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音楽で感動した体験
- 音楽で感動した初めての体験と最も感動した体験を教えてください。
- 私は音楽鑑賞が趣味で、様々なジャンルの音楽を楽しんでいます。
- 特にクラシックとフォークソングがお気に入りで、幼い頃から音楽に触れる機会がありました。
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音楽で感動した体験…、素人ながら、ある機会を得てステージに立てたわたし、その時のことを書いた自分のブログから一部を抜粋してお答えにさせて頂きます。 (前略)「え~っとね、それでは、Nさんにはこんな歌を歌ってもらいましょうか、Again、皆さまももうよくご存じでしょう、ドリス・デイが歌ってヒットしたこのAgain…、こんな素晴らしい人には生涯で二度とめぐり会えない…といった歌詞で、なかなかしっとりとしたいい曲です」、そんな前置きをしてから先生はピアノに向かった。 このAgainはメジャー(長調)の曲なのだが、前奏はどこかメランコリックなマイナー(短調)っぽいメロディから始まる、クラブのピアノは厚みのある音色がしてそれがとても美しかった。自然に口が開いた、アゲイン…、最初のひと言が気持ちよく滑り出た、それが嬉しかった。 Again this couldn't happen again This is that once in a life time This is the thrill divine… ふたたび・・・いいえ、二度とこんな出会いは巡ってはこないわ 生涯にわずか一度しか訪れることのない不思議な出会い これこそ神の思し召し… ~~~ For when this doesn't happen again We'll have this moment forever But never, never again… この先、二度とこんなことが起きないのならば 今のこの瞬間を永遠に残しましょう こんな素晴らしい瞬間は二度と、二度と巡ってはこないのならば… そうなのだ、その通り、まさにこのわたしの今の気持ちそのものだわ…と歌いながら思った。胸の鼓動が静かになって、消えてしまったような気持ちに包まれた。大好きなこのAgain、なのに、これほどまでに情感を自然に込められたことはかつてなかった、きっと、これからも二度とないのかもしれない。 途中のいわゆるサビのところへ戻って二度目に歌いだした時、客席にリサ・マツナガの姿があるのに気がついた。上手に歌ってやろうといった気持ちは起きなかった、ただ淡々と自分の歌い方で通した、自分の歌に酔っていたのかもしれない、こんな素晴らしい瞬間はきっと二度とは巡ってはこないのだもの。 歌い終わった、ほっとした。マイクを持った手を下げてから深く頭を下げた、その時、拍手が起こった。前の芸人さんの時と同じような、あまり熱のこもらないまばらな拍手だった。もとより最初から盛大な拍手などといったものは期待していなかった。「有難うございます、こんなにまで拍手をいただけてとても嬉しいです…」、それは自然な感謝の気持ちから出た言葉だった。 続けて次の曲に行こうと先生からサインが送られてきた、曲はThe Way We Were、映画「追憶」の中でバーブラ・ストライサンドが歌っていた曲で、これもわたしの大好きな曲だった。ただ、先生が要求したのはやや難しい歌い方だった。 この曲には歌詞の前後にハミングの部分がある。先生は、歌い出しのハミングの部分をア・カペラで、つまり無伴奏で、しかもしっかり情感を込めながら、自信を持って、伴奏が無い分だけはっきり歌い出せ…とわたしに要求したのだった。無伴奏で歌い出すのはいい、だがそれで、すぐ後から始まる伴奏のキーとリズムにぴったり合わせるというのは、ほとんどサーカスそのものだった。 もしキーが合わなかったら、リズムがほんのわずかでもずれていたら、それだけで惨めな失敗に終わってしまう、だから、傍から見ればどうでもいいようなたったこれだけのことに、ずいぶん叱られ涙を流しながらレッスンを繰り返してきていたのだった。 よし、行くぞ…、目を閉じると、客席のざわめきが耳に届いた。甲高い女性の笑い声にふと集中を妨げられた。ひと息吸って胸の鼓動が落ち着くのを待った、それから歌い始めた。ム~ムム~、ムムムム、ムムム~、ムムムム…。ピアノの音が出たのが聞こえた、三度下がった音ではあったが、それは確かにわたしが歌っているキーとぴったり合っていた。無事に伴奏と合流できた。 