するなど民族主義が台頭する気配を見せ、歴史に興味のない人間が伝統という言葉を過度に使用するなど国粋主義台頭の気配も漂い始めている現在に、そういう現象が起きているのですから。
教職員の中に「感情」が湧きあがるものがある、それを処分を振りかざして強制する… って書いていらっしゃいますが、そういう先生って単に自分の心情を教育と混同している愚かな人、っていうだけじゃないでしょうか。ただでさえ自分勝手な人間が増えてきて、モラルの低下とか犯罪の増加とかで世情が不安になっていますけど、そうなった原因のひとつは、こういう自分勝手な人たちがなぜか公務員になって、しかも「国家を愛することはいけないこと」「日本の国旗は軍国主義のシンボル」だとか勝手な理由で、大事に思っている人もいる国歌や国旗をないがしろにするような、子供っぽい教育のせいじゃないでしょうか。そう感じてる人は多いと思いますよ。 大体、今時これだけ世界経済とリンクした時代に、「日本が軍国主義化する」だのって、単なる情報無知としか思えません。自衛隊だってシビリアンコントロールされているし、日本が今さら侵略戦争して何の得があるんですかと問いたいです。 (軍国主義をいうんなら、チベットを武力で抑えつけて、台湾の民主的独立にも脅しをかけて、10年以上も軍事費が2ケタアップにしているお隣の大国こそそうじゃないんでしょうか。そっちにもまず言うべきことを言う人じゃないと、ダブルスタンダードで信用できないですよ) 思考停止した学校の先生がたには、社会にもし不満があるんなら、政治を通じて社会を変える努力をするべきだ、と言いたいです。公務員=社会の公僕になっておきながら、ほかの社会人がとるような社会的なプロセスをとらずに、子供たちに自分の心情を教育の名前でまぎれ込ませるのは反則行為。 自分の家族、住んでいる地域に自然な愛情を持ってどこが悪いんでしょうか。自分の家族、隣の家族、ってつながった先に日本という国もあるんだと思いますよ。先生方のいう『国家』は悪のかたまりにしか見えないらしいけど。
お礼
確かに、自分の子供に「国家を愛することはいけないこと」「日本の国旗は軍国主義のシンボル」だとか たたき込まれたら、ちょいまち、と思いますね。 せめて「『かつては』日本の国旗は軍国主義のシンボル」ぐらいして欲しいものですが、 (実際侵略もとい進出された国々では現在もそう感じるひとがいるのかもしれませんが) どちらにしても、自分の子供には自国の文化をもっと深く知って、 日本を愛する心を持ってほしいとは思いますね。 ただそれがエスカレートして、それこそ逆に小林某氏や某つくる会の方々にどっぷりはまった若い先生なんかに、 偏った情報をたたき込まれるようなことも勘弁願いたいですね。 >自分の家族、隣の家族、ってつながった先に日本という国もあるんだと思いますよ それはもっともなのですが、例えば自分の家族を守るために、と思えば戦おうとも思いますが、 その先にある日本という国のために戦おうとは、今のところ私は思いません。 だからといって愛国心がないわけではないのですが。いや勿論ある方面の方々にとっては 「そんなの愛国心があるって言えねえよ!」と怒鳴られそうですが。
- shishishishi
- ベストアンサー率39% (362/921)
No2です。 > 私の感覚では君が代日の丸反対は「政治活動」というよりは、思想、信条の自由」なのです。 彼らが何を心の中に思おうが自由ですが、その「思想」を他人に押し付けるのが政治活動です。 公務員が職務中に政治活動してはいけません。 > 他国で国旗、国家が大切にされている理由のひとつは、 闘争のうえ勝ち取ったものや、その象徴だからなのでは ないかと思うのですが、どうなのでしょう。 もちろんそのような面もあると思います。しかし、一番の理由は子供のときからどの国でも「国旗、国歌を敬え。国に忠誠を尽くせ」と教育されているからです。 「世界中にこんな悪い国は無い」とようなことを教えるどこかの教職員組合が学校教育を牛耳る、情けない某国はまったく違いますが。 なお、蛇足ですが、中国や韓国で一番反日感情が強いのは実際に被害を受けた世代ではなく、強烈な反日教育を受けて育った戦後の世代です。教育の力はそれだけ大きいのです。
お礼
回答ありがとうございます。 >その「思想」を他人に押し付けるのが政治活動です。 ここなんですよね、多分ひっかかってるのは。 要するに、妨害行為するような人たちは処分されて当然だと思うんですよ。 下のほうで言っていた方もいますが、法は法なのですから。 ただ、起立しないっていうのは、何も他人に強要してるわけではないですよね。 まあ退席は職務放棄でしょうが…。それでもやはり、それは政治活動とは違うような…。 >「世界中にこんな悪い国は無い」とようなことを教えるどこかの教職員組合が学校教育を牛耳る、情けない某国 そういう方も多いのかと思いますが、 実際現場では、もっとリベラルだとおもうんですが、どうなんでしょう? かつてこんな悪いことをしたこともあった、と、あくまで資料からわかる事実を淡々と教え、 しかし日本という国はそんな悪い国ではないよ、と。 戦時というのは人、常識を180度かえてしまうわけで、 そのときはそれが常識だったんだ、と。 日本には優れた文化など世界に誇れるものがたくさんあるじゃないか、と。 私はそういう認識です。なので逆に、大虐殺はなかったとか、 そういったたぐいの話には「まだ言ってんのか」とあきれたりもするわけです。 (そのへんはまた別の議論なので今はこれ以上は無しということで)
- Yorozunokotonoha
- ベストアンサー率17% (32/185)
処分されて当然ですね。 法律に違反しているのですから。 そんなに嫌だったら、公務員を辞めればいいのです。 一般企業で働けば、いいのです。 こんなやつらが教師なんだから、 今の若者が好き放題やるのは、 当然の帰結ですよ。 だって、個人の自由なんだから、なにをしてもいいですもんね!! 革命思想の大人を見て、子供も真似をする。 反対だけなら、誰でもできる。 だったら、その代替案を提示しろっていいたい。 ま、無理でしょうけどね。
- jiromeijin
- ベストアンサー率18% (92/495)
