• 締切済み

負のサイクル~(泣)

こんにちは 普通の人は、仲良くなるとよく遊んだり絡んでいったりすると思うのですが、私は人と仲良くなればなるほど、その人から離れていってしまいます… 例えば、相談もし合う程仲良くなった相手にも、 あ…こんなに相談してたら迷惑かな?とか、いつもいつも話し相手になってくれていて申し訳ない…。 等とおもってしまうのです そして、二ヶ月ほど前に彼女が出来たのですが、最近その彼女にも距離をとるというか…親しくできなくなってるんです。 ダブルデートをしていた時にもう一つのグループがイチャイチャし始めた時に、彼女が手をつなごうとしてきたり、ホッペにチューをしてこようとしたのですが、やめて!と拒否してしまいました… 彼女のしてくれることは本当に嬉しいのですが、よく彼女からはヘタレwとか情けないとか女々しいと言われていて…自分はこんなにいい彼女の彼氏になるには勿体無い!とおもってしまい、恋人らしいことをするのに抵抗を覚えてしまうのです…… 友人にも同じく、自分がこの人に相談などをして迷惑をかけるのはだめなことなんだ!と思ってしまい何もできないのです。 そして、そういう風に考えている自分がどんどん嫌になり、また、友人や彼女に対してこんな自分が……と思い行動できなくなるのです。 これはやはり、私が相手が考えすぎているだけなのでしょうか? それとも、自分に自信がなく人のせいにして人との交流を閉ざそうとしているのでしょうか? または、人の迷惑になる!等と言ってじぶんのワガママを通そうとしているのでしょうか? 私は、今の自分から親しくなればなるほど気を許して、どんなことでも言えるようになりたいのですが…どなたかアドバイスをいただけないでしょうか? 厳しいことでも真正面から受け止めるのでよろしくお願いします… 長文と文の構成がおかしくてごめんなさい 頭がゴチャゴチャしていて纏まりませんでした…すみませんでした。