Mem'ries light the corners of my mind Misty watercolor mem'ries of the way we were… 思い出、それは心の片隅にさし込む明かりのようなもの 淡く滲んだ水彩画のような思い出、わたしたちが過ごしてきたあの頃の… ~~~ So it's the laughter we will remember Whenever we remember the way we were The way we were… m, m, m, m, m, m, m, m… でも、あの頃の楽しそうな笑い声、それさえ思い出せたら きっと思い出せるわ、わたしたちが歩んできたどんな時のことだって わたしたちがふたりで過ごしてきたあの頃の… ム~ムム~、ムムムム、ムムム~、ムムムム…、 伴奏は先に消えていた、わたしは最後のハミングの部分をゆっくりフェードアウトさせた。歌声が次第に弱まりすっかり消えると拍手が起こった。いつの間にか増えていたお客たちの拍手も加わったのか、それは思いがけず大きな拍手だった。 やった…、よかった、拍手は続いた、嬉しい、お客様はしっかり聴いていてくださったのだ。わたしの初舞台はこれで終わった、さすがに客席からワインのグラスが届くといったこともなかったし花束が贈られることもなかった、だが、それはしかたがないことだった、今夜のことは主人以外には誰にも話してなかったのだから。 挨拶の言葉は考えてあった、拍手が消えるのを待ってまたマイクを口元に近づけた。「皆さま、わたくしに与えられておりました時間はもうそろそろ一杯になります。たかが未熟なアマチュアの思い上がった夢でしたが、こうして今夜…」、その時どこからか「まだいいじゃないか…」という大きな声が飛んできた、ついで別の席から「アメイジング・グレイス歌ってよ」という女性の声が聞こえた、それに同意するかのように拍手が起きた。 どうしていいか分からなくなってしまった。とっさの機転といったものも思いつかなかった、思わずお客様に背を向けてピアノの方に歩み寄ってしまった。アメイジング・グレイス、あのニューヨークの911以来、当時とても愛されて広く歌われていた曲だった。だが、この曲は清らかな賛美歌なのだ、だから、ナイトクラブで歌うこの日のために特訓を受けた曲目の中には含まれていなかった。 「歌えるか…」、「たぶん…」、「多分…じゃ困るな」、「歌詞は大丈夫です」、これまでレッスンで教わったことはなかったが、それでも、大好きな曲だったから、見よう見まねながらカラオケなどでいつも歌っていた。歌う時には半分目をつぶり自分なりのイメージを感じながら歌うのが好きだったから歌詞はしっかり頭の中にあって、それだけは自信があった、きっとうまく歌える、「大丈夫ですよ、行きましょう」、「やるか、よし、やろう、途中で半音上がるから、キーが高いと張りのところでつらくなる、Gぐらいで行くか…」 ステージの袖の中で、斎藤プロデューサーが時間は心配ないとサインを送ってくれていた。わたしはマイクのところへ戻ると、「大変失礼いたしました、ちょっと伴奏と摺り合せをさせていただきました、それではお言葉に甘えましてAmazing Graceを歌わせていただきます」と口上を述べた。 リクエストをした声の主はあきらかにお客ではなかった。本当にわたしの声でアメイジング・グレイスを聞きたかったのだろうか、あの声の中に、なにかふと、そうじゃないかもしれないものが感じられた、これは女ならではの巧妙にして痛烈な意地悪だったのではないだろうか。もしそうだとしたら、たとえ何がどうあろうと、歌えない…とは言えないではないか。 Amazing grace how sweet the sound That saved a wretch like me. I once was lost but now am found, Was blind but now I see. アメイジング・グレース、何と美しい響きだろう 神は私のようなつまらぬ者までもお救いくださった いちどは道を踏み外したこの私に、今は進むべき道をお示しになり 盲目同然だった私に目を開かせてくださった ~~~ When we've been there ten thousand years, Bright shining as the sun, We've no less days to sing God's praise Than when we'd first begun. 何万年の時を経ようとも 太陽のように明るく光り輝き 神の恵みを讃えて我らは歌い続けることだろう 歌い始めたそのとき以上に… 歌い出してから、うん、悪くないぞ…と思った。歌い進むにつれて心が洗われるような清々しい気持ちに包まれた。客席からのリクエストを感謝の気持ちとともに受け止めることができず、巧妙にして痛烈な意地悪かもしれないと疑ってしまったこの自分の浅はかな気持ちが恥ずかしくなった。 そして歌い終わった。そのわずかな瞬間、店内はしんと静まっていた、それから拍手が起きた。(後略)(歌詞和訳 回答者)
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- isoken
- ベストアンサー率32% (596/1825)
>「初めての感動体験」 東京育ちという事情もあり、外国のミュージシャンのコンサートは、若い頃よりそれなりに行っていたのですが、個人的に初の衝撃体験は、「ホテル・カリフォルニア」の世界的ヒットで一躍スーパー・バンドの仲間入りを果したイーグルスの東京公演、時まさに私が大学に入学した1979年の事です。 初期のイーグルスはカントリーのイメージだったのですが、ロック色を強めてに辿り着いたのが「ホテル・カリフォルニア」、今思えば路線の食い違いから人気の頂点で解散する直前のコンサートでしたが、イーグルスのメンバーも概ね20代後半から30代前半で若かった、そして何よりも旬の魅力が今も尚脳裏に焼き付いております。 >「その後、最も感動した体験」 実はこれもイーグルス、一昨年でしたか、彼らの東京ドーム公演に家内と行った際の事です。 全てのメンバーが60歳をとうに越えておりましたが、ちょっと考えられないほどのボーカル能力の高さが維持されており、日頃の鍛錬と健康管理の賜物と感動した次第。 特にジョー・ウォルシュ(「ホテル・カリフォルニア」で、頭にバンダナを巻いていたギター・リストです)のエンターテイメントが最高、聴衆からやんやの喝采を浴びておりました。 後日2万人程度入っていたと聞きましたが、お客さんの年齢層の高さも心地良く、しかもイーグルスに限って言えば、少しも衰えが見られない事への驚きで胸がいっぱいに。 全盛時代も良かったが、円熟の渋味を魅せた晩年もまた格別、一方10代後半であった私も50代に突入したまさにその年、その両方をこの目で見る事が出来た感動は、生涯の宝物だと思っております。 >番外編 サイモン&ガーファンクルの東京ドーム公演 忘れもしない4年前の7月11日(土曜日)でしたが、恐らくS&G最後の日本公演になるとの事で2日で全チケット完売、必死の事でチケットを入手し、出張もゴルフの御誘いも全て断り、しかも前夜から酒を断ち万全の体調で東京ドームへと駆けつけました。 但しこちらは歌を聞きに行ったというよりも、ポール・サイモンを感じに・彼のオーラを浴びに行ったのですが・・。 やはり泣きました、最早コンサート自体の質がどうこうといった低次元の話ではなかった、彼らは神です。 「明日にかける橋」~「サウンド オブ サイレンス」、そしてラストの「いとしのセシリア」と続いた後半部分は、涙腺を刺激するまさに反則技の雨あられ、人目を憚らずもう号泣でした、恥ずかしながら。 こんなに素晴らしい男性デュオは、もう二度と現れないでしょう、少なくとも私の前には・・。
お礼
私は洋楽には暗いのですが、音楽から得られる感動やカタルシスは分かります。私が崇拝する「アリス」も、今円熟のツアーの最中ですが、老いてなお盛んなのがホンモノ、とは言い過ぎでしょうか。 こういう、音楽での感動を味わわないままの方もおられるのでしょうね。何とももったいない…。 ご回答、ありがとうございました。
#10です。 >、「初めての感動体験」と、「その後、最も感動した体験」、それぞれお教えいただければ幸いです。 ということで、二つ体験談を書きましたが、お好みにあわなかったみたいでレス無しなんで(;;) 趣向をかえて近所のあっさりした感動体験を 横田寛之というアルトサックス奏者がいます。 http://www.youtube.com/watch?v=j8sXZIxYykE 品川駅の港南口はいまではすっかりストリートパフォーマンスのメッカになっていますが、2年ほど前、ここでひときわ鮮やかなアルトサックスの音色を聴きました。リズムボックスがジャズのビートを刻み、キーボードにあわせて、当時発売間もない「表参道ワンピース」の収録曲目を演奏している横田寛之の姿がありました。 小柄な、早稲田の軽音楽バンドのメンバーそのままの青年が奏でる軽快なメロディはマイケルブレッカーをアルトにしたような技巧的でかつパワフルな演奏に足が止まり、一度駅まで歩いて、いつまでも続く軽快な演奏に一度もとに戻って演奏者の前に。その突き抜けたような爽快な音色とテクニックに魅了されて、CDを二枚購入しました。その夜、お風呂CDプレーヤーで入浴しながら聴きましたがなかなかの感動でした。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。これには事情がありまして…。 ご回答に、youtubeなどの音源を挙げてくださっている方には、それを聴いてからお礼を、と思い、何人かお礼が遅くなった方がおられた、というわけです。好みに合わない曲を挙げたからお礼なんぞしてやるか!といった、ケツの穴の小さい事はしないつもりです。よほどの無礼者だけは別で、それ相応の「お礼参り?」になりますけど…。 私は、ご回答をくださった全員にお礼をしていますので、どうかご容赦を…。 さて、横田寛之、聴きました。私はジャズもちょっとだけ聴くのですが、それは'50年代がほとんど、つまりハードバップ・ジャズの全盛期ですね。だから、だから横田さんのは、ずいぶん涼しげに聴こえます。今のジャズは、気持ちよく聴けるのかしら。 どうしても、私のジャズは、ジャズ喫茶の紫煙の向こうから聴こえてくるイメージで…。古い奴だとお思いでしょうが…。 もう一つのご回答にも、すぐにお礼をいたします!!
- gozyou3553
- ベストアンサー率15% (115/726)
ハモネプで感動した事を、思い出しました!! 「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」を、練習して皆で1つになっていました!! 日本語バージョンで歌っていたのですが、緊張が伝わってきたりで・・・ジーンと涙がこみ上げて来ました!!!この曲も良いですしね~~
お礼
これは、ミュージカルの一曲でしょうか?「ハモネプ」で、こんな曲もやってたんですね。自然にみなが一丸になる様な、英雄的な曲ですね。やはり情熱には無条件に感動させられますし、音楽の力は偉大だと思う瞬間です。 ご回答、ありがとうございました。
- depression
- ベストアンサー率21% (108/508)
サントリーホールで,管弦楽(曲目を忘れてしまいました)の演奏会に行ったとき,演奏が始まると,すやすや寝てしまったのです(爆) ところが,演奏が終わると,拍手の前に目がぱちっと覚める。この繰り返しで,連れが,あきれながらも,すごいと。 我ながら,音楽の力に感動しました。 八郷のギター文化館の設計は実に素晴らしいです。キャパは小さいですが,音に包まれる心地よさは,他の会場では味わえません。
お礼
う~ん、感心していいものやら(笑)。音楽の力というより、あなたの能力がすごい!私も寝てしまった事はありますから、余りデカイ事は言えません。曲はブルックナーの第八。指揮はスクロヴァチェフスキ。ブルックナーが得意な一流で、しかも私のブルックナー熱が一番高い時期のだったのですが、やはり演奏がいけなかったと思い…たいです(苦笑)。 八郷のギター文化館は知らないのですが、音に包まれるとは、実に心地よさそうな、お見事な表現です。 ご回答、ありがとうございました。
- mota_miho
- ベストアンサー率16% (396/2453)
ハイドン:オラトリオ「四季」 ラジオで聴きました(それも、「イヤホン」で!)。学生のとき、私は病気で入院していたことがあるのですが、楽しみと言えばラジオでした。NHKのクラシック番組でこの曲が放送され、強く感激したことを覚えています。 ベートーベン:「第九交響曲」 私が学生だったころ、大晦日の夜のNHK-FMの定番がこの曲でした。私も毎年聞いていました。その後、第九は何回かコンサート会場で聴きましたが、「感激」は、ラジオで聴いていたときのほうがあったように思います。若いときの感受性の強さの故だったのでしょうか。 武満徹:「ノヴェンバー・ステップス」 初めてこの音楽を聴いたのはラジオです。次に聴いたのはテレビ放送でしたが、このときすごく感激しました。この曲は後に、コンサート会場で聴いたことがありますが(武満さん本人も会場に来ておられました)、テレビで聴いたときの印象は強烈でした。 サンサーンス:「ピアノ協奏曲2番」 コンサート会場で聴きました。クラシックのコンサートは、けっこうよく行っていたのですが、この曲を聴いたときは、なぜか、ヨーロッパ社会の音楽文化のパワーのようなものに圧倒された気がしました。 p.s. 私のプチ自慢は、リヒテル(ロシアのピアニスト)の演奏を生で聴いたことがあることです(笑)。
お礼
病気の時に聴いた音楽が胸に染み込んで、涙があふれた…という話をよく聞きます。弱っている時は、人間の心が開放されたり、飢えたりしているのかもしれませんね。願って体験出来る事ではないから、貴重な体験だと思います。 それと、ラジオ。ステレオより音は悪いはずですが、ラジオで感動、というのもよく聞きますね。興味深い事です。 リヒテルを聴いたとは、うらやましい限りです。もう亡くなって十数年も経ちましたか…? ご回答、ありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
初めての感動は葉加瀬太郎(当時はクライズラー&カンパニー)のコンサートを初めてフェスティバルホールに聴きに行ったとき OP曲がサン・サーンスの「動物の謝肉祭より~水族館~」でした 今でも大好きな曲です その後の感動は、葉加瀬太郎のコンサートチケットで自力で1列目をゲットしたときです(2~3回あります)
お礼
生演奏の良さ、臨場感は、レコードでは絶対に再現出来ませんね。あの魅力があるから、録音がどんなに発達しても、コンサートはなくならないでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。
- angelo77
- ベストアンサー率15% (304/2021)
同じ感じですが、始めての感動は小学校の高学年で始めてオーケストラを聞いた時でした。 それまで校内放送で飽きるほど聞いた名曲を、人間が奏でてる現実に感動しました。 それ以来、音楽は生だなと思ってます。 最も感動したのは、大人になってからしばらくオーストラリアに住んでいた時、暇だとオペラハウス周辺で遊ぶ事が多かったのですが、そこには色んなパフォーマーが居て、その中で一際観客の輪の大きい南米から来た男の子達でした。 荒々しい息遣いで大小様々なパンフルートを次々持ち替えながら全力を振り絞る演奏に目が釘付けでしたが、ある日CDを作ったと言うので早速買ってガッカリ…ノイズを殺した綺麗な音色でナンジャコリャでした。 あんた達違うじゃん!そうじゃないじゃん! と言えずにやはり生が良くて通ってました。 人間が精魂込めて一心不乱に吐き出す音は今でもジーンと来ます。
お礼
レコードでも、ライヴ盤の生々しさには、抗し難い魅力がありますね。まるでスピーカーから汗が飛び散ってくる様な…。うまさより、情熱に感動させられてしまいますね。 ご回答、ありがとうございました。
- haiji1996
- ベストアンサー率14% (232/1633)
ウィーンに行った時、郊外にあるベートーベンの住居を訪ねたんです。引っ越し魔だったベートーベンの元住居は、ウィーンだけで3軒も。 その近辺には、ベートーベン通りという道があるんです、正式名称で。ベートーベンの銅像もあります。 ベートーベンは、そこを歩きながら、交響曲第6番、田園を構想したんです。 私も、ベートーベンと同じ体験をしよう、と同じルートを歩きながら、iPodで田園を聞きました。 そよ風に揺れる緑の木々、せせらぎの水音などと、耳から入ってくる交響曲が融合して、とても心に響く感動を覚えました。ちょっとだけ。。ベートーベンになれた気分でした。
お礼
ぐうう…、これは、クラシック・ファンにはたまらない…。聖フローリアンでブルックナー、フィンランドでシベリウスなど聴けたら、どんなにいいでしょう…。 ご回答、ありがとうございました。
- annkoromochi
- ベストアンサー率8% (348/3984)
こんにちは。 子供の頃の感動体験は小学校高学年の頃、父と一緒に行った地元のクリスマスパーティーで 小楽団の生演奏をバックに余興で歌った事です。皆の拍手を浴びてすごく嬉しかったです。 その時の曲は、小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」でした! あと、大人になってからは地元の混声合唱団に入っていた頃、音楽祭でミュージカルの曲を 沢山歌った事ですね。最高の感動でした! どちらも懐かしい思い出です♪
お礼
舞台で歌う至福。小心者の私は、ついに味わう機会を逃し続けたまま、いい年になってしまいました。皆さんがうらやましい…。トホホ。 ご回答、ありがとうございました。
感動した音楽と言えば思い出すのは、大学生だったころ初めて聴いたプロ歌手のコンサートです。中学生の頃はブラスバンドでアルトサックスを吹いていましたからコンサートは何度も聴いていますが、田舎の素人バンドばかりで、千人くらい入りそうな音楽ホールでバックバンドが入って本格的な音響装置があるのは初めてでした。 長谷川きよし。 この盲目の歌手の歌声は高校時代ラジオの深夜放送で幾度も聴いていました。澄みきった歌声と大人の世界をのぞかせる歌詞、そしてギターの音色に魅了され東北の地方都市にあるホールに来るということで、さっそく大学生協でチケットを入手。当時のガールフレンドと言ったのか、一人で聴いたのかいまや記憶が定かではないですが、ステージの幕が上がると同時にサンバのパーカッションと一緒にギターのサウンドが響き、ジーンズにオレンジ色のシャツを着たサングラスをかけた長谷川きよしが、すこし俯き加減で歌いはじめた「別れのサンバ」。 何にも、思わず 涙も流さず ・・・ギターが小気味よく刻むカッティング奏法で 堰を切ったように涙があふれてきて困りました。 http://www.uta-net.com/song/4965/ 今詞を読んでいてもメロディーが流れて目頭が熱くなります。シンガーソングライターはたくさんいますが、この詞と曲はすごいと思います。 もっとすれっからしになると、なかなか演奏で泣かなくなりましたが、39歳の時に仕事ででかけたニューヨーク。案件が片付いてでかけたヴィレッジバンガードというジャズクラブ。表通りに面した小さな扉をあけて階段を下りていくとすでに席は満員で予約しておいた席にたどりつくと、知らないカルテットがすでに演奏をはじめるところでした。 アメリカにジャズミュージシャンはたくさんいるだろうけれど、この小さくて偉大なステージで演奏できるアーチストはそう多くはないでしょう。パワフルなピアノの前奏から始まった一曲目は、トランペットがメロディーを奏でベースがソロをとりそのあとでした。恐ろしいまでの激しいパルスの波ようなドラムソロを聴いたのは。10代にも見えそうな黒人の男の子が叩きだすリズムは、マッコイ・タイナーのピアノトリオでトニー・ウィリアムスが叩いたWAVEの演奏をはるかにしのぐ音の波でした。 その時思ったのは、日本人のジャズプレーヤーはアフロアメリカンにはかなわないという思いでした。 いろんなジャズの名演をレコードで聴いて感動してきた気でいましたが、あの夜のあの若いドラマーの演奏ほど心を動かす音楽は経験したことがありませんでした。 ステージが休憩に入り、トイレにいきあふれる涙をぬぐおうと洗面所のドアをあけるとそこには先ほどまでステージにいた少年(とも思える小柄なドラマー)が顔を洗っていました。目を真っ赤に泣き腫らして。最初、バンドリーダーに何か叱られたのかと思ったのですが、励ましているような同僚の様子に、今回の演奏に自ら感動して涙を流しているのだろうと思いました。確かにジャズプレーヤーにとってのひのき舞台。さきほどの演奏は、素人の私にも目が覚めるような名演とわかるものでした。 私は、デザインなどビジュアル領域に関心を持つことが多い人間ですが、たまに音楽で魂の奥底が揺さぶられるような体験をすると「耳というものも偉大な器官だなぁ」と思います。 NさんやAlterdさんのように、ステージに立つ側にはなかなかなれませんが(一度学生アルバイトでウエイターをやっていたときナイトクラブのステージで歌ったことがあります)いい音楽とはいつまでもかかわりを持ち続けていきたいなぁと思います。
お礼
長谷川きよしを挙げた方が、もうおひと方、おられました。私は聴いた事がなかったのですが、今回初めて聴いた「別れのサンバ」。オリジナルと2012年のライヴを聴きました。 普段、私は詞よりは曲に注目して聴いているのですが、この詞のすばらしい事!ギターもすごい。いきなり人の心を鷲掴みにする、この力は!早速、レンタルショップでベスト盤を借りるつもりになっています。 「音楽は生!」と、他の方が仰っていましたが、ジャズなど、その最たるものなのでしょう。腹に響くドラムスなどのカタルシスは、生でなければ!熱にうかされた様な演奏も、その場の空気を共有しなければ分からないのでしょう。日本人は、あの熱狂にまで高まる事は出来ないかもしれませんね。 ご回答、ありがとうございました。
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お礼
美人のNannette さん、ブログをしておられるのですね。探してみますね。舞台で歌う至福が、余す所なく再現されています。聴くのももちろんいいけど、自分で音楽を再創造する悦びは、他に代え難い体験です。私も、もう少し度胸があったなら…。歌には自信があるんですけどね。お風呂や部屋で一人で歌って、日々再現しています…。 素敵な文章でした。ご回答、ありがとうございました。
補足
「感動」がテーマとなれば、いつも以上に力作ぞろいでしたが、今回のベストアンサーは、どうしても文章に情感漂う、Nannetteさんになってしまいます。皆様、どうかご容赦ください。ありがとうございました。