やはり、戦前の軍国主義教育から端を発していると思うけど、ここ10数年まえから急にクローズアップされてきたような気が・・・?。何かで読んだけど「日の丸」も「君が代」も正式な国旗・国歌としては決められていなかったような話しもあってね。ただ、小さい頃からそう教えられてきたし、国際大会の応援では自然に「ニッポン・チャチャチャ」になっちゃうしね。特に「日の丸」はアジア諸国では第二次大戦の影響で評判の悪い年代も居るし、歴史の評価も「侵略」なのか「進出」なのか別れているし。ドイツみたいに、未だにナチスの戦犯を追いかけているかと思えば、戦死者と戦犯を靖国神社に合祀している国もあるし。解釈の違いもあるけど、じぶんたちは君=天皇と教わってきたので、君が代を教師に強要させて子供たちに歌わせるのは感心しません。ちなみに自分は公の場で君が代を歌う場面では、「民が~代~は~」と歌っていますけどね。
お礼
「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、 調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。 社会全体が右傾化しているような風潮はありますね、確かに。 とくに若い世代に増えているような気がします。 自分のことを「わし」とかいう漫画家のせいでしょうか。 とにかく、強制することに非常に違和感を感じるんです。
- pico2pon
- ベストアンサー率28% (55/193)
大間違いではないと思いますが、 思想がどうこうではなく、 「国歌を歌う」という規律に反したことが 公務員なんとか法(すいません、忘れました)の何条かに反するから処分になるわけです。 悪法でも法律は法律、規則は規則ですから、それに反する行動をとれば処分されるのもいたしかたないと私は思います。 個人的には、思想どうこうをもちだして卒業式や入学式を乱すような行為をする大人がいることが信じられません。 「ネクタイ着用」がルールとなっている会社で、「なんでネクタイをしなきゃいけないんだ!個人の人権侵害だ!」とったところで、クビになったって、文句いえないですよね。それと同じことだと私は思います。
お礼
「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、 調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。 >悪法でも法律は法律 それはそうなのですが、処分の根拠となる法の上には、 やはり憲法があると思うので…。 >個人的には、思想どうこうをもちだして卒業式や入学式を乱すような行為をする大人がいることが信じられません。 それは私も同感です。それこそ「大人げない」と思いはします。 が、そういう人たちをそこまで駆り立てる何らかの 「感情」がわき上がるようなものを、処分をふりかざして「強制」する、 というのは、やはり何か間違っているような気がしてならないのです。
- bobio
- ベストアンサー率18% (28/155)
今回、MLB開幕戦でアメリカと日本の国歌斉唱がありました。 こういった公共の場で国歌斉唱があるばあい、たとえ主義主張があったとしても、国旗に向かって起立脱帽するのは、大人の国際人としての「常識」です。 賛成、反対、は個人の自由ですが、それを公共の場で表現するのは常識のないことです。 MLB開幕戦やオリンピックの表彰式で、国歌に反対だからといって、後ろをむいたいり、座り込んだりするのは「変」なことです。 卒業式でも、座り込むのは「変」で、常識ある大人とは言えません。 高校を卒業して常識ある大人になるんですから、主義主張を表現するとしても場所をわきまえるべきです。 東京都(石原知事)としてはこの事を教えようと思っているのではないでしょうか? だからといって、教員の処分は行きすぎだと思いますが。
お礼
「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、 調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。 常識云々は、まったくその通りだと思います。 なんだかんだといったところで、自分も子供の公の場 (入学式、入園式など)では普通に歌いますからね。 また怒られそうですが、個人的にはどうでもいいことなのです。 だから公の場ではいわゆる常識にしたがって行動します。 起立もするし歌いもします。 それで別に自分の信条を曲げさせられた!とは思わないですし。
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お礼
締め切ったあとにも関わらず、それも詳細な回答ありがとうございました。 大変興味深く読ませていただきました。 ただ最後のくだりで補足(?)させていただきたいのは、 「とくに関心がなく、今の自分にとってはどうでもいい」 というのは、国歌・国旗に関する議論に対してひいてしまっているからです。 自分のなかでは質問の通り「こういうものを強制するのはおかしいのではないか」と常に思っています。 したくない人はそれなりの行動をとればいい、したい人はすればいい。ただどちらの立場にしても、強制するのはどうか、と。 自分の場合はというと、幸か不幸か思い詰めるほどのものはないし、自分一人でなく家族も含めたいろんな人間関係があるので、しいていえば消極的参加みたいなものでしょうか。 ただ信念をもって行動している教員の方々にとっては、勿論つらかろうと思うし、気の毒だとも思います。 高校1年のときに、ある先生が担任についたのですが、その先生は翌年、新設校にとばされました。 自分の信念に基づいて、筋の通った話、行動をされ、しかし決して授業の課題以外のことで何かを強制したり、自分の信念を強く語ったりということのない、リベラリストはこういう人のことをいうのだろうと感じさせる方でした。 が、どうやらその言動が原因らしいと後にききました。 音信こそありませんが、今でもその先生のことは尊敬しています。 そういう経験もあり、苦しまれている教員等の方々に対して感じるところがないわけではありませんでしたが、 自身は先に述べたように国歌国旗にどちらにせよ特に強く思うところがないことから、 言葉が足りず不快な思いをされた方もいらっしゃるかと思います。 この場を借りてお詫びします。