みんなの回答

回答No.2

ご質問者様こんばんは。 ご質問者様の悩みに僕もハマったことがあります。結論から言えば「自分を守りたい」という気持ちが、全ての行動を抑制してしまうのです。自尊心と恐怖心が自分を守る強力な壁になるのだと思います。 ご質問者様の文章からはご自身の「自己価値感情」がとても低いように感じました。が、一方で、逆の側面も感じました。つまり、ご自身の何かの悩みの相談をお友達なりの相手に話すことができないのは、ご自身の自尊心が歪に高くなってしまって、相手の方を低く見ている結果であるのかもしれないということです。 自尊心と恐怖心は人間の心を内にこもらせる最強タッグだと思います。ご質問者様の彼女の言葉、意気地なしを指す「ヘタレ」は勇気がないことを意味しますよね。ご質問者様の問題は、この「勇気」の問題です。 勇気とは恐怖の対になるものだと思います。恐怖心は今までの自分を守ることに最大の力を発揮します。あるときは生命を。あるときは正義や公正を守ることもあるでしょう。とても大切な力です。しかし、過去の自分をいくら守っても「成長」は無いのです。 勇気とは突き詰めて言えば関係を「壊す」ことだと考えます。何も知らなかった自分から知った自分へ。経験しなかった自分から経験した自分へ。行動しそれによって変化して行くことだと思います。それを「成長」というのだと思います。過去の自分を壊すことが勇気であり、そこからまた再生して行くことが人間にとっての成長です。成長とは過去の自分や関係性との「別れ」であると思います。 考えを進めると、ご質問者様の持つ一番の恐れはこの「別れ」であるのかもしれません。 今のご自身の考え方に満足をされていてご自身に変化起こす必要を感じていないか、ご自身を取り巻く関係性に居心地が良いのかもしれません。ご質問者様が変化を起こしたくないとそう感じるのはご質問者様の本当の本音が安楽を求めたいだけで「責任」などの面倒を背負いこみたくないだけなのかもしれません。 相手からは、良いものだけを受け取りたい。ご自身もできれば相手に良いものを提供したい。そういう気持ちがご質問者様の文章に沢山の「迷惑」という言葉を生み出しています。人の心に踏み込んで行くには勇気が必要です。勇気を使えば、何かが必ず壊れてしまう。そこに残るものが「良いもの」である保証など何処にも無いのです。行動を起こす前から自分の望む結果に縛られているのかもしれませんね。 問題の解決にはご質問者様ご自身の「孤独」と向き合うことがとても大切であると思います。これはとても恐ろしいことです。なぜなら孤独であるということは、どんな人とも全てを理解し合えないことを受け入れることですし、必ず一人で自分の生命の全ての責任を引き受けなければならないことだからです。命の続く限り一人で自分の運命と自分の生命の持つ意味とに向き合わなければならないのです。 しかし、それは同時に「世界にただ一人だけの価値」があることの生きる証明にもなるのです。私には私の生命の成り行きの全てを引き受けるだけの能力が「ある」のです。これはあらゆる「生命」にとって言えることですが、どんな生命にも、当然どんな人間にも価値は「ある」のです。世界に一つだけの存在に価値が無い訳がありません。 ご質問者様が何かに付け「迷惑」だと考えるのはご自身の生命への侮辱であり、相手の方の生命への侮辱でもあるのです。迷惑だと言って自分を守るのは止めましょうね。それは卑怯な態度であると思います。 友達であろうと恋人であろうと自分の子供であろうと親であろうと自分自身であろうと全ての関係は必ず別れが訪れます。しかし別れこそ、人間にとっての最大の学びであり成長です。そこから恐れをなして逃げることは結果的に「成長の無い自分」を守ることにつながるのです。 人間は自身の生命を喜ばせなければならないと思います。それはほんの一瞬でも良いものかもしれません。そう考えるとご質問者様が全ての関係から深入りすることを避けて過ごす生き方(ご自身の言う)負のスパイラルの先に、ご質問者様の生命が求める生命の喜びがあるかもしれません。 ご質問者様の心の声と、ご自身の口から出る声が同じになるように意識されると良いと思います。嘘をつかない生き方はとても厳しいものです。人からは嫌われることもあるでしょう。ご質問者様から離れる人も現れるでしょう。しかし、逆に数は多くはなくても生涯を共に歩む人も現れるでしょう。正直であることは人間にとって重要な要素だと思います。 人間は最後には救われる一瞬が必ずあるのだと信じて生きて行くことが大切だなとご質問者様の文章を読んで改めて思いました(^-^) ご参考になれたら幸いです。

回答No.1

初めまして。 なかなか難しい、問題ですね。 親しく慣ればなるほど距離をとってしまう。。 質問者さんのおっしゃる自信がなかったり、 相手の事を考え過ぎてしまい、距離を取ってしまう。 その裏には、質問者さんは何かしてもらうばかりで、 相手に何もあげれてないと思ってるからではないでしょうか。 だから、相手に申し訳ないと。。 友達でも、恋人でも人間関係にはgive and take があると思うんです。 友達ならお互い楽しい時間を共有できる。これはevenな関係ですし。 夫婦なら旦那が経済面を支援、奥さんが家庭を守るというのもそうです。 お互いに補完しあえる何かがあるからお互いに居心地がいいんだと思うんです。 そう考えると、 いつもしてもらってばかり思う今状況ええは、 相手に申し訳ないと思うことは自然ではないでしょうか。 質問者さんの『そういうふうに考えない』努力をされる代わりに、 自分なりに相手に何かできること探してはどうでしょう。 相手にあげれる何かが見つかれば自然に相手と距離をとってしまうことが、 なくなるんじゃないかと思います。 少しでも、参考になれば幸いです。 応援しております♪

関連するQ